ジョン・ディクスン・カー〈奇蹟を解く男〉

ダグラス・G・グリーン 国書刊行会 

 
 この本は、原著が刊行される前、森英俊さんのところでプルーフ・コピーを見せてもらった。欧米の出版社では、新刊を出すときには、このプルーフ・コピーというのを作る。本文の内容は実際に出版される本とまったく同じだが、表紙やカバーはなく、仮製本しただけのもので、書店から注文をとるための営業用や、書評用、翻訳権交渉用などにこれを使う。発売月よりもかなり前にできていて、よく話題作などで日米同時発売を謳ったものがあるが、そういうのはたいてい、このプルーフ・コピーをもとに翻訳を進めるのである。

 そうした内輪のものであるはずのコピーが、なぜ森さんのところにあったかといえば、著者のダグラス・G・グリーン氏と、個人的な交流があったからだ。グリーン氏の本職は、アメリカの大学教授だが、ミステリ研究者、特に短篇ミステリのコレクターとしても有名で、密室アンソロジーや、J・D・カー、ナイオ・マーシュなどの作品集の編纂にも関わっている。そして、その膨大なコレクションをいかして、Crippen & Landru というミステリ専門の出版社まで作ってしまった。同社では、J・D・カーの長篇ラジオ・ドラマ Speak of the Devil (『幻を追う男』 〈EQ〉 1995年7月号) をはじめ、ホックやモイーズ、プロンジーニの短篇集を刊行、今後もクリスティアナ・ブランドのコックリル物の短篇集などを予定していると聞く。

 そうした人物であるから、日本で唯一のミステリ専門の洋古書店 Murder by the Mail を設立し、すでに欧米のミステリ関係者や古書ディーラーの間でも名を知られていた森さんと交友があっても不思議ではない。そのグリーンが、カーの遺族や関係者へのインタビューを重ね、夥しい手紙や出版社の契約書類等に目を通して書き上げた評伝が、この 『ジョン・ディクスン・カー 〈奇蹟を解く男〉』 John Dickson Carr: The Man Who Explained Miraclesである。

森さんはもちろんすでに通読していて、ミステリ作家の評伝として稀に見る面白い本、と興奮気味だった。早速、お借りして目を通してみる。そこにはジョン・ディクスン・カーという稀代のストーリー・テラーの生涯が、数々のエピソードによって克明に描かれ、同時に全作品の紹介・分析も的確になされていた。筆名の由来や、実際の刷部数、印税収入の話など、当時の出版事情などが、具体的に数字をあげて説明されているのも興味深かった。母親との確執や、放送界との深いかかわり、英国探偵文壇での交友関係、戦時中の愛人問題、アルコール中毒、晩年の創作上の悩みなど、いままで知らなかったカーの様々な顔が見えてきた。なにより胸に迫るのは、著者のカーへの尊敬と愛慕の念が、全篇に満ち満ちていることだった。

こんな本を紹介されて、出さないという手はない。さいわい、社内で企画もすぐに通って、本国での出版前に翻訳権を取得することができた。翻訳はもちろん、森さんにお願いしたのだが、なにしろ大変な分量でもあり、高田朔・西村真裕美の両氏にも協力をあおいで、最終的に、森さんが文体・固有名詞等を統一することになった。原著出版が1995年、邦訳刊行が翌96年の11月。この手の翻訳書としては異例の早さで日本版を出すことができたと思う。

本文中には、カー作品の引用が大量に出てくるが、これも森さんがいちいち邦訳をあたって、該当箇所をチェックした (引用は、その前後を確認しないと、思わぬ訳し違いをすることもある)。その作業の中で、いままで信頼していた訳書に少なからぬ脱落を発見して、ショックを受けたりと、意外な発見もあったようだ。さらに原著には、詳細なカーの作品リストがついているが、日本版では、これに邦訳書誌を追加するのはもちろん、カーについて書かれた内外の主な評論・エッセイのリストを付すなど、独自の工夫をこらしている。この訳書は、いわばダグラス・G・グリーン/森英俊という日米最強タッグによってはじめて実現した、〈不可能犯罪の巨匠〉 への捧げ物といってもいいだろう。

ところで、今年もジェフリー・マークス (Jeffrey Marks) によるクレイグ・ライスの評伝Who Was That Lady?; Craig Rice: The Queen of Screwball Mystery (Delphi Books) が出たばかりだが、近年、欧米では、ミステリ作家の新しい評伝が次々に出版されている。この手の本は、紹介しても、よほどの人気作家でないと営業的には難しいかもしれないが、優れた作家の優れた評伝には、作品を読むのと同じくらいの文学的興奮がある。作家のことなんか知らなくてもいい、作品だけ読んでいればいい、という意見もわかるが、少なくとも僕は、カーのこの評伝を読んで、カーがもっと好きになった。紹介されてしかるべき本は、まだまだ残っているはずだ。

というわけで、今後、紹介を期待する評伝をすこしだけ挙げておく。

◆John Loughery, Alias S.S.Van Dine: The Man Who Created Philo Vance (1992)
 日本のファンのあいだでは、最近、ヴァン・ダインの評価は散々なようだが、それでもやはり重要な作家であることは間違いないと思う。この本は、作者自身による有名な 「自伝」 が、一個の文学的捏造であったことをあばいて評判になった。ヴァン・ダインは失敗した前衛小説家だった。S・SはSteam Ship (汽船) の頭文字、というのは韜晦にすぎず、本当はSmart Set 〈スマート・セット〉――ヴァン・ダイン=ウィラード・ハンチントン・ライトがかつて編集長として腕をふるった高級文芸誌を指している、という指摘は、言われてみれば確かに頷ける。『北米探偵小説論』 新版 (インスクリプト) を出すにあたって、野崎六助氏がこの評伝で得た情報をもとに相当量の加筆を行なっているのは流石である。
[追記:10年経ってもどこもやらないので、自分でやっちゃいました。ジョン・ラフリー 『別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを創造した男』 (国書刊行会)]

◆Tom Nolan, Ross MacDonald: A Biography (1999)
 ロス・マクドナルドは、ハードボイルド・ファンに意外と受けが悪くて (?)、本格ファンに案外愛読者がいるという不思議な作家だが、『さむけ』 とか 『ウィチャリー家の女』 あたりを読んでいると、「アメリカ文学の本質はゴシックである」 という有名な説を思い出してしまう。過去に罪の根がある、というモチーフで、家族の悲劇を掘りおこしていくという行き方は、チャールズ・ブロックデン・ブラウンやナサニエル・ホーソーンの世界に、直接つながっているような気がするのだ。奥さんはマーガレット・ミラーという凄いカップル。これは早川書房が出すべき本 (ですよね)。もう進行中かもしれないが。

◆Robert Polit, Savage Art : A Biography of Jim Thompson (1995)
 日本では去年ようやくブレイクのジム・トンプスンだが、アメリカではもう評伝が何冊も出ている。ヴァン・ダインやロス・マクと違って、トンプスンの場合はまず作品の紹介が急務なのだが。

それから、いま、いちばん読みたいのは、フランシス・ネヴィンズ・ジュニアの 『エラリイ・クイーンの世界』 (早川書房) の増補改訂版。この評伝では、リーとダネイの伝記的側面については、あまり触れられていなかったし(二人のユダヤ的出自が前から気になってしかたがない。『十日間の不思議』 『九尾の猫』 から 『第八の日』 にいたる道筋は、この問題を避けては通れないだろうし、クイーンのほとんど〈ビョーキ〉としか思えない言葉遊びへのこだわりも、カバラ的思考とどこかで繋がっているような気がする)、合作方法や代作問題についても、存命だったダネイに遠慮してか、回避されていた。ダネイが亡くなってずいぶん経つことだし、そろそろ、そうした部分も含めて、この創作ユニットのすべてが明らかにされてもいいのではないか。ネヴィンズ・ジュニアなら書けるはずだ。

もうひとつ、ぜひ実現してほしい企画がある。江戸川乱歩の評伝だ。自身の 『探偵小説四十年』 をはじめとする自伝的資料がたくさんあるので、みんな、つい乱歩のことならよく知っているような気になりがちだが、あれらは基本的に、自分の関心がある、あるいは自分に都合のよい部分だけを選って作り上げたものだ。それを忘れてはいけない。誰もが知っているという点において、漱石と並ぶ国民的作家といってもいい乱歩に、まともな評伝の1冊もないのはさびしい。

(2001.4)