外道の批評

井上良夫


 本当にいい批評というのはどんなものか――それを考えると怖いからなるべく私は考えてみないようにしている。でこれは全く 「私の立場」 という話。昨年半歳近くぷろふいる誌上で初めての作品月評を続けたことがあり、その時私は予期していなかった障碍にすぐにぶつかって狼狽した。それははたから見ていればなんでもないのだが、さて自分がそれに口を出すとなると中々言いにくい、簡単にいってしまえば作品に対して卒直に非難がしにくいのだ。私は自分の気持を理由づけようとしてしばらくは様々に勝手な理窟をつけてみたりしていた。自分の性質から変えなければうまく行きそうにないなどとも考えた。さて、あれから一年以上も経ち経験もホンの少しばかり余分に積んだ。それで私はこんなふうに考えてみたらと思っている。どうせ探偵小説はその面白い話が楽しまれる性質のものなのだから批評家だからといって何もそうひちむずかしい理窟を言わなければならぬこともあるまい、でまた作家のためのよい批評家というような色彩も特に持たなくてもよろしかろう、それは自分には差当り望んでも出来そうにはないのだから、まあその方にも大いに勉強を心掛ける一方、探偵小説の批評家は一層読者のための存在であったがいい、自分が読んで面白かったもの、面白かったところを読者に伝える、謂わば私流の紹介解説役を買って出たいというようにも考えてみる。また往々にして批評文というものは理窟ばかりではたで読んでいて一向面白くもないことが多いからこれも一つ面白く読めるようにしたらよかろう。などと考えてみることは頗る多い。が結局どこを見廻してみても私の手の届かぬことばかりで不勉強を歎じるに終るのはどの場合も同じである。    (11・9・15)


〈ぷろふいる〉 昭和11年11月号掲載。『探偵小説のプロフィル』 未収録エッセイ。井上良夫は昭和10年5月から12月まで 〈ぷろふいる〉 の作品月評欄を担当し、甲賀三郎 「黄鳥の嘆き」、小栗虫太郎 「人魚謎お岩殺し」、海野十三 「三人の双生児」、木々高太郎 「幽霊水兵」、夢野久作 「巡査辞職」 などを取り上げている。昭和8年から英米探偵小説の紹介・評論を同誌に発表し、その実績を買われての起用だったのだろう。しかし、海外作品については明快な評を下していた井上も、国内作家に対してはやはり遠慮を感じていたようだ。また、専門誌のこの種の「月評」 は、どうしても作家に対する 「御指導御鞭撻」 的な役割を求められがちだが、そういう立場には違和感を感じていたらしいことも、上の文章からはうかがえる。「探偵小説の批評家は一層読者のための存在であったがいい」 という言葉に、うなずかれる方も多いことだろう。

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