大阪圭吉の第1作品集 『死の快走船』 (ぷろふいる社、昭和11年6月発行)に寄せられた甲賀三郎の序である。(文中、「とむらい機関車」 の犯人に触れた部分があるので、未読の方のために伏字にしてある。すでにこの作品をお読みの方は該当箇所をドラッグしてお読みいただきたい)。なお、この本にはもう1つ、江戸川乱歩の 「序」 もあって、こちらは江戸川乱歩推理文庫61 『蔵の中から』 (講談社文庫・絶版) で読むことができる。大阪圭吉自身のあとがきも是非あわせてお読みいただきたい。
戦前 「本格」 派の盟主として、乱歩や大下宇陀児、木々高太郎らを向こうにまわして、盛んに論陣を張っていた甲賀三郎だが、自身、多くの雑誌に書きまくった流行作家だった彼の作品は、今日の目で見て、必ずしも純粋な本格探偵小説的興味を基調にしたものとはいえないものが多い。この短い序には、彼が大阪圭吉の本格短篇のよき理解者であったと同時に、実作者として彼が感じていた矛盾や、自省の念が反映されているようにも思える。大阪作品を擁護しながらも、こうした作風が当時の探偵小説界にひろく受け入れられるものではないことが、甲賀にはよくわかっていたのだろう。このころ、大阪圭吉は
〈新青年〉 連続短篇に挑戦しようとしていたわけだが、はたせるかな、初期作にさらに洗練の度を加えた6作品は、作者の意気込みにもかかわらず、大方の好評を得るには至らなかった。 大阪圭吉のデビュー作 「デパートの絞刑吏」
を推薦したのは甲賀三郎であった。以来、甲賀は探偵文壇における大阪圭吉の後ろ盾でありつづけた。昭和17年に上京して、日本文学報国会総務部会計課長の職についたのも、総務部長だった甲賀の要請だという。昭和18年召集された圭吉は、ひそかに書き上げていた長篇の原稿を甲賀に託した、と伝えられているが、その原稿の所在、またその伝説の真偽の程は今日にいたるまで不明のままである。
(2002.1.17)
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