2018/08/27追記
この記事は2012年に書いた記事だが、今年は例年以上にアクセスが多い。常識外れの猛暑のためか、投手の酷使への批判、投球数制限への議論もかつてないほど活発だ。
私の記事が議論のたたき台になれば本望だし、引用していただくのも拡散していただくのも結構だが、一つお願いがある。
どうか「ジンクス」という言葉は使わないで欲しい。
甲子園優勝投手が大成しないのはジンクスなどではない。
炎熱の中で連投を強いられ、あたら才能を開花させることなく消えていった結果だ。この際はっきり言ってしまうが、これは児童虐待の記録である。
肝に銘じてほしい。
結果はこうなった。
昭和21(1946)年から2011年まで77人中、プロ野球入りした選手は32人。うち8人は野手(プロ入り後の転向を含む)。投手は24人。
うち10勝以上を挙げた投手は11人。
100勝以上となると、尾崎行雄、野村弘(のち弘樹)、桑田真澄、松坂大輔の4人だけである。
勝ち星は起用法や運に左右され、なにより中継ぎで長く生き延びたという投手が出てこない。そこで、登板試合数で調べてみると、
0~100試合 | 12人 |
101~200試合 | 3人 |
201~300試合 | 4人 |
301試合~ | 5人 |
という結果に。
やはり、約半数が大成しないまま退団していったということになる。
中には、S28年松山商の空谷のように、通算63勝ながら5年目に20勝した投手もいるし、S29中京商の中山はノーヒットノーランを記録している。
S37年作新学院の加藤は、S40年に交通事故で夭折している。
快速球で有名な尾崎は、この時代の投手の常で、プロ通算12年ながら実質的に活躍したのはわずか6年であり、29歳の若さで引退している。
むろんプロになるだけが野球人の人生ではなく、社会人野球で活躍している選手もいるだろう。だがそれでも、100試合以上投げた投手が12人、優勝投手のわずか16%というのは少なすぎはしないか。
そして桑田と松坂が、そろってトミー・ジョン手術を受けているのがまた示唆的である。
田中と斎藤のプロ人生に幸多かれと祈らずにおれない。
年度 | 高校名 | 氏名 | 大学 | 社会人 | プロ | プロ通算成績など |
S21 | 浪華商 | 平古場 昭二 | 慶大 | 鐘紡 | のちパ・リーグ審判 | |
S22 | 小倉中 | 福島 一雄 | ||||
S23 | 小倉中 | 福島 一雄 | 早大 | 八幡製鉄 | ||
S24 | 湘南 | 田中 孝一 | 早大 | ゼネラル石油 | ||
S25 | 松山東 | 池田 勉 | 津田鋼材 | |||
S26 | 平安 | 清水 宏員 | 毎日 | 85試合10勝7敗 | ||
S27 | 芦屋 | 植村 義信 | 毎日 | 322試合74勝69敗 | ||
S28 | 松山商 | 空谷 泰 | 中日・近鉄 | 208試合63勝57敗 34年に20勝 通算防御率2.53 38年引退 | ||
S29 | 中京商 | 中山 俊丈 | 中日 | 396試合83勝90敗 39年にノーヒット・ノーラン | ||
S30 | 四日市 | 高橋 正勝 | 巨人 | 3試合0勝1敗 のちスコアラー | ||
S31 | 平安 | 岩井 喜治 | 明大 | 日立製作所 | ||
S32 | 広島商 | 曽根 弘信 | 慶大 | 東芝 | ||
S33 | 柳井 | 友歳 克彦 | 法大 | 日本石油 | ||
S34 | 西条 | 金子 哲夫 | 阪神 | 1試合0勝0敗 | ||
S35 | 法政二 | 柴田 勲 | 巨人 | 6試合0勝2敗 野手転向 | ||
S36 | 浪商 | 尾崎 行雄 | 東映 | 364試合107勝83敗 | ||
S37 | 作新学院 | 加藤 斌 | 中日 | 35試合3勝4敗 40年事故死 | ||
S38 | 明星 | 堀川 浩信 | 法大 | |||
S39 | 高知 | 米内 数喜 | 芝工大 | 鐘淵化学 | ||
S40 | 三池高 | 上田 卓三 | 南海・阪神 | 205試合13勝13敗2S | ||
S41 | 中京商 | 加藤 英夫 | 近鉄 | 101試合2勝9敗3S のち打撃投手・スコアラー | ||
S42 | 習志野 | 石井 好博 | 早大 | 習志野高監督 | ||
S43 | 興国 | 丸山 朗 | 早大 | 大昭和製紙 | ||
S44 | 松山商 | 井上 明 | 明大 | 朝日新聞社 | ||
S45 | 東海大相模 | 上原 広 | 東海大 | |||
S46 | 桐蔭学園 | 大塚 喜代美 | 三協精機他 | |||
S47 | 津久見 | 水江 正臣 | ヤクルト | 一軍登板なし | ||
S48 | 広島商 | 佃 正樹 | 法大 | 三菱重工広島 | ||
S49 | 銚子商 | 土屋 正勝 | 中日・ロッテ | 240試合8勝22敗4S 移籍後中継ぎに転向 | ||
S50 | 習志野 | 小川 淳司 | 中大 | 河合楽器 | ヤクルト・日ハム | 大学で野手転向 現ヤクルト監督 |
S51 | 桜美林 | 松本 吉啓 | 明大 | 明治生命 | ||
S52 | 東洋大姫路 | 松本 正志 | 阪急 | 32試合1勝3敗 のち打撃投手 | ||
S53 | PL学園 | 西田 真二 | 法大 | 広島 | 大学で野手転向 | |
S54 | 箕島 | 石井 毅 | 住友金属 | 西武 | 85試合8勝4敗4S | |
S55 | 横浜 | 愛甲 猛 | ロッテ | 61試合0勝2敗 野手転向 | ||
S56 | 報徳学園 | 金村 義明 | 近鉄・中日・西武 | 野手転向 | ||
S57 | 池田 | 畠山 準 | 南海・大洋 | 55試合6勝18敗 野手転向 | ||
S58 | PL学園 | 桑田 真澄 | 在学中 | |||
S59 | 取手二 | 石田 文樹 | 早大 | 日本石油 | 大洋 | 25試合1勝0敗 |
S60 | PL学園 | 桑田 真澄 | 巨人 | 442試合173勝141敗 | ||
S61 | 天理 | 本橋 雅央 | 早大 | |||
S62 | PL学園 | 野村 弘 | 大洋 | 301試合101勝88敗 | ||
PL学園 | 橋本 清 | 巨人 | 134試合9勝12敗8S | |||
PL学園 | 岩崎 光宏 | 青学大 | 新日鉄名古屋 | |||
S63 | 広島商 | 上野 貴大 | 日体大 | 三菱重工広島 | ||
H1 | 帝京 | 吉岡 雄二 | 巨人・近鉄・楽天・ヌエボラレド(メキシカンリーグ) | 野手転向 | ||
H2 | 天理 | 南 竜次 | 日ハム | 11試合0勝0敗 | ||
H3 | 大阪桐蔭 | 和田友 貴彦 | 東洋大 | 東芝府中 | ||
大阪桐蔭 | 背尾 伊洋 | 近鉄・巨人 | 22試合1勝2敗 | |||
H4 | 西日本短大付 | 森尾 和貴 | 新日鉄八幡 | |||
H5 | 育英 | 井上 靖史 | 神戸学院大 | |||
育英 | 酒谷 敏 | 明大 | ||||
育英 | 松本 貴博 | 大経大 | ||||
H6 | 佐賀商 | 峯 謙介 | JR九州 | |||
H7 | 帝京 | 白木 隆之 | 三菱自動車川崎 | |||
H8 | 松山商 | 渡部 真一郎 | 駒大 | 松山フェニックス | ||
松山商 | 新田 浩貴 | 東芝 | ||||
H9 | 智弁和歌山 | 藤谷 俊之 | 龍谷大 | 一光 | ||
智弁和歌山 | 清水 昭秀 | 法大 | 日本通運 | 野手転向 | ||
H10 | 横浜 | 松坂 大輔 | 西武・レッドソックス | 204試合108勝60敗(日) 106試合49勝30敗(米) * | ||
H11 | 桐生一 | 正田 樹 | 日ハム・阪神・興農ブルズ(台湾)・新潟アルビレックス・ヤクルト | 84試合24勝37敗(日) 59試合25勝11敗(台) * | ||
H12 | 智弁和歌山 | 松本 晋昂 | 同大(準硬式) | |||
智弁和歌山 | 中家 聖人 | 立命大 | ||||
智弁和歌山 | 山野 純平 | 龍谷大 | ||||
H13 | 日大三 | 近藤 一樹 | 近鉄・オリックス | 109試合28勝37敗 * | ||
H14 | 明徳義塾 | 田辺 祐介 | 関大 | トヨタ自動車 | ||
H15 | 常総学院 | 磯部 洋輝 | 中大 | 室蘭シャークス | ||
常総学院 | 飯島 秀明 | 東経大 | ||||
H16 | 駒大苫小牧 | 岩田 聖司 | 駒大 | 北海道マーリンズ | ||
H17 | 駒大苫小牧 | 松橋 拓也 | 明大 | |||
H18 | 早稲田実 | 斎藤 祐樹 | 早大 | 日ハム | 19試合6勝6敗 * | |
H19 | 佐賀北 | 馬場 将史 | 中大(準硬式) | |||
佐賀北 | 久保 貴大 | 筑波大 | ||||
H20 | 大阪桐蔭 | 福島 由登 | 青学大 | |||
H21 | 中京大中京 | 堂林 翔太 | 広島 | 野手転向 | ||
中京大中京 | 森本 隼平 | 法大 | ||||
H22 | 興南 | 島袋 洋奨 | 中大 | |||
H23 | 日大三 | 吉永 健太朗 | 早大 | |||
*は現役選手で、2011年シーズン終了時の成績
参考文献
http://kanya.at.webry.info/201108/article_1.html
『高校野球 春・夏 143人!甲子園優勝投手物語』日本スポーツ出版社、2000年
2014/08/06追記
2005年の優勝高校は駒大苫小牧。決勝戦に先発したのは当時3年の松橋拓也。4回2/3を投げて降板し、2年生の田中が残り4回1/3を投げた。従って、胴上げ投手という意味では確かに田中である。
ただ私の記事の趣旨は、大会中の連投が選手生命を縮めているということなので、優勝の瞬間にマウンドにいたかどうかはあまり関係がない。
それだけで済ましては申し訳ないので、この大会の登板状況を調べてみた。
2回戦 | 8月11日 | 松橋 | 9回 |
3回戦 | 8月15日 | 田中 | 7回2/3 |
吉岡 | 1回1/3 | ||
準々決勝 | 8月17日 | 松橋 | 2回2/3 |
田中 | 6回1/3 | ||
準決勝 | 8月19日 | 田中 | 7回1/3 |
吉岡 | 2回2/3 | ||
決勝 | 8月20日 | 松橋 | 4回2/3 |
田中 | 4回1/3 |
合計 松橋 16回1/3
田中 25回2/3
吉岡 4回
駒大苫小牧は珍しく(たぶん)主戦級投手を複数擁するチームだった。しかし実質的なエースは、投球回からわかるようにやはり田中である。準々決勝など、松橋が先発しても危なくなったらすぐ田中に替わっている。
以前作成した表は、平成12年の智弁和歌山のように複数の投手が投げたチームは複数記載している。平成17年の駒大苫小牧もそうすると、プロ入りした選手が33人、投手が25人、うち100勝以上が5人になる(田中は日米通算で)。
4/24=17パーセントが、5/25=20パーセントに。大勢に変化はない、と言うべきであろう。
ついでなので、語りぐさの2006年大会の駒大苫小牧と早稲田実業の試合を調べてみた。私の言いたいことをわかって頂くために、当日の大阪の最高気温と湿度も付けた。これは気象庁のホームページで公表されている数字である。
1回戦 | 8月6日 | 斉藤 | 9回 | 36.1℃ | 63% |
2回戦 | 8月10日 | 田中 | 9回 | 36.2℃ | 56% |
8月12日 | 斉藤 | 9回 | 35.8℃ | 61% | |
3回戦 | 8月15日 | 岡田 | 1回2/3 | 37.9℃ | 53% |
菊池 | 2/3 | ||||
田中 | 6回2/3 | ||||
8月16日 | 斉藤 | 9回 | 34.2℃ | 62% | |
準々決勝 | 8月17日 | 田中 | 9回 | 34.6℃ | 62% |
8月18日 | 斉藤 | 9回 | 34.9℃ | 63% | |
準決勝 | 8月19日 | 菊池 | 2/3 | 34.6℃ | 68% |
岡田 | 1/3 | ||||
田中 | 8回 | ||||
8月19日 | 斉藤 | 9回 | |||
決勝 | 8月20日 | 菊池 | 2回1/3 | 34.7℃ | 68% |
田中 | 12回2/3 | ||||
斉藤 | 15回 | ||||
決勝再試合 | 8月21日 | 菊池 | 2/3 | 35.6℃ | 63% |
田中 | 7回1/3 | ||||
斉藤 | 9回 |
この年も、駒大苫小牧は一応複数の投手を用意しているが、結局は田中を投入している。一方、早稲田実業はまさに斉藤に頼り切りだ。もう一度、気温と湿度のデータを見て頂きたい。これは大阪の数値なので、西宮の甲子園球場はもう少しましなのかもしれない。それにしてもだ。15日の37.9℃というのはもはやスポーツどころか、屋外での活動がはばかられるレベルである。
こんな環境で高校生に野球をさせ、あまつさえ3日、4日と連投させる。それを教育だと嘯いて。これを狂気と言わずして何と言う。
今年はタイブレーク制度の導入が検討されているが、野球の興趣を削ぐという理由で反対もあるようだ。私が一番恐れているのは、高野連に「一応検討はしましたが反対多数で却下しました」という口実を与えてしまい、結局何も改善されないという事態である。あり得ない話ではない。70年間、何もしてこなかった奴らなのだから。
次善の策でかまわない、今すぐに歯止めをかけなくては。「野球の興趣」はプロで味わえばよい。
最後にもうひとつ、これは昨年手慰みに作ってみた8月の大阪の平均気温の変化である。データ元は同じく気象庁ホームページ。
バラツキはあるが、一貫して年ごとに上昇傾向を示している。
大会が始まってから70年の間に、線形回帰式で見れば2℃近くも平均気温が上昇した。これは地球温暖化のためではなく、大阪の都市化の影響、いわゆるヒートアイランド現象ではないかと思われる。それにしても、競技の環境自体が変化しているのだ。大会のあり方も変わっていって当然である。