作家訪問記
動かぬ弾丸(大下宇陀児氏の巻)


        

 雑司ヶ谷の新邸。
 応接室で記者は新邸の主人(あるじ)を待っている。
 主人はなかなか帰ってこない。(散髪にお出掛けだ)
 庭の向うの隅から、珍らしい犬が貌(かお)を出した。記者は犬が好きだから、庭と応接室とを仕切ったフランス窓まで歩いていって、ぴよぴよと呼んでみた。
 茶色の毛の縮れた可愛らしい犬は飛んできて、窓硝子をさかんに舐める。(此の犬、貰いたいな、――)
 硝子を境にして犬と遊んでいるうちに、やっと御帰館になったのが探偵文壇の流行作家、今、最もハリキっている大下宇陀児氏。
 「やあ、待たせました! 散髪に行っていたので――」
 さあ、どうぞ、どうぞ! と椅子を勧められて、記者は間古間古(まごまご)しながら、大下宇陀児氏と向い合せて座ったが、
 「先生! あの犬は非常に可愛らしい犬ですな。そして珍らしい犬ですね。何と云う種類の犬なんでしょう?」
 「エヤデルテリヤというんだよ」
 「え、何ですか? エヤ、エヤ――」
 「エヤデルテリヤ」
 「エーデル、ですか。エーデル、――何というんですか?」
 「何んだい、君! 犬のことを訊きに来たのか?」

                         趣 味

 そう云って大下宇陀児氏は眼玉を丸くしたので記者は少し忙(あわ)て気味になり、
 「いや、そうではありません。『ぷろふいる』の読者にうける探偵小説的な面白い御高説、それからまた先生の身辺的な打開話、まあそう云いましたような御話を聞かせて頂きたいと思って参りました」
 「ああ、そう! 何でも話すよ。それで最初が犬なんだね。僕は犬に限らず生物を飼うのがすきでね。可愛らしいからな。今は二疋、犬がいるよ。ブルドック(牝)が一疋と、あのエヤデルテリヤだ」
 「先生! 鳥渡(ちょっと)、お待ち下さい」
 ――記者はノートを拡げて犬のややっこしい種類名を記帳して随分と高い値段でしょうな、あの犬は? と訊ねる。
 「そうだね。どのくらいのものだろうか。あいつの兄弟が長谷川如是閑氏のところにいるんだよ。君、あいつを買わないか。三百円にまけといてやるよ。三百円で安けりゃ、四百円、五百円……」
 「エヘヘヘへ、どうもそれは結構なお話です。時に先生は旅行など、お好きでしょうか?」
 「旅行かい。あんまり好きじゃないな。面倒臭いからね――」
 「夏になりますと、海へ山へと皆さんが行かれますが、先生は如何です?」
 「そうだな。時には海へも行くが、肥っていてもこれで泳ぎは相当だよ。永游ぎは駄目として、潜りなら、川獺、海豚さながらだ。背泳でも両抜手でもクロールでもね。但し、旅行となると僕は外では、ものが書けない性分で、自分の家でないと小説が出来ない。他の作家達と一緒に旅行をしたりするような事のないのもその故(せい)だね」
 大下宇陀児氏は刈りたての髪に、手を入れてさっさっと掻いたり、まん丸い拳で椅子の肱を叩いたりする。そうしては始終、右をきょろり、左をきょろりと睨み廻し、天井をぎょろりとやった揚句に、今度は記者をぎょろりと睨んだ――。

                     書き易いのは長篇

 「探偵小説は長篇が良いとか、又は短篇が本当だとか、まちまちに言われておりますが、先生御自身ではどちらが書き易いと思われますか?」
 「僕は長篇のほうが書き易いな。なるべくは長篇物を、書いていたいんだが、そうそう勝手にもならないしね。短篇はどちらかというと、通俗ものであればあるほど六つかしい。インテリ相手の短篇なら、枚数にもよるが割に書き易い――」
 そう云って大下氏はぽつんと話をやめる。頸を小刻みに動かしていたが、そのうちに、「チェスタトンが死んだね。彼の持論は短篇が探偵小説の最上の形式だと云うんじゃないかい。そうした観方もあるんだね。併し、なんだね。僕なんかは矢張り長篇が書き易いし、本格探偵小説にするとしたら、長い枚数がどうしたって必要だ。――長篇は結末の締くくりがつらいけど。
 それよりも長篇物の難関とも云うべきものは、発表機関の問題だろう。殊に雑誌連載はなかなか難しい。雑誌では、一ケ月毎に、興昧の中断というものがあり、また読者の記憶の喪失というものがある。これを、探偵作家は、何とか工夫して対策を講じなくてはいけないのでね」
 「先生は可成り多作のようで御座いますが、月に何枚ほどお書きになりますか?」
 「そうだなあ(と云って記者をぎょろりと睨み)僕はまア割に多く書いている人間だろうな。併し、そりゃ我々の仲間うちの事で、他の大衆文藝の作家とは、比較にならないよ。吉川英治だって、大仏次郎だって随分に書く。あれには僕なんか、及ばんね。さて、(と、まん丸い拳で椅子の肱を叩き)多い月で二百七十枚ほど書いたかな。毎月はそんなに迚(とて)も! まあ、平均に云って百五十枚ほど書いてるだろうか――」
 「近頃、木々高太郎先生が非常にハリ切っておられますが」
 「うん、そうそう。木々さんは書くね。なかなかの精力家だよ。『ぷろふいる』の八月号に『盲いた月』が戴っているが、あれはいいものだな。解決を読者から募集すると云う趣向もいいね。いや、愛想でなしにさ。(ここで大下氏は痛快そうに、あっはっは! と大笑する)――ただ、しかし木々さんにはもう少しサスペンスが欲しいと思うな。彼の作品は、殊更に読者を面白がらせようとしない、その点が作品の気品を高くもするが、同時に作品を陰鬱にし重苦しくし、兎に角パッとした感じを与えない。いかにも、自分の楽しみだけで小説を書いている、という風に見える。自分の楽しみだけで小説を作るという境地は実をいうと、甚だ羨しいものでもあるが、探偵文壇全体の問題として取上げると、もう少々面白くして欲しいといっても悪くはないだろう。尤も木々君は面白くすることより、文学にすることで骨を折ってはいるのだがね――」

                  探偵小説を盛んにするには?

 「まず探偵文壇というものを壊すことだ。固形的なものを、ばらばらにして了うんだ。これこれのものを是非とも書かねばならないという事はないんだろう。それがね、今の状態では……だから、砕く、つまりだね――(と云って大下氏は迷いつつ、髪の毛をぱさぱさ掻いて、性急な口調で)誰が何と云っても探偵小説の定義というものは、もう定まっている。しかし、定義にとらわれたらおしまいだろうじゃないか。定義をぐんぐん動かして使わなけりゃいけない。定義から、発展しなくちゃいけない。定義のうちへ、縮こまってしまったら、それっきりもう動きはないよ。定義を根本として、ここから何か新しいものを生み出そうとする、いいものはそこから生れるんじゃないかい」
 ぽつんと話をとめ、壁を睨んだり記者を睨んだりして、
 「しかし、話は別だが、小説を自分の好みだけによって書くと云うものは、つまりは生活の為にはならないね。探偵小説を書いても派手な存在にはならないものだ――」

                        新人論

 「新しい人達は自分達の新しさを示すに相応しい新しい形式の発見で苦しむんだね。――皆一生懸命になって書いてはいるようだが、つまりは、今いった形式がないんだな。形式を求めてもない。みんな書かれちまってるからね。だから非常に難しいだろう。が、新人には大いに型を破って貰いたいな。不具(かたわ)だって構わん。不具なら不具で、またそこに特徴があるからさ。新人はそれからもっと広汎な材料を掴む事だ。野心的になる事だ。そこから、まだある。探偵小説の内部だけでなく、他からも褒められるような作品を書く事だ――そうしたら探偵小説だってもっと盛んになる訳だろう。
 春秋社の懸賞に第一席になった蒼井君などは、新人として最も有望だね。長篇書き卸し時代にはもってこいの人だ。『瀬戸内海の惨劇』を読んだが、これもがっちりした本格物らしい。それから『白昼夢』の人。北町一郎君か、随分と粗雑なところもあったようだが、色彩は十分にある。認めるね――」
 「先生のところなど、持込み原稿も沢山にある事でしょうな? それを一々、お読みになりますか?」
 「ところが読んで上げたいと思っても、なかなか急がしくって読めない。活字になったものさえ読めないでいるんだから、無理だよ。正確に返事が出せないから、遅れていると、遠慮もなく催促の手紙をよこす人がいる。この間は北海道の人だが、そういう事があったんで、うんと怒ってやった。(あっはっは! と笑ってから)自分だけの自信は困るな。それより不可(いけ)ないのは作家志願だよ。これは危険だからね。なろうたってそう簡単に、金さえありゃ喫茶店を開けるとか、何とかそういう工合になれるもんじゃなし、自分だけで思い込んだ天分も、二つ位の作品を書いてなくなって了うのが多い。これじゃ困る。
 純文学志望は勿論、危険! 探偵小説だってこれで飯を食べようかなと考えるのは、不心得だよ。それに時代も違うし。――だが最初に書いたようなものは、今ならどこでも取りやしない。今は不運な時代かね。ええと、僕はその点は幸運だった。知らず知らずに作家になっちゃったんだ。僕はちっとも作家になんぞなろうとは思っていなかった。あれは昭和三年だったか?(ぎよろりと天井を睨み)会社をやめていて、何処かへまた勤めようかと思ってると、講談倶楽部から連載物の註文がきた。それから週刊朝日にも『蛭川博士』を書くようになった。自然とそうなってきて、作家となった訳なんだよ」

                       WHOWHY

 「大下宇陀児先生の探偵小説論を伺いたいと存じます」
 と記者が云うと、血色のいい顔を右手で撫で廻し、それから丸い顎をギュッと押えるようにしていたが、元気な声で、
 「なんだね、探偵小説はWho(フウ)という問題よりもWhy(ホワイ)だと思うね。探偵小説を書くのに、重点を“誰が殺したか?”に置くのもあるが、“何故に殺したか?”に置くのがこれからは流行するだろう。最近の僕は主に探偵小説をこうした観方から作って行こうと思っている。殺人があるとする。犯人は果して誰か? と作者はそこばかりを書くが、人の動き、人間性を無視しては探偵小説も結局は生きないのじゃないかな。僕はだから“何故に殺したのか?”というWhy(ホワイ)の問題を探偵小説ではもっと重く見るのが本当だろうと思っている」
 それから記者をぎょろりと眺めて、
 「もう、その位でいいだろう、君。探偵小説論は話せばキリがなし、各自に意見が違うんだしさ。他の話をしようじゃないか」
 「そうですね。――先生は京都へいらしった事は御座いますね。京都はお好きですか?」
 「京都。(大下氏は面食ったように)京都かね。うん、幾度もあるよ、面白かったのは学生時代見学旅行の時に柊屋に泊ってね、而(しか)も祇甲で遊んだよ! オイ、君、こんな事を書いちゃ不可(いけ)ないぜ!」

                       夢野久作と会う

 「それから五六年前のことだ。京都へ行った。丁度、講談社の雑誌に連載小読を書いていたが、四回目を終ったら、どうにもこうにも行き詰って仕方がなくなったんだ。これは困った! どうしようかと迷っているうちに、ふらふらと京都迄、来ちゃっていてね。さて、それから何処へいくと云う宛(あて)もなかったが、ひとつ夢野君に会って見ようと思って、そこから取敢ず手紙を出し、すぐ福岡へ行った。僕は前から一度、夢野君に会いたいと思っていて、それがいい機会だったんだね。向うへ行ってから宿屋にいると、軈(やが)て夢野君から電話が掛ってきた。うん、すぐ来たよ。ルパシカにオカッパ帽子という服装で、僕はもっと若い人かと想像していたら、そうでもなかった。併し、元気はあるし、若々しい感じは十分にした。夢野君はその時に、うんと御馳走をしてくれてね――。
 夢野君は随分よく喋べる。気の向かない時には黙っているが、一旦気が向いたとなると、喋べり通しに喋べる人なんだそうだ。話も面白かったが、探偵小説の抱負を聞いたら、うんと型を破ったもの、猟奇小説みたいなものを書くんだと云っていたが――もう、いないね。実に借しい人がなくなったもんだ」

                        雑 話

 「本をよくお読みになりますか?」
 「余り読まない。本を読むことで感心なのは乱歩さんだ。彼ほどの読書家は、大衆文学者中に、一人もいないだろう。実に敬服すべきだが、僕は、どうも読めなくて困る。新青年だって、時々に読む位なものさ。此の間、シメノンを読んで面白いと思ったが、ああ云う小説が書けるといいね」
 「御自分の作品を読み返したりなさいますか、先生?」
 「そりゃ、読むこともあり、読まぬこともありさ。一番厭なのは、校正の時に読むことだ。校正では、何しろ、アラを探すのだから、時に、甚だしく憂鬱になるよ。ところで君、訪問記の題は、なんとつけるんだい?」
 「そうですね。『動かぬ弾丸』とつけましょう」
 「それは一体、どう云う事なんだい。お可笑しいじゃないか、そんな題は――」
 「いや、そうではありません、先生。私の印象面へ焼きつけられた先生は動かない弾丸なんです。探偵文壇を堂々と闊歩する偉風は、まさに炸裂する弾丸のように雄壮で、また私の前にお座りになった先生は肥慢なさっているので、鳥渡やそっとでは動かんでしょう。そこで『動かぬ弾丸』なのです」
 記者が真面目にそう云うと、大下宇陀児氏はあたりをぎょろりと睨み廻し、まん丸い拳で椅子の肱を軽く叩き、愉快そうにあっはっは! と大笑した。

 (『ぷろふいる』昭和119月号)

探偵小説専門誌『ぷろふいる』の連載企画「作家訪問記」第4回、「本誌記者」によるインタビュー記事。
昭和11年(1936)の大下宇陀児は短篇「偽悪病患者」「凧」、長編「ホテル紅館」などを精力的に執筆している。この年の3月、大下が高く評価し注目していた夢野久作が急逝。昭和9年にデビューした木々高太郎は昭和11年には長編『人生の阿呆』を「新青年」に連載するなど華々しい活躍の傍ら、甲賀三郎と探偵小説芸術論争を展開していた。有望な新人として言及されている蒼井雄の春秋社懸賞第一席作品『船冨家の惨劇』は昭和11年3月刊。長篇第二作『瀬戸内海の惨劇』がこのとき『ぷろふいる』に連載中だった。北町一郎『白昼夢』は同じく春秋社懸賞募集で次席となった作品。北町は後にユーモア小説で人気作家となった。
インタビューでは大下宇陀児のざっくばらんな人柄、愛犬家としての顏などが窺えるが、「WHOとWHY」の項ではその探偵小説観を披露している。また、書きやすいのは長篇、短篇は苦労する、と言っているが、自信作については長女・木下里美氏の「具体的には聞いていませんが、やっぱり短編の方が好きだったようです」という証言もある(『『新青年』趣味』17号)。
学生時代に泊まった「柊屋」は京都の老舗旅館・柊家、「祇甲」は祇園甲部のこと。老舗高級旅館に泊まり祇園で遊んだ、というのだから学生にしては豪勢な見学旅行である。
「此の間、シメノンを読んで面白いと思ったが」とあるが、『新青年』昭和12年新春増刊号の「海外探偵小説十傑』アンケートでは、大下はシメノンの『男の頭』を第2位に選んでいる。
ちなみに大下宇陀児は昭和9年6月30日に、大塚から池袋の東、雑司ヶ谷5丁目(本記事の「雑司ヶ谷の新邸」)に引越したが、江戸川乱歩が三田から池袋駅の西側、立教大学の前に越してきたのもまったく同じ日だったという(「乱歩分析」)。尤も乱歩自身の『探偵小説四十年』には引越しは7月とある。

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