『東のエデン』作中で、咲をはじめとする「東のエデン」グループの面々は、若年非就労者のさまざまな類型を表している。咲は就職活動して就職できない組。平澤はベンチャー一旗組。板津はひきこもり。おネエは・・・・・・日雇い労働者?
彼らを総称して、世間が誤って使っている「ニート」という言葉で代表させているのである。だから、『東のエデン』で描かれるニート像がおかしい、という批判はおそらく的外れだ。
ちょっときっかけがあって思ったのだが、『東のエデン』がなぜ「ニート」という存在に着目したのか、この国の空気に戦いを挑む行為が、なぜ世代間闘争の様相を呈するのか、あまり理解されていないような気がする。
そこで、私なりに副読本を紹介してみる。
まずはこれ。赤木智弘。若年非就労者の問題に関する代表的な論客。
『若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か』赤木智弘(双風社、2007年)
『論座』2007年1月号に掲載されて注目された「『丸山眞男をひっぱたきたい−三一歳フリーター。希望は、戦争」を収録している。赤木は、バブル崩壊後に何の責任もとらず、若者から就職の機会も、職業訓練の機会も奪った「おとなたち」、そしてそれを「若者がおかしいから悪いのだ」と自己責任を押しつける俗流若者論に、怒りを隠さない。『東のエデン』で言う「上がりを決め込んだ奴ら」がまさにこれを指す。
『東のエデン』が赤木の現状認識を元にしている「みたいだ」と考えている感想は相当数目にした。が、惜しむらくはそこから先、全然議論が進まないのよ。
『「ニート」って言うな!』本田 由紀、内藤 朝雄、後藤和智(光文社新書、2006年)
扇情的なタイトルで損をしていると思うのだが、いわゆるニート論の基礎となる好著。
もともと、若年非就労者の問題は失業問題だ、と行政は正しく認識し対応しようとしていた。それがいつしか、自己責任論に取って代わり、問題は若者の側にあるとすり替わってしまった。その過程を細かく検証した労作である。本書の中で、「ニート」という言葉が流行り始める直前の時期には、若年就労問題の最大の要因は労働需要側にあるという認識がなされており、その典型は2003年に内閣府が刊行した『平成一五年度版 国民生活白書』の記述だ−という部分がある。
ちょっと検索してみたら、問題の国民生活白書がWEB上で公開されていた。
第二章第三節の2に、確かにこう書いてある。以下『 』内は引用。太字は引用者による。
『相対的に大きい企業側の要因
これまでみてきたように、フリーターの増加の理由としては、親と同居する若年の増加による就業意識の変化等の若年(労働供給)側の要因と、新卒採用や中途採用における企業側の採用行動の変化等の企業(労働需要)側の要因とがあると考えられるが、以下の点から判断すると、90年代半ば以降の大幅なフリーターの増加要因としては、どちらかといえば企業側の要因が大きいと思われる。
第一に、フリーター増加の要因のうち、新卒で正社員として就業できないのは、主として需要側の問題である(第1節2参照)。かつての新卒者が、現在の新卒者に比べはるかに就業に対する強い意欲を持っていたり、職業能力が高かったわけではなく、需要側の採用行動の変化により新卒フリーターが増加しているものと考えられる。
第二に、フリーターの就業に対する姿勢に切迫感がないのは否めないが、若年の意識が急激に変化したとは考えにくい。確かにフリーターは正社員に比べれば
就業意欲が低いのは事実だが、その差は大きいとはいえない。また、フリーターのうち「正社員になりたい」と考える人の割合は7割を超えている。正社員を希望するフリーターは、かつてのように雇用環境が良ければ正社員として雇用されていたが、経済の低迷が長引き、企業が雇用の戦略を見直しているために、現在は雇用環境が悪化していることから、やむをえずフリーターになっている人が多いと考えられる。
第三に、若年は正社員になっても離職する人が多いが、若年の離職者が急に増加したわけではない(注15)。企業に就職して3年以 内に離職する人の割合はもともと高く、ここ10年で大幅に上昇しているわけではない。正社員からフリーターになった人は、90年から2001年にかけて増加しているものの、その増加数は、この間のフリーター全体の大幅な増加の4分の1程度にとどまっている(付表2−3−6)。
第四に、フリーターの職業能力の蓄積が難しいという問題点はこれまでも存在してきた。しかし、これまではフリーターの数が少なく、問題が顕在化してこなかっただけである。フリーターの職業能力が低いことは、フリーターになった人がフリーターから抜け出せなくなる要因としては重要であるが、そもそもフリーターが大幅に増加した理由は別の要因に求めるべきである』
『おまえが若者を語るな!』後藤和智(角川書店、2008年)
いわゆる俗流若者論を、それぞれ具体的に批判した本。
俎上に挙げられているのは、宮台真司、香山リカ、三浦展、東浩紀、荷宮和子、などなど。
ちょっと変わったところでは、養老孟司、藤原正彦、梅田望夫、板東眞理子の名も。
『若者殺しの時代』堀井憲一郎(講談社現代新書、2006年)
クリスマスが恋人たちのものになったのは1983年からだ。それは、「若者」というカテゴリーを社会が認め、そこに資本を投じ、その資本を回収するために「若者はこうすべきだ」という情報を流し、若い人の行動を誘導しはじめた年だった。以来、若者は搾取され続けている。
『反社会学講座』パオロ・マッツァリーノ(イースト・プレス、2004年)
著者のマッツァリーノは自身を「お笑い芸人」と称しているが、なかなかどうして、大した読み応え。目次から抜粋する。
「キレやすいのは誰だ」
「パラサイトシングルが日本を救う」
「公平な社会を作るバカ息子(娘も)」
「日本人は勤勉ではない」
「フリーターのおかげなのです」
「本当にイギリス人は立派で日本人はふにゃふにゃなのか」
面白そうでしょ?
特に、日本の物価が今のレベルで落ち着いているのは、フリーターが安価にサービスを提供してくれているから、との指摘は、派遣切りや非正規雇用の問題が表面化するはるか以前になされているだけに鋭い。
これは本ではなく、WEB上で連載されている週間医学界新聞のコラム。
『続 アメリカ医療の光と影』
第131回 格差社会の不健康(4)
著者の李啓充はメジャーリーグに関するコラムで有名だが、本職は医師。このコラムでは、「格差症候群」なる病気を紹介している。
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02789_06
てっとり早く言えば、貧乏人の方が健康状態が悪く寿命が短い、という調査結果である。これだけ聞けば当然のように思うだろうが、問題はその原因の方。研究者はその原因を、「自分の人生をコントロールできないことから来る慢性的なストレス」と推定したのだ。
そして今、日本でも貧富の差が急激に拡大しつつある。
http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA02791_04
図のように、貧富の差を表す指標のジニ係数が悪化の一途をたどっている。
あいにくと出典を失念してしまったのだが、セーフティネットが存在しない現代の日本で、その役割を果たしているのが刑務所だ、と指摘したルポルタージュがある。老人と病人ばかりでまともに労役も果たせない受刑者たちの姿は衝撃的である。
要するに、高齢者=弱者という見方はすでに誤っており、弱者どころか富裕な高齢者が若者を搾取しているのが現代日本の構図だ−というのが、これらの著書の主張。
私には、その当否を判断する見識はないが、著書を読む限り彼らの主張は妥当なように思える。
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