更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2013年8月29日(木)
『パシフィック・リム』

いろいろと事前情報やら他人の感想やらを仕入れた上で観たので、多分に冷めた目で観ている可能性はある。以下はそのつもりでお読み頂きたい。

みんなデル・トロ褒めすぎじゃない?
正直言って、『ID4』+『GODZILLA』が妥当なところだろう。マッドサイエンティストにベビーゴジラも出てくるし。
これは「怪獣映画」でも「ロボットアニメ」でもない、単に「巨大ロボットが出てくるモンスタームービー」である(そういう意味では、エンドクレジットにアニメ作家たちへの献辞があるという話がデマだったのは、大変正しい)。つくづくと思うのは、日本アニメと特撮の影響を論じるのは不毛だ、ということだ。伝え聞くデル・トロ監督の怪獣オタぶりは真性のものに違いない。だが、そのデル・トロをもってしてもハリウッドで映画を撮ればこうなってしまうのだ、という事実をこそ直視すべきではないか。
地元のシネコンで観たが、公開から3週目とは言えすでに3D版含め1日3回のみの上映。客は20人もいなかった。一般人の目はシビアなものである。

パンフのプロダクションノートによると、脚本のトラビス・ビーチャムはごく初期の段階からパイロット2人制を考えていたらしい(ちなみに、ビーチャムの次回作は『海底2万マイル』と『ブラックホール』それぞれのリメイクだそうだ。B級SF映画専門脚本家)。
パイロット同士の絆を主に描写しているのでパイロットとロボットの関係性が希薄になったという点は多く指摘されているが、私はむしろ、パイロットとロボットの関係性を描写することを回避するためにこそ、パイロット2人制が採用されたのだと思っている。
いや、それでも言い過ぎだ。
以前『リアル・スティール』を観たとき、私はこんなことを書いた。『パシフィック・リム』の感想もこれと同じ。
彼らには、人とロボットが絆を結ぶという発想がない。ロボットがドラマの主体になるという概念が理解できないのだ。
理由については推測を避けるが、そうである限り彼らにロボットアニメは作れない。たぶん、史上まれな(唯一の?)例外が『アイアン・ジャイアント』であって、それゆえにこの作品は日本で絶賛され、本国ではヒットしなかったのだと私は考えている。


以下雑感。
①菊地凛子の日本語が怪しい。
②ヘリポートで傘を差すな、危ない。
③中盤の棒術のシーンは感心した。実際に武道の心得があるのだそうだが、身体のキレがお見事。

複座のロボットって何があったかなあ。すぐ思いつくのは『トップをねらえ!』のガンバスターだが、ガンバスターとノリコの間には強い絆があった。
ひねったところで『ガンパレード・マーチ ~新たなる行軍歌~』の士魂(複座型)。この作品はむしろ恋愛模様に主眼が置かれていて、普通ロボットアニメとは呼ばれない。『パシフィック・リム』はこのパターンだろう。
ロボットアニメではないが、『戦闘妖精雪風』は男2人と機械1体の三角関係の話だった。そう言えば、雪風はブッカー少佐をどう見ていたのだろう。

2013年8月27日(火)
夏休みの宿題その2

夏休みの宿題。
それは、積ん読していた『アニメスタイル』001~004を一気読みすること。本誌のキャッチコピーは「1日で読み終わらない雑誌」だったが、1日どころか1年経ってもまだ読み終わってなかったよ!
すまん、この1年ほんとに忙しかったんだ。

いかにボリュームがあってもさすがに1週間あれば読み終わるものだ。さて、『惡の華』についてはみんなが言及しているから、少し違った点から感想を書いておきたい。私が感心したのは、003の「『アニメミライ』への質問状」だった。現状、『アニメミライ』という企画の意義や効果については、いろいろと疑問が提出されている。そこを、「どうせ役人のやることだから解っていないのだ」ですませずに、しかるべき筋にしかるべき質問をし、きちんと回答を引き出している。回答の妥当性についてはまた別途検証が必要だろうが、それはそれ。大変誠実な記事だと思う。
と感じられて、小役人の一人であるところの私としては嬉しかった次第。

ところで、『惡の華』についてこれだけは書かずにいられない。『惡の華』関連の記事で一番衝撃的だったのは、主人公・春日の級友のモジャ頭こと山田(を演じる役者)が、本当にあの通りのルックスだったことだ!

2013年8月26日(月)
『劇場版銀魂 完結篇』

しばらく『ストレンヂア』の件にかかりきりだったのでなかなか更新できなかったが、いろいろネタがたまってしまったのでまた随時書き付けていく。

もう1ヶ月も前になるが、『銀魂』観てきた。
大変楽しかった。が。
まあこの作品に真剣にツッコミ入れてもしかたないのだが、あえて気になった点を2つほど挙げておく。なお私の本作理解は、基礎設定のみ頭に入れて『新訳紅桜篇』鑑賞→TVシリーズ一気観→『完結篇』という順序で、原作は未読。

まずひとつは、新八と神楽を戦場に連れてきてしまって良いのか?という点。『新訳紅桜篇』で顕著だったが、本作において新八と神楽は、銀時ら大人グループに対して、「庇護されるべき子ども」のポジションを堅持している。子どもを戦争に-つまりヤクザの喧嘩とは違う、殺したり殺されたりを前提にした場に連れてきていいのか?すでに手を汚している銀時らと違って、新八と神楽については、殺人を犯す描写は慎重に回避されてきたはずだ。もしも戦争に行って人殺しするのが成長であるという論法だったら、なおさら感心しない。完結篇と言っても、やっていいことと悪いことはある。

もうひとつも、この点に密接に関係している。実は『新訳紅桜篇』を観たときから気になっていたのだが、非人間型のエイリアンならばさばさ斬り殺して良いのか?神楽だってエイリアンだろうに。
つまりこの論点は、何をもって人とみなすか、という問題である。
そりゃ昆虫型の異星人なら、良心の呵責なくブチ殺せるだろうが、だからこそ、特に新八と神楽の扱いについては配慮が必要だったんじゃないかな。

ところで、神楽の語尾のことなのだが。
あれ、ぼちぼちポリティカリーにインコレクトな表現じゃないかと思うのだけれど、たまたま夏コミで買ったマンガ研究同人誌に面白い記事があった。

日本のマンガが中国語に翻訳されるときには、当然「アルヨ」は省略されてきた。ところが近年、中国のオタが作った『銀魂』二次創作には、神楽の語尾に「阿魯(正確には、魚の下は点々ではなく横棒)」という単語をつけている例が見られるのだそうだ。

『「阿魯」とは、中国語では意味のない造語で、日本語の「アル」と同じ発音の漢字で、「アル」の当て字として使われている』。
  柯雯雯(KeWenwen)「『アルヨことば』はいかに翻訳されたのか -中国における『アルヨことば』の受容から考える-」『夏目マンガ調査班』vol.3


中国のオタコミュニティは、「アルヨことば」が日本における中国人のステレオタイプであることを知りつつ、キャラの萌え表現の一つとして受容している、と指摘している。

面白いものですな。
それはそうと、この同人誌で面白いのは留学生の書いた記事ばっかり。日本人学生、もっとがんばれ。つーか、いいかげん東浩紀の引用やめんか。

ついでにもうひとつ、映画ならではのネタとして話題を呼んだアレなんですけどね。
アレを目の仇にする人をしばしば見かけるけど、私にはその気分がよく解らない。そりゃ見てて楽しいとは思わないが、別段目くじら立てるほどのものとも思えないのだ。金払って映画観に来た観客を泥棒扱いしてるって?
じゃあ書店の万引き防止ポスターは、客を万引き犯扱いしているのか?
電車の痴漢防止CMは、乗客を痴漢呼ばわりしているのか?
その理屈は通らんでしょ。

あのCMが不要だという理路としては、以下が考えられる。
① 劇場内で盗撮は行われていない
② 盗撮は行われているが、被害額は問題とするほど多くない
③ 盗撮は行われており、被害も多大だが、CMに抑止効果が認められない

まあ想像だが、①はないだろう。
②は、日本の映画産業が年間に海賊版DVDによって被る被害額は約200億円だという。
http://www.eigakan.org/legal/
出典はやや怪しいが、無視していい額ではあるまい(なお、ググると盗撮防止法の是非に関する議論がかなりヒットするが、それらは私よりふさわしい人に任せる)。
③は、「抑止効果が認められない」ことを定量的に証明する必要があろう。
さらに言えば、「必要ない」のと「上映すべきでない」の間にはかなり大きな開きがある。もしアレが映画ファンの足を逆に映画館から遠ざけていると言うなら、それこそアレが原因で映画館の動員客数が統計的に有意に減少していると実証して頂きたい。

2013年8月19日(月)
夏休みの宿題

当サイトは、時折えらい数のアクセスを稼ぐことがある。
調べてみると、決まって『ダイ・ハード』の地上波放送があった日だ。以前作った「『ダイ・ハード』の伏線対応表」はおかげさまで公式サイトの次に表示されるので、大勢やってくるというわけ。

ところで、高山文彦信者であるところの私は、『ストレンヂア』の大ファンである。『ストレンヂア』もまた、『ダイ・ハード』に匹敵するほど緻密に構成された映画であり、伏線対応表を作ってみたら面白いのではないかと以前から構想していた。
最近、ようやくまとまった時間がとれたので、挑戦してみた次第。

これで、埋もれた名作『ストレンヂア』も再評価の気運が高まるであろう。
『ストレンヂア』が地上波放送されることはまずない、という些細な問題を除けば、だが。

2013年8月6日(火)
雑記

○ 『宝石の国』フルアニメーションPV
http://t.co/AswjaBuuTx

ほほう、フルアニメーションですか。24コマ全部、全身作画していると……

いやすまん、嫌みはよそう。
たぶん「版権絵や作中使用した絵を使用していない、全部新規作画のアニメ」というほどの意味だと思うが、「フルアニメーション」の珍しい用法ではある。
それはさておき、PV自体よくできている。どこの制作だろうと思っていたら、アフタヌーンの公式サイトにメイキングが。
http://afternoon.moae.jp/news/234

スタジオ雲雀だった。最近元請けで名前を見かけないから心配していたのだが、よかった健在だった。


市川春子については、以前にも紹介している。
私は大したマンガ読みではないのでやや気が引けるが、この人の登場は衝撃だった。例えるなら、90年代における黒田硫黄の登場くらい。両者に共通するのは、奇想天外なストーリーと類例の少ない絵柄(黒田は唯一無二と言えるが、市川はそこまでではない)。しかし両者ともに一番重要なのは、そんな稀有な作風にもかかわらず読みやすくわかりやすい、という点である。
難解なら高尚というものではない。


○ 『空の境界』
ずっと宿題にしていた、『空の境界』時系列順で観直しをついに実行。
式と幹也君の関係が少しずつ変化する様子が解って、初見よりも面白かった。
これは初見より印象が強まったのだが、本作で一番化け物じみてるのは幹也君である。彼はなんらの特殊能力もない一般人でありながら式を受け入れられる、という「偉大なる凡人」の役回りなのだが、第七章『殺人考察・後』ではそれが行き過ぎ。
オーバードーズ・頭部殴打・大腿部刺創・前額部から左眼切創で死なないって、もはやアンデッドの域だ。

ついでに言うとその辺の描写がいちいち長いので、終盤がダレる。


○ 『ガッチャマン クラウズ』
前作の『つり球』が性に合わなかったので、1話を観たときはまたこのパターンかと思ったのだが、2話まで観たら認識を改めた。単に天然馬鹿かと思った主人公はじめが、「実際にはいろいろ考えているのだがボキャブラリーが絶望的に足りないのでうまく表現できない」もどかしさがちゃんと表現されている(まあそれを馬鹿と言うのだが)。それに、彼女がどういう人物かを、彼女自身の行動と、周囲の人間の評価とで描いていこうとする姿勢は好感が持てる。
次第に物語が動き出した。いまどき、ネットの集合知を無邪気に称賛するなんてできるわけがないんだから、おそらくこれから、累が力に溺れ、あるいは裏切られる展開が待っている。


○ 『リンカーン』
少し前に観たが、いい映画だった。
ここしばらく『天元突破グレンラガン』をBD-BOXで観直していたのだが(その巨大さが往年のLD-BOXを彷彿とさせる商品である)、実は私が本作で一番感情移入していたのがロシウだった。
第3部のロシウは周知のとおり評判の悪いキャラクターである。
しかし多少なりと部下を持ったことのある身としては、ロシウの言うこと、考えることはいちいち身にしみるのだ。
自ら前線に飛び出していくシモンを見送って、「なぜ楽な道を選ぶ」と吐き捨てる姿。
わずかなりと人類を生き延びさせるために「指導者の仕事は戦うことじゃない。決断することだ」と、大悪を引き受けようとする姿。

自分が戦って道が開けるなら、そんな楽なことはない。でもリーダーはそれじゃ駄目なのよ。
『リンカーン』を観てそんなことを思い出した。
本作のリンカーンは憲法改正のために、反対派と調整し、妥協し、浮動層と取引して抱き込み、権謀術数の限りを尽くす。親友の国務長官をだまし、停戦の機会を見送ることすら辞さない。

理想を実現するための手段は、ひどく地道で泥くさいものだ。あえてその道を少しずつ進んでいくのが、真のリーダーである。


○ 増井壮一
地上波で、『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!オラと宇宙のプリンセス』を観た。監督がなんと増井壮一。
私はこの人の名前を『スクラップド・プリンセス』の監督として覚えた。今や忘れられた作品だが、もっと高く評価されていい異世界ファンタジーの佳作。この作品は全体をとるか個をとるかというアンビバレントな選択がテーマになっているのだが、まさかクレしんで同じことやってるとは思わなかった。


○ 『SHORT PEACE』と『銀魂』についても書きたいのだが、また今度。
長いこと宿題にしていた、ちょっと大物の企画に取り組んでいるのでなかなか時間がとれない。

バックナンバー