S・S・ヴァン・ダイン編 『探偵小説傑作集』


 セイヤーズのアンソロジーと並んで、わが国の海外ミステリ紹介に大きな影響を与えることになった本に、S・S・ヴァン・ダインの編纂した 《The Great Detective Stories: A Chronological Anthology》 (1927) がある。

 1927年秋、翌年の1月から 《スクリブナーズ・マガジン》 で連載開始、3月には単行本を刊行することになっていた第3作 『グリーン家殺人事件』 の完成に追われていたS・S・ヴァン・ダインこと、ウィラード・ハンティントン・ライトは、同じ頃、やはりスクリブナー社から出す探偵小説アンソロジーの編集に取り組んでいた。『ベンスン殺人事件』 (1926)、『カナリヤ殺人事件』 (1927) の驚異的成功によって、美術批評家・文芸評論家としては完全に行き詰まっていたライトをめぐる状況は一変していた。しかし、この頃はまだヴァン・ダインの正体は一般に明らかになってはいない。このアンソロジー 《The Great Detective Stories》 は、本名のライト名義で、27年の年末に出版された。1931年には、《The World's Great Detective Stories》 と改題されて再刊している。

 1920〜30年代前半におけるヴァン・ダインの爆発的人気については、すでに多くの場所で言われているし、戦前日本探偵小説に彼の作品が与えた影響もよく知られているところだ。一方、本書の冒頭に置かれた長文の序論が、海外作品の翻訳紹介の大きな指針になったことも、間違いのないところだろう。セイヤーズのものと同様に、探偵小説の歴史を概観し、さまざまなタイプや、プロット、文体、性格描写などの要素を論じたこのエッセイは、有名な 「20則」 とあわせて、欧米探偵小説についての見取り図とジャンルに対する考え方を、日本の作家・編集者・読者に与えることになった。ヴァン・ダインがイギリスの優れた作品として列挙したにすぎないものが、〈ヴァン・ダインのベスト〉 として定着していったことにも如実にあらわれているように、かつてヴァイン・ダインは、このジャンルにおける 「権威」 であり、さまざまな論者のあいだで交わされた探偵小説論争に理論的根拠を提供していた。現在では、すっかり影が薄くなってしまった 「巨匠」 だが、この国の探偵小説の成立ちを考える上でも、依然、無視することの出来ない存在であることは間違いない。

 本書に収録されているのは、ご覧の通り有名作家ばかりで、邦訳のある作品がほとんどだが、そのなかであまり馴染みのない名前と思われるベネット・コップルストンは、ウィリアム・ドースン警視が活躍する秘密諜報部物で知られたイギリス作家。また、おそらくほとんど知る人のないであろうディートリヒ・テーデンはドイツの作家で、序論によると、『田舎弁護士』 『二度目の懺悔』 『弁護人』 『大きな驚き』 などの短篇集があるという。他にオーストリアのグロルラー、ロシアのチエホフ、フランスのルブランと、英米以外の作家が取り上げられているのも本書の特徴の一つ。再刊時に 〈World〉 の語が付け加えられたのも、その点を踏まえてのものだろう。序論でもドイツ・オーストリア・北欧など、大陸諸国への目配りを忘れていない。ニーチェに傾倒し、西欧の現代美術に造詣が深かったコスモポリタン、ライトの面目躍如といったところか。


《The Great Detective Stories: A Chronological Anthology》 1927 収録作品

まえがき
序論 「探偵小説」 (「推理小説論」 として創元推理文庫 『ウィンター殺人事件』 に収録)

エドガー・アラン・ポー 「モルグ街の殺人」 (『ポオ小説全集3』 創元推理文庫)
ウィルキー・コリンズ 「人を呪わば」 (『世界短編傑作集1』 創元推理文庫)
A・K・グリーン 「医師とその妻と時計」 (『世界短編傑作集1』 創元推理文庫)
アーサー・コナン・ドイル 「ボスコム渓谷の謎」 (『シャーロック・ホームズの冒険』 ハヤカワ文庫
  /創元推理文庫/新潮文庫/他)

アーサー・モリスン 「レントン館盗難事件」 (『世界短編傑作集1』 創元推理文庫)
R・オースティン・フリーマン 「The Pathologist to the Rescue
M・D・ポースト 「藁人形」 (『アブナー伯父の事件簿』 創元推理文庫他)
アーネスト・ブラマ 「ナイツ・クロス信号事件」 (『クイーンの定員U』 光文社文庫)
G・K・チェスタトン 「犬のお告げ」 (『ブラウン神父の不信』 創元推理文庫)
J・S・フレッチャー 「市長室の殺人」 (『新青年傑作選4』 立風書房)
ベネット・コップルストン 「The Butler
イーデン・フィルポッツ 「三死人」 (『世界短編傑作集4』 創元推理文庫)
H・C・ベイリー 「小さな家」 (『フォーチュン氏の事件簿』 創元推理文庫)
モーリス・ルブラン 「雪の上の足跡」 (『八点鐘』 新潮文庫)
アントン・チエホフ 「安全マッチ」 (『世界短編傑作集1』 創元推理文庫)
ディートリヒ・テーデン 「巧に織った証拠」(《宝石》 1955年4月号)
バルドゥイン・グロルラー 「奇妙な跡」 (『世界短編傑作集2』 創元推理文庫)

【参考文献】

  • William G. Contento & Martin H. Greenberg (ed) ,《Index to Crime and Mystery Anthologies》 G. K. Hall & Co. 1991
  • ジョン・ラフリー 『別名S・S・ヴァン・ダイン』 (国書刊行会)
  • S・S・ヴァン・ダイン 「あとがき」 (『誘拐殺人事件』 創元推理文庫、所収) ※自伝的エッセイ。ただし、上記ラフリーの評伝が明らかにしたように、ここには多くの粉飾・捏造が含まれている。
  • 《創元推理21》 2001年冬号 ※特集S・S・ヴァン・ダイン。とくに日本におけるヴァン・ダイン受容については、田中博 「文学と理論 ヴァン・ダインの探偵小説をめぐって」、批評家としてのライトについては、小森健太朗 「ウィラード・ハンティントン・ライトの著作概観」 が有益。

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