更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2018年6月25日(月)
『フルメタル・パニック! Invisible Victory』9話

とても興味深い演出があった。
アヴァンタイトルで、大破した宗介の愛機アーバレストのAI・アルが再起動する。
そこでアルは、こんなメッセージを発する。



WHERE DO WE COME FROM?
WHAT ARE WE?
WHERE ARE WE GOING?

スタッフは「混乱しているのだろう」と言う。

さて、終盤ではナムサクで重傷を負っていた宗介が、意識を回復する。場所はタヒチ。
注目すべきは、壁の絵画である。



この絵のタイトルは、そのものズバリ『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』なのだ。
1897~98年にかけて、ゴーギャンが晩年を過ごしたタヒチで描いた大作で、最高傑作との呼び声も高い。

色々と考えさせられる演出である。
前作『The Second Raid』の最終話、お前は何者かと問われた宗介は答えた。
「俺は東京都立陣代高校2年4組、出席番号41番、ごみ係兼かさ係の相良宗介だ」と。
『The Second Raid』は、傭兵として生きてきた宗介が己の居場所と存在意義を見出す話だった。しかし『Invisible Victory』ではその寄る辺を失い(4話のラストシーンが校門から外へ踏み出すカットだったことを想起されたい)、宗介は再びアイデンティティを見つけなければならない。だから、その宗介の問いとしてこの絵の意味するところは切実である。

一方、別の解釈も成り立つ。
アルと宗介がいずれも昏睡から覚めた時に同じ問いを発し、次いで状況の説明を求めるあたり、一心同体の主従を印象づける。
しかし、宗介はかなめを救い出すためにアマルガムを追い、結果としてナミらを利用し、死なせてしまう。フランス情報部のミシェルは「いつかその報いを受ける」と言う。
そんな宗介は、所詮は戦闘機械に過ぎないのではないか。修羅の道の先に、人として救われる未来はあるのだろうか。

こんな凄い演出をするのは誰かと思ったら(原作通りだったらごめんなさい)、案の定というか絵コンテ:片山一良だった。
演出は青木youイチロー。「Lerche出身の若手演出家」とのこと。

2018年6月9日(土)
『DEVILMAN crybaby』

BD-BOXが届いた。
今どきの若いもんは知らんじゃろうが、むかしLD-BOXという商品があってのう・・・・・・とつい昔語りを始めてしまうでかさと重さ。
内容も恐るべき充実ぶりであった。さて本題。

かつてデビルマンこと不動明は叫んだ。
「おれはからだは悪魔になった・・・・・・だが人間のこころをうしなわなかった!きさまらは人間のからだをもちながら悪魔に!悪魔になったんだぞ!これが!これが!俺が身をすててまもろうとした人間の正体か!地獄へおちろ人間ども!」

だがこの論法にはひとつ欠点、と言うか見落としがある。
それは、明は強靱な悪魔の身体を得たからこそ、人間の心を持ち続けられたのではないか?という点である。無力な人間の身体で人間の心を持ち続けることは、常人にできるのだろうか?

『crybaby』は、この問いに向き合った作品である。
そもそも人間らしい心とは何か?
『crybaby』はそれを、他者を思いやり、共感し、他者のために涙する心だとした。本作では人の心のありようを、二つの側面から描いている。ひとつは、人の姿のまま人の心を保てるか。もうひとつは、悪魔の身体を得た人間は、人の心を捨てずにいられるかである。
前者のクライマックスは、デビルマンがスタジアムでのリンチを制止する場面。美樹のSNSの語りかけと相まって、人々は落ち着きを取り戻していく。
そして後者を代表するのが、言うまでもなく幸田とミーコである。この二人は意図せず悪魔と合体することになったが、幸田は悪魔の力に身をゆだね、ミーコは人の心を捨てることなくデビルマンとなる。
本作が、原作と大きく改変されているのは明が悪魔と合体する経緯である。原作では、デーモン一族と戦うために悪魔の力を手に入れるという明確な目的の下に合体するのだが、本作の明は了の力になりたいという一心でサバトの調査に同行し、偶然合体することになる。

これはつまり、デビルマンになるか否かを決定するのは、合体前の決意でも、単なる体質や遺伝でもなく、ただ合体してからの意志によるとしたからである。明たちが陸上部員という設定なのも、陸上競技が道具を使わず己の肉体だけに依存するものだからであり、従って合体という肉体の変化に大きく影響されるからだろう。
その変化に溺れず、恐れず、思いやりを持ち続けた者がデビルマンになれる。その戦い-人の心を持ち続けられるか否かという葛藤は、実は人間の体のままでも同じなのだ。

デビルマンは、大魔王サタンに戦いを挑む。
ヒーローの戦いは、なぜ見る者の心を打つのだろうか。それは、ヒーローの戦いとは、信念のぶつかり合いだからである。戦いがただ力と技の応酬に過ぎないなら、プロレスでも見ている方がマシだ。己の信ずるところを拳に載せて相手にたたき込み改心させるからこそ、ヒーローの戦いは崇高なのである。
デビルマンは復讐のため、怒りと憎悪に燃えて拳を振るう。だがその拳には、ミーコから美樹へ、美樹から明へとバトンのように受け渡された愛が、勇気が、慈しむ心が込められている。デビルマンの拳がサタンを打つたびに、バトンの落ちるカットが繰り返し挿入される(補足すれば、幸田はバトンを受け渡すことなく一人で走っていたことを想起されたい)。手足を失えば、仲間が差し出した肉体を手足に変えてデビルマンは戦い続ける。
やがて戦いは決着し、サタンはデビルマンと並んで夜空を見上げる。そして自らが手にかけた愛する者の亡骸を前に、サタンは号泣するのである。ここにいたって、タイトルの『crybaby』の意味が明らかになり、我々はヒーローの勝利を見る。デビルマンの拳は確かにサタンの心を揺らしたのだから。

その結果、『crybaby』は原作をさらに越えた高みに到達した。悪魔の心にも、愛はあった。すなわち、人が悪魔になるのなら、悪魔が人になることだってあるかも知れないという希望を示したからである。

ラストシーン、遙かな未来の地球には二つの月がめぐっている。その地球に、サタンは再び転生するかも知れない。二つの月は、人と悪魔が共存する世界を象徴するものであってほしい。
甘すぎるだろうか?構わないではないか。あれほどの地獄を見てきた者たちに、その程度の救いがあったとて。

2018年4月25日(水)
『リズと青い鳥』

素晴らしいの一語。まだ4月ながら、今年のベストワン映画かも知れない。
関係者全員が口にしているように、静謐で、繊細で、香気あふれる映画。私も全く同感だが、言葉にしてしまうと陳腐になるのがもどかしい。
正直言って私は『聲の形』がピンと来なかったのだが、本作は文句なしだ。『けいおん!』作ってた人がこんな映画を、と思うと感慨深い。ちょっと意地悪な言い方をすれば、すでに定評ある『響け!ユーフォニアム』のスピンオフで、山田尚子得意の少女達の関係性のお話しで、失敗する要素があまりない作品ではある。
しかしこの作品には、紛れもなく「映画でなければ表現できない何か」がある。

観終わってから気がついたのだが、この映画は一度もカメラが学校から出て行かない。「鳥籠から飛び立つ」ことをテーマにしているためだろう。水着イベントがスマホの写真一枚で済まされるのはこの構造ゆえだし、希美が卵を渡されるのも象徴的。

冒頭、早朝に登校してきたみぞれが階段で希美を待つ。
少し前のめり気味に小気味よく先を歩く希美。
後をついて行くみぞれ。
伏し目がちなみぞれの目には、前を行く希美の黒いソックスが映る。
音楽室。生物準備室。執着。才能。嫉妬。フルートに反射した光。
リードに巻いた赤い糸。赤い糸と言えばTV1期エンディングを思い出すが、たぶん、みぞれの赤い糸は希美でなくオーボエにつながっているという意味でもあろう。
大好きのハグ。友情よりもちょっと深い「好き」。

進む道は違えたが、自立した一個の魂同士として寄り添う二人はより強く、深く、結びついていく。
disjointからjointへ。
分かちがたく混じり合っていく赤と青。
冒頭とは逆に、図書室から引き上げる希美が練習を終えたみぞれを階段で待ち、下校する場面で映画は終わる。

桎梏から解き放たれて、初めて全力で演奏するみぞれのオーボエがすさまじい迫力。場内ではすすり泣く声も聞こえた。
本編の主人公くみれいコンビが、出番は少ないながら重要な役割を果たすのが好印象。
余談ながら、「ハッピーアイスクリーム」って、私の現役時代は「ハッピー&アイスクリーム」って言ってた気がする。

ところで、『心が叫びたがってるんだ。』を観た時、こんなにファンタジー要素のないオリジナル劇場アニメは珍しいと思ったものだが、考えてみれば山田尚子は日常を舞台にした映画ばかり撮っている。こういうアニメ作家は珍しいのではないか。
ちょうど映画館で細田守の新作『未来のミライ』の予告編をやっていた。この人はまたファンタジーな映画ばかり撮っていて、正直飽きた。そろそろ違ったことをやったらどうかと思うのだが、逆に山田尚子はもっと非日常な映画も観てみたい。

パンフレットから気になったところ。
山田尚子×吉田玲子の対談中の山田監督の発言

演出を担当している小川(太一)さんが、原画スタッフに自分の担当シーンだけではなく、シナリオやコンテをすべて読むようにと言っていました。

キャラクターデザイン・西屋太志のインタビュー

今回は感情の機微を丁寧に描いていく作品ですので、イメージとしては、少女漫画の絵のような繊細さがより出せるキャラクターデザインにしたいと思いました。見た目では、等身を高めにし、首はすらっと長く、手足も細くしています。『ユーフォ』シリーズの池田(晶子)さんのデザインは、華やかで、体つきも肉感的でメリハリがあって、アニメーションらしい魅力がある素敵なデザインなのですが、今回は「生っぽさ」という部分を強く意識した結果、ある意味では色気をあまり感じさせないデザインになっているかと思います。

確かに首の長さは印象的だった。「生っぽさ」を意識した結果いわゆる色気、というか肉体性が減少するというのは面白いものだ。

2018年4月18日(水)
『打ち上げ花火』BD発売記念

というわけでもないのだが、スカパー!でやってたOVA『でたとこプリンセス』を観た。



私も新房監督のファンをやって長いので、新房ビギナーに対しては「『ソウルテイカー』を観てないの?」と冷笑するくらいはするが、不覚にもこんな作品手がけていたとは知らなかった。

脚本・シリーズ構成に関島眞頼。キャラクターデザインは数井浩子。
真の驚愕は2話のエンドクレジット。



鶴巻和哉
菅野宏紀
小倉陳利
平松禎史
本田雄
摩砂雪
浜洲英喜

とどめにこの人の名が!一原画マンで!



なんなのこのドリームチーム。
本作は1992年から98年にかけて連載された奥田ひとしのマンガが原作で、アニメ化は97年から98年にかけて。

試しにこのスタッフが、本作の前後にどんな仕事をしていたか調べてみた。

新房昭之 OVA『それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ』('96)
関島眞頼 OVA『セイバーマリオネットJ』('96~97)
数井浩子 『ハーメルンのバイオリン弾き』('96)

鶴巻和哉 『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』('97)
菅野宏紀 『天空のエスカフローネ』('96)
小倉陳利 『彼氏彼女の事情』('98)
平松禎史 『電脳戦隊ヴギィ'ズ★エンジェル』('97~'98)
本田雄 『GOLDEN BOY さすらいのお勉強野郎』('95~'96)
摩砂雪 『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』('97)
浜洲英喜 『PERFECT BLUE』('97)

旧劇場『エヴァ』と『PERFECT BLUE』のちょうど端境期といったところだろうか。
んで、この錚々たるメンバーが腕を振るえばさぞかし凄い作品になるだろうと思いきや、これがもうどうしようもないほどつまんないんですわ。「アニメの良し悪しは作画では必ずしも決まらない」という実例として、今観る価値あり。

蛇足ながら、上の「前後の仕事」はあえて全員違う作品を選んでいる。「この人のこの時期の代表作と言ったらこれだろう!」というツッコミは(きっとあると思うが)どうかご容赦下さい。

2018年4月5日(木)
アニメ関係者生年一覧

ぼちぼちと継続して調べている。

氷川先生の講座で、各ディケイドの必見作品の紹介をしていたのと、『Infini-T Force ガッチャマン さらば友よ』を観たのがきっかけで、タツノコの黄金時代に活躍した人たちを中心に少しまとめて追加した。

それにしても、『Infini-T Force』なあ・・・・・・。松本淳監督の新作だと聞いては、観ないわけにはいかない。公開1週間後に観に行ったら、場内は10人程度しかいなかった。
(『マジンガーZ』と違って)映画として決して悪い出来ではない。しかし、新作TVシリーズを知っている必要があり、しかも旧作ファンの神経を逆なでするような展開とあっては、受けるはずもなかった。

長らく監督作品を発表していない松本監督。ここらで華麗に復活劇を決めて欲しいと思っていたのだが、かえって復活が遠のいてしまったかも。

2018年4月2日(月)
十二試艦戦

かかみがはら航空宇宙博物館に行ってきた。

うわさの、十二試艦戦試作1号機、原寸大復元模型を見るためだ。写真ばかりになってしまったがご興味のある方はどうぞ

2018年3月22日(木)
『ダーリン・イン・ザ・フランキス』

これは、境界を越える物語である。
そもそもドラマとは、何らかの障害(すなわち境界)を乗り越えて異質ななにかが接触を果たすところに生じるものなので、当たり前ではあるのだが、本作はとりわけそれを画面内で自覚的に行っている。

例えば1話。主人公ヒロとゼロツーは少年と少女(正確には少女に見える何かだが)。2人は陸上と水中で邂逅し、水面上で接触を果たす。





このシーンは画面がシネスコサイズになり、静止したような時間を演出している。
そして1話の終盤、2人はストレリチアのコクピットの内と外という境界を挟んで再会する。



決意したヒロをゼロツーがコクピットへ-つまり境界の中へ引っ張り込むことで、クライマックスが訪れる。
絵コンテ:錦織敦史
演出:赤井俊文・錦織敦史

凄いのは4話。
4話は、全体が1話の再演であり、ヒロの決意とゼロツーとの絆を再確認するエピソードになっている。最初から最後まで見どころ。
ゼロツーをめぐって対立するヒロとイチゴ。二人とも光と影の狭間に立ち、間には柱がある。



ヒロの堅い決意を知ってイチゴもハラを決め、ヒロの側へ歩む。ここで面白いのは、カメラが引いて2階のバルコニーから見下ろす構図になること。ヒロとイチゴ二人とも、手すりの内側にいる。



つまり子供たちが自分の意志で動いているようでいて、実は「パパたち」の思い描いた絵図のうち、ということを暗示している。

リーダーとしてチームの団結を訴えるイチゴ。



メンバーが丸いソファの内側におり、イチゴがそれを見下ろす。カットバックで、イチゴの腕をなめて個々のメンバーが写る。

 

これらの構図が、イチゴがメンバーをまとめる様子を補強しているが、俯瞰になるとやはり天井の梁が映って檻の中に囚われているように見える。



入浴中のヒロに迫るゼロツー。このシーンは1話と同じシチュエーション。



このとき、ヒロがゼロツーの角を脅威に感じるのがポイント。

前後するが、ミツルとのコンビに不安を覚えるイクノを、イチゴが励ます。
ミツルと再びフランクスに搭乗したイクノは、イチゴが触れた肩に手をやる。

 

これに対応した表現。兵士に連れ去られるゼロツーは、別れ際にヒロの額を角でこづく(ここでも、シネスコサイズが使用される)。
角が触れた額に手をやり、その痛みで気持ちを再確認するヒロ。

 

壁に遮られるヒロ。ゼロツーが右上へ、手の届かないところへと移動しているのが効果的。



思いの丈をぶつけたヒロに応え、軽々と障害を突破するゼロツー。



こうして、二人の関係は確固たるものになり、それが新たな結節を生んでいく。
絵コンテ:摩砂雪
演出:下平佑一

イチゴとゴローの関係を掘り下げる9話。
以前『青い花』で紹介した、握手と手つなぎの使い分けをやっていた。画像見づらくてすまん。

 

 

イチゴが差し出しているのは、昔と同じ左手というのもポイントかも知れない。
絵コンテ:初見浩一
演出:小野竜太
初見浩一って、こんな繊細な演出できる人だったのか・・・・・・。

1期エンディングも興味深い。
よく見ると、ヒロインたちはそれぞれに危なっかしく「境界」に立っている。
イチゴは歩道橋の手すりの外側に。



ミクは安全柵の上に。



イクノは踏切のそばに。列車の接近を示す矢印が左右とも点灯しているのに注目。



ココロの場合、右の標識がポイント。左右とも一方通行という普通にはあり得ない標示。左の自動販売機の照明が消えそうに点滅しているのが不安をあおる。



そして、真打ゼロツー。彼女だけ、カメラが移動している。





走り出した行く手は、金網に遮られる。果たして、彼女たちの運命は。

本作は、特にビジュアル面で『トップをねらえ2!』によく似ている、とは私も思う。だがそれだけの理由で、上に挙げたような見るべきポイントを見過ごすのでは作品が気の毒だ。最終的な評価は完結してから下せばいい。

ついでだが、私は以前『パシフィック・リム』について、「複座ロボットは人間とロボットの間にドラマが生まれないのでつまらない」という意味のことを書いたが、本作は女の子が完全にロボットと一体化してしまうという設定でこの点をクリアしているのが面白い。

2018年3月5日(月)
明けましておめでとうございます

いや年明けてからこっち殺人的に忙しかったもんで。ようやく一段落したのでぼちぼち再開します。
と思ったら、更新のしかた忘れてた。

○ 時間ができたのでさっそく、『羊の木』『劇場版マジンガーZ INFINITY』『スリー・ビルボード』とまとめて観てきた。
『映画芸術』がアニメハブりたくなる気持ちが少し解った。

『羊の木』原作者二人のコメントが味わい深い。

パンフから抜粋
山上たつひこ
喜劇であれ、悲劇であれ、ホラーであれ、ドラマには張りつめた空気がなくてはならない。上質の虚構を作り出そうとする意思が発する緊張感である。

いがらしみきお
全編とおして画面の緊張感が素晴らしいと思います。原作よりもさらに焦点を絞ったため、その分、熱くなり、焦げ、煙を上げ、冷たい炎を発して燃えているような映画になりました。

キーワードは緊張感。
その通り、全編通して一瞬たりともゆるみのない凄い映画だった。

○ 『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』
京アニは、作品ごとに個別に課題を与えている、と思う。さしずめ本作の課題は、TVシリーズにどこまで圧倒的な情報量を詰め込めるか、だろう。
ヴァイオレットのスカートの後ろ側のデザインとか、よく動かす気になるものである。
問題は、その情報量で何を語るのかだ。驚くべきことに本作は、「人を殺した者はその後の人生をいかに生きるか」という、イーストウッドが一貫して追及しているテーマに果敢に挑戦している。
たかが-あえて言うが、たかがラノベ原作の深夜アニメが、この重厚なテーマを描ききることができたらそれこそ快挙である。期待したい。

 『さよならの朝に約束の花をかざろう』
知人とこの映画のことを話していて、「美人で若くて年とらない母親に懸想する話」とまとめたら、それ『999』じゃね?ということになった。
冗談はさておき、敬意をもって接すべき映画、だと思う。
とは言え、気になる点が多々ある。
長老様はやっぱり履いていないのか?
繁殖期のイオルフはマキアとレイリア二人しかいないのか?
終盤のマキア神出鬼没過ぎない?(テンポ優先でつないだからだろうが、いかになんでも削りすぎだろう)

以上は揚げ足取りの部類だが、以下は真面目にひっかかるところ。
一つ目は、性愛というものをまるっきり排除している点。
二つ目は、エリアルが実の両親にまったく関心を示さない点。
三つ目は、イゾルとレイリアの関係を掘り下げればいいのに、という点。
四つ目は、クリムはなぜ撃たれたくらいであの場を離れてしまうのか、という点。
最後に、ヒビオルという魅力的な設定があまり生きていない点。

四つ目の点を少し補足すると、レイリアと一緒に死ぬ気だったんじゃないのか?というのが疑問なのだ。「あの場を離れてしまうから一緒に死ぬ資格がないのだ」という解釈は可能だが、クリムに厳しすぎるのではないか。

詰まるところ、作者はこれらの点には関心がないのだろう。であるならば、私もこの映画にあまり関心が持てない。
この映画が面白かったという人に、ぜひ『ビガイルド 欲望のめざめ』もお勧めしたい。
なお、ドラゴン的なクリーチャー(作中ではレナトか)が作画で動くの久しぶりに見て嬉しかった。

○ とりあえず、今期真面目に観ている作品(継続除く)。
『バジリスク 桜花忍法帖』
『CITRUS』
『オーバーロードⅡ』
『ダーリン・イン・ザ・フランキス』
『恋は雨上がりのように』
『Fate/EXTRA Last Encore』

○ 『デビルマン crybaby』は未見。Netflixに魂を売ってなるものかと意地を張ってしまって。

○ 『ポプテピピック』は1話Aパートで諦めた。最近の若い人のやることは分かんないや。
ついで言うと、「女子高生と○○」はもうホント要らん。女子高生と南極とか女子高生とキャンプとか。

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