私は3年前、バレンティンはどんな球でもスイングしてしかも空振りが多いので、2年目以降は活躍できないのではないかと書いた。あまりにも盛大に外したので、己を恥じてしばらく野球の話題から遠ざかっていた(もっともバレンティンの日本新記録の瞬間は神宮で見届けた)が、ぼちぼちほとぼりも冷めたと思うので久々に野球の話題。
現在、『Number』誌上で長嶋茂雄引退式のドキュメント記事が連載されている。面白かったのが、その式で使用されたスポットライトの話題。あれは球場の備品ではなく、東宝から借り出してきたものだったというのだ。
(巨人広報の)小野が進行上でどうしても知りたかったのが、この時期の日没時間だった。13日は第1試合が午後2時にプレーボール。すでに優勝の行方も決した消化試合ということもあって試合は淡々と進む可能性が高く、第2試合終了の時間は、早くても6時過ぎと想定されていた。気象庁に問い合わせると'74年10月13日の東京の日没時間は午後5時8分。試合終了時の球場周辺は日もとっぷりと暮れ、暗くなっていることが予想された。
「球場の照明も消して、暗闇の中で挨拶する長嶋さんにスポットライトを当てて浮かび上がらせたら、非常に感動的なセレモニーになる。そう思ってすぐに手配をしたんです」
小野は振り返る。
最初は系列の日本テレビに問い合わせた。
「しかしテレビ局が持っているライトでは光量が足らず『とてもスタンドからマウンドまで光が届きません』ということでした。そこで相談したら、映画会社ならかなり強いライトを持っているんじゃないかということになって東宝に問い合わせたんです」
すると大光量のスポットライトがあり、50m以上先にも光が届くということだった。小野はすぐに事情を打ち明け、そのライトを貸して欲しいと申し入れた。同時に賃貸料はいくらぐらいになるのかを確認すると、ライトを管理する東宝の大道具の担当者は即座にこう返してきた。
「長嶋さんの引退式で使ってもらえるなら、そんな名誉なことはないのでお金は要りません。全面的に協力させてください。ライトの据え付けも私どもでやらせて頂きます」
こうして着々と引退式への準備は進んでいった。
鷲田康「長嶋茂雄最後の一日」『Number』846号、2014年2月
私は'72年生まれなので、'74年の長嶋の引退は記憶にない。
初めて生でプロ野球を観に行ったのは'80年、小学校3年生のときのことである。父に連れられ、姉と私と3人で後楽園球場(もちろん東京ドームではない)に行った。何の機会だったのかは覚えていない。満員の外野席で立ち見だったから、急に思い立って立ち寄ったのではなかったろうか。子供だった私は疲れて、早く帰りたいと駄々をこね(何しろ、上野から自宅の最寄り駅までは特急で1時間半かかるのだ)、試合途中で家路についた。翌日の新聞を見ると、球場を出た時点で負けていた巨人は、王のホームランで追いつきそのまま引き分けていた。
今回改めて調べてみると、1980年に「後楽園球場で」「王がホームランを打った」「引き分けの試合」は1試合しかなかった。5月17日の阪神戦である。
1980年5月17日 巨人‐阪神
3‐1の8回裏、無死1塁で小林繁から同点2ラン。延長10回、3‐3引き分け
阪神:小林‐池内
巨人:堀内‐西本‐角‐鹿取‐古賀
そしてその年のシーズン終了時、王は現役を引退した。
つまり私は、生涯ただ一度の、王のホームランを生で見る機会を自分のわがままのせいで逸したのであった。
そのことを惜しく思うようになったのも、ずっと後のこと。
プロ野球のレジェンドにまつわる、ささやかな思い出である。
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