絞首台の秘密



 アントニイ・バークリー 『ジャンピング・ジェニイ』 は、作家のストラットン邸で開かれた 「殺人者と犠牲者」 パーティで、雰囲気を盛り上げるため屋上に設えられた絞首台を、ロジャー・シェリンガムが眺める場面から始まる。そこにぶらさがった三体の男女の藁人形を見て、シェリンガムがこんなことを言う。
 「ジャンピング・ジャックが二人に、ジャンピング・ジェニイが一人か」
 「ジャンピング・ジェニイ?」 と訝る主人のロナルド・ストラットンに答えていわく、
 「スティーヴンスンが 『カトリアナ』 のなかで、こういった縛り首の死体をジャンピング・ジャックって呼んでいなかったか。ということは、女性ならジャンピング・ジェニイだろう」
 ジャンピング・ジャックというのは、手足についている紐を引っ張ると人形が飛んだり跳ねたりする子供の玩具だが、ロバート・ルイス・スティーヴンスンが縛り首の死体をこの人形になぞらえた。それを踏まえてのシェリンガムの言葉が本書のタイトルにも採用されているわけだが、ここでその出典となったスティーヴンスンの小説をちょっと覗いてみよう。
 『カトリアナ』 (1893) は、18世紀、ジャコバイトの反乱後のスコットランドを舞台にした歴史小説 『誘拐されて』(1886) の続篇にあたる作品で、ひきつづき主人公デイヴィッド・バルファが登場する。問題の場面は物語の始めの方、第3章に出てくる。
 エジンバラ近郊のピルリグへ向かう途中、ある村に入ったデイヴィッドは、道端に立つ絞首台に鎖を巻かれた二人の男がぶら下がっているのを目にする。「死体は決まりに従ってタールを塗られていた。風に揺られて、鎖がガチャガチャと音を立てる。この不気味なジャンピング・ジャックに群がる鳥たちが叫び声をあげた」 という凄まじい光景に、デイヴィッドは思わず恐怖に打たれる。
 「決まりに従って」 とあるように、縛り首の死体に鎖を巻きタールを塗る、というのは重罪人に対して行なわれた処置で、タールは死体の腐敗を防ぎ、見せしめとして朽ち果てるまで野ざらしにされた。英国では19世紀初めまでこの吊るし刑が実施され、街道沿いに縛り首の死体が並ぶ光景は、この国を訪ねる者を驚かせたという。
 パーティの余興の絞首台の下で、シェリンガムが思い浮かべていたのは、こういう不気味な場面なわけで、まさにシック・ユーモアとしか言いようがない。作中では藁人形に古着を着せ、手の込んだ縛り首の死体を作り上げたロナルドに向かって、「まったく病的な男だな、きみは」 と冷やかすシェリンガムに、ロナルドも 「ぼくは病的かもしれんが、手は抜かないほうでね」 と応えている。
 スティーヴンスンの代表作とされる 『誘拐されて』 に対して、続篇 『カトリアナ』 のほうは知名度が低く、『海を渡る恋』 (河出書房、1956)以降邦訳はないようだが、作中の一挿話 「トッド・ラプレイクの話」 が 『スティーヴンソン怪奇短篇集』(福武文庫)に収められている。これもかなりぞっとする話だ。(ただし、『カトリアナ』 全体は恋愛と冒険を中心にしたスティーヴンスン得意の歴史ロマンス。怪奇物ではないので念のため)



 ところで 『ジャンピング・ジェニイ』 には、この余興の絞首台から下がったロープの輪の中に、ある女性が戯れに首を突っ込む場面がある。彼女が一緒にいた人物に向かって、「結び目はどこか決まった場所があるんじゃなかった?」 と訊くと、相手は 「左耳の下じゃなかったか」 と答える。どういうことだろう、ちょっと首をひねってしまった。
 ふつう、首を輪に突っ込んで、ロープをしぼれば、結び目は首の後ろ側になる。それをわざわざ左耳の下にまわすのは、何か意味があるのだろうか。死刑にまつわる迷信、もしくは慣習の類なのだろうか
 早速調べてみる。『図説死刑全書』 (原書房) いう便利な本がある。絞首刑は勿論、斬首、火刑、磔刑、その他、様々な処刑方法についての百科事典だ。すると、ちゃんと説明があった。どうやら、左耳の下 (左顎の上) に結び目をもってくるのはイギリス式らしい。こうすると、絞首台の落とし戸が作動し、受刑者が落下する瞬間、その頭部は急激に左上方にねじられる。落下と同時にひねりを加えることで、確実に頚椎が折れるようにするための処置なのだ。絞首刑において、直接の死因となるのは概ね、首をロープで絞められることによる窒息ではなく、頚椎の骨折だ。左耳の下に結び目を置くことには、きわめて合理的かつ冷徹な理由があったのである。
 絞首刑について調べているうちに、死刑執行人もまた死す という面白いHPにも行き当たった (この名称はフリッツ・ラングのサスペンス映画の名作から採ったもの)。有名な死刑執行人や処刑者の列伝、死刑制度の歴史などを知ることが出来る。

 絞首刑とミステリというと、17世紀の伝説的死刑執行人ジャック・ケッチを名乗る怪人物が殺人を予告、ミニチュアの絞首台まで登場するジョン・ディクスン・カーの 『絞首台の謎』 (創元推理文庫)が有名だが、王政復古の英国を舞台にした歴史ミステリ 『エドマンド・ゴドフリー卿殺害事件』 でも、被告を片端から絞首台に送り込んで恐れられた判事が登場、多くの囚人が国王に対する大逆罪で処刑される。
 ブルース・ハミルトンの異色作 『首つり判事』 (ハヤカワ・ミステリ)は、容赦のない判決から “首つり判事” の異名をとる人物を見舞う皮肉な運命を描いている。また、ピーター・ラヴゼイの 『マダム・タッソーがお待ちかね』 (ハヤカワ文庫)では、絞刑吏がマダム・タッソー蝋人形館に処刑者の服を売り込もうとする。そう、この蝋人形館の犯罪者ギャラリー 〈恐怖の部屋〉 では、正真正銘 「本物」 の衣装が売りだったのだ (そのへんの興味深いエピソードについては、R・D・オールティックの 『ヴィクトリア朝の緋色の研究』 でどうぞ。「踵とか脚という言葉を聞いただけで顔を赤らめるような御婦人たち」 が 〈恐怖の部屋〉 に押し寄せ、再現された犯行現場や、斬りおとされた死刑囚の首を、顔色ひとつ変えずに 「鑑賞」 する盛況ぶりが紹介されている)。
 そういえば、密室物の佳作 『魔の淵』で知られる不可能犯罪派ヘイク・タルボットの作品に 『絞首人の手伝い』 (共にハヤカワ・ミステリ) というタイトルもあった。