訳者より
上に訳出したのは、シドニー・カースル・ロバーツ
(1887-1966) が発見した医学博士ジョン・H・ワトソンの原稿の断片である。これは、“Sherlock
Holmes: His Temperament” の一部として、雑誌Sherlock Holmes Journal に発表され、その後単行本 S. C. Roberts,
Holmes & Watson, Oxford University Press, 1953 に収録された。
ロバーツ氏はケンブリッジ大学ペンブローク・カレッジの学寮長を務め、ジョンソン博士研究の権威であった。著書にThe Story of Dr. Johnson (1919), Doctor Johnson (1934), Samuel Johnson (1944), Doctor Johnson and Others (1958) などがある。
この 「ワトソン博士の原稿断片」 の入手経路や真正性等については、すでに発見者が故人となっていることもあり、訳者はつまびらかにしない。しかし、ロバーツ氏がこれらの業績によってサーの称号を得ているくらいであるから、たぶん信用できるのであろう。
ロバーツ氏の上記の Holmes & Watson はシャーロキアーナの古典の一つとされ、全137頁の小冊子であるが、古書市場では非常な高値がついている。目次に沿って内容を簡単に紹介しておく。
シャーロック・ホームズ
(1) ホームズの創造
「『最後の事件』を締めくくるワトソンの言葉は、(ソクラテスの最期を語る)
『パイドロス』 の最終行をほとんどそのまま訳したものである。」
「1903年になって、ドイルはホームズを復活させることに渋々同意し、彼がバリツの心得のおかげでモリアーティ教授との決闘から生還した次第を説明することにした。」
(2) ホームズの伝記
「ホームズの祖母はフランスの大画家オラス・ヴェルネ
(1789-1863) の妹であった。C・ブランの
『フランス絵画史』
第3巻によれば、ヴェルネは……」 「ホームズは家庭で教育されたから、フェンシングはフランス人の親戚が教えたのであろう。ボクシングの基本は村の子供たちと手合わせして覚えたに違いない。」
(3) ホームズの性格
「現代の文学、哲学、政治についてはホームズの知識は皆無に等しいとワトソンは記録しているが、これはやや早計な判断であった。」
●付録――新発見の 『トスカ枢機卿の死』 の草稿の断片
(4) 女性に対する態度
「これまで研究者は、女嫌いホームズというワトソンの断定をあまりにも無批判に受け入れてきたのではなかろうか?」
(5) ホームズと音楽
ホームズの 『ラッススの多声部聖歌曲』 に関する論文
(『ブルース・パーティントン設計書』)、『マザリンの宝石』
における蓄音機の使用などについての考察
(6) ジョンソン博士との親近性
「ボズウェルが傍にいてくれないと、僕は途方に暮れてしまう。」
(『ボヘミアの醜聞』) 「『膝、指、肩を見れば、ある男が何の職人かを見分けるのは簡単だ』
というのは、『緋色の研究』 の引用ではない。ジョンソン博士の言葉なのである。」
ワトソン博士
(1) 年代学の問題
シャーロキアーナの濫觴であるロナルド・ノックスの有名な
Studies in the Literature of Sherlock Holmes
(シャーロック・ホームズ文献の研究) への批判。
(2) 伝記
正典の各編から多数の引用あり。この章は1931年に発表され、長らく標準的な伝記とされた。
べーカー街の情景
(1) 回想の221B
221Bの位置を論じ、パロディ、舞台のホームズ、映画のホームズなどに及ぶ。
(2) 最後の言葉
「1903年10月に 『空き家の冒険』 がスランド・マガジンに載ったとき、書店の店頭はバーゲンセールのように大混雑になった。」
未発表の冒険二編
(1) 戯曲 『クリスマス・イブ』
ハヤカワ文庫 『シャーロック・ホームズの災難
[下]』 に翻訳あり。
(2) 短編 『メガテリウム・クラブの盗難事件』
「私が友人シャーロック・ホームズの言行を記録するようになって久しいが、彼がディオゲネス・クラブに愛着を覚えていることには触れる機会があったと思う。これはロンドンでも特に人嫌いの男ばかりを集めているクラブで、談話は外来者室以外では一切厳禁になっている。私の知る限り、彼はこのほかにはクラブなどに関心を示さなかった。そのホームズがメガテリウム・クラブの盗難事件という異常な謎の解明を依頼されるに至った経緯は、いささか奇妙なものであった。……」
(2005.2.11掲載)
書斎の死体INDEX
|