大阪圭吉の第1作品集 『死の快走船』 (ぷろふいる社、昭和11年6月、定価1円20銭)
の巻末あとがきである。収録作品は、死の快走船/とむらい機関車/雪解/デパートの絞刑吏/気狂い機関車/なこうど名探偵/人喰い風呂/花束の虫/石塀幽霊/燈台鬼、の全10篇。本文中にある 「序文を賜った両大先輩」とは江戸川乱歩と甲賀三郎、「綺麗なペンキを塗って下さった高井さん」
とは装幀の高井貞二のこと。甲賀の序文 「大阪圭吉のユニクさ」
はこちらをご覧いただきたい。乱歩の 「序」 は江戸川乱歩推理文庫61
『蔵の中から』 (講談社文庫・絶版) に収録されている。
それまで発表してきた作品をひとまず本書にまとめた大阪圭吉は、この年、昭和11年の7月号から
〈新青年〉 連続短篇に挑戦している。これは有望な新人作家に6ヶ月連続で短篇を書かせるという企画で、〈新青年〉
名物の1つだったが、これに白羽の矢が立ったということは、その作家への期待の証でもあったが、同時にまたそこは、全国の
「鬼」 たちの厳しい目にさらされる一種の
「試練」
の場でもあった。このあとがきを書いていた頃には、すでにその構想に取りかかっていたことだろう。最初の
「三狂人」 「白妖」 あたりはもう筆を下ろしていたかもしれない。以下、「あやつり裁判」
「銀座幽霊」 「動かぬ鯨群」 「寒の夜晴れ」
とつづく6作は、大阪本格ミステリの頂点ともいうべき傑作群となるのだが、やはりこれもまた、高く苦しい坂道であったことは、『とむらい機関車』 (創元推理文庫) 所収の 「連続短篇回顧」
(〈ぷろふいる〉昭和12年5月号) に吐露されている。
この 「巻末に」 および 「連続短篇回顧」
などのエッセイにもみられるように、大阪圭吉はきわめて誠実、かつ真剣に
「本格探偵小説」 に対峙した作家だった。1篇1篇に違ったアイディアを盛り込み、舞台設定にも腐心した連続短篇の執筆を振り返って、自身、「苦汁の行列みたいな仕事振り」
と表現している。しかし彼が心血をそそいだこれらの本格作品は、必ずしも読者・評者の好評を得ることはできなかった
(専門誌等に寄せられた同時代の反響については、
『銀座幽霊』 [創元推理文庫] の山前譲氏の解説や大阪圭吉ファン頁をご覧いただきたい)。猟奇や煽情を狙ったスリラーが横行し、一方で小栗虫太郎の破格の衒学小説や、木々高太郎の心理学の導入が注目を集めていた当時の探偵小説読者は、大阪圭吉のミステリに物足りなさをおぼえたのかも知れない。日本探偵小説界独特の
「文学志向」 も、彼に災いしたように思える。苦しみの中にもある種の達成感をおぼえていたであろう圭吉が、この無理解に傷つかなかったはずがない。
昭和12年5月 〈改造〉 に発表された、持てる物をすべて注ぎこんだかのような力作中篇 「坑鬼」 を1つの区切りとしたかのように、以後、圭吉はユーモア物、時局的な防諜物への傾斜を深めていく。そこには、戦時下における状況の変化という外的要因もあったろうが、圭吉自身の失意も反映されていたような気がしてならないのだ。〈シュピオ〉
昭和13年1月号の 「好意ある督戦隊」 では、この半年ほど、「なんだか頭の中にもやもやしたものが出来て、正直なところ仕事が恐ろしかった」 と、心中の迷いを告白しているが、昭和12年の後半から13年にかけて、圭吉にはあきらかに作家的転機が訪れている。「大百貨注文者」
などのユーモア物、アイヌとロシア軍の戦いを取りあげた、これはこれで力作の中篇 「トンナイチヤ湖畔の若者」 といった新開拓の分野へ足を踏み出す一方で、発表誌も、〈新青年〉
〈ぷろふいる〉 などの専門誌から 〈映画ファン〉 〈週刊朝日〉、やがては 〈キング〉 〈ユーモアクラブ〉 〈富士〉 へと、活躍の場を広げていく。昭和15年からは、横川禎介が活躍する防諜物が目立つようになる。
今回、文庫版で出た2冊の傑作集の好評を見るにつけ、もし昭和11年の時点で、「連続短篇」
がこのような評価を受けていたら、という想像をめぐらさずにはいられない。圭吉にとっては、やはり同じように長く険しい坂道が続いたことだろう。しかし、それでもその坂道を再びエッチラ、コッチラと登っていく原動力――勇気を得られたのではないか、という気がするのである。そして
「坑鬼」 がその新しい道のりの出発点となっていたら――と願うのは、所詮このマイナー作家を愛するあまりの、運命に対する怨訴にすぎないだろうか。
(2001.11.20)
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