更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2010年11月29日(月)
『帰ってきたウルトラマン』に見る整備管理

BS11で『新マン(略称は帰りマンでもジャックでもなくてこうだろう!)』を放映しているので、小学生の時以来30年ぶりに観ている。昭和47年生まれの私は、本作の再放送がウルトラシリーズの原体験になる。

さて、その29話『次郎くん怪獣に乗る』やどかり怪獣ヤドカリン登場の回。ウルトラマンこと郷秀樹は、MATの人工衛星の定期整備に赴く。
整備を終えて帰ってきたら、人工衛星が故障している。郷は何をしていたんだと隊員たちに責められることになる・・・。

怪獣が巣くっていたことが原因なのだが、これは日常的に起こりうる整備ミス、と考えることもできる。そこで私の本業から、このミスは何に起因し、どうすれば防止できるかを考えてみようという趣向である。以下ウルトラマンの話は全然出てこないのでそのおつもりで。

整備管理には5つの部門がある。作業管理、品質管理、訓練管理、標準管理および記録管理である。

まず、郷は一人で作業に出かけた。通常、整備作業は、作業員と検査員の二人を要する。作業員が作業を行い、その適否を検査員が判断して確認する。こうして品質を保証するのだ。これは品質管理の問題。

次に、郷が基地に帰ってきて初めて、衛星が機能していないことが判明する。作業を行ったのなら、機能試験を行って異常がないことを確認しなければならない。重要なのはそのように作業手順をあらかじめ定めておき、それを遵守すること。これを整備標準といい、その標準を適切に維持管理することを標準管理という。

帰還した郷を、隊員が「あそこも点検しなければならない時期だった」と責める。作業が終わってから「あれを点検したか」と確認するのでは失格。事前に教えてやらなければ意味がない!場合によっては、特殊技能や資格を持っている人の応援を頼まなければならない。となるとスケジュールの調整が要る。工具や器材の手配もしなくてはならない。今回の整備作業では何を整備し、そのために何が必要でどんな準備をしなければならないかを考えて計画を立て、関係者の了解を得る。これが作業管理。

「いつ点検しなければならないか」を決めておくのは前述の標準管理。そして、以前点検したのがいつで、次はいつ、何を点検するかを記録し、直ちに参照できるようにしておくのが記録管理。

そもそも郷には、整備を行う技術があったのか?その技術はどうやって付与され、誰が保証するのか?
一定の整備技術を身につけるには、学校教育やOJT(On the Job Training)を行う。その訓練項目と訓練要領は事前に定められ、資格を持った教官が指導し、試験などで技量を認定する。これが訓練管理。

これらを適切に行うことで、かなりの部分、人的ミスが防げる。その上で、経年劣化や設計ミスに起因する不具合に対処していく。その結果、一斉点検やリコールが発生することもある。新しい点検事項が追加されもするし、点検間隔が短くなることもある。それが整備標準の改訂や訓練内容に反映され、安全が保たれていくのである。

MATがISO9001を取得する日はまだ遠いようだ。

2010年11月24日(水)
最近のお勉強

ちょっとメモ書き。

中世ヨーロッパの食生活−と言うか飲酒について。

「グルート(麦芽醸造酒に添加するハーブの名。転じて、酒自体の名。ホップを添加するのがビール)やビールなどの麦芽醸造酒を単なる嗜好品とのみ捉えるのは、現代人の錯誤である。中世では、麦芽醸造酒はカロリーの補給手段のひとつであり、想像以上に大量に消費されていた。
一四七八年、イングランド国王エドワード四世の宮廷では、召使いたちが一回の食事で、四人で一ガロンのエール(イングランドの麦芽醸造酒)、三人で一皿の肉、二人で一個のパンを分け合っていた。一人当たり毎食、四分の一ガロン=約一.一四リットルのエールを飲んでいたことになる。ヴィルヘルム・アーベルは、ビールが主な飲料だったドイツの諸地方では、中世後期に一人当たり年間三〇〇リットルのビールが消費されていたと総括しているが、これは現在のドイツの年間消費量のほぼ二.五倍にあたる。今ほど、飲料の選択肢がなく、安全な飲料水にも恵まれていなかった時代とはいえ、ワインも含めて、驚くほどの量のアルコール飲料を飲んでいた中世後期の人々の食生活については、実は多くの研究者が戸惑いを表明していて、カロリー補給源であったこと以上には、その大量消費の理由は必ずしもうまく説明できていない」

堀越宏一『ものと技術の弁証法』ヨーロッパの中世5(岩波書店、2009年)268-269頁。

下戸は、中世ヨーロッパでは生きていけませんな。


アジアに大砲と射撃術を伝授するのに大きな役割を果たしたのが、実は宣教師だった。

「マカオでのことだが、ドミニコ会士との激した論争の最中に腹を立て、大砲を持ち出して聖ドミニコ会修道院を吹き飛ばし、砲術のみごとな腕前を披露したのもイエズス会士であった。
仏陀は白象に乗って中国にやって来たのに対して、キリストは砲弾に載せて運ばれて来たのである」

C.M.チポラ『大砲と帆船 ヨーロッパの世界制覇と技術革新』大谷隆昶訳、平凡社、1996年113-114頁。

これがホントの破壊坊主。・・・・・・おそまつ!

2010年11月20日(土)
クライマックスシリーズについて

今年の春先からつらつら考えていたことを、プロ野球シーズン終了を機にまとめてみた。

改めてクライマックスシリーズを考える。

2010年11月16日(火)
『マイマイ新子』の金魚

『マイマイ新子と千年の魔法』について、私は初見のときmixiでこんなメモをつけている。

「最後に金魚が見つかってしまうのがどうも納得いかない。

物語の中でそのことが果たしている機能は解るつもりだけど、あれはあくまで死んでしまった「ひづる」ではないはずでしょ。「なくしたものが帰ってきた」ように見えてしまうのが引っかかる」

藤津亮太氏の『チャンネルはいつもアニメ』を読んでいたら(読み終わるのがもったいなくてちびちびと読んでいたのだが)、初めてこの件に触れている文章を見つけた。

「どうして新子は金魚を見つけることができたのか。それは本作が、金魚の死で浮かび上がる「喪失」を主題としていないからだ」
「あくまでも本作が新子たちの生きる「今」を描いた映画である以上、「今」を象徴する金魚は戻ってこなくてはならなかったのだ」
「最初に本作は時間という川をめぐる映画であると記した。本作はその<川>を、過去から未来へと続く直線的なものではなく、連綿と続く「今」という点の連なりとして描き出したのだ。そしてそのつながらない点と点をつなぐのが本作を織りなしている想像力なのだ」
藤津亮太『チャンネルはいつもアニメ −ゼロ年代アニメ時評』(NTT出版、2010年)190頁。

なるほど、ようやく腑に落ちた。

その上で、私はやっぱり喪失のない人生なんてウソだと思ってしまうのよ。だから私は依然として、この映画を「良い映画」だとは思うけど好きではない。反面、新海誠の映画が好きであることとも平仄が合っている。新海作品は、いつも喪失を主題としているからだ。

つまるところ私はガキなのか、あるいは根本的なところで想像力を信用していないのかもしれない。

2010年11月11日(木)
『一杯のかけそば』に見る演出の基本

堀井憲一郎の『若者殺しの時代』(講談社新書、2006年)を読んだら、かつて話題になった『一杯のかけそば』の作者・栗良平についてこんなことを書いていた。

「(『一杯のかけそば』は)ディテールには説得力があるが、前後のディテールが矛盾している。ペテンの基本だ。大きな枠組みを信じさせて、あとは説得力のある小さい話を継ぎ足していけば、人は信じるのだ。矛盾なんか、気にしなくていいのである。
細かいことは気にするな。それが目の前の人を説得する基本である。文章にしたとたん、一挙にウソがばれてしまう。落語の『芝浜』だって『文七元結い』だって、細かい矛盾をどうやって感じさせないかが大事なのである。ヘタな落語家は、理屈で解決しようとして余計な説明を加えるが、うまい噺家は押し出しと迫力とテンポによって、つまりはペテンの力によって、矛盾を矛盾のまま納得させてしまう。栗良平にも、そういううまい噺家と同じ資質があった」
同書28頁。


ペテンというと聞こえが悪いが、要はこれが演出というものだろう。設定の作り込みや前後の整合性なんて、たいした問題じゃない。肝心なのは、ホラ話をいかに信じさせるかだ。

2010年11月9日(火)
マリーンズ日本一

ちょうど1年前、私はこんなことを書いた。「中日ドラゴンズにだけは優勝させてはならない」。

2007年、日本シリーズ史上初の完全試合目前で投手を交代させた落合監督。
http://number.bunshun.jp/articles/-/59778

2009年、日本球界が一丸となって取り組むべきWBCに一切協力しなかったドラゴンズ。
http://kenbtsu.way-nifty.com/blog/2008/11/post-9994.html

昨年は、原監督率いるジャイアンツがドラゴンズを粉砕してくれた。
今年はマリーンズが、シーズン3位から「史上最大の下克上」を成し遂げ、ドラゴンズをたたきつぶした。まことに痛快だ。

日本の野球は、今年も救われた。


日本一のチームなど、毎年1つ出てくる。それにひきかえ、日本球界で完全試合は、1994年の槙原以来達成されていない。日本シリーズでの完全試合など、私が生きているうちにはもう見られまい。
ついでだが、山井がその後まるでぱっとしないのはこの交代のためだと私はにらんでいる。

槙原、桑田とともに90年代の巨人を支えた斎藤雅樹は、「Number」の取材で自分のベストゲームを、1989年5月10日の対大洋戦としている。8回、5対1と4点リードした場面で、無死満塁、打席には4番のポンセというピンチを迎えた。斎藤はしきりにベンチの藤田元司監督を見たが、マウンドにやってきた監督の言葉は
「自分のケツは自分で拭け!」。
続投だった。

「斎藤は投手として類いまれな才能を持っていた。しかし、人一倍性格が良く、勝負になるとその人の良さから気の弱さが出てしまう。この天才投手に、失敗を恐れぬ気持ちを植えつけるには、こうして気持ちを追いたてていくことしかなかった。
『斎藤が自信を持ったら凄い投手になる』
藤田はそのことを見抜いていた」
『日本野球25人 私のベストゲーム』(文藝春秋、2006年)190頁。

結局斎藤はこの試合で、1点差まで迫られつつも完投勝利を果たす。
そしてそこから、11連続完投勝利の大記録が生まれる。
90年代を代表する大エースの誕生だった。

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