更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2014年4月22日(火)
長嶋と東宝

私は3年前、バレンティンはどんな球でもスイングしてしかも空振りが多いので、2年目以降は活躍できないのではないかと書いた。あまりにも盛大に外したので、己を恥じてしばらく野球の話題から遠ざかっていた(もっともバレンティンの日本新記録の瞬間は神宮で見届けた)が、ぼちぼちほとぼりも冷めたと思うので久々に野球の話題。

現在、『Number』誌上で長嶋茂雄引退式のドキュメント記事が連載されている。面白かったのが、その式で使用されたスポットライトの話題。あれは球場の備品ではなく、東宝から借り出してきたものだったというのだ。

(巨人広報の)小野が進行上でどうしても知りたかったのが、この時期の日没時間だった。13日は第1試合が午後2時にプレーボール。すでに優勝の行方も決した消化試合ということもあって試合は淡々と進む可能性が高く、第2試合終了の時間は、早くても6時過ぎと想定されていた。気象庁に問い合わせると'74年10月13日の東京の日没時間は午後5時8分。試合終了時の球場周辺は日もとっぷりと暮れ、暗くなっていることが予想された。
「球場の照明も消して、暗闇の中で挨拶する長嶋さんにスポットライトを当てて浮かび上がらせたら、非常に感動的なセレモニーになる。そう思ってすぐに手配をしたんです」
小野は振り返る。
最初は系列の日本テレビに問い合わせた。
「しかしテレビ局が持っているライトでは光量が足らず『とてもスタンドからマウンドまで光が届きません』ということでした。そこで相談したら、映画会社ならかなり強いライトを持っているんじゃないかということになって東宝に問い合わせたんです」
すると大光量のスポットライトがあり、50m以上先にも光が届くということだった。小野はすぐに事情を打ち明け、そのライトを貸して欲しいと申し入れた。同時に賃貸料はいくらぐらいになるのかを確認すると、ライトを管理する東宝の大道具の担当者は即座にこう返してきた。
「長嶋さんの引退式で使ってもらえるなら、そんな名誉なことはないのでお金は要りません。全面的に協力させてください。ライトの据え付けも私どもでやらせて頂きます」
こうして着々と引退式への準備は進んでいった。

                          鷲田康「長嶋茂雄最後の一日」『Number』846号、2014年2月

私は'72年生まれなので、'74年の長嶋の引退は記憶にない。
初めて生でプロ野球を観に行ったのは'80年、小学校3年生のときのことである。父に連れられ、姉と私と3人で後楽園球場(もちろん東京ドームではない)に行った。何の機会だったのかは覚えていない。満員の外野席で立ち見だったから、急に思い立って立ち寄ったのではなかったろうか。子供だった私は疲れて、早く帰りたいと駄々をこね(何しろ、上野から自宅の最寄り駅までは特急で1時間半かかるのだ)、試合途中で家路についた。翌日の新聞を見ると、球場を出た時点で負けていた巨人は、王のホームランで追いつきそのまま引き分けていた。
今回改めて調べてみると、1980年に「後楽園球場で」「王がホームランを打った」「引き分けの試合」は1試合しかなかった。5月17日の阪神戦である。
1980年5月17日 巨人‐阪神
3‐1の8回裏、無死1塁で小林繁から同点2ラン。延長10回、3‐3引き分け
阪神:小林‐池内
巨人:堀内‐西本‐角‐鹿取‐古賀

そしてその年のシーズン終了時、王は現役を引退した。
つまり私は、生涯ただ一度の、王のホームランを生で見る機会を自分のわがままのせいで逸したのであった。

そのことを惜しく思うようになったのも、ずっと後のこと。
プロ野球のレジェンドにまつわる、ささやかな思い出である。

2014年4月15日(火)
面白いエロアニメ

事実上今年度最初の更新なので、それにふさわしい題材を・・・・・・と思ったらこんなんしかなかった。
最近ツタヤDISCASを利用している。店頭に行く必要がないという点でも便利だが、これ、古い18禁アニメの宝庫なんですよね。エロアニメは何しろマイナーなジャンルだし、店頭からはあっという間になくなってしまう。体系立てた記録も残らない。
実は有名アニメーターが参加していて作画に見応えがある、という作品なら珍しくないが、以下に紹介するのは本当に作品として見応えのあるもの。

『犠母妹』
主人公が若い義母と義理の妹と関係。ジャンルとしては調教ものになるのだろうが、主人公の父は高名な画家で、その遺作にまつわる謎がストーリーの縦糸になっており、最後まで愛憎のドラマを引っ張ることに成功している。や、私、美術品とか稀覯本ものに弱くて。
最後に画面に映るその遺作も、観る人の運命を狂わせるにふさわしいミステリアスな魅力を放っている(以前、アニメの中の絵画表現を調べてみたのを参照)。よく18禁でここまで美術に力を入れたものだ。
義母・恵を演じる南雲涼の、ハスキーと言うのか耳に残る何とも不思議な声音も忘れがたい。主題歌をKOTOKOが歌っているのもポイント。
監督・キャラデザイン・絵コンテ:由良理人
演出:クレジットなし


『肉体転移』
正しくは、「転」の字は左右が反転している。
タイトル通り、あるきっかけで主人公たち数名の肉体と精神が入れ替わり、やりまくりという話。
よくあるパターンと思われそうだが、本作の独特なのは、その入れ替わりの頻度。コトに及んでる最中にも、次から次へと入れ替わっていくのである。おまけに複雑に時間軸を入れ替える、私が名付けたところのモザイク型の構成を採用しているせいで、いったい誰と誰がしてるのか観てる方もわからなくなってくる。
大げさに言えば、人間の本質は肉体と精神どっちにあるのか、という古典的にして深遠なるテーマにまで到達する勢いである。
監督・絵コンテ:ふじもとよしたか
脚本:むとうやすゆき
なお原画にりんしんが参加。


『陰陽師 妖かしの女神』
タイトル通り陰陽師ものの翻案。いろんな意味でハードな展開で全編がなにやら不穏な気配に覆われており、決してエロパロで片付けられない作品。女性の安倍晴明(本作では聖命)が四神を使役して妖怪退治したり情事に励んだりするが、本筋は定石に則って蘆屋道満(作中では瞳魔。褐色肌ロリ美少女)との対決。え、これで終わり?と呆気にとられるくらいの尻切れトンボで終わると見せて、エンドタイトル後にあっと驚くオチがつく。
軽く検索した限りでは原作が見つけられず、どうもアニメオリジナル企画らしい。一体いかなる経緯でこんな作品ができたのか、興味が尽きない。
監督は、日本のエロアニメの3分の1くらいはこの人が手がけているんじゃないかというほどよく名を見かける雷火剣。
演出に咲坂守。エロアニメ中心に活動しているようだが、最近追いかけている。要注目の演出家である。


『放課後』
巨根の変態教師が次々と女生徒を毒牙に、という体裁の作品だが、主人公格のヒロインの嫉妬と狂気が巧みに表現されていて好感。彼女が疎外感を感じるきっかけが、ビデオ撮影を任されることだ、というのが面白い。ビデオを通して現実を見ることは、否応なく事態を客観視することだからである。
これも咲坂守が絵コンテを手がけている。時折現れるシンメトリーな画面構成が印象的。
ところで私は、さる手段でさる国のバージョンを観る機会があったのだが、国内盤と比べてみるとレーティングに対する考え方の違いが如実に出ていて面白い。
監督:雷火剣
演出:北川正人


『あねいも』
主人公がヒロイン4人全員としちゃってるのに不実にも不自然にも見えないという、奇跡的なバランス感覚の産物。主人公・拓己と、メインヒロイン沙織が惹かれ合っていく過程が丁寧に描かれているからだが、メインヒロイン沙織さんのあふれ出さんばかりの正妻感は黒髪ロングの佇まいに多くを負っているのではないかと・・・・・・すまん、自分でも何言ってんだかよく解らん。個人的に、一線超えちゃった後でも互いにさん付けで呼び合ってるのが大変好ましい。「ヤっちゃうと呼び捨て」という文化が大嫌いなもので。
監督は「;p」とだけ表記されているが、果たして誰なのか。
絵コンテ:聖 三平
演出:冨 辰吉


『Pure Mail』
01年発売と少し古いが、これも恋愛ものとして十分に鑑賞に耐える作品。チャットで知り合った人物の恋愛相談に乗っていたら、実は相手が同級生の女子であることが判明して、というお話なのだが、双方いろいろと事情があって思いがけない方向に転がっていく。
うまく定石を外した結末の付け方が、大変クール。
監督:政木伸一
絵コンテ、演出はクレジットなし。

2014年4月9日(水)
鼻筋表現こぼれ話

先日公開した「鼻筋表現の変遷」は、おかげさまで概ね好評を頂きました。お引き立て頂きありがとうございます。

今回初めてフェイスブックで告知してみたところ霊験あらたかで、俺史上空前のアクセスがあった。記念にスクリーンショットしたアクセス解析画面。
投稿直後からアクセスが増加して、一度落ち着いたのだが、



翌日1200頃に突如として激増。



たぶんここで、はてなのホットエントリ入りしたのではあるまいか。

ここにひっそりとサイトを構えて8年、ホッテントリなんて危険ワードを使う日が来ようとは。フェイスブックすげー。いやもちろん、影響力のある方が捕捉してくれたおかげなんですがね。4日目以降は平常運転に戻った。

おまけ。47都道府県全部からアクセスが!




○ 鼻筋表現のことは昔から気になってはいたのだが、本格的に調べようと思った直接のきっかけは、海外のアニメ掲示板で「なぜ日本のアニメキャラには鼻がないのか」が話題になっていたことだった(もちろん私が読んだのはその日本語訳)。
そこで、「あるじゃないか」と反論した人がいまして。その人が証拠として持ち出したのが、アムロと、よりによってカイジの絵だったのよ。
この議論のおかしさは誰でもわかるだろう。つまり歴史や文脈を押さえていないと、こういうトンチンカンな議論になってしまうわけ。

○ ネット内の議論が不毛な理由は山ほどあるが、そのひとつは、往々にしてそもそもの問いが精査されていないことにある。例えば上の「なぜ日本のアニメキャラには鼻がないのか」という問い。これも、ちょっと考えただけでも次のような論点を思いつく。
① なぜ観客は鼻のない絵を好むのか?
② なぜ作者は鼻のない絵を描くのか?そうした方が良い事情があるのか?
③ 最初からなかったのか?ある時点でなくなったのか?
④ 後者だとしたらそのきっかけは何か?

もっと深く考えればいくらでも論点が出てくるはずである。このどれを論じるかによって、全然議論の方向は違ってくる。私の記事は、このうち③に一つの見方を提示したに過ぎない。

○ 批判的な意見は、「マンガの影響を無視している」、「10年ごとでは粗い」、「たまたま流行したものを排除しろ」など。これらへの回答は一言。自分でやってくださいませ

別に開き直りではない。研究とはそういうもの、先行研究の欠落を補いながら、進展していくものだからである。私の記事が完全なものにはほど遠いなど、百も承知だ。だからって放置しておいては何も始まらない。手の届くところから、わかる範囲から、わずかずつでも言語化し体系化していかねばならない。

○ マンガの影響はそりゃあるだろうけど、本文の最後に書いたとおり隣接ジャンルの影響は今後の課題。通史として成立させるならば、どの作品がいつどこに影響を与え、結果としてどうなったのかを述べなければならないし、なぜその作品を採り上げるのかを明示しなければならない。私にはそんな見識はないので、人気投票に頼ったまで。
流行の話も同じ。これは偶然のヒット、これは必然の流行と、何を基準に決めるのか?
何より、最初に着想を得てからここまでまとめるのに半年かかっているので、簡単に言わないで。

○ 「キャラデザイナー個人の絵柄の変遷をたどったら」という意見もあった。考えないでもなかったのだが、長年にわたってキャラデザインを手がけている人って、案外いないのだ。安彦さんはマンガに専念しちゃってるし、後藤圭二氏は演出に転じたし。思いつくのはキャラデ一筋40年の杉野昭夫氏だが、絵柄がブレなさ過ぎて逆に駄目ちゃうか。

○ ちょっと意外だったのが、『劇場版パトレイバー』の鼻なし作画に驚く意見が多かったこと。私は初見の時にとても印象的だったので、真っ先に思いついたのだが。逆に少し心配になったのだけれど、私が述べたのはあくまで仮説である。くれぐれも確定的な事実だと思わないで頂きたい。『パトレイバー2』のレイアウトシステムがアニメ業界に広く参照されたのは有名な話だが、キャラクター表現の影響についてはまだ検証されていない。どうやって検証すればいいのか私にも見当つかないけど、まあ『パトレイバー』公開前後の作品の絵柄の傾向を調べるとか、関係者の証言をとるとかだろうか。

○ 唯一痛いところを突かれたと思ったのが、「ガッチャマンとハイネルは完成画面なのに安彦さんの線画と比べているのは不当」という指摘。強弱のある描線、荒々しいタッチ、汚しの多用といった70年代の劇画調の絵から、マイルドないわゆる「アニメ絵」への変化は今さら論証するまでもないと思っていたのだが、原則として設定画を元に論じるという自分ルールに反するのは事実だし、もっともな指摘だ。ちょっと言い訳すると、『アニメージュ』の人気投票を軸にしようと決める前、闇雲に正面顔の絵を集めていた時期があるのだ。ジョーとハイネルの絵はその頃コピーしたもの。
今度国会図書館に行ったとき、『ガッチャマン』の設定資料を調べてきます。

○ で、それに先だって国会図書館の蔵書検索で「ガッチャマン」で検索してみたら、「医療経済的視点から見た学校検尿システム」なる記事がヒットした。
GATCHMAN・・・GAKKOUKENNNYOU・・・
うむ!似ている!

『小児科臨床』という学術誌の「特集 学校検尿2013」に掲載された一編。学校検尿特集・・・・・・何とロマンあふれる響きか。
いや真面目な話、公衆衛生のため、児童福祉のために重要な問題だというのは痛いほどわかる。でもやっぱり笑っちゃうよな。


○ ところで、国会図書館で調べ物をしていて困ったのが、著作権の壁で原画類のコピーがとれないこと。原画は、1枚が一つの著作物とみなされるそうな。複写受付の担当者といろいろやりとりしてようやっと集めてきたのが、掲示した画像。資料集なら許可される場合もある。
ふと思ったのだが、われわれ歴史研究者は文書資料が中心だからまだいいけれど、美術研究者はどうするのだろうか。画像なしでは仕事にならないのではないかと思うのだが。

○ 関連する調べ物をしていたら、点鼻であっても、点を打つ位置-眉間に寄せるか口元に寄せるかで、絵のニュアンスが全然違ってくるという指摘があった。なるほど。こういうのは確かに、絵心のある人でないとわからないポイント。

○ 参考に江口寿史の絵を探したときのこと。ブックオフの105円の棚で簡単に見つかるだろうと思ったら、意外なほどなかった。何店か回ってやっと見つけたのが、文庫版『ひばりくん』の1巻だけだった。古本市場でも不遇なのか、ビッグE。

○ 『化物語』は当初から採り上げるつもりでいたが、この作品では鼻下にカゲをつけていないというのは、資料を見るまで気づかなかった。やっぱり、調べないとわからないことってあるもんだ。


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