更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2015年12月11日(金)
最近のエロアニメ事情

かつて、OVAという文化があった。もちろんフォーマット自体は現存するが、初期のOVAはスポンサー(多くは玩具会社)の意向を気にせず、アニメ作家のオリジナリティを存分に発揮できる舞台という意味を持っていた。しかし実際やってみたら思ったほどの成果は上がらず、「コアなマニア向けの作品提供」という使命だけが深夜アニメに引き継がれた。
さて、同じようにオリジナリティの発露を期待されていたジャンルがある。それがアダルトアニメである。初期のアダルトアニメには、「エロさえ入れておけば何をやっても良い」という、ある意味ロボットアニメにも通ずる了解があった。しかし『くりぃむレモン』から30年が経った今、やはりオリジナリティは消滅して久しい。何しろ以前調べたとおり、ほとんどが原作付きである。

というわけで、最近のエロアニメを観ての雑感をとりとめなくメモ。


○ 作画技術の低下
アニメーターの人材払底という問題は、エロアニメ界を直撃している。近年のエロアニメの顕著な特徴が、作画技術の明らかな低下である。
ここで言っている「作画技術」という言葉は、女の子が可愛いか否かではなく、動きに生々しい肉体の重みが感じられるかという、本来の意味で使っている。
簡単にできるダメ作画の見分け方。



想像だが、手をつないだりシーツを握りしめたりすると、とたんに作画の難易度が跳ね上がるのではあるまいか。
業界の事情は私には知るべくもないが、表業界が多忙すぎて裏業界に人材が集まらないのだろうか。もしそうなら、まあ慶賀すべきことかもしれない。そんななかで頑張っているのが、以下の2作。


『鬼畜 ~母姉妹調教日記~』
キモオタデブが美人母及び姉妹を陵辱調教する話。監督の桶沢奈生はおそらく、あの空前絶後のスカトロアニメ『夜勤病棟』シリーズ監督だった桶澤尚であろう。昨今珍しいオリジナル作品でもあり、作画的に大変気合いが入っている。ヒロインが一服盛られるシーンがあるのだが、目が完全にイっちゃっててマジで怖い。



『いいなり!催眠彼女 ~隷属洗脳・生ハメ性活!!~ 下巻』
キャラデザイン・作画監督:中森晃太郎で、クレジットによれば原画も一人で描いている。中森は『キルラキル』で作画監督を務めたこともある実力派アニメーター。陵辱ものが苦手な人には、近作『あねよめカルテット』がおすすめ。

   

○ モーションインピクチャー方式
イノベーティブアニメーションなどと称することもある。作画の技術低下と相まって最近増えたのが、この方式。早い話がマンガの絵をそのまま取り込んで、GIFアニメの要領で動かすもの。原作そのままの絵に色と声がつくという以外、当然ながらアニメとしての見所はない。それはそれで、制作する上でノウハウやら苦労やらがあるのだろうとは思うが、いわゆるアニメを見慣れてきた目には寂しい限り。過去に数々の傑作、問題作を手がけてきたStudio9MAiamiが、最近この方式に切り替えたのが残念。


○ 30分フォーマットの崩壊
30分で1話というフォーマットにこだわらなくなっており、DVD1枚が15分とか20分というものが珍しくない。30分1話というのはTV放送に準拠した規格だから、だろうか。


○ 前髪主人公
エロゲ由来だと思うのだが、前髪で目を隠しているタイプの男性キャラデザインのことである。作画の手間を減らすとともに、主人公の存在感を希薄にしてユーザーが作品に没入できるように、との工夫であろう。
最初に気になったのが、『プリンセスラバー!』を観たときだった。これ、元はエロゲだがアニメ化は一般作が先行しており、しかもGoHands制作でやけに腰の据わった出来だった。そのため、後に制作されたアダルト版の主人公が原作準拠の前髪キャラなのがひどく気になったのである。
しかし、ユーザーが自分のペースで進められるゲームならいざしらず、「時間芸術」であるアニメでこれって本当に必要な、あるいは可能なことなのだろうか。少なくとも私は、こういうキャラが出てくると観る気もやる気もなくす。

私に言わせれば、前髪主人公が許されるのは和田慎二だけである。




○ 戸締まり
ドアの隙間からうっかり見えちゃうというシチュエーション。これ、現代日本の住宅事情ではまず考えられないだろう。それ以前に、コトに及ぶ前に戸締まりくらい確認しろと言いたくなる。作者ももう少し考えようよ。


○ 触手
『うろつき童子』から30年、いまだにやってる触手プレイ。
観る方はもちろんだが、やってる方もいい加減飽きないのか。

○ 姉
○○姉と書いて「ナントカねぇ」と読ませるのは、『To Heart2』だけでもう十分です。聞いたこともないわこんな呼び方。

○ 着衣エロ
アニメに限らず18禁同人誌にもしばしば見られる現象だが、着衣エロ(特に男)が非常に多い。男の尻なんか描きたくないという心理はよくわかるが、多くは画力のなさをごまかすためであろう。デッサンは裸体に始まり裸体に終わる。
アニメの場合、設定を起こすのがめんどくさいからという理由も考えられるけれど、着衣の方が色指定の手間とかかかりそうな気もするのだがどうか。


○ 背表紙
エロアニメのタイトルデザインは、大変凝っていることが多い。人目に付くことがまず最優先だからそれは良い。ところが困ったこともある。背表紙にそのまま掲載されると、とても読みづらいのである。
「人間は誰でも5分間だけ有名になれる」と言ったのはアンディ・ウォーホルだが、DVDが平積みの栄光に浸れるのはほんの一瞬。後は棚に並べられて永い余生を過ごすのだから、背表紙は読みやすくあるべきである。


○ スタッフ
① エロアニメを観ていると、しばしば音響監督に倒 海底王という名を見かける。「トウカイテイオー」と読ませるのだと思うが、誰なんだろう。

② えっ!古橋一浩って、『霊能探偵ミコ』の監督なの?


○ フォトリアル系とセルルック系
以前神山健治監督の『009 RE:CYBORG』を観たとき、私はこんなことを書いた

今、CG屋さんにとって、CGアニメでオタの心に(と言うか下半身に)響くエロシーンをやることは、挑戦しがいのある課題になっているのではないか。エロというのは究極のシズル感が必要なわけで、CGにとって最も難しい表現だろう。
「カッコいいアクションを描くことはできるようになった。次はエロだ」というのは、商売人としてもクリエイターとしても合理的な判断に思える。

それから3年。現実は私の想像なんぞよりはるか先を行っていた。
近年のCGエロアニメの進歩はめざましい。下は同人エロCGサークルだが、もう完全に「実用」レベルにある。
アーモンドコレクティブ
http://almondcollective.blog112.fc2.com/
あにぽりら~いふっ!
http://anipolylife.x.fc2.com/
この際断言するが、『ラブライブ!』より可愛い。ぜひ使用・・・いやご覧頂きたい。

ところでエロCGアニメには、ひとつ不思議なことがある。
日本の商業CGアニメでは、フォトリアル系の絵はほぼ全滅してしまい、いかにセルアニメのタッチに似せるかに努力を傾注している。ところがエロの世界では、いまだにフォトリアル系が生き残っているのである。思わぬところで、不気味の谷はとっくに乗り越えられていた。
理由はよく解らないが、興味深い現象である。

2015年11月15日(日)
最近のアニメにないもの

スカパー!で『蒼き流星SPTレイズナー』を観ている。

27話「華麗なるル・カイン」のワンシーン。



カイン(後ろ姿)を見上げる路上の群衆の中に、



『ボトムズ』のキリコとフィアナが。
あまつさえ、





こちらは『エルガイム』のあの方では。

昔のアニメには、この種のアニメーターのお遊び-モブシーンに別作品のキャラを描く-がよくあった。権利の問題がうるさくなって廃れたのではないかと思うが、寂しいことではある。

2015年11月5日(木)
コントロールとCommand

投げたり打ったりの野球の動作のことを、フォームと言う。また球を狙ったところに投げることを、コントロールと言う。
ところが英語では、フォームのことをメカニックと言う。同じくコントロールを、コマンドと言う。

日本の野球用語には、本場の英語と異なるものがかなりある。有名なのはナイターであるが(英語では単にナイトゲーム)、メカニックとコマンドという用語は、メジャーリーグの報道が増えるとともによく目にするようになった。
この違いが、ふと気になった。というのは、コントロール(control)とコマンド(command)は、軍事用語として明白に意味が異なるからである。コマンドは「指揮」。指揮下にある部隊に対して命令を下すこと。それに対して、コントロールは「統制」と訳され、本来指揮下にない部隊に対して、あらかじめ定められた権限の範囲内で指示を下すことを言う。
ここを起点に、少し考えてみた。同様にフォーム(form)とメカニック(mechanic)の意味を考えてみると、フォームは「形状」、「外観」を意味するのに対し、メカニックは「機構」を意味する。複数形のmechanicsは「力学」のことである。
フォームは表層的で可塑的。メカニックは構造的、本質的な言葉だ。

ここから伺えるのは、日本野球における「理論の不在」である。
メカニックとコマンドという用語の背景にあるのは、「投球動作には人間の肉体という機構を正しく動作させる理論があり、理論に則ってボールに正しい命令を与えれば、ボールは意図したとおりの場所に到達する」という思想である。

投球動作に限らず、「理論の不在」を想定すると日本の野球界の理不尽にいろいろ説明がつく。
たとえば、高校野球の球数制限だ。心ある人はずっと以前から高校野球における投手の肩の酷使に警鐘を鳴らしているのに、いつまでたっても改善される気配すらない。決まって言い訳に使われるのが、「個人差がある」というフレーズだ。そりゃ個人差はあるに決まっている。だが、投球数と故障の相関という理論体系があれば、目安を与えることくらいはできるはずだ。
あるいは、アマチュア野球の指導者資格。サッカーと比較すると、統一された指導者資格制度すらない。これも、根本的にはどんな基準をクリアすれば指導者になれるのかという理論体系がないからと解することができる。


と、用語ひとつから日本野球の問題に思いをいたしたところで、疑問が湧いた。
いったいいつから、なぜ、日米で用語が違うのだろうか?

まず朝日新聞の記事データベースで調べてみた。すると、1936(昭和11)年の記事に「投球フォーム」及び「コントロール」という用語が確認できる。

1936年10月13日の紙面。


1936年10月31日。



それどころか「コントロール」については、1919(大正8)年までさかのぼることができた。

1919年10月27日の紙面。



つまり日本では、最初から「フォーム」及び「コントロール」という用語が使われていたと見て良さそうである。
では米国ではどうか。野球英語の辞典をいくつかひもといてみたところ、面白いことが判った。

水庭進編『野球の英語活用辞典』(南雲堂、1988年)には、mechanicもcommandも出てこないのである。逆にcontrolが「制球力」の意味で載っている。なおformは日本で使う意味では載っていない。



染矢正一『映画で学ぶプロ野球英語のウソ』(スクリーンプレイ出版、1994年)も同様。
「コントロールがよい」場合には、have good controlと言えばよい」(89ページ)と書いてある。
また映画『さよならゲーム』('88年)での用例が紹介されている。



せっかくレンタルしてきたのにDVDには英語字幕が入ってなかった!原語ではこう言っている(前掲書89ページ)。

The word on LaLoosh is that the good-looking young pitcher has a major league fastball but sometimes has problems with his control.

映画に使われるくらいだから、一般的な用法だったということだ。ちなみに、「100万ドルの肩と50セントの脳ミソ」と称されるこのノーコンピッチャーを演じているのは、若き日のティム・ロビンスである。
それが、根本真吾『メジャーリーグをナマで見る熱球英語』(技術評論社、2005年)では、コントロールの意味でcommandを用いている。

つまり'90年代末から2000年代にかけて、米国での用語が変化したのである。そのきっかけは何か?
ここから先は想像になる。
きっかけは、これだったのではないか。



1999年、『マダックススタイル』(原題Pitch like a Pro)刊行。

グレッグ・マダックス、ジョン・スモルツ、トム・グラビンの3人はアトランタ・ブレーブスの黄金期を支えた三本柱として有名である。なかでもマダックスは、正確無比なコントロールから「精密機械」の異名を取った。『マダックススタイル』は、マダックスらを指導したブレーブスの伝説的なピッチングコーチ、レオ・マゾーニーが著した技術書である。
現物は未確認だが、amazonのなか見検索で見ると、本書では確かにmechanic及びcommandをフォームとコントロールの意味で使っている。
なにしろ、通算355勝を誇る大エースを育てた人物の著書である。本署が広く読まれるうちに、野球用語を変えてしまったとしても不思議はない。

言葉は生きもの。しかしこれほど急激に変わるものとは、改めて驚いたことであった。

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