大阪圭吉 『死の快走船』 序

大阪圭吉のユニクさ

甲賀三郎

 大阪圭吉は地味な作家である。彼がもっと認めらるべくしてそうでないのは、一つは田舎に引込んでいる為でもあるが、彼の作風がそうさせるのである事を否む訳に行かぬ。
 彼の作品はどの一つを取っても、ガッチリと組立てられている。短い枚数の中で、書くべき事をちゃんと書いている。而も彼は単なるストーリイ・テラーでなく、人世に何かアッピールするものを持っている。大体に於ては、弱々しく感ずるペエソスであるが、それあるが故に彼の探偵小説には或る気品がある。この点では彼は探偵作家の中で、或るユニクなものを持っていると思う。
 大阪圭吉の作品に足りないのは、エキサイトメントであり、サスペンスである。むろん、本格的な立場からいって、推理を基調とするサスペンスはある。然し、悲しい事には、我国の一般ジャーナリズムが要求しているのは、推理的なサスペンスではなくて、無闇矢鱈な理窟のないサスペンスである。ふとした刺戟で起り得るナチュラルなエキサイトメントではなくて、異常な非現実的な刺戟によって、無理に起されるべき誇張されたエキサイトメントである。識者から眉をひそめられ、レファインされた情操所有者は嘔吐を催すようなストーリイが喜ばれるのだ。
 然し、われわれ文筆業者は悲しい哉、それを攻撃ばかりしてはいられないのだ。挙世皆濁り、我独り清む所の屈原は汨羅に身を投じなければならぬ。漁夫曰く、何ぞそれ渦中に投じ泥を濁さざると。
 けれども、われわれは時にそうした時流の中心を外れた清楚な作品に接すると、胸がすくのを覚える。殊にそれが一般的に好評であれば、益々我が意を強うし微笑を禁ずる事が出来ない。
 大阪圭吉の作品はそうした稀にぶつかるものの一つではないかと思う。例えば燈台鬼に於て、鬼気迫るようなグルーサムな事件を取扱いながら、読者には一向不快の念を起させないであろう。ともらい機関車では、可憐な少女が誤って大罪を犯す深刻さを取扱いながら、むろん我々は或る戦慄を感ずるけれども、むしろ少女に非常な同情を注ぐと共に、ホロリとさせる明るさを持っている。
 私はこういう作品がもっとジャーナリズムにもてはやされるようになって欲しいと思う。いや、そんな愚痴は兎も角もとして、単行本となると大へん違って来ると思う。雑誌では大阪圭吉の作を読む為に、いやでも他の作品もくっついて来るけれども、単行本には交り気がない。悠りと生一本の味を味わう事が出来るのだ。こういう落着いた作品を愛好する人達は、この一冊を心行くまでに味って貰いたいと思う。
 然し、茲に述べたサスペンスとエキサイトメントは、決してジャーナリズムに迎合するという上からではなく、いや、そんな事は無視するとしても、十分に必要なことなのだ。無理強いのサスペンスや、誇張されたエキサイトメントには欠けていても、大阪圭吉の作品の中には、むろん、この二つのものは備っている。只、それが毒々しいジャーナリズムから見て、希薄だという事である。
 それで、大阪圭吉が今後、ジャーナリズムに迎合する事はしなくても――多分出来ないだろうと思うが――読者をいい意味で楽しませるだけの、サスペンスとエキサイトメントを書いてもいいと思う。いや、大いに書かなければいけないのだ。
 探偵作家は隠遁的な仕事をしているのではない。大いに多数の読者を獲得して、その面白さを堪能せしめなければいけないのだ。
 この一篇の作品集を世に出すと共に、大阪圭吉は益々野心的な飛躍を試みなければいけない。私は切にそれを期待している。

 大阪圭吉の第1作品集 『死の快走船』 (ぷろふいる社、昭和11年6月発行)に寄せられた甲賀三郎の序である。(文中、「とむらい機関車」 の犯人に触れた部分があるので、未読の方のために伏字にしてある。すでにこの作品をお読みの方は該当箇所をドラッグしてお読みいただきたい)。なお、この本にはもう1つ、江戸川乱歩の 「序」 もあって、こちらは江戸川乱歩推理文庫61 『蔵の中から』 (講談社文庫・絶版) で読むことができる。大阪圭吉自身のあとがきも是非あわせてお読みいただきたい。

 戦前 「本格」 派の盟主として、乱歩や大下宇陀児、木々高太郎らを向こうにまわして、盛んに論陣を張っていた甲賀三郎だが、自身、多くの雑誌に書きまくった流行作家だった彼の作品は、今日の目で見て、必ずしも純粋な本格探偵小説的興味を基調にしたものとはいえないものが多い。この短い序には、彼が大阪圭吉の本格短篇のよき理解者であったと同時に、実作者として彼が感じていた矛盾や、自省の念が反映されているようにも思える。大阪作品を擁護しながらも、こうした作風が当時の探偵小説界にひろく受け入れられるものではないことが、甲賀にはよくわかっていたのだろう。このころ、大阪圭吉は 〈新青年〉 連続短篇に挑戦しようとしていたわけだが、はたせるかな、初期作にさらに洗練の度を加えた6作品は、作者の意気込みにもかかわらず、大方の好評を得るには至らなかった。

 大阪圭吉のデビュー作 「デパートの絞刑吏」 を推薦したのは甲賀三郎であった。以来、甲賀は探偵文壇における大阪圭吉の後ろ盾でありつづけた。昭和17年に上京して、日本文学報国会総務部会計課長の職についたのも、総務部長だった甲賀の要請だという。昭和18年召集された圭吉は、ひそかに書き上げていた長篇の原稿を甲賀に託した、と伝えられているが、その原稿の所在、またその伝説の真偽の程は今日にいたるまで不明のままである。 
                                           (2002.1.17)

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