名探偵を葬れ!

井上良夫


 雑誌 「ブック・マン」 四月特別号に、ユスタス・ポーチュガルなる人が、「名探偵を葬れ!」 “Death to the Detective !” なる短い評論を寄せて、近代の探偵小説の大部分をひっくるめてやっつけている。仲々適評と思われることが書いてあるし、尚、探偵小説を愛読する人々には別種の興味があろうと思い、簡単な卑見も添えて、御紹介してみることにした。

 「ある滑稽家が、こんなことを云ったことがある――
 最も完全なミステリイ・ストーリイは、只の二つの文 【センテンス】 で出来上る、此の通りだ――
 『銃声一発。大探偵はバッタリ倒れて了った』
と、これはあんまりひど過ぎるようだが、併し、実際こんな風にお願いしたいと思う時が無いでもない。全く、近来の探偵小説から、百に余る似非 【えせ】 ホームズの大探偵達を引き出して来て、アルバート・ホールあたりででも、片っ端しから射ち殺して了ったら――とそう空想してみるだけでも、胸のすく思いがする。
 文学上に変らぬ貢献をして来ている探偵と云えば、シャーロック・ホームズ独りであろう。彼の隠退後、雨後の筍然として輩出した数百の探偵達は、ベーカー街に住んだ此の大先輩の足元にも寄りつけたものではない。
 若し諸君にして、私の云うところに異議があれば、試みに目を閉じて、諸君がこれまで読んで来た小説中の名探偵達を思い起してみたまえ。性格はさて措いて、名前だけでも、諸君の記憶に残っているのがどれだけあるだろう?
 私は数限りない探偵達の冒険を、あれこれと追って考えてみた結果、たった十人の名前しか挙げることが出来なかった……」

 こういう振った書出しで、ポーチュガル氏は探偵小説の名探偵達をやっつけている。
 探偵小説中の名探偵を云々するなんて、今時、幼稚な、古臭い評論だ、と片附けて了えばそれまでだが、併し、探偵小説は、ヴァン・ダイン氏や甲賀三郎氏を煩わすまでもなく、詮ずるところ、「小説の形式を借りた謎々」 であってみれば、作者はやはり何人かをして、その謎を解かせて行かなければなるまい。従って、探偵小説には色んな謎の解決者が出て来る理 【わけ】 だが、その人達は何れも、作者独自の持味を一番ハッキリ染め出している個性であって、その点では、謂わば作品を、作風を、シムボライズするものとみて差支えない。こうみれば、探偵小説中の名探偵を論ずることは、私に云わすれば、その作品を論ずるの近道である。
 一例を挙げてみれば、最近では一番に知られてるヴァン・ダインフィロ・ヴァンス。此の男を一言にして論ずれば、「はきつかない」 或は 「にえ切らない」 の一語に尽きる。ヴァン・ダインの作品、「ベンスン」 から 「ケンネル」 までの作品を読んで、一番痛切に感ずることは、氏の作が、徹頭徹尾、「はきつかなく」 「にえ切らない」 ことである。
 で、こうした見解 【みかた】 から、ポーチュガル氏の名探偵短評を読まれたら、案外面白味があろうと思う。
 さて、ひどく採点の辛い氏が選り出した十人の探偵とは、誰々であったか、そしてまた、それ等に対して氏がどういう批判を下しているか?――以下、氏の論である。

 「先ず、ウィル・スコット氏の作品の主人公 【ヒーロー】ディッシャー
 今はそうではないが、一時彼の犯罪学はひどく怪しいものだった。にも拘らず、彼の個性が彼を救っている。とまれ、ディッシャーは、探偵小説の探偵中、最も機智 【ウィット】 に富んだ男である。此の探偵は、私の死の宣告から除外されていい。
 「ドロシイ・ソーヤース女史のロード・ピーター
 ソーヤース女史は、探偵小説に関して、多くの、博学な興味深い評論 【エッセイ】 を書いており、且つ、少くとも二つの立派なミステリ・ストーリイ集の編者である。が併し、女史自身は果して第一流に位すべき探偵小説を作り得ているかどうか?となると頗る疑問だ。女史の創造した主人公 【ヒーロー】、ロード・ピーターは、どうかすると焦れったいくらいに口の軽い男で、その癖、これといって風変りな所の無い男である。洗練された教養を持っている一方、骨惜しみをせず、コツコツやって行く根気のよさがあるが、兎も角も私には彼が一向に偉才とも思えねば、目立った個性の持主とも考えられない。彼に関した物語では、大抵悪役に廻されている方の側で、彼以上によく描けている人物が決まって出て来る。一言にして云えばロード・ピーターはあまりにキチンとして、何んの変轍も無さ過ぎる。私の理想的探偵は、大いに突飛な特性を持つ一方、犯罪、殺人に対して人間的な感情を持ち、且つ一個の哲理を備えていなければならない。で、私は、ロード・ピーターも亦 【また】、アルバート・ホールに送って、葬り去って了いたいと思う。
 「アガサ・クリスチイ女史のエルキュウル・ポワロ
 此の卵形の頭をしたフランス人の探偵は、生存を許しても差支えない。短篇に於てのポワロは、彼の個性が充分伸びておらず、従って私は好まないが、長篇物になると、その微妙な所がよく出ていて、それに、これは特筆すべきことだが、彼は、女性を理解することに於て随一である。一体、これは私が男だからかも知れないが、どうも探偵小説には男の悪人ばかり多くて、女のそれが少くない。兎に角ポワロは、金輪際、美しい顔に欺されない男だ。
 「H・C・ベイリイミスター・フォーチュン
 此の男は巴里 【パリ】 臭が強過ぎる。園遊会と苺 【ストロベリ】 クリームとで生活が出来ているような気がする。そして、まるで淑女にしてもよい程に礼儀正しい。が何れにしても、私は此の男の手腕に信頼は置けない。
 これで英国の方は片附けて、米国へ廻ると――
 「ダッシェル・ハムメットの主人公、サム・スペード
 私は此の男の徹底した無慈悲さが大いに気に入っている。彼は、謎を解くこと宛然 【まるで】 バタを針金で切って行くようだ。そしてその間、何人をも信頼せず、誰一人をも憐まず、毒は毒を以って制するの筆法で押し切って行く。サム・スペードをアルバート・ホールへ連れて行こうとしたって駄目だ。此の男、それこそすぐに市街戦でもぶっぱじめ、血路を開いて逃げて行くこと必定である。
 「カロル・ジョン・ダリイウィリアムズ
 彼は犯罪に対して、苛酷ではあるが、面白い哲理を抱いている。若し彼が、恋愛的興味を添えるための役割を務めている、あの我慢のなり兼ねる女を、一発のもとに仕止めてくれさえすれば、彼は殆んど申し分ない主人公 【ヒーロー】 になるのだが――。が、今の侭でも、葬って了うには充分惜しい男には違いない。
 「ヴァン・ダインフィロ・ヴァンス
 ヴァンスはお喋りが過ぎる。そしてまた幽玄深遠な問題に就いての独り喋りが多過ぎる。更に、彼はあまりに冷たく、熱情に乏しい。私は、私の探偵が超人間であることは歓迎するが、非人間であることはお断りだ。で、私はフィロ・ヴァンスに対しては、アルバート・ホールに於て焚刑を宣告したい。
 「エレリイ・クイーンの描くエレリイ・クイーン
 彼の科学的探偵法は少々明瞭を欠くが、併し、「希臘棺桶の秘密 【グリーク・コッフィン・ミステリイ】」では悪人を罠にかけるのに一寸素晴らしいところを見せている。クイーンは生かしておくことにしよう。
 これで愈々 【いよいよ】 あとには私の好きな二人が残った。師父ブラウンヴォルカー大尉だ。
 「師父ブラウンは、その冒険の叙述者が、G・K・チェスタトンである点に於て、既に無比 【ユニーク】 である。従って、彼ブラウンのずば抜けた変人振りの因って来る所が、彼の単純さに在ったとて、少しも不思議ではない。彼によって仮面を剥がれる犯罪者が、あまりに屡々 【しばしば】 無神論者であり過ぎる嫌はあるとしても、何んと、同情と信頼とに価する、顕著な性格の持主ではあるまいか。更に、彼はユーモアに対する鋭い感覚と、犯罪への正しい同情と、そして、男女の心理に向っての鋭い、的確な洞察眼を備えている。僧帽を被り、ダブダブの服を着て、蝙蝠傘を年中手から離したことのないらしい此の坊様は、私の第二位の贔屓 【フェイバリット】 である。
 「さて、私の第一位を占める物は、“Murder by Latitude 【緯度殺人事件】” “Murder on the Yacht” の作者、ルーファス・キングの主人公 【ヒーロー】、海軍大尉 【リウテナント】 ヴォルカーである。彼はニューヨーク警察の一員で、これ程頼母 【たのも】 しい男はいない。彼の何処がよいかと云うに、それは、彼が犯罪者相手で飯を食っている、その道の古強者であるにも拘らず、尚且つ彼は、殺人によってショックを受ける程度の敏感さを失っていない。普通、他殺謀殺などいうことは、まるで抽象的な事物ででもあるかのような具合に取扱われている――例えてみれば、手に嵌っていない手袋が、主人公 【ヒーロー】 の頬を撲って、智慧の戦を挑む、とでも云った感じである。ところが、我がヴォルカー大尉は、如何なる人も絶対に他を殺める権利を持っていないという理窟を、近代探偵小説のどの探偵よりも明白にさせている。主人公の性格としてこれが結構なことであるだけではない――探偵小説を作る上でのよい方策 【ポリシイ】 なのだ。何故なら、諸君の恐怖が強ければ強いだけそれだけ、真犯人が挙げられた折の満足も大きいわけだ。以上ヴォルカー大尉を推す所以である」

 これで氏の名探偵論も終っている。此のうち、小生浅読で、ウィル・スコットとカロル・ジョン・ダリイなる作家を知らず、最後のルーファス・キングは、名前だけは聞いていたが、まだ読んでいない。実は此の評論を読んで、早速註文したのだが、まだ到着せず、従ってポーチュガル氏の第一位を与えられたヴォルカー大尉を論ずるの資格を持たない。
 が兎に角、全体を通じて、論者の意の存する所は充分に判ると思う。個々の探偵の批評も、前三者の主人公 【ヒーロー】 は除外して、概ね正鵠を得ていると思う。就中、ソーヤース女史のロード・ピーター、クリスチイ女史のポワロ、ヴァン・ダインのフィロ・ヴァンス等、一々適評である。
 論者の挙げた十人のうち、我国に翻訳紹介されて人気のある作者は、クリスチイ、ヴァン・ダイン、エレリイ・クイーン、それにチェスタトンの四人で、他はあまり紹介されていないように記憶する。で、御参考までに一寸書き加えておくと、
 ソーヤース女史は、その探偵小説界への功績から、本国では仲々重きをなしているらしく、我国でももう少し有名になってもよい人だと思う程だが、此の論者も云っている通り、その探偵小説にはこれといって特に傑れたものもないように思う。勿論群小作家と違い、流石に光った所があるが、恰度ロード・ピーターに変轍味が無いように、此の人の作品にはハッキリした味わいが出ていない。そして可成りくどい。正しくロード・ピーターそのものである。作品には、比較的新しいもので、“The Strong Poison 【毒を食らわば】” “Five Red Herrings 【五匹の赤い鰊】” “Have His Carcase 【死体をどうぞ】” 等があり、近作には、“Murder Must Advertise 【殺人は広告する】” がある。
 H・C・ベイリイは、ミスター・フォーチュン物語の作者として、日本では可成り知られている。元来短篇の作家であるが、近頃長篇物も出ている。
 ダッシェル・ハムメットは、米国の私立探偵事務所の一員であったらしい。その作品には、低級俗悪、という方面ではなく、よい意味でのアメリカ臭味が横溢している。恰度主人公のサム・スペードが荒削りの性格の男であるように、作品にも線の太い所がある。が、探偵小説としてはあまり優れたものではない。作品には、“The Maltese Falcon 【マルタの鷹】” “The Dain Curse 【デイン家の呪】” “Red Harvest 【赤い収穫】” 等がある。
 ルーファス・キングは読んでいないから、作品だけ挙げておくと、本文に出ている二つの外、“Murder in the Willett Family” “Murder by the Clock” がある。
 以上、蛇足ながら、御参考までに一寸。 

(八 六 四)

〈ぷろふいる〉 昭和8年8月号掲載。『探偵小説のプロフィル』 未収録。ミステリ専門誌における井上良夫の実質的なデビューである。掲載号の編集後記には、「井上氏の 『名探偵を葬れ』 は、これも小生の上京の際、森下先生からご推薦して頂いた痛快な論説である」 とあり、探偵文壇の大御所、森下雨村の推薦があったことが明かされている。昭和7年1月に 〈探偵小説〉 誌に一挙掲載された森下雨村訳のクロフツ 『樽』 は、もともと井上が訳したものに雨村が手を入れたものであることは確からしい。二人の関係はそれ以来ということなのだろう。ちなみに雨村訳 『樽』 が昭和10年に柳香書院から刊行された際に、井上は長文の解説 「傑作探偵小説 『樽』 の吟味」 を寄せている (『探偵小説のプロフィル』収録)。

 次の9月号からは英米の最新探偵小説を次々に紹介していく 「英米探偵小説のプロフィル」 の連載が始まり、探偵小説ファンは俄然井上の読書量と批評眼に注目することになる。以後、昭和14年ごろまでの短い期間に、井上は評論、翻訳に実に精力的な活動を展開している。その成果は 『探偵小説のプロフィル』 でご覧いただきたい。

 本篇は井上良夫のデビュー評論ではあるが、実質的にはイギリスの 〈ブックマン〉 誌1933年4月号に載ったユースタス・ポーチュガルのエッセイの紹介である。このポーチュガル氏、どうやら英国風の名探偵よりもむしろ、ハメットやキャロル・ジョン・デイリーのキビキビしたハードボイルド探偵、スピーディな展開が持ち味のR・キングのヴァルカー警部補 (井上はlieutenantを 「海軍大尉」 と訳しているが) などがお好みだったらしい。

 なお、上記の作家について、井上良夫にならって蛇足の蛇足を加えておくと、ウィル・スコットは1920-30年代に人気のあったイギリスのユーモア作家で、巨漢探偵ディッシャーはネロ・ウルフの先駆ともいわれ、〈新青年〉に短篇 「『三星屋』 事件」 が紹介されている。カロル・ジョン・ダリイ=キャロル・ジョン・デイリーは、〈ブラックマスク〉 の人気をハメットと二分したハードボイルド草創期の巨匠。私立探偵ウィリアムズは、仕事にかけては冷徹非情のタフガイ。

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