ドロシイ・セイアーズのスケッチ

井上良夫


 英のドロシイ・セイアーズ女史は 「今日までに書かれた探偵小説のうちで、わたしはウィルキ・コリンズの 『月長石』 こそ一番傑れたものだと信じている」 と云っている。探偵小説批評家としてのセイアーズの所論なり或は探偵作家としてのセイアーズの作品傾向なりの大体は、右の短い引用によって察知して頂けると思う。
 セイアーズ女史は、自ら理智の探偵小説を多くものしているけれども、謎一点張り、推理一点張り、といった傾向のものには慊 【あきた】 らず思っている作家の一人で、科学的知識が豊富に取り入れられ、数々の技巧は充分研究し尽された今日、それらの先鋭化した武器の上に立って、我々はいま一度コリンズ、ドイルの先学者達を振返ってみるべきではあるまいか――との主張を持つ人である。主張そのものとしてはヴァン・ダインのそれよりも今日の日本のファンの中にも支持者が一としお多いことであろうと思う。私もコリンズの 「月長石」 は大変好きであるが、しかし 「月長石」 がこれまでの探偵小説中最も傑出しているものだとは考えない。けれども、あまりに純粋にのみ進みすぎた理智探偵小説にもっとゆとりのある、小説風な面白味を望んだセイアーズ女史の所説には大いに賛成したい。
 現在の英米探偵小説の主流をなしているものは、挑戦謎々傾向のものと、正しい意味での挑戦のない理智本格もの、この二つの流派であろうが後者にはクロフツや、プロパーやグリブルなどの現実派の外に、謎々派と現実派との混合型のようなのが含まれている。数の上ではこの流派が非常に多いのであって、現英国探偵作家の多くがこれにはいるし、セイアーズもその有力な一人である。
 即ちセイアーズ女史の作品は、ヴァン・ダイン風に挑戦のある謎々探偵小説ではないし、かといって、クロフツのように、現実的な探索過程をかりてプロットの面白味を際立たせようとしたものでもない。しかし現実的な悠長さと克明さと、また屡 【しばしば】 多くの偶然とを持っているからその点ではクロフツよりも一層現実派であるかもしれない。白熱的な面白味は少ない代りに、あくまでも穏やかな論理とミステリ、デテクションとローマンスとの地味に富んでいる。それに加えて、セイアーズ一流の高尚な非常に頭のいい潤色が到る所に行き亙っているので、彼女の作品は、探偵小説としても十分に近い外、普通の探偵小説に欠けたものを多く持っていて、ただ探偵小説としてだけでなく、普通の読物として読んでいてもまた充分面白いと思う。
 そのような傾向のものであるから、セイアーズのものが、純粋な探偵小説のファン (所謂鬼を以って呼ばれる部類) よりもむしろ 「探偵小説をも大いに愛好し理解する」 というような、どちらかというと鑑賞態度にゆとりの有りそうな読者層の間によりよく真価が知られていたり、一層の人気があったりするのも一面無理からず思われる。
 大体セイアーズという人は秀才風な女流作家であって、ちょっとクリスティとは趣を異にしており、その気の利いた頭のよさは、むしろ短篇物に適切に発揮されているように思われるが、しかし長篇物にはその外にまた別種のよさを描き出していて、それらはまさしくセイアーズ女史独特のものである。私は比較的新しいものでは 「ナイン・テイラーズ」 一篇しか読んでいないが、これなども実にセイアーズらしく、普通より相当多い頁数なのを始終のんびりした気持で一節々々、時には一行々々を楽しみながら読むことが出来た。今度 「ストロング・ポイズン」 が本誌上に掲載されるそうであるが、この種の傾向のものがこの国に於てもよく咀嚼されることは大変望ましいことに思っている。

〈ぷろふいる〉 昭和11年7月号掲載。『探偵小説のプロフィル』 未収録エッセイ。下線は原文傍点。同号からセイヤーズの長篇 『ストロング・ポイズン』 (『毒を食らわば』) の邦訳が連載開始されている。

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