知られざる巨匠たち 2

「世界探偵小説全集」第1期の月報に連載されたコラム。本邦未紹介の作家や、
過去に邦訳があっても不当に忘れ去られていた作家を紹介。その多くは第2期以降に収録された。
(この頁の原稿は、執筆者および国書刊行会の御好意により再録しています。記して感謝いたします)

E・C・R・ロラック

3冊に2冊はおもしろい女流作家

森 英俊

 英国女流作家であなたのお気に入りは、という問いかけには、以前だったらアガサ・クリスティとドロシー・L・セイヤーズと躊躇なく答えていたろうが、目下のところ夢中になっているのは、E・C・R・ロラックとグラディス・ミッチェルである。この両作家にはいくつか共通点があって、ふたつの名前を用いてミステリを発表し、長編数も多いこと (ロラック71、ミッチェル72)、英米でも稀少価値が高いため、数多くのコレタターが血眼になって探していること、心あるファンのあいだでは〈過小評価されている作家〉と考えられていること、などが挙げられる。

 今回はそのうちのひとり、E・C・R・ロラックを取りあげることにする。ロラックは本名エディス・キャロライン・リヴェット (Edith Caroline Rivett) といい、名前の頭文字から 〈E・C・R〉、キャロラインの 〈Carol〉 を逆にして 〈Lorac〉 なるペンネームを作り出した。1931年のデビュー以来しばらくプロフィールは明らかにされず、男性作家と考えられていた。このあたり、いかにもミステリ作家といった感じだし、またその作品のユニークさを表す、ひとつのバロメーターでもある。彼女にはもうひとつキャロル・カーナック (Carol Carnac) という女性名義のペンネームもあり、こちらはキャロルに語呂のいい名字を組み合わせたものである。

 ロラックの作品の大部分を出版したのは、例によって名門コリンズ社のクライム・クラブ叢書で、この叢書の最初の20年 (すなわち黄金時代後半) においては、クリスティ、ジョン・ロード、アントニー・ギルパート、ナイオ・マーシュ、レックス・スタウトなどと並ぶ超人気作家で、以前筆者が目にした 『ダイクス・コーナーの死』 Death at Dyke's Corner (1940) は、図書館で1年間に19回も貸し出されていた。英国のオールド・ファンとミステリ談義に花を咲かせるときに、ロラックの名前が出ると、嬉しげな懐かしそうな反応が返ってくるという話も聞いた。

 植草甚一氏はかつて 『ウィーンの殺人』 (残念ながら翻訳する作品としては、ロラックの著作中最悪のものを選んでしまったが) の巻末の魅力的な解説のなかで、「ロラックの作品は3冊に1冊は必ず面白いものがある」 と評したが、作品の6割近くに目を通した筆者には、むしろ3冊に2冊は必ず面白いものがある、とすら言えそうである。ことに、30年代から40年代にかけてのクォリティーの高さには、目を瞠らされる。

 ロラックの作品の特徴は一言で言うなら、オーソドックスなまでに本格ミステリである点で、意表をつく魅力的なオープニングから中段の第二の事件、そしてファンにはたまらないサプライズ・エンディングまで、間然とするところがない。女流には珍しくアリバイ・トリックにもたけ、『殺しのチェックメイト』 Checkmate to Murder (1941) などでは、クロフツに匹敵する腕の冴えも披露している。

 文章の平易さ、登場人物の描写の巧みさに加え、英国ミステリの最大の魅力のひとつと言ってもいい〈ローカル色の豊かさ〉もロラックの特徴のひとつで、マクドナルド主任警部というヤードのCID (犯罪捜査課) 所属の警官がシリーズ探偵をつとめながらも、地元警察の要請で、ちょくちょく地方の難事件の解決に乗り出してゆく。

 代表作を二三挙げてみることにする。『セント・ジョンズ・ウッドの殺人』 Murder in St. John's Wood(1934) は、サマーハウスという密室に、兇器ではない発射されたピストルが見つかり、この密室トリックが解明できたかと思うと、難攻不落のアリバイの壁が立ちはだかる、みごとな構成の長編である。

 『悪魔対CID』 The Devil and C.I.D. (1938) では、ヤードからの帰途マクドナルドがエンバンクメント (地下鉄の駅) に車を停めてしばらく離れていたのち、戻ってみると、後部の床の上にメフィストの扮装をした男の刺殺体が横たわっているという、じつに魅力的なオープニングで難事件の幕が開く。

『療養所の事件』 Case in the Clinic (1941) は、療養所のふたりの患者の何気ない会話から物語が始まる。数ヵ月前この地方に越してきた夫妻の夫のほうが、昼食に招いたゲストを前にひとりで(すなわち密室状況で)庭に水を撒いていたところ、突然芝生に倒れこんで死亡したという事件のことだった。事件に興味を惹かれたふたりが夫人の来歴を調べてゆくうちに、彼女が看護婦をしていた時代に、周辺の人間が何人かやはり心臓麻痺で急逝していたことから、俄然女性版 〈青ひげ〉 ではとの疑惑が持ち上がる。だが、そんな折りに夫人は失踪し、関係者のもとに 「夫人は川の下に沈んでいる」 とのショッキングな手紙が届く。

 クリスティやクイーン、カーで胸ときめかせたあの頃、あの幸福だった時代を思い起こさせてくれる、そんなすばらしい作家、それがロラックなのである。

(1994.12)

books】


知られざる巨匠たち・INDEX

HOME