カームジン氏紹介



 語りが騙りに通じるジェラルド・カーシュのストーリーテリングの才が、もっとも典型的に、また軽妙にあらわれているのが、詐欺師カームジンのシリーズである。1936年発表の第一作 『カームジンの銀行泥棒』 から1962年の 『カームジンと 「ハムレット」 の台本』 まで、四半世紀にわたって全17篇が発表されており、カーシュのもっともお気に入りのキャラクターといっても間違いないだろう。その多くは掲載誌に埋もれたままになっていたが、今年になってカーシュ研究家ポール・ダンカンの編集で Karmesin: The World’s Greatest Criminal or Most Outrageous Liar (Crippen & Landru, 2003) として全短篇が1冊にまとめられ、容易に読むことができるようになった (邦訳 『犯罪王カームジン』 刊行予定)。カームジン誕生とその後の経緯についてはダンカンの序文に詳しいが、それをふまえて、この 「史上最大の詐欺師にして大泥棒、あるいは世界一の大ほら吹き」 についてあらためてご紹介しておこう。

自称 「犯罪の天才」 のカームジンは、広い胸に太鼓腹の堂々たる体格で、いがぐり頭に大きな赤ら顔、ぼさぼさの白い眉とどんよりした黄色い眼、鼻の下にはニーチェ風の大仰な口髭という印象的な風貌の人物である。その身体をつつむ虫食いだらけのコートは、シベリアの氷の中からマンモスと一緒に発見された絶滅種 「モンゴル・シラクス」 の毛皮だという(といっても、事典という事典を片っ端から調べたって、そんな生き物はどこにも載っていないのだ)。「カームジン」 とはあるスラヴ系の言語で 「真紅 【クリムゾン】」 を意味するというが、その名が示すとおり東欧の出身で、1910年にロンドンにやって来た。過去に何件もの完全犯罪を成し遂げ、莫大な現金や宝石を掌中に収めてきたと豪語するカームジンだが、現在の境遇はどうみても素寒貧そのもので、しょっちゅう煙草や珈琲代を人にせびっている。ビーオ・ブストのおんぼろアパートで彼と知り合った 「私」 は、カームジンの披露するさまざまな犯罪計画や冒険譚を、なかばほら話と決めつけながらも、会うたびにその奇想天外な物語についつい引き込まれてしまうのである。

『壜の中の手記』 『廃墟の歌声』 の収録作をみると、白昼堂々、ロンドン中心街の銀行から現金2万ポンドを奪い取る 『カームジンの銀行泥棒』 や、落語 「付き馬」 を思わせる手口が鮮やかな 『カームジンの宝石泥棒』 では大胆不敵な犯罪計画を成功させたかと思うと、『カームジンとあの世を信じない男』 では幽霊をも商売のネタにするしたたかさをみせ、『重ね着した名画』 では幾重にも仕組まれた贋作詐欺で貪欲な富豪コレクターたちを翻弄、『カームジンと 「ハムレット」 の台本』 では、巧みな文書偽造で歴史解明クラブの面々に一杯食わせて友人の窮状を救っている。

さらに他の邦訳作品に目をうつせば、『カーミジンの偽札騒動』 では偽札を餌に詐欺師メドヴェッドから大金をまきあげ、『詐欺師カルメシン』 ではコイン投入式のガスメーターをごまかす法を伝授し、『彫像になった泥棒』 ではウェストミンスター寺院内にある詩人スペンサーの墓に納められたシェイクスピア自筆の追悼詩を盗むため、奇抜なトリックを考案している。

 そのほか未訳作品においても、ロンドン塔から王家の宝冠を盗み出したり、女性を食い物にする脅迫者の殺害を計画したり、幽霊の手を借りて百万長者を透明人間にしたり、町中の人々の醜聞を記した人名録をつくって一儲けしたりと、カームジンの冒険譚はまことに多彩である。

シリーズ第一作 『カームジンの銀行泥棒』 の大胆な犯罪計画は、カーシュ自身の手紙によると、彼が出会ったカーファックスという名の本物の犯罪者から聞いた話にもとづいているという。それこそ嘘のような話だが、カーファックスはロイド銀行ストランド支店で実際にその計画を実行し、成功をおさめたというのだ。カームジンのモデルにもなったこの男の名前は、のちにシリーズに登場する大物犯罪者に与えられている。

『カームジンの銀行泥棒』 が1936年5月9日の 《イヴニング・スタンダード》 に掲載されるとすぐに、カーシュはさらにカームジン物の短篇を売り込もうと、ラジオに狙いをつけ、3作を書き上げてBBCに持ち込んだが、担当者は関心を示さなかった。しかし運よくその原稿が高級雑誌 《クーリア》 の編集者の目にとまり、1937年から計10篇のカームジン物が同誌に掲載されることになる。これが人気を呼んで、カーシュにはたちまち注文が殺到した。しかし、カームジン物ばかりを求める編集者たちに、カーシュはいささかうんざりもしていたようだ。手紙の中で、読者の要求に応じてメグレ警視物を書き続けざるをえないシムノンに、自分を重ねあわせて同情したりしている。

 第2次世界大戦が始まるとカーシュは、新聞などにプロパガンダ的な文章を書き、また軍隊生活を扱ったThey Die with Their Boots Clean (1941) がベストセラーになってこともあって、一躍人気作家の仲間入りをした。このころ、長篇や短篇集が次々に刊行されている。1945年にカーシュは情報省の仕事でアメリカに渡り、そこで多くの雑誌編集者と接触する機会を得た。このとき知り合ったフレデリック・ダネイはカームジン物をいたく気に入り、《エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン》 に次々に再録、これによってアメリカでもカームジンの人気が広がった。それに励まされたように、カーシュは何篇かの新作を発表している。

1950年代に入ると、作者自身はこの戯画的なキャラクターはすでに時代遅れなのでは、という不安も抱いていたようだが、カームジンは熱烈なファンを集めつづけた。そのリストには、レックス・スタウト、ヘンリー・ミラー、哲学者バートランド・ラッセル、俳優バジル・ラスボーン、ボクサーのアーチー・ムーア、政治家ネルスン・A・ロックフェラー、英国の新聞王ビーヴァーブルック、ウィンストン・チャーチルといった各界の錚々たる顔ぶれが名をつらね、また、カーシュはしばしば俳優たちから、舞台化もしくは映画化のさいには是非自分にカームジン役をやらせてほしい、という要望を受け取ったという。TVドラマの話もあったが結局実現せず (脚本は用意され、主役候補として『情婦』 の老弁護士役が印象的な俳優チャールズ・ロートンの名も上がっていた)、ただ他の作家原作のTVシリーズのパイロット版として製作された作品にカームジンが登場したことがあり、このとき 「史上最大の犯罪者」 を演じたのは、ウィーン出身の名優エーリッヒ・フォン・シュトロハイムであった。
                                           (2003.11.6)

【カームジン・シリーズ作品リスト】

1. 「カームジンの銀行泥棒」 Karmesin
   改題Karmesin, Bank Robber/A Slight Miscalculation
   *初出Evening Standard, 1936-5-9 ※晶文社 『廃墟の歌声』 所収
2. 「詐欺師カルメジン」 Karmesin and the Meter
   改題Karmesin, Swindler/Karmesin and the Big Frost
   *初出Courier, 1937/38 ※創元推理文庫 『ミニ・ミステリ傑作選』 所収
3. 「カーミジンの偽札騒動」 Karmesin and Human Vanity
   改題Karmesin, Con Man
   *初出Courier, 1938 Spring ※河出文庫 『詐欺師ミステリー傑作選』 所収
4. 「Karmesin and the Tailor’s Dummy」
   改題Karmesin, Criminal Lawyer
   *初出Courier, 1938 Autumn
5. 「Karmesin and the Big Flea」
   改題Karmesin, Blackmailer/Karmesin Beats the Blackmailers
   *初出Courier, 1938/39 *EQMM, 1949-7
6. 「カームジンの宝石泥棒」 Karmesin and the Raving Lunatic
   改題Karmesin, Jewel Thief/A Bracelet for Karmesin/Karmesin and the Man Who
   Was Mad About Diamonds/Bracelet for a Man of Genius
  *初出Courier, 1939 Spring *EQMM, 1945-11 ※晶文社 『廃墟の歌声』 所収
7. 「カームジンとあの世を信じない男」 Karmesin and the Unbeliever
   改題Karmesin, Racketeer
   *初出Courier, 1938 Summer *EQMM, 1950-8
   *晶文社 『廃墟の歌声』 所収
8. 「Inscrutable Providence」
   改題Karmesin, Murderer/Karmesin the Murderer
   *初出The People, 1944-12-24 *EQMM, 1945-11
9. 「Karmesin & The Invisible Millionaire」
   改題Karmesin and the Trismagistus Formula
   *初出Courier, 1945 Winter *EQMM,1969-3
10. 「Karmesin and the Gorgeous Robes」
   *初出Courier, 1946-5
11. 「Chickenfeed for Karmesin」
   改題Karmesin the Fixer
   *初出Courier, 1946-12 *EQMM, 1962-11
12. 「彫像になった泥棒」 The Thief Who Played Dead
   改題The Tomb for Karmesin/Collector’s Piece
   *初出Saturday Evening Post, 1954-2-13 *EQMM,1960-6 ※〈EQMM〉日本版
   1961-2所載

13. 「カームジンと王冠」 The Conscience of Karmesin
   改題The Impossible Robbery/Karmesin and the Crown Jewels
   *初出Lilliput, 1954-4 *EQMM,1959-2 ※〈HMM〉 2004-6所載
14. 「Karmesin and the Royalties」
   改題Karmesin and the Publisher/Karmesin Takes Pen in Hand
   *初出Courier, 1956-1 *EQMM,1964-11
15. 「Skate’s Eyeball」
   改題Honor Among Thieves
   *初出Argosy, 1960-4 *EQMM, 1964-8
16. 「重ね着した名画」 Oalamaoa
   改題A Deal in Overcoats/The Molosso Overcoats
   *初出Playboy, 1960-12 *EQMM1962-7 ※晶文社 『廃墟の歌声』 所収
17. 「カームジンと 『ハムレット』 の台本」 The Karmesin Affair
   改題Bone for Debunkers/Karmesin and the Hamlet Promptbook
   *初出Saturday Evening Post, 1962-12-15 *EQMM, 1966-1 ※晶文社 『壜の中
   の手記』 所収


※初出誌の他、EQMMの再録を記した。カームジン物の短篇はさまざまな雑誌に何度も再録され、編集者の要望もあって改題が重ねられている。カーシュ自身はそれには頓着しなかったらしい。


参考文献:Paul Duncan (ed), Gerald Kersh 《Karmesin: The World’s Greatest Criminal or Most Outrageous Liar》(Crippen & Landru, 2003)


緋色の研究INDEX