知られざる巨匠たち 番外篇 「世界探偵小説全集」第1期の月報に連載されたコラム。本邦未紹介の作家や、 過去に邦訳があっても不当に忘れ去られていた作家を紹介。その多くは第2期以降に収録された。 (この頁の原稿は、国書刊行会の御好意により再録しています。記して感謝いたします) |
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ジョン・ディクスン・カー
近年、欧米のカー再評価の動きは眼をみはるものがあるが、なかでも昨年刊行されたダグラス・G・グリーンによる評伝 John Dickson Carr: The Man Who Explained Miracles (Otto Penzler Books, 1995) は、“不可能犯罪の巨匠” の知られざる貌を明らかにする画期的な1冊である。 この本でグリーンは、カーの幼年時代から、早熟な文才を発揮した学生時代、華やかなデビューと人気絶頂期、書き悩んだ晩年にいたるまで、手紙や知人の証言、作品の引用によって丹念に掘り起している。セイヤーズ、ブランドらディテクション・クラブの面々との交友、カーが深く関わったラジオ・ドラマや、出版界の裏事情など、カー・ファンならずとも興味をそそられる話題がいっぱいだ。その詳細は近々国書刊行会から刊行される予定の邦訳 【『ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉』 として刊行】を待つとして、いくつかエピソードを拾ってみよう。 まずは、ディクスン・カーとカーター・ディクスン、まぎらわしいペンネーム誕生の裏話から。 1933年、生まれてくる子供とイギリス旅行のために、急遽金が必要となったカーは、『弓弦城殺人事件』 を書きあげた。しかし契約していたハーパー社では、カーの本は1年に2冊までしか出せないという。その年は既に 『魔女の隠れ家』 『帽子収集狂事件』 が刊行されていた。そこでカーは、アメリカのウィリアム・モロー社にこの作品を持ち込んだ。出版が決まり、新しくペンネームが必要になったカーは、最初、父親の名を逆にした 「ニコラス・ウッド」 という名を考えたが、結局 「クリストファー・ストリート」 とし、モロー社にこれを伝えた。 ところが、できあがった本を見て、カーは驚いた。そこには 「カー・ディクスン」 という 「史上最も本名に近いペンネーム」 が刷り込まれていたのである。当然、カーとハーパー社はこれに猛烈に抗議し、すでに原稿が完成していた 『プレーグ・コートの殺人』 の刊行に際して、カーはあらためて 「カートライト・ディクスン」 の名前を提案した。しかし、モロー社はまたまた無断でこの作品を 「カーター・ディクスン」名で出版してしまった。ついにカーも不本意ながらこのペンネームを受け入れ、以後、1956年の『恐怖は同じ』まで、20冊余の「カーター・ディクスン」作品が書かれることになる。われわれの耳に親しいこの名前は、実はカーの発案ではなく、カーの知名度を当てこんだ出版社の営業政策から生まれたものだったのだ。 つづいては幻のバンコラン作品について。 密室殺人物の古典『三つの棺』が当初、バンコラン物として構想されていたのをご存じだろうか。当時人気のあったマジック・ショーから素晴らしい錯覚トリックを思いついたカーは、これをもとに超自然的要素をからめたプロットを練り、『吸血鬼の塔』 というタイトルの長篇に仕上げようとした。『夜歩く』 のテイストを狙って、探偵役には久しぶりにバンコランが起用された。 しかし、5章まで進んだところで、この作品は頓挫してしまう。フェル博士やH・Mという、より人間味あふれたキャラクターをすでに創造していたカーにとって、バンコランをもう一度書くのはむずかしかった。カー自身は、すでにバンコランの悪魔的人格にうんざりしていたのである。「バンコランを蘇らせることができない! ……彼には実在感がなく、生命のないマネキンなのだ」。結局カーはこの草稿を放棄し、考案したプロットとトリックをもとに、今度はフェル博士を探偵役とした新しい小説を書きはじめる。こうして完成したのが名作 『三つの棺』 なのである。 のちにカーは、悪魔的なバンコランのキャラクターを修正して 『四つの兇器』 を執筆するが、ファンとしては、バンコラン版 『三つの棺』 も見てみたかった気もするが、如何であろうか。 (1996.6)
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