〈新青年〉海外探偵小説十傑


 〈新青年〉昭和12年(1937)新春増刊号に掲載されたアンケート。質問は次の2点。

  A. 海外長篇探偵小説を傑作順に十篇
  B. その第一位推賞作に対する寸感

 26人のアンケート回答を50音順に配列し、著作権上の問題がないものはBのコメントも再録、他はリストのみ掲載した。作品名、作者名の表記にはばらつきが見られるが、あえて統一せず、新かなに直した以外は原文のママとし、現在流布している邦題が推定しにくいものについては、【 】 内に注記を付した。

 ルブラン、ヴァン・ダインなど一部の作家、またその作品に選択が集中しているが、1937年という時点で翻訳紹介されていた長篇探偵小説の絶対数が、いまとは比べものにならないほど、限られたものでしかなかったことに留意されたい。翻訳物の長篇が単行本として刊行される機会は少なく、雑誌での紹介が主だったことから、おのずと短篇中心の訳出となっていたのである。ようやく昭和10年前後から、翻訳探偵小説全集の企画が各社で相次ぎ、長篇紹介の機運が高まってきた。このアンケートもそうした動きを反映してのものであろう。もっとも、回答者には翻訳家も多く、また横溝正史、延原謙などは作家・編集者・翻訳家兼業であったから、あげられているのは必ずしも既訳作品ばかりではない。

 まず最初に、〈新青年〉編集部の水谷準がこのアンケート結果を、順位を加味しながら集計したベスト10を、ご参考までにご紹介しておく。(対象はオールタイムではあるが、「このミス」的な企画の元祖といってもいいかもしれない)

 1. 黄色の部屋 ルルウ
 2. トレント最後の事件 ベントリー
 3. 赤毛のレドメイン家 フィルポッツ
 4. グリーン家殺人事件 ヴァン・ダイン
 5.  クロフツ
 6. 813 ルブラン
 7. バスカービル家の犬 ドイル
 8. 僧正殺人事件 ヴァン・ダイン
 9. アクロイド殺し クリスティー
10. 男の頭 シムノン
10. 月長石 コリンズ

 アンケートの回答を見ていくと、上にあるような『黄色の部屋』『トレント』『グリーン家』『樽』などの本格物が人気を集めているが、その中で異色は、シムノン『男の首』と、ハーリヒ『妖女ドレッテ』だろう。いまではすっかり忘れ去られた 『妖女ドレッテ』は、これをドストエフスキーの通俗化として論じた乱歩のエッセイ「ハアリヒの方向」の影響もあって、日本の探偵小説が目指すべき方向、と受け止められていた時期もあった。また『813』のルブランの人気も圧倒的である。このあたりは、建前としては「本格」をあげながらも、実際には「スリル」や「ロマン」により強く惹かれていた日本探偵小説界の体質が垣間みえるような気がするのだが、いかがだろうか。

【回答者】 浅野玄府 井上英三 井上良夫 海野十三 江戸川乱歩 大江専一 大阪圭吉 大下宇陀児 大田黒元雄 小栗虫太郎 木々高太郎 木村毅 黒沼健 甲賀三郎 城昌幸 妹尾アキ夫 田内長太郎 田中早苗 角田喜久雄 西田政治 延原謙 野村胡堂 久山秀子 森下雨村 横溝正史 渡辺啓助

浅野玄府

 1. デュパン探偵シリーズ ポオ
 2. ホームズ探偵シリーズ ドイル
 3. 師父ブラウン探偵シリーズ チェスタトン
 4. ムッシュー・ルコック ガボリオ
 5. ムーン・ストーン コリンズ
 6. 僧正殺人事件 ヴァン・ダイン
 7. 黄色の部屋 ルルウ
 8. 夜の冒険 ドゥーゼ 
 9. ダゴベルト探偵の冒険 グロルレル 
10. 漂うアドミラル(連作) チェスタトン他12作家

※ブラウン神父物で有名な翻訳家。 現在は〈意外な犯人〉物の 「奇妙な跡」1篇で知られる〈オーストリアのコナン・ドイル〉グロルラーのダゴベルト探偵譚が採られているのがちょっと嬉しい。

井上英三

 1. グリーン家殺人事件 ヴァン・ダイン
 2. 僧正殺人事件 ヴァン・ダイン
 3. 孔雀の樹 チェスタートン
 4.  クロフツ
 5. 埃及十字架の秘密 クイーン
 6. トレント最後の事件 ベントレイ
 7. ミドル・テムプル殺人事件 フレッチャ−
 8. 盲目理髪師 J・D・カア
 9. あとは誰でもよろしい。但し、クリスチイ、フリイマン、シムノンなんかは除外。

※翻訳家。戦時中、横溝正史は井上に強く薦められてカーの原書を借りて読み、すっかり魅了され、これが 『本陣』 以下の本格長篇を書く契機になった。乱歩も井上蔵書でカーを読んでいる。井上自身は 『絞首台の秘密』 を訳している。シムノンはともかく、クリスティー嫌いには何か理由があったのか (あるいはアンチ 『アクロイド』 派だったのかも)。

井上良夫

 1. バスカービルの犬 ドイル
 2. 白衣の女 コリンズ
 3. 矢の家 メースン
 4.  クロフツ
 5. 黄色の部屋 ルルウ
 6. 赤毛のレドメイン一家 フィルポッツ
 7. Yの悲劇 ロス
 8. グリーン家の惨劇 ヴァン・ダイン
 9. ベラミイ事件の審判 ノイズ・ハート
10. 闇からの声 フィルポッツ

 二位以下の作は、一二の例外を除き、探偵小説独自の味わいのうちの一つ或は二つを頭抜けて顕著に持っているが、話が単調であったり、退屈であったり、または余りに智的興味を追いすぎるなどで、全体として纏った面白味を欠いている傾きがある。「バスカービルの犬」は遺憾ながらやや結構の雄大さを欠くが、よく探偵小説的種々なる面白味を兼ね備えて、ストーリイの発展にも変化を持ち、先ず渾然たる趣向の作といっていい。

※このうち6・7・10は井上良夫自身が訳出、紹介している。4の初訳(森下雨村訳)も実質的には井上訳だという。また、2・3・4・7については「傑作探偵小説吟味」他 (『探偵小説のプロフィル』 収録)で詳細な分析を加えているので、ご一読いただきたい。

海野十三

 1. 813 ルブラン
 2. 水晶の栓 ルブラン
 3. 僧正殺人事件 ヴァン・ダイン
 4. 技師ガーリン トルストイ
 5. グリーン家の惨劇 ヴァン・ダイン
 6. 狂龍殺人事件 ヴァン・ダイン
 7. 黄色の部屋 ルルウ
 8. スミルノ博士の日記 ドゥーゼ
 9. モンパルナスの一夜 (男の頭) シメノン
10. 和蘭陀靴の秘密 クイーン

 前にも後にも、こんなに面白い探偵小説はない。女主人公の悩ましき魅力、探偵長が実は怪盗ルパンだったくだり、そして最後へ行ってあの暗号事件、そこへカイゼルが出てきて舞台の緊張するところ、それから詠嘆尽くるなき結末――この一篇を読んで嘆息しないものは人間でないと思う。『813』 こそは探偵小説界の永遠不滅の名星だ。過去はもちろんのこと、現在及び将来に於ける探偵小説の進路を常に正確に指している磁石みたいなものだ。
※ルブランやヴァン・ダインにまじって、殺人光線を発明した技師が独裁者をめざすソ連のSFスリラー、 『技師ガーリン』をあげているところが、〈日本SFの父〉らしい選択。

江戸川乱歩

 1. 黄色の部屋 ルルウ
 2. トレント最後の事件 ベントリー
 3. 赤毛のレドメイン一家 フィルポッツ
 4. 男の頭 シメノン
 5. アクロイド殺し クリスティー
 6. 僧正殺人事件 ヴァン・ダイン
 7. 813 ルブラン
 8.  クロフツ
 9. 月長石 コリンズ
10. ルルウジュ事件 ガボリオー

 右の十篇夫々に特徴ありどれを一位と定め難いですが、僕としては一から三までの三篇に最も心惹かれて居ります。原文でよめば「トレント」は遥かに訳文以上でしょうし、「黄色の部屋」は原文の文章がつまらないそうですから、少し考えが違って来るかも知れませんが、訳文から得た感銘では、「黄色の部屋」が一番ハッキリ残ってます。

※10年後の1947年、乱歩は再び海外長篇のベストを選んでいる。このときは、第1次大戦を境に「古典」と「黄金時代」にわけて、それぞれ10作ずつ選んでいる。上のリストで『月長石』は古典の2位、『ルルウジュ事件』 は同じく1位となっている。黄金時時代のベストは、@『赤毛のレドメイン家』、A『黄色の部屋』、B『僧正殺人事件』、C『Yの悲劇』(クイーン)、D『トレント最後の事件』、E『アクロイド殺し』、F『帽子収集狂事件』(カー)、G『赤色館の秘密』、H『樽』、I『ナイン・テイラーズ』(セイヤーズ)、[別格]『813』『男の頭』、[次点]『矢の家』メースン、『百万長者の死』コール、『完全殺人事件』ブッシュ、『エンジェル家の殺人』スカーレット。順位の入れ替えはあっても、基本的にそれほど大きな違いはないようだ。

大下宇陀児

 1. 妖女ドレッテ ワルタ・ハーリッヒ
 2. 男の頭 ジョルジュ・シメノン
 3. トレント最後の事件 イー・シー・ベントリ
 4. 赤毛のレドメイン イードン・フィルポッツ
 5. ルパンもの
 6. ルレタビーユもの
 7. クイーンもの
 8. ブラウンもの
 9. ヴァンスもの
10. ホームズもの

 本当は(一)の妖女ドレッテより古く読んだルパンやルレタビーユやの方が面白かった。が、古いものは別として、感覚的に妖女ドレッテのよさは、大したものである。ハーリッヒが死んだのは実に惜しい。少々行き方は違うが、ハーリッヒに続いてはシメノンのみ、断然他の探偵作家と別な光を持っている。シメノンは、小説を書こうとしているのだし、他の探偵作家は、読者をトリックにかけることばかり考えている稚気満作家だ。

※特にハーリッヒ、シムノンを称揚。「他の探偵作家は、読者をトリックにかけることばかり考えている稚気満作家だ」とバッサリ斬り捨てているのは、トリック偏重を批判し、犯罪心理や動機を重視したこの作家らしい発言。

大江専一

 1. Harvard Has a Homicide 【ハーバード大学殺人事件】 チモシー・フラー
 2. Strange Houses コラ・ジャレット
 3. Trent’s Own Case 【トレント自身の事件】 ベントリ、アレン共著
 4. The Loss of the Jane Vosper 【ヴォスパー号の遭難】 ウィルス・クローフト
 5. The Kidnap Murder Case 【誘拐殺人事件】 ヴァン・ダイン
 6. The Catalyst Club ジョージ・ダイヤ
 7. The Arabian Night Murders 【アラビアンナイトの殺人】 ジョン・デイ・カア
 8. A Puzzle for Fools 【癲狂院殺人事件】 パトリック・クエンチン
 9. The Corpse with Floating Foot アール・ゼイ・ウォリング
10. The Forgotten Fleet Mystery ジョフレ・コッフィン

所もあろうにハアヴァード大学を舞台に選び伊太利美術担当のシンガー教授を刺殺した事件を聴講生ジュピタア・ジョーンズが解決する筋だが、こんなに軽快明朗な探偵小説は珍らしい。謎の要素が幾分不足しているが、所謂素人探偵の特異な嫌味もなく適度なワイズクラックを飛ばしながら、巧妙なデテクチヴ・センスを働かせるジョーンズの頭のよさには感心せざるを得ない。
 圧迫されるように感じがなくて読める新型小説だ。

※伴大矩、露下クの筆名も用いて短期間に多くの訳本を送り出した翻訳家。アメリカ留学仕込みの語学力をいかして、ヴァン・ダイン、カー、クイーンなど、最新作の紹介にあたったが、拙速主義、大幅な抄訳、また訳文の質の面でも、戦前から評判はよくなかった。『魔棺殺人事件』に対する乱歩の不満などはよく知られている。ここでも未訳作をずらりと並べ、多読・情報通ぶりを誇示しているが、ベスト選びよりも最新作、もしくは他人があまり読んでいないものを優先しているようで、ハッタリめいた感じがしなくもない。

大阪圭吉

 1.  クロフツ
 2. 黄色の部屋 ルルー
 3. アクロイド殺し クリスティ
 4. グリーン家の惨劇 ヴァン・ダイン
 5. 赤い家 ミルン
 6. 赤毛のレドメイン家 フィルポッツ
 7. 矢の家 メースン
 8. トレント最後の事件 ベントリー
 9. 白魔 スカーレット
10. 再び起るべき殺人 【殺人者はまだこない】 マイヤース

 やっぱりイザとなると古色蒼然たるものばかり並べてしまいました。中でも樽はその構成美も今更ながらロンドンのドッグに上げられた樽の動きから始まる匂わしいあのロマンチシズムと全篇にじっくり漲り渡ったクソ落着のリアリズムをともすれば奇から奇を追い過ぎたがる流れの一隅にいて時折むしょうに懐しまれてなりません。真似の出来ない世界、して又真似のしたくない世界、それは昔の恋人のようにどうにもならない楽しさだ。

※いかにも大阪圭吉らしく、本格長篇として結構のしっかりしたものが選ばれている。

大田黒元雄

 1. Have His Carcase 【死体をどうぞ】 ドロシイ・セイヤアズ 
 2. Bishop Murder Case (僧正殺人事件) ヴァン・ダイン
 3. The Roman Hat Mystery 【ローマ帽子の謎】 エラリイ・クイン
 4. The Longer Bodies グラディス・ミッチェル
 5. Murder Yet to Come 【殺人者はまだこない】
    イサベル・ブリッグ・マイヤアス
 6. The Cask (樽)フリイマン・ウィルス・クロフツ
 7. The Poisoned Chocolate Case 【毒入りチョコレート事件】
    アンソニイ・バアクリイ
 8. The Sullen Sky Mystery H・C・ベイリイ
 9. Murder in Oils ジョン・ニュウトン・チャンス
10. Death in the Clouds 【大空の死】 アガサ・クリスティ
  (ただし、一人一作を選んだ場合)

※有名な音楽評論家。海外経験も多く、探偵小説愛好家として戦前から〈新青年〉他に寄稿していた。著書『大西洋そのほか』には長文の「英米探偵小説案内」が収録されている。また、真田啓介氏によると、実現はしなかったがノックス『サイロの死体』を翻訳する企画もあったという。ここでも、原書で海外(特に英国)作品に親しんでいた大田黒ならではのタイトルが並べられている。セイヤーズの逸早い紹介者、良き理解者でもあり、 『死体をどうぞ』について、「性格や場面の溌剌たる描写、如何にも気の利いた対話、変化に富んだ構成」が読む者を飽きさせない、と述べている。グラディス・ミッチェルやベイリーの長篇があげられているのにも注目。

小栗虫太郎

 1. 水晶の栓 ルブラン
 2. 僧正殺人事件 ヴァン・ダイン
 3. 赤毛のレッドメイン フィルポッツ
 4. 八一三 ルブラン
 5. グリーン家の惨劇 ヴァン・ダイン
 6. 和蘭陀靴の秘密 クイーン
 7. 妖女ドレッテ ハーリッヒ
(しかしながら、中篇ではあろうが、チェスタートンの 「孔雀の樹」、ドイルの 「クルムバー館の悲劇」 は、以上に伍し、あるいは優るかとも考える)

 この物語のいと凄まじい興味は、仏蘭西らしい政界のスキャンダルを織り込んだ点にある。
 私は他のいかなる作品に於いても、ドープレーク代議士ほどに、獣魂を持つ人物を知らない。あれは、腹からの、生れながらの悪人である。極悪人、けだもの魂である。この物語を読むと、ルパンを主役にしているうちに、次第に、ドープレークの方がじわりじわりと乗り出してくる。それほど、一個の性格の創造と云うことが、この名作を輝かしいものにしている。

※フライボワイヤン・ゴシックの「グリーン屋敷」の建築は「黒死館」に影響を与えたと思われるが、ここでは『僧正』を上位に置いている。ルブランに相当肩入れしているが、後期作品での法水麟太郎の変貌ぶりなどを考えあわせると、そう意外なことではないのかもしれない。

木々高太郎

 1. トレント最後の事件 ベントリイ
 2. 黄色い犬 シメノン
 3. 赤毛のレドメイン族 フィルポッツ
 4. 魔の犬 ドイル
 5. 紅はこべ オルツィ
 6. グリーン家の惨劇 ヴァン・ダイン
 7. ローマ劇場の秘密 エラリ・クイーン
 8.  クロフツ
 9. 黄色の部屋 ルルウ
10. 八一三 ルブラン

※『紅はこべ』『ローマ劇場』がちょっと珍しいくらいで、それほど特徴のないベストだが、「小生の感心する点は何れも犯罪を人間の性格の方から必然的に起ってくるものとして描いて来る点です」とのこと。

木村毅

 1. 鉄仮面 ボアゴベ
 2. 秘密の女 オッペンハイム
 3. A Letter from a Strange Woman 【未知の女からの手紙】 Stefan Zweig
 4. ルルージュ事件 ガボリオ
 5.  クロフツ
 6. 矢の家 メースン
 7. A Lady of the Night Horler
 8. 緋色の研究 ドイル
 9. 813 ルブラン
10. The Trembling of the Sea Barbara Lucas

※『大衆文学十六講』の著書もある木村毅は、英国旅行中に当時一世を風靡していたエドガー・ウォレスと面会したこともある。作品の好みはすこし古めかしいようだ。

黒沼 健

 1. 僧正殺人事件 ヴァン・ダイン
 2. 矢の家 メースン
 3. トレント最後の事件 E・C・ベントリイ
 4. バスカービルの妖犬 コナン・ドイル
 5. 黄色の部屋 ガストン・ルルウ
 6.  F・W・クロフツ
 7. モンパルナスの夜 【男の首】 ジョルジュ・シメノン
 8. 妖女ドレッテ ワルタ・ハアリヒ
 9. フレンチ・パウダー・ミステリー エラリイ・クイーン
10. オベリスツ・アン・ルート 【鉄路のオベリスト】 デエリイ・キング

※戦前・戦後を通して活躍した翻訳家。セイヤーズ『大学祭の夜』などの難物に取り組み、戦前翻訳界では実力を認められていた。戦後はウールリッチなどが有名。意外なところでは《空の大怪獣ラドン》《大怪獣バラン》の原作者でもある。C・デイリー・キングの未訳作をあげているが、黒沼はタラント氏物の短編を4作、〈新青年〉に訳出している。

甲賀三郎

 1. 黄色の部屋のミステリ ガストン・ルルウ
 2. トレント最後の事件 ベントリイ
 3. 樽 クロフツ
 4. ジェニイ・プライス事件 ラインハート
 5. アクロイド殺し アガサ・クリスチイ
 6. 男の頭 シメノン
 7. 真紅の輪 (The Crimson Circle) エドガー・ウォーレス
 8. 和蘭靴のミステリ エラリ・クイーン
 9. グリーン家の惨劇 ヴァン・ダイン
10. 夜の冒険 ドウゼ

 黄色の部屋のミステリはその藝術的な香りの高き点に於て、ユニクのトリックの創造について、トリックの扱い方と篇中の人物の傀儡に非ざる人間性について、探偵小説として最高の位置に推すことを躊躇しない。

※戦前本格論者の旗手として、木々高太郎らと論戦を繰り広げた甲賀らしいリストだが、ラインハートやウォーレスなど、通俗的な興味で人気を呼んだ作家も入っているところは、これもまた実作では必ずしも謎解き一辺倒ではなかったこの作家らしい。

城昌幸

 1. 黄金虫 アラン・ポオ
 2. 病院横丁の殺人事件 アラン・ポオ
 3. 813 モオリス・ルブラン
 4. コナン・ドイルの諸作
 5. ヴァン・ダインの諸作

※1・2は佐藤春夫門下らしい選択。「病院横丁の殺人事件」は、「モルグ街の殺人」の鴎外訳の題。城のようなロマンティシズム志向の作家でさえ、ヴァン・ダインの名をあげてしまうところは、いかにこの時代、彼の存在が大きかったかを物語る。

妹尾アキ夫

 探偵物と云ったら純粋の本格物に決っています。ですからワン・ダインが推賞した数篇を中心として、それにダイン自身やクイーンのニ三品を加え、さらに近頃流行のシメノンを三皿ぐらい加えたら、もっとも万人向で誰れでも感心される献立(メニュー)ができあがるわけです。どれが一番面白いかと云ったって、どうせ本格物である以上みな似たりよったりで、ドングリの背比べじゃないでしょうか。わたしはそれより面白くありさえすれば、本格物の名前に囚われないで何でも読みたいです。例えば「レ・ミゼラブル」「クロツェル・ソナタ」「カラマゾフ」「エドウィン・ドルード」「脚本闇の力」「涙香の白髪鬼」「罪と罰」「モンテ・クリスト」その他。

※戦前戦後を通じて活躍した翻訳家・小説家。「胡鉄梅」名義で〈新青年〉に月評を連載、鋭い筆鋒をふるった皮肉屋の片鱗が、ここにも垣間見える。その作品評の余りの手厳しさに「胡鉄梅とは誰だ」という犯人(?)探しまで持ち上がったという。

田内長太郎

 1. 赤毛のレドメイン一家 フィルポッツ
 2. 白衣の女 コリンズ
 3. 月長石 コリンズ
 4. ルコック探偵 ガボリオ
 5. カナリヤ殺人事件 ヴァン・ダイン
 6. トレント最後の事件 ベントリ
 7. 黄色い室の怪事件 ルルー
 8. The Middle Temple Murder (邦訳 「謎の函」)【ミドル・テンプルの殺人】 フレッチャ−
 9.  クロフツ
10. アクロイド殺し クリスティ

 こういう順位選定となると自力だけでは危くてとてもできぬ。かと言って、諸家の見解を参照してみても、やはり決して衆議一致しているのでないから厄介至極である。現に右の『赤毛』の如きヴァン・ダインの探偵小説論(『傑作探偵小説集』序文)中では、大して問題にもされていないのだ。それに義憤を感じてのわけではない。この作品そのものが、その探偵小説的構想において優れているばかりでなく、そこに、詩、道徳、知識を程よく含んでいて、将来の探偵小説の進むべき道を示しているように思われる所から、敢て首位に推した次第である。

※翻訳家。上にも挙がっているヴァン・ダインの「探偵小説論」を昭和10年に翻訳紹介している。

田中早苗

 1. 饗宴の骸骨 カロリン・ウェルズ
 2. 百万長者の死 コール夫妻
 3. 悪の死者 スーヴェストル=アラン
 4. デンジャフィールド家の宝物 J・J・コニントン
 5. グリーン家の惨劇 ヴァン・ダイン
 6. バスカーヴィルの犬 ドイル
 7. 双生児の復讐 マッカリー
 8. 黄色の部屋 ルルー
 9.  クロフツ
10. 夜の冒険 ドウゼ

 (1)から(4)までは、今私が訳したいと思っている順位に挙げた。(1)は殺人の動機も犯人も最後まで隠して読ませる技巧がとても勝れている。(2)は探偵小説で「現代」を描こうとするコール夫妻の逞しい野心と熱意を採る。この観点から一種清新な探偵小説と云いうる。(3)は理窟抜きに面白いもの。ファントマ叢書中最傑出の作で、これを読めば同叢書も馬鹿に出来ない。(4)はユーマーを基調としたもので、むしろ作家諸氏に一読を御勧めします。(5)以下は拙訳以外の既訳本、興味本位、順序不同です。

※コリンズ、ガボリオ、ルヴェルなどの紹介で知られる翻訳者。〈新青年〉で活躍した翻訳者の多くは、このように自分で翻訳したい作品を探し、編集部にもちこんでいた。

角田喜久雄

 1. 男の頭 ジョルジュ・シムノン
 2. グリン家殺人事件 ヴァン・ダイン
 3. トレント最後の事件 ベントリイ
 4. バスカービル家の犬 コーナン・ドイル
 5. 赤毛のレドメイン一家 フィルポッツ
 6. ロージャアクロイド殺し アガサ・クリスティ
 7.  クロフツ
 8. 陸橋殺人事件 ロナルド・ノックス
 9. 矢の家 メースン
10. 黄色の部屋 ガストン・ルルー

※角田は戦前は時代物の活躍が目立ち、本格長篇を書き始めるのは戦後だが、このリストは既にかなりの本格志向である。しかし、なんといっても注目すべきは1のシムノンで、「その迫力と後味のよさは私の好みに合う」という角田は、後年、メグレをモデルにした加賀美捜査課長を創造することになる。

西田政治

 1. バスカービルの猟犬 ドイル
 2. 813 モーリス・ルブラン
 3. 赤毛のレドメイン一家 イーデン・フィルポッツ
 4. 月長石 ウィルキー・コリンズ
 5. 黄色の部屋の秘密 ガストン・ルルウ
 6. グリーン家殺人事件 ヴァン・ダイン
 7. 赤屋敷の秘密 A・A・ミルン
 8. トレント最後の事件 E・C・ベントレイ
 9. ルルージュ事件 エミール・ガボリオ
10.  フリーマン・ウィルス・クロフツ

※翻訳家。関西探偵文壇の中心人物。戦後はポケミスのJ・D・カー訳者としての印象が強いが、『火刑法廷』のエピローグを「訳がわからないから削ってしまおう」と言い出して、編集者の都筑道夫をあわてさせた逸話は有名。

野村胡堂

 1. ルコック探偵 ガボリオ
 2. 月長石 コリンズ
 3. 四人の署名 (又はバスカーヴィルの犬) ドイル
 4. 八一三 ルブラン
 5. アクロイド殺し クリスチー
 6. 黄色の部屋 ルルー
 7. スミルノ博士の日記 ドゥーゼ
 8. オランダ靴の秘密 クウイン
 9. グリーン殺人事件 ヴァン・ダイン
10. 甲虫殺人事件 同

※ご存知〈銭形平次〉の作者。別名あらえびす。「近頃の新しいものは大袈裟なだけでコクが無い為、読む興味を失って居ります」「謎々に肉を附けたようなのは困ります」というコメントには、いつの時代にもこうした嘆きはあるものなのだな、と思わされる。

延原 謙

 1. 十一の瓶 【緑のダイヤ】 A・モリスン
 2. 魔の犬 C・ドイル
 3. グリーン家殺人事件 ヴァン・ダイン
 4. アクロイド殺し A・クリスチー
 5.  F・クロフツ
 6. トレント最後の事件 C・ベントリ
 7. 813 M・ルブラン
 8. Death Whistle R・マーシュ
 9. 黄色の部屋 G・ルルウ
10. スミルノ博士の日記 S・ドゥーゼ

※ホームズ譚の名訳者、〈新青年〉編集長も務めた。昨今、探偵小説本質論が盛んだが、そうムキにならずに 「もう少し大らかな気持で、しかも内心高く持することはできぬものか」 という意味で 『十一の瓶』 を推した、とある。『十一の瓶』は、インドから盗まれたダイヤ〈グーナの眼〉をめぐる伝奇的スリラーで、延原自身が訳出し、戦後『緑のダイヤ』として改訳再刊されている。8のリチャード・マーシュは『ドラキュラ』と人気を二分した怪奇長篇の古典『黄金虫』で有名な作家。

久山秀子

 1. モンテクリスト伯 アレクサンドル・デュマ
 2. 813 モーリス・ルブラン
 3. 虎の牙 モーリス・ルブラン

 傑作を選択する程読んでおりませんし、どんなのが傑作だかもよく存じません。ただ大変面白がって読んで、今でも覚えている物をあげました。四位以下は自分でもはっきり致しません。

※女スリ〈隼〉シリーズで人気を呼んだ覆面作家。よく知られるように、〈隼〉はマッカレー〈地下鉄サム〉の焼き直しだが、この回答からみて、どうやらひろく探偵小説を読んでいたわけではないらしい。

森下雨村

 1. 赤髪のレドメイン一家 フィルポッツ
 2. 緋色の研究 ドイル
 3. アクロイド殺し クリスティ
 4. トレント最後の事件 ベントリ
 5. 黄色の部屋 ルルウ
 6. 月長石 コリンズ
 7.  クロフツ
 8. 矢の家 メースン
 9. 813 ルブラン
10. テムプル街の殺人 フレッチャ−

 各自の好みであるが、僕はあらゆる角度から見て「赤髪のレドメイン一家」が好きである。筋の構成も申分ないし、文章もいいし、やはり純文学者の筆になった名作、――つまり味のある探偵小説として好きな作品である。二――八までは大体誰も文句はあるまい。813とテムプル街の殺人は面白く読めるという点で十篇の中に推すに足るものと思う。

※〈新青年〉創刊時の編集長。乱歩をはじめ多くの新人作家を送り出した戦前探偵文壇の大御所。各社の探偵小説全集の監修者にも名を連ねた。

横溝正史

 1. 813 モーリス・ルブラン
 2. 黄色の部屋 ガストン・ルルウ
 3. バスカーヴィル家の犬 コナン・ドイル
 4. ルコック氏 ガボリオ
 5. 真っ暗 (原名忘れました) 【リーヴェンワース事件】 A・K・グリーン
 6. トレント最後の事件 ベントリ
 7. 埃及十字架の秘密 エラリイ・クイーン
 8. 僧正殺人事件 ヴァン・ダイン
 9. 赤毛のレドメーン フィルポッツ
10.  クロフツ

※古典と近代探偵小説を同日に論じることは難しいので、1〜5を古典、6〜10を近代探偵小説と分けてみた、という。1937年という時点では、クイーンもヴァン・ダインもクロフツも「現代」作家であり、彼らの新作が毎年のように海外から届けられていたことに、あらためて気づかされる(現在の読者の大多数は、ドイルやルルーと、クイーン、ヴァン・ダインを「古典」として一括りにしてしまうのだろうが)。5の『真っ暗』は黒岩涙香の翻案の題名。この世代の作家にとって涙香探偵本は、ちょうど我々にとっての乱歩がそうであるように探偵小説読書の「原体験」だった。正史の涙香コレクションの一部は世田谷文学館の展示で見ることが出来る。

渡辺啓助

 1. 十二の刺傷 【オリエント急行の殺人】 クリスティ
 2. 妖女ドレッテ ハーリヒ
 3. 黄色い犬 シメノン
 4. グリーン家殺人事件 ヴァン・ダイン
 5. 魔棺殺人事件 【三つの棺】 カー
 6. 陸橋殺人事件 ノックス
 7. マネキン殺人事件 ステーマン
 8. 白魔 スカーレット
 9. 赤色館の秘密 ミルン
10. ルルージュ事件 ガボリオ

※所謂〈変格〉派の一人と目されていた渡辺啓助だが、意外に本格物中心のベスト。ハーリヒ、シメノンあたりに文学志向がうかがえる。

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