シャーロック・ホームズ文献の研究
Studies in the Literature of Sherlock Holmes

ロナルド・A・ノックス 植村昌夫訳

 『シャーロック・ホームズ文献の研究』 は、1911年にオックスフォード大学で行われた講演で、翌年 The Blue Book Magazine に発表され、1928年に 『諷刺論集 Essays in Satire』 に収録されました。

 ロナルド・ノックスは 『陸橋殺人事件』 (1925) や有名な 「探偵小説十戒」 (1929) のあのノックスですが、本職が司祭だったことは案外知られていないようです。1917年にカトリックに改宗し (この研究の発表時には英国国教会に属していた)、聖書の英訳などの業績がある。Monsignor Knox と呼ばれることが多い。モンシニョールというのは高位聖職者に与えられる敬称ですが、仏教式に 「猊下」 と訳しては変でしょう。我々としては 「ノックス神父」 とか 「ノックス師」 とか呼んでおけばよいのだと思う。この点、カトリックに詳しい方がおられましたらご教示ください。

 なお、Literature は 「文学」 ではなく 「文献」 であります。ホームズは質屋のウィルソン氏に向かって “I have made a small study of tattoo marks and have even contributed to the literature of the subject.”と言いますが、これをまさか 「その主題の文学に貢献した」 などと訳す人はいないでしょう。これは “-and have even written a monograph upon the subject.” と言っても同じことですね。ホームズのモノグラフで一番有名なのは140種類の煙草の灰を区別した “Upon the Distinction between the Ashes of Various Tobaccos” ですが (正典に三度出てくる)、 “Upon Tattoo Marks” というのも書いて 「イレズミ文献」 に自分なりの貢献をしたわけです。

 1911年は 『赤い輪』 と 『レディ・フランシス・カーファックスの失踪』 が発表された年ですが、ノックスが読んでいるのは前年の『悪魔の足』までのようです。ちなみに 『最後の挨拶』 と 『事件簿』 の出版は1917年と1927年。1911年の時点ですでに 「シャーロック・ホームズ文献」 が山積している、ドイツのザウヴォッシュやラッツェガー、フランスのムッシュー・パピエ=マシェ、イタリアのサバリニオーネ教授などの業績を批判的に検討する必要がある――という設定がこの論文の味噌ですね。

 コナン・ドイルもびっくりしたらしく、ノックスに宛てて次のような手紙を書いています。

 シャーロック・ホームズに関する貴論文拝見、大いに楽しませていただきました。このような主題についてこれほど労力を費やしてくださる人がいるとは驚きです。しかし私よりはるかによく知っておられますな。私は何しろ気楽に書いて読み返さなかったもので。矛盾が (特に年月日の食い違いが) あれだけで済んで胸をなで下ろしております。むろんホームズはだんだん変わってきている。初めの『緋色の研究』では単なる計算機械であった。しかし、書き継いで行くうちに、やはりこれはもう少し教養のある人物にしなければと思ったのです。ホームズは情愛というものを一度も見せたことがない。芝居になったものは別ですが、あれはご引用の碩学の一人も言うように、少々調子外れで彼には似合わない。博学なザウヴォッシュも指摘していない点があるとすれば、冒険のうち相当の部分が (四分の一くらいか) 法律上の犯罪には関わりがないということでしょう。もう一つ、自分ではひそかに満足しているが人が言ってくれたことがないのは、ワトソンがコロスとして記録者としての限界を踏み越えたことがない、ということです。知恵の閃きなどは一度たりとも示したことがない。遺憾ながら機知のかけらもないわけですが、そこがワトソンのワトソンたる所以なのです。

 それではシャーロキアーナの濫觴である有名な論文をお読みください。


 人生の快事は、すべきでないことをしてしまうことである。批評の醍醐味は、発見すべきでないものを発見してしまうことである。批評とは、作家が重視しなかったものを重視し、些事を取り出してこれが本質だと断言する方法である。つまり、蕪について一書を物した作家がいたとすると、現代の研究者はそこから 「彼の夫婦仲はどうだったか」 を読み取ろうとする。詩人が金鳳花をうたえば、その一語一句を取り上げて 「来世をどう考えていたか」 を詮索する。これは実に面白いので、同じやり方で、我々がアリストファネスから経済学のかけらを引き出そうとするのは、アリストファネスが経済学など知らなかったからである。シェイクスピアに隠された暗号を見つけてやろうとするのは、むろんシェイクスピアが暗号など書き込まなかったことを薄々知っているからである。ルカ伝をひねくり回して共観福音書がどうのこうのと言い出すのは、聖ルカは何しろ昔の人だからそんな厄介な問題は知らなかったからである。

 ところで、この方法をシャーロック・ホームズに適用するのは、また格別に面白い。これはある意味ではホームズ自身の方法だから。「些事が一番大切だというのが昔から私の信条です」 と彼が自分で言っている。これは彼の生涯の事業を貫く金言であった。それに、人の性格は些細なこと、一見何の重要性もないことから分かる――これは我々司牧にたずさわる者も心すべきことではないか?

 ホームズ文献の研究など学問にあらずと人は言うかも知れない。これに対しては、何でも学者の研究に価するのだ、研究方法さえ徹底的組織的ならば、と答えたい。さらに、現下の情勢では、我々はシャーロック・ホームズの方法をもっと学ぶべきだと主張したい。彼のなした悪は生き残り、善はライヘンバッハの滝壺に沈んでしまった。ホームズを読んだせいでコカイン摂取の悪習を身につけた者が多いのは周知の事実である。それにスコットランド・ヤードはどうだ。ホームズにあれだけからかわれ手本を示してもらったのに、少しも学んでいないではないか。『赤毛連盟』 で悪党どもが銀行の金庫に向けてトンネルを掘っていると知ったとき、ホームズはどうしたか。ランタンを持って地下で待ち伏せし、入ってきた犯人を落ち着いて取り押さえた。ところが先般ハウンズディッチでそっくり同じたくらみがあったとき、警察はどうしたか。巡査の一隊を差し向けた。巡査たちは現場のドアをたたいて 「強盗が入ったぞ」 と叫んだので、かわいそうに犯人に射殺されてしまった。残党を駆り立てるのに、内務省が今度は銃を持たせた大部隊と消防隊まで派遣しなければならなかったのである。

 シャーロック・ホームズの研究は、何よりもまずワトソン博士の研究でなければならない。それでは問題の文献学的書誌学的側面に取りかかろう。まず真正性である。ホームズ譚には重大な矛盾点が多々ある。『緋色の研究』 は Being a Reprint from the Reminiscences of John H. Watson, M. D., Late of the Army Medical Department と副題があるから、ジョン・H・ワトソンが書いたことに間違いはない。ところが 『唇の捻れた男』 ではワトソン夫人が夫を 「ジェームズ」 と呼んでいる。一体どういうことか? 筆者はかつて兄弟四人連名でサー・アーサー・コナン・ドイルに手紙を書いて説明を求めた。むろん署名の後には十字の印を四つ付けて、これは 「四つの署名」 ですと書いたのである。答えは、あれは間違い、編集の手抜かり、というものだった。碩学ザウヴォッシュのいわゆる 「Nihil aliud hic latet, nisi redactor ignorantissimus. 別に隠し事なし、編者トンチキなりしのみ」 である。しかし、この間違いがバックネッケの 「ワトソン二人説」 を生んだのである。バックネッケは、『緋色の研究』、『グロリア・スコット』、『シャーロック・ホームズの帰還』 が 「第二ワトソン」 の手になるものだと主張する。『思い出』 (グロリア・スコットを除く)、『冒険』、『四つの署名』、『バスカヴィル家の犬』 は、本物のワトソンが書いたのだという。彼が 『緋色の研究』 の真正性を否定するのには独自の理由がある。たとえばこの本では文学と哲学に関してホームズの知識はゼロだと断定しているが、ホームズが博覧強記で深遠な思索家であったことは明白ではないかというのである。この点については我々も後に論じよう。

 バックネッケが 『グロリア・スコット』 をダメだというのは、一つにはここでホームズが自分はカレッジに二年いただけだと言っているからである。一方 『マスグレーブ家の儀式』 では、大学での最後の二年云々と言っている。これを見ても二つの作品が同一人物の手になるとは考えられないというのである。さらに 『グロリア・スコット』 ではヴィクター・トレバーのブルテリアが礼拝堂に行く途中でホームズに噛みついたとあるが、これはおかしい。オックスフォードでもケンブリッジでも大学構内に犬を入れてはならないのだから。バックネッケ曰く。「本編がワトソンの神品の言語道断な模造品たることは、礼拝堂のブルテリアの一事をもって明らかである」。さらに、ホームズ譚は典型的には11の構成要素 (後述) からなるのに、グロリア・スコットにはこれが4つしかない、本物と比べて割合が低すぎるというのである。私自身は、確かに変則的ではあるが捜査の例外的な性格上こうなったまでだと考える。そのほかの二点も些細な間違いであって、これほど大がかりな議論を支えるにはやや弱いと見る。グロリア・スコットも緋色の研究も真正なホームズ伝中の挿話であると私は考えたい。

 より深刻な問題は 『最後の事件』 である。ここでホームズは一旦死んだとされたが、その後無事に (それどころかずっと元気になって) 帰還したのだというのだが? 『帰還』 の方が本物で 『最後の事件』 はワトソンのでっち上げだとする論者も多い。たとえばムッシュー・ピフプフは言う――これはよくある手品に過ぎない。ヘロドトスが書いているザルモキス (別名ゲベレイジス) を見よ。彼はゲタイ人をだまして二年間地下に潜んだ後再び現れて不死を説いたではないか。結論としてピフプフ氏は言う。「シャーロック・ホームズはライヘンバッハに沈まなかった。沈んだのはウソで固めたワトソンの泥船だ」。同じようにビルゲマン氏は、これはエトナの噴火口に身を投じたエンペドクレスの故事を真似したのだと言う。残されたアルペン・シュトックが、噴火で戻ってきたあの有名なサンダルにあたるわけである。「最後の事件でワトソン号は転覆沈没したのだ」 と彼も言う。

 反対に 『最後の事件』 が真正で 『帰還』 の方がニセモノだと主張する論者もいて、バックネッケはもちろんこちらの仲間である。『帰還』 がオカシイという論拠には三種類ある。すなわち (a) ホームズの性格と方法の変化、(b) 話自体が成り立たないケース、(c) ホームズに関して以前から知られている事実との矛盾である。

 まず (a) について。本物のホームズは依頼人に対して失礼な態度を取ったことがない。ところが 『三人の学生』 ではヒルトン・ソームズ氏に懇願されて 「仕方ないとでも言うように肩をすくめ」 てみせる。本物のホームズには犯罪を渇望するなどという病的なところは少しもない。しかるに 『ノーウッドの建築業者』 では、ジョン・ヘクター・マクファーレンが自分は逮捕されるかも知れないと言うと、「逮捕される! すばらし….、いや、興味深い」 と叫ぶではないか。『帰還』 には捕まえた犯人をあざけるシーンが二度あるが、むろん本物のホームズは職業倫理もあるからそんなことはしない。ニセモノのホームズは依頼人の女性を何とクリスチャン・ネームで呼ぶ。芝居になっておかしなホームズ像ができてしまったので、作家がこれに影響を受けたとでも考えなければ説明がつかない。仕事中はわざわざ断食するというのも変な話で、本物のホームズは 『五つのオレンジの種』 のときのように熱中のあまり食事を忘れるだけだ。ホームズがシェイクスピアを引用するのは『帰還』の中だけである。ちなみに三度引用しているが、シェイクスピアの台詞だとは言っていない。『踊る人形』では珍妙な論理を展開する。『孤独な自転車乗り』 でワトソンを一人で現場にやったのも異例である。『バスカヴィル家の犬』 では本人もダートムアまで出かけてひそかに事件の進展を見守っているのに。本物のホームズは分割不定詞を使わない。ところが 『帰還』 では少なくとも三度使っている。

 (b) 話自体が成り立たないケース。大学の奨学生試験の問題を印刷するのが試験前日などということがあるだろうか? (ちなみにこの大学はケンブリッジではなくオックスフォード。中庭を指す quadrangle という言葉が使われているから。) 試験問題はトゥキディデスの一章の半分だけでよいのか? これを試験官が校正するのに要する時間は一時間半か? この半章が三枚続きの用紙になるだろうか? あるいは鉛筆に JOHANN FABER というメーカー名が書いてあったとして、削り屑に NN の二文字だけが残るというのはどういう削り方か? さらにJ・A・スミス教授は、自転車の前輪と後輪のタイヤ跡を見て往きか帰りかは判定できないとしている。

 (c) 矛盾点も多い。『孤独な自転車乗り』 では新郎新婦と牧師だけで式は滞りなく行われたことになったのに、『ボヘミアの醜聞』 では、立会人がいなければ結婚は無効だというので、浮浪者に化けたホームズが花嫁の父の代わりを務めさせられている。『最後の事件』 で警察は 「モリアーティを除いて一味全員を捕まえた」 はずなのに、『空き家の冒険』 を見るとモラン大佐だけは証拠不十分だったらしい。『帰還』では悪の巨魁の名前はジェームズ・モリアーティ教授である。ところが 『最後の事件』 ではジェームズというのは教授の兄の軍人の名前になっている。もっとひどいことがある。『空き家の冒険』 では、ホームズの人形に 「古いねずみ色のガウン」 を着せている。しかし読者は忘れていないはずだ。『唇のねじれた男』 の謎を解くためにシャグ煙草を一オンス吸って徹夜したとき着ていたは、「青いガウン」 だったのだ。ムッシュー・パピエ=マシェは 「この探偵はカメレオンですか?」 と皮肉を言う。ザウヴォッシュはもっと荘重である。彼は旧約聖書のヨセフの故事 (創世記第三十七章) を引いて言う。「彩れる衣のペテンに使はれしは前にためしあり。我らがシャーロックはヨセフのごとく消え失せたり。悪しき獣ワトソン彼を喰へり」

 このような批判に私は賛成である。しかしワトソン二人説には与しない。ホームズ譚はすべてワトソンが書いたことは間違いないと思う。ただ、事実の記録である本物の冒険と、ワトソン一人ででっち上げたニセモノがあるのだ。つまり真相はこういうことである。ワトソンは少々道楽者で金遣いが荒かった。これは 『緋色の研究』 の冒頭部分で分かる。彼の兄も、懐中時計のネジ巻き穴の傷を見てホームズが推理したように大変な呑兵衛だった。弟の方も独身時代はクライテリオン・バーなどに出没していた。『四つの署名』 でも昼飯にボーヌの赤ワインを過ごして妙な振舞いをしている。未来の妻には 「マスケット銃がテントを覗いたので二連の虎の子をぶっ放した」 とアベコベを言い、ショルト氏には 「ヒマシ油は二滴以上はダメです、鎮静剤としてストリキニーネを大量に用いなさい」 と無茶苦茶なアドバイスをしている。どういうことか? ワトソンから預言者エリヤが離れたのである。つまり、細君が死ぬと (これは我々も知っている)、昔の敵アルコールにまた捕まってしまい、なおざりにしていた医業は遂に消滅してしまった。何とか生計を立てなくてはならない。そこで、昔は忠実に記録していた数々の冒険の挿話を継ぎ接ぎしてまがい物を作り始めたのである。

 ザウヴォッシュは、ワトソンが他の作家や自身の初期作品に負うところを列挙している。ホームズがチベットでダライラマのもとに滞在したというのは、ニコラ博士にオリジナリティーがある。『踊る人形』 の暗号はエドガー・アラン・ポーの 『黄金虫』 の真似である。『チャールズ・オーガスタス・ミルヴァトン』 にはラッフルズの影響がある。『ノーウッドの建築業者』 は 『ボヘミアの醜聞』 に似ている。『孤独な自転車乗り』 と 『ギリシャ語通訳』、『六つのナポレオン』 と 『青いガーネット』、『第二の汚点』 と 『海軍条約事件』、こうして比べてみると二番煎じが随分あるではないか。

 さて次は各事件の年代決定である。明示的黙示的な内的証拠によれば次のようになる。

(1) グロリア・スコット――ホームズ最初の事件
(2) マスグレーブ家の儀式――二番目の事件
(3) 緋色の研究――ワトソン登場。「ホームズと私は……」がここで始まる。1879年。
(4) まだらの紐――I883年
(5) ライゲイトの地主――1887年
(6) 五つのオレンジの種――同年
(7) 四つの署名――1888年。ワトソンの婚約。
(8) 独身貴族――すぐ後でワトソンが結婚する。
(9) 背の曲がった男――上記のすぐ後
(10) ボヘミアの醜聞
(11) 海軍条約事件

 明らかにこの順序である。

 1888年のある時期に (12) 株式仲買店員、(13) 花婿失踪事件、(14) 赤毛連盟があったと推定できる。1889年6月に (15) 唇の捻れた男 である。(16) 技師の親指はこの年の夏だった。(17) 青いガーネットはクリスマスから8日間のうちである。最後の事件は1891年と明記されている。シルバー・ブレイズ、黄色い顔、入院患者、ギリシャ語通訳、緑柱石の宝冠、ぶな屋敷は、明らかにワトソンの結婚前のことである。ボスコム谷に出向いたのは結婚後である。これらは年月日なしである。

 あとは 『バスカヴィル家の犬』 であるが、これは1889年のことだとはっきり書いてあるから 『帰還』 の後だとは言えない。ところがザウヴォッシュはこれをニセモノだとし、その根拠としてタイムズの社説が自由貿易問題を扱ったのは1903年以後のことだという。これは内的証拠に基づく議論のごとくであるが、成り立たないのである。聖書についてブラント教授に 「意図せざる一致」 という議論があるが、あれに似た方法で、この事件は遅くとも1901年以前であることが証明できる。警察を訴えてやるという偏屈爺さんがワトソンに向かって 「やつらも今度の 『フランクランド対女王』 の訴訟で思い知るじゃろう」 などと言ったはずである。ところが周知のようにヴィクトリア女王の崩御とエドワード王の即位は1901年である。

 『バスカヴィル家の犬』 ニセモノ説の根拠とされるものはほかにもあるが、いずれも不十分で取るに足りない。ホームズが 「猫のように清潔好き」 なのも、「彼の手は絆創膏だらけだった」 という 『緋色の研究』 の記述と別に矛盾するわけではなかろう。もっともバックネッケは、これを盾にして 『緋色』 の方がニセモノだと言うのだが。もっと重大な問題はワトソンの朝食の時間である。緋色の研究でも 『冒険』 でもワトソンはホームズより後に起きてきて朝食を取る。ところが 『バスカヴィル家の犬』 ではホームズの朝食時間は遅いとある、これはいかにというのだが、なに簡単なことで、ワトソンはもっと遅かったというだけである。

 かくして我々は研究の基礎として 『四つの署名』、『緋色の研究』、『バスカヴィル家の犬』 の3長編、全部で23の短編 (12編が 『冒険』、11編が 『思い出』 に収録)を得た。次に検討すべきは、まず作品の構成、次に先行作品からの影響である。前者については、ドイツの碩学ラッツェガーの説が広く受け入れられている。すなわちホームズ譚は基本的には11の構成要素からなるというのである。この11の要素が出現する順序は変わる場合もある。個々の事件の記録については、ホームズ譚の Idealtypus (理念型) に近ければ11全部あるいは大部分が含まれ、理念型から遠いものには含まれる構成要素が少ない。11全部が含まれているのは『緋色の研究』だけである。『四つの署名』 と 『シルバー・ブレイズ』 には10、『ボスコム谷の謎』 と 『緑柱石の宝冠』 には9が含まれる。『バスカヴィル家の犬』、『まだらの紐』、『ライゲイトの地主』、『海軍条約事件』 には8である。『五つのオレンジの種』、『背の曲がった男』、『最後の事件』 には5で、『グロリア・スコット』 には前述のように4しか含まれない。

 11の要素の初めは (1) Prooimionである。おなじみのベーカー街の一室から話が始まり、性格の描写があり、ときには探偵が見事な推理を披露する。次の(2) Exegesis kata ton diokonta は最初の説明である。ここで依頼人が事件の陳述を行う。(3) Ichneusis は探偵自身による調査である。例の四つん這いシーンがあることも多い。(1) はまず不可欠で、(2) と (3) もたいていはある。次の三要素はない場合も多い。すなわち (4) Anaskeue では現場に到着した警察官が自分の説を述べるのに対してそれは違うと言う。(5) 第一の Promenusis (exoterike) では警官にも少々ヒントを与えてやるが、向こうは頑固で聞き入れない。(6)第二のPromenusis (esoterike)ではワトソンだけに捜査の方向性を暗示してやるが、これは 『黄色い顔』 の場合のように見当違いのこともある。(7) Exetasis では公判記録 (親族や召使の尋問などを含む) を調べ直し、死体があれば検分し、公文書館に赴き、さらには変装して聞き込み捜査をすることもある。(8) Anagnorisisでは犯人の逮捕、少なくとも犯人の正体の暴露がある。(9) 第二のExegesis (kata ton pheugonta) は犯人の告白である。(10) Metamenusis では何が手掛かりだったのか、それをどう辿ってきたのかをホームズが説明する。(11) Eiplogos で大団円であるが、これはたった一つのセンテンスであることも多い。ともかく締め括りだから Prooimion 同様に不可欠である。箴言や有名作家の引用が使われることも多い。

 『緋色の研究』 はある意味でホームズ譚の典型であり理念型であるが、同時にその祖型でもあって、後にはここから切り捨てられた要素もある。『緋色の研究』 の場合、Exegesis kata ton pheugonta は犯人の告白の代わりに三人称の物語がくっついた形になっていて、これが不釣り合いなほどのスペースを占めている。これはガボリオの影響であろう。彼の 『ルコック探偵』 の第一部 『探偵の悩み』 は犯人 (もちろん公爵) を突き止めるまでを描き、第二部 『探偵の勝利』 は公爵家の歴史をフランス革命まで遡る。ルコック探偵は最終章になってやっと顔を出すのである。この 「物語内物語」 の方法はどうしても長ったらしく煩わしくなる。しかしフランスではまだ廃れていないようだ。『黄色い部屋の秘密』 では謎が解明されないまま残り、続編は 『黒衣婦人の香り』 ということになる。

 ワトソン博士の絶妙な語り口に比肩するものを探すとすれば、ガボリオ、ポー、ウィルキー・コリンズ等の徒輩だけを見ていてはだめなのである。ムッシュー・ピフプフは 『ワトソンの心理学』 の中で、プラトンの対話篇やギリシャ悲劇との類縁性を強調している。プラトンの 『国家』 に、トラシュマコスがむりやり議論に割り込んできて 「ソクラテス、馬鹿げているじゃないか」 などと怒鳴りまくるシーンがある。これなどアセルニー・ジョーンズ登場の場面とそっくりではないかというのである (「ほう、事実を認むるに恥ずることなかれ。しかしこれはどうだ。ひどい、実にひどい。厳粛なる事実だ。理論なんぞの余地はありませんぞ」)。数日後別人のようにしょげきって現れたジョーンズ警部は赤いハンカチでしきりに汗を拭いたとあるが、これなどソクラテスが 「わしはトラシュマコスが顔を赤らめるのをはじめて見たよ」 と言うのを思い起こさせるではないか。グレッグソンとレストレードの両雄が揃うこともある。もちろんこれは間違い方というものは一つではないことを示すためである。

 しかし重要なのは単にスコットランド・ヤードを批判するということではなくて、その批判の性質である。ルコックにもむろんライバルはいた。ところがこのライバルというのが彼の上司なのに悪意で邪魔をして、あろうことか囚人が独房の窓越しにメモを受け取るのを見逃してやるのである。レストレードのライバル意識にはむろんこのような唾棄すべき要素はない。プロの誇りであり、本職がアマチュアに反発しているのである。ソクラテスがソフィスト連中に憎まれたのは報酬を取らなかったからである。ホームズも報酬を受けた事件はほとんどない。『ボヘミアの醜聞』では初めに1000ポンドを受け取っているが、あれは当座の費用ということだったから後で精算したはずである。終幕ではエメラルドの指輪をくれるというのを断っている。シティ・アンド・サバーバン銀行に対してもかかった経費だけいただければ十分ですと言う。ストーナー嬢には 「報酬のことですが、私には仕事そのものが報酬なのです」 と言う。一方、緑柱石の宝冠を3000ポンドで買い戻したときはホルダー氏から4000ポンドを受け取っている。『緋色の研究』 では 「僕は連中の話を聞き、連中は僕の意見を聞く。それで料金をいただくわけさ」 と言う。『ギリシャ語通訳』 では探偵業で生計を立てていると認めている。『最後の事件』になると、スカンディナビアの王室やフランス政府から十分な報酬を受けたから引退して化学の研究に打ち込むこともできるのだと言っている。こうして見るとホームズも報酬を受けることはあるが、依頼人が支払えるときに限るらしい。それにしても役人ではなくフリーランスだから、昇進のことなどであくせくする必要はない。さらに方法が正反対である。ホームズは一旦捜査に取りかかれば枝葉の問題や眼前の事実によって惑わされたりはしない。これがソフィストの輩との違いである。

 プラトンからはソフィストを借りたとして、ギリシャ悲劇からは少なくとも一つの要素を採り入れている。ガボリオにはワトソンがいない。ルコックの相棒は兵隊上がりの年寄であるが、これはまったく愚鈍で無能で役に立たない。ワトソンの役割は何かというと、彼はギリシャ悲劇のコロス (合唱隊) なのである。ワトソンは堅実穏当中正なふつうの市民の代表である。彼の凡庸さは主役が脚光を浴びるにつれて引き立つ。情況がどう変わってもワトソンだけは揺るがない。コロスの役割についてホラティウスはこう言う。

 コロスは善人の肩を持ち、親切な助言を与え、
 怒った者を制止し、過ちを恐れる者に味方せねばならない。
 コロスは質素な食事をほめ、恩恵をもたらす正義と法と
 城門が開かれたままの平和を称えねばならない。
 コロスは秘密を守り、不幸な者には運が巡ってくるように、
 傲慢な者は運に見捨てられるようにと、神々に祈らねばならない。

 「ワトソンはコロスである」 という重要な発見はサバリニオーネ教授の功績である。教授は 『まだらの紐』 とアイスキュロスの 『アガメムノン』 を比べている。

ホームズ 「ベッドは動かせなかった。通風孔とロープに対する位置が変えられないようにしてあったのだ。あれは呼び鈴用でないことは確かだから」
ワトソン 「ホームズ、君の言うことがおぼろげながら分かってきたような気がする。恐るべき巧妙な犯罪がまさに行われようとしているのじゃないか?」

カッサンドラ 「雄牛を雌牛に近づくるなかれ。黒き角の獣、たくらみの網にかかりて屠られ、湯に倒れん。まがまがしき大釜を恐れよ」
コロス 「我らよく予言を解するにあらねど、窺い知る、恐るべき禍の差し迫りたるを」
(アガメムノンは入浴中に網でからめられて斬殺される。コロスは知らないが観客にはこれが分かっている。)

 ワトソンはコロスと同じように常に舞台上の出来事を見ている。この点では読者と同じ立場にあるはずだ。しかしコロスと同じように、恐るべきたくらみを見破ることはできない。

 そして、このワトソンのしるしは何か? それは彼の山高帽である。これはただの山高帽ではない。彼の祭服であり聖務のしるしなのだ。ホームズはほかの帽子をかぶることもある。しかしワトソンは山高帽を脱がない。深夜のダートムアでも、ライヘンバッハの断崖上でも。掌院やラビが冠を欠かさぬように、ワトソンは山高帽をかぶり続ける。これを脱がせるのはサムソンの髪をデリラが刈り取るようなものだ。ピフプフ氏は言う。「ワトソンと彼の山高帽、これは切り離せない」。これは単なるウールの冠り物ではない。彼のペタソス (ヘルメスの帽子) であり、司教冠であり、三重宝冠であり、光輪である。この山高帽は、不易不動のもの、法と正義、全き秩序、人倫の道、獣性に対する人間性の勝利を象徴するのだ。俗悪無惨な犯罪界を見下ろして、この山高帽は亭々とそびえ立ち、恥じ入らせ、癒し、聖別する。その縁の曲線は完璧な均斉の曲線であり、頭頂の丸みは世界の丸みである。サバリニオーネ教授は言う。「依頼人たちの帽子からはその習慣や性癖が分かる。ワトソンの帽子からはその品性が分かる」。ワトソンはホームズにとってすべてである。彼の主治医であり、引き立役であり、哲学者であり、親友であり、同志であり、伝記作家であり、司祭である。しかし彼が歴史にその名を残すとすれば、それは不撓不屈の山高帽着用者としてなのである。

 レストレードやグレッグソンはソフィストであり、ワトソンはコロスであった。とすれば依頼者は何にあたるか? 犯人は何にあたるか? ここで留意すべきは、彼らはあくまで脇役に過ぎないことである。パピエ=マシェ氏は言う。「ホームズ譚で殺人犯に何ら重みがないのは、マクベスで実際に手を下した者らがどうでもいいのと同じだ」。ホームズ自身、「君はとかく話をセンセーショナルにしたがる」 とワトソンを詰っているが、これは酷というものであろう。ワトソンは犯人に個人的関心など持っていない。ガボリオの公爵に対する態度とは違うのである。ホームズ譚における犯人と探偵の関係は、獲物と猟犬の関係に過ぎない。この点、『黄色い部屋の秘密』はちょっとひどい。何しろジャック・ルルタビーユが実は――の私生児だったというのだから。またチェスタトン氏の『ブラウン神父』のように高等遊民が高邁な宗教的動機から犯罪に走るなどということは、ホームズ譚ではあり得ない。依頼人はすべて模範的であって、過不足なく事情を説明する。犯人もまた模範的であって、所与の条件下で犯人としてできる限り抜け目のないことをする。ソクラテスならこう言うだろう。「最良の探偵が捕まえることができるのは最良の犯人だけだ」。実際、犯人が少しでもヘマをすればホームズの推理は崩れてしまうのである。愛憎と金銭だけが犯人の動機であり、獣性と奸知がその不変の属性である。

 かくして我々はようやく中心人物にたどり着き、その複雑にして多面的な人となりをうかがう手掛かりを探すのである。しかしここには大いなるアイロニーがある。ホームズは自分を人ではない、機械であり猟犬であるとしていたからである。「人は無、作品がすべて」 が彼の鍾愛の句ではなかったか。

 シャーロック・ホームズは代々の地主の家に生まれた。祖母はフランスの画家の妹であった。兄のマイクロフトは我々も知っているように弟より才知に長けているが、ホームズの言葉とワトソンの記録が信頼できるとすれば、政府の会計検査をやっている。シャーロックがパブリック・スクールに行ったかどうかは分からない。ワトソンはパブリック・スクールに行った。学友の一人は保守党の大物政治家の甥だったというが、この甥をみんなは 「運動場で追いかけ回してウィケットで脛をひっぱたいた」 というのだから、この学校には貴族の子弟などはほとんどいなかったらしい。したがってイートン校などではないことになる。大学についてはよく分からない。ただケンブリッジ周辺の景色ははじめて見ると 『思い出』 の中で本人が言っているが、もちろん本人の言葉が信用できるとは限らない。ホームズの大学時代についてはこれよりもよく分かっている。彼は内気な性質で、スポーツはボクシングとフェンシングしかやらなかったから、友だちは少なかった。友だちの一人ヴィクター・トレバーは、オーストラリアの金鉱で一財産作ったという前科者の息子である。もう一人のレジナルド・マスグレーブの祖先は1066年に征服王ウィリアムについて来たのだというから、これは正真正銘の貴族である。ホームズは 「僕がカレッジにいたときに云々」 というが、どのカレッジだろう? それよりもまずオックスフォードとケンブリッジのどちらなのか。科学ならケンブリッジだと言う向きもあろうが、これはおかしい。科学者になりたいのなら二年でやめるはずがない。友だちが二人とも大金持ちで、一人は貴族、もう一人もかなり派手な暮らしをしていたこと、それにホームズほどの才能が目立たなかったことを考えると、オックスフォードのクライストチャーチ・カレッジだったのではないかという気もする。しかしこれには確証がない。

 ホームズがオックスフォードに行ったとしても、「グレイツ」 の課程 (古典語、哲学、古代史) を取ったのではない。それにしても、『緋色の研究』 の中でワトソンが作った例の「シャーロック・ホームズの特異点」 の表で 「哲学の知識ゼロ、文学の知識ゼロ」 とあるのは不正確であろう。これはどういうことかというと、ホームズも初めは用心してワトソンが信頼できる人物だと見極めがつくまで隠していたのだろう。後になると、ハフィーズとホラティウスの比較論をする、タキトゥス、ジャン・パウル、フロベール、ゲーテ、ソローなどを引用する、ボスコム谷に向かう汽車の中ではペトラルカを読むという具合である。ただ哲学にはあまり興味がないらしい。もっとも科学方法論には一見識を有しているが。哲学をやった者なら 「まず不可能事を除去する。そして残ったものが、いかに不可思議でも真実に違いない」 などと大雑把なことは言わない。観察と推論を混同するはずがない。ホームズはワトソンの泥靴を見て 「君が郵便局へ行ったことが分かるのは観察のおかげだ」 と言うが、ここには推論が働いていなければならない。一瞬のうちに行われるから、「陰伏的推論」 とでも呼ぶべきかも知れないが。しかしホームズは感覚論者ではなかった。実在論者の信仰告白として 『緋色の研究』 の中の彼の言葉ほどふさわしいものがあろうか。「演繹的推理の長い連鎖に対して一つの事実が反するように見える場合は、必ずその事実には何か別の解釈があり得る――もうこれが分かってもいいはずだ」

 ここでいわゆる 「演繹の方法」 について一言しておく必要があるだろう。ムッシュー・パピエ=マシェはこれがガボリオの剽窃だと主張する。ムッシュー・ピフプフは有名な論文 「Qu'est-ce que c'est que la deduction? 演繹とは何か」 で、ホームズの方法は演繹ではなく帰納であると断言する。二人の間違いには共通点がある。そもそもルコックなどと比べるからダメなのだ。ルコックにも観察力はある。雪の上の足跡に気づくのだから。推論の力もある。足跡を残した人物の行動を推理することができるのだから。しかし彼には演繹の方法がないのである。「さてこの男は次にどうしただろうか」 と、坐って考えないのである。ルコックにはレンズとピンセットはあるが、ガウンとパイプがないのである。だからしばしば途中で筋道が分からなくなり、そのたびに偶然に頼ることになる。これに対して、ホームズが絶対に偶然を当てにしないのは、奇蹟を祈ったりしないのと同じである。ルコックは捜査が長引いて途方に暮れると、安楽椅子探偵のもとに赴く。この人物が「これこれのことが起こったはずだ」と教えてくれるのである。パピエ=マシェ氏はこの人物こそマイクロフトの原型だと主張するが、大間違いのコンコンチキである。誰の原型かと言えば、シャーロックの原型なのである。ルコックはフランス版のスタンリー・ホプキンスに過ぎない (レストレードだと言ってもよいくらいだ)。ホームズ自身が観察(あるいは推論)と演繹の違いを説明してくれている。ワトソンのズボンに付いた泥を見て郵便局へ行ったと分かるのは、ア・ポステリオリな観察によってである。ワトソンのデスクに切手も葉書もたくさんあったから郵便局へ行ったのは電報を打つためだと分かるのは、ア・プリオリな演繹によってである。

 さて次はホームズの二つの面、暇なときの彼と仕事をしているときの彼を見てみよう。ホームズが無聊と安逸を嫌うことはワトソンの比ではない。ワトソンは足が速いと主張しているが、これは本人がそう言うだけのことで、いつでもホームズにはかなわない。このほかにワトソンの運動能力の証拠としては、発煙筒を窓から投げ込んだことが一度あるだけだ。ホームズの方はボクシングとフェンシングをやり、退屈で困ると安楽椅子にかけたままピストルを撃って向かいの壁を 「V. R という愛国的文字で飾る」 ことさえある。バイオリンの演奏は、ワトソンと知り合ったころには暇つぶしであったが、後には厳しい仕事の後で緊張をほぐすためであった。ここで強調しておかねばならないのは、彼の音楽がコカインとは全く違うことである。確かにコカインを用いたこともあるが、仕事に備えて頭脳を刺激するためではなかった。刺激が必要なときはいつも煙草であった。「シャグ」を吸っていたことは誰でも知っているが、パイプは何を使ったかと聞かれてすぐ答えられる人は少ないだろう。時と場合によって使い分けたのである。ネヴィル・セント・クレアの家で夜明かしをしたときはブライアーのパイプだった。これは難しい問題に取り組むときに用いる。『花婿失踪事件』 のときのようにじっくり考えて問題を解きほぐすには 「ヤニで黒くなった陶製のパイプ」 が 「相談相手」 である。『ぶな屋敷』 では 「桜材の長いパイプ」 を取り上げる。瞑想にふけるより議論をしたくなったときはこれに限るのである。一度ワトソンに嗅ぎ煙草をすすめたこともある。ワトソンの方は、ホームズと同居し始めたころは 「シップ」 を吸っていたが、そのうちにもっときつい 「アルカディア・ミクスチャー」 に変えたようだ。かなり高価なものらしいが、結婚してやりくりが大変でも (待合室がリノリウム張りというのだから豊かなはずがない) これを吸い続けている。しかしホームズのパイプは、ワトソンのパイプなどと同日の談ではない。あの不朽の名句 「パイプ三服分の問題」 は彼のものである。ホームズこそは世界で最も偉大な喫煙者なのである。

 次は仕事中のホームズである。依頼人が現れると彼はたちまち元気になる。最近の 『悪魔の足』 でも 「パイプを口から離し、猟師の掛け声を聞いた猟犬のように椅子に坐りなおした」 ではないか。それから床に鼻をこすりつけんばかりにして、煙草の吸い殻だの、オレンジの皮だの、入れ歯だの、犯人が残していったものを探し回る。ポーランドの碩学ビンスク氏曰く。「こは人にあらず。獣か、はた神か?」

 この 「非人間的だ」 という批難に対して、私はホームズを擁護したいのである。確かに、死後どの程度打撲傷がつくか確かめるのだといって解剖室の死体をステッキでたたいてまわったこともある。科学一点張りであって、『四つの署名』 の次のシーンなどひどいものではある。

モースタン嬢 「その日から今日まで、父の消息は一切不明なのでございます。父は静かな休暇を楽しみに帰ってまいりましたのに、それが……」 彼女は喉に手を当てた。嗚咽で言葉がとぎれた。「年月日は?」 と言ってホームズは手帳を開いた。

 ホームズが犯人を捕まえようとするのは、ワトソンと違って正義感からではなく純粋に科学的関心からであるとも言われるが、果たしてこれは正しいのか。このような断言は事実の反面しか見ていないのである。フットボールはゴールのためにするのか、運動のためにするのか? 人間性と科学はホームズにあって奇妙なブレンドをなしている。あるときは 「女は信用できんよ。よほど立派な女でもねえ」 などと言う (臆病者め!)。あるいは 「謙遜を美徳の一つに数えるのには反対だ。論理家は物事をすべて正確にありのままに見なければならないから」 と主張する。『海軍条約事件』 では薔薇の花の美しさと宗教について説教めいたことを述べ立てたが、あれは窓枠の傷を調べているのをごまかすためだった。あるいは 「ちょっといける白ワイン」 があると言うかと思えば、秘蹟劇、ストラディヴァリウスのバイオリン、セイロンの仏教、未来の軍艦などについて蘊蓄を傾ける。

 ここでは特にホームズが事件の捜査中に示す人間的側面に注目したい。一つは芝居がかりを好むことである。ジョン・オープンショー殺しの犯人どもにはオレンジの種を五つ送りつける。留置所までわざわざスポンジを持って行って唇の捻れた男の顔を拭いてやる。海軍条約は皿に載せ蓋をかぶせて朝食のテーブルに出す。もう一つは警句を吐きたがることである。公爵から手紙が来たときにはどう言ったか? 「招待状らしい。社交界は困るね、退屈するか嘘つきになるかの二者択一を迫るんだから」。ホームズの警句は一種独特なもので Sherlockismus として知られているが、ドクトル・ラッツェッガーは持ち前の根気で実に百七十三ものシャーロキスムスを収集しておられる。二つばかり例を見てみよう。

 「あの晩の、犬の不思議な行動にご注意なさるとよいでしょう」
 「あの晩、犬は全然何もしなかったはずですよ」
 「それが不思議な行動だと申すのです」 とシャーロック・ホームズは言った。

 「尾行したのです」
 「誰も見えなかったが」
 「もちろん見えるはずがない、私が尾行したのですから」 とシャーロック・ホームズは言った。

 この主題を十分に論ずるには少なくとも二学期間の連続講義を要するであろう。いつの日か閑暇を得てこれに取り組みたいと考えているが、差し当たり、いくつかの手掛かりを示し、研究方法の概略を述べたのが本稿である。

 僕の方法は知っているだろう、ワトソン。適用してみたまえ。

【訳注】
ハウンズディッチ事件
――1910年12月16日夜、東欧出身のアナーキストたちがイースト・エンドのハウンズディッチにある宝石店の地下金庫に向けてトンネルを掘っているとの通報があり、警察が踏み込んだ。ところが英国の警官はふだん拳銃など持たないから、四人の巡査が射殺されてしまった。犯人側は一人が仲間の銃弾で重傷を負った。翌1911年1月1日、犯人がシドニー街の建物に潜んでいることが分かり、内務大臣のウィンストン・チャーチルが直々に包囲作戦の指揮を執った。今度は警察側から発砲したが、建物が火事になり、焼け跡から犯人二人の焼死体が発見された。

大学での最後の二年――『マスグレーブ家の儀式』 では “my last years at the university” と複数を使っている。当時大学は三年制だから、二年生と三年生のときということになる。二年で中退したのなら最後の二年 my last years はおかしいというのが、バックネッケの言いたいことです。

オックスフォードかケンブリッジか――原文では単に which university とか either university とか書いてあるだけです。ホームズがほかの大学に行くことなど考えられない。ワトソンがロンドン大学を出たこともノックスは知っているはずなのに、「大学についてはよく分からない」 ととぼけています。オックスブリッジ以外は大学にあらずというつもりでしょう。University と College は総合大学と単科大学ということではなくて、たとえば 「King's College, Cambridge ケンブリッジ大学キングズ・カレッジ」 のように言う。これはご存じでしょうが念のため。

ザウヴォッシュの国籍――ガウンの色に関するザウヴォッシュの荘重なコメントは、原文では “A coat of many colours has been as a deception used! But in truth Sherlock, our modern Joseph, has altogether disappeared, and the evil beast Watson has him devoured.” フランス人やロシア人ならこうは書かない。こんなふうに used や devoured という動詞を最後に持ってくるのはドイツ人だけだ―― 『ボヘミアの醜聞』 でのホームズの方法を適用すればこれは分かりますね。ちなみにボヘミア王の場合は、まずドイツ語でたとえば “Einschlagige Berichte uber Sie haben wir von allen moglichen Seiten erhalten.” (Einshlagige→aにウムラウト。uber→uにウムラウト。moglichen→oにウムラウト) と書いたのでしょう。「代理の者に処理を委ねれば、その者に死命を制せられることになる」 というので国王陛下自らが英訳なされて “This account of you we have from all quarters received.” という英語になってしまったわけです (erhalten→received)。

Prooimionなど――ギリシャ語のままではなくて、「プロオイミオン(序説)」 のように 「仮名書き(意味)」 の形にしたかったのですが。どなたか分かる方がおられましたら、ご教示ください。

(2005.7.30掲載)

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