ヴァン・ダインなんか怖くない アントニイ・バウチャー
〈犯罪捜査課〉 《クロニクル》紙読者のほとんどは《グッド・ハウスキーピング》誌を購読してはいない、という前提のもとに、本欄では(先月に引きつづき)同誌掲載のエラリイ・クイーンの「最重要」リストの検討を続けよう。同誌6月号で、クイーンは次のような「10冊の最も重要な長篇探偵小説」を発表している。 エミール・ガボリオ『ルルージュ事件』(パリ、1886) リストは今日の目でみた面白さよりも、歴史的重要性に重きをおいて選ばれている。つまり、「最上」よりも「最初」ということだ。そうした基準によるものとしては、おおむね議論の余地がない選択といえるだろう。しかし、私はここに二つの異議を表明したいと思う。ひとつは穏やかなもの、もうひとつは断固たる抗議である。 穏やかな異議 『犯行以前』は、クイーンが云うような「これまで書かれた最上の〈倒叙〉探偵小説」ではない。これは「倒叙」探偵小説ではなく、看破を免れる幸運な殺人者の物語である。彼が自分のことをずっと疑っていた人物を(彼女自身の同意のもとに)殺害することに成功しようとしている場面で、小説は結末を迎える(私が云っているのは、もちろん、オリジナルの小説のことで、ヒッチコックの映画化《断崖》に付け加えられた莫迦莫迦しい結末のことではない)。素晴らしい作品ではあるが、それは犯罪小説としての評価であり、探偵小説では断じてないのである。もし、このリストに「倒叙」探偵小説の見本を一冊入れるのであれば、私はR・オースティン・フリーマンの『ポタマック氏の見落とし』を推したいと思う。断固たる異議 S・S・ヴァン・ダインは断じて「重要な」作家などではない。これがきわめて異端的見解であることは承知している。しかし、そろそろ誰かが「王様は裸だ」というべき時だ。1920年代のヴァン・ダインの爆発的流行(『僧正殺人事件』はなんと7万部もの予約を集めたという)は魅力的な現象ではあるが、探偵小説の歴史と発展にはまったく関係のないものであった。 ヴァン・ダインの初期作品に対する大衆的人気以上に不可解なのは、批評家たちの審美的称賛である。いま、ヴァン・ダインの作品を(最近、私がしたように)再読してみれば、ファイロ・ヴァンスがとんでもなく鼻持ちならない男で、かつてオグデン・ナッシュが言明したような扱い(「お尻にひと蹴り」)にまさに相応しい人物であるというばかりでなく、登場人物は木偶同然、プロットはアンフェアで、テクニックは拙劣、おまけにその散文ときたら、げんなりするほど勿体ぶった衒学趣味の専門用語を混ぜ合わせて(これはすべての登場人物にあてはまる)、それを英語として押し通そうとしている代物であることに気づかざるをえないだろう。 ところが、英米の批評家たちは声をそろえて快哉を叫び、ついに探偵小説は「文学」になった、と褒め称えたのである。シカゴ《ポスト》紙は、フーダニットを見下していた人々も「この種の小説が高等芸術の高みに達しうることを認めることになるだろう」といい、ハリー・ハンセンは、ヴァン・ダインは「探偵小説の貴族階級に属する」と述べた。大方の批評はこのようなものだったのである。 この溢れんばかりの歓喜の声も、もしヴァン・ダインがもっと早くに探偵小説界に登場していたとしたら理解できないこともない。しかし、彼の第一作が出版されたとき、ドロシイ・セイヤーズ、アントニイ・バークリー、フィリップ・マクドナルド、ノックス師、フリーマン・ウィルズ・クロフツ、アガサ・クリスティーといった面々が、既にミステリ作家を生業としていたのである。ミルンの『赤い館の秘密』は4歳になっていたし、『トレント最後の事件』は13歳。アノーはもう16年も探偵の仕事をしており、ソーンダイク博士の経歴は20年近くに達していたのだ。 これは推測するしかないのだが、ヴァン・ダインの法外な気取りは、あのスノブス・アメリカヌス【アメリカ産俗物】という恐るべき種を魅了したのだろう。スノブス【俗物】の行くところブーブス【間抜け】がついていく。たしかに奇態な眺めだ。しかし、どこが「重要」だというのだろう。ヴァン・ダインよりも先に活動を開始していた上記の作家たちは、いまなお大きな影響力をもっている。しかし、ヴァン・ダインの影響はどこへ行ったのだろう。20年代には、彼は多大な影響力をもっていたが、有難いことにそれはすみやかに消え去った。ヴァン・ダイン風の気取りをはっきりと示した唯一の重要作家は、ほかならぬエラリイ・クイーンであった。そして彼はその足枷をさっさと振り払った。『災厄の町』以上に〈ヴァン・ダイン風〉から遠いものはないだろう。 長いあいだ私は、もっぱら記憶に依ってこう発言してきた。「たしかにヴァン・ダインは次第に低迷していったし、『ドラゴン殺人事件』はこれまでに書かれた最悪のフーダニットかもしれない。しかし、『グリーン』と『僧正』は素晴らしい作品だった」と。もしあなたもそんなふうに感じていたとしたら、これらの本を読み返してみるといい。さあ、やってみたまえ。 というわけで、どうか、クイーン君、ヴァン・ダインを君のリストから抹消してはいただけないだろうか。そしてその空席には、ぜひともドロシイ・セイヤーズ(代表作はおそらく『ナイン・テイラーズ』)を据えてほしい。後期の作品では、探偵小説と普通小説の融合をめざして行き過ぎてしまったかもしれないが、その作品は少なくとも当代一流の作家たちすべてに影響を与えているのだから。
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