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しおり
1.三木清の略歴
2.文化と技術の関係
3.三木清の文化政策論
4.構想力の論理
(14.11.25)  |
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第3章.三木清と文化技術
1.三木清の略歴 (船山信一 平凡社「世界大百科事典」から引用)<09.11.10>
1897年、兵庫県生。1920年京都帝国大学文学部哲学科卒業。卒業論文は「批判哲学と歴史哲学」。22年から25年までドイツ及びフランスに留学。リッケルト、ハイデッガーなどに学んだ。
帰国後、第三高等学校講師となり、26年「パスカルに於ける人間の研究」を出版。27年に上京。法政大学教授就任。「人間学のマルクス的形態」などの諸論文によってマルクス主義の哲学的基礎づけを行う。28年羽仁五郎とともに月刊雑誌「新興科学の旗のもとに」を発刊。また「プロレタリア科学」の発刊に参画。
30年治安維持法違反のかどで起訴され、以後教職から離れる。釈放後、32年「歴史哲学」その他多数の著書・論文を発表し、ジャーナリズムにも活躍。33年には学芸自由同盟に参加しファシズムに対して自由と文化を守るために戦う。日中戦争、太平洋戦争にあたっては<東亜協同体>の理論によって合理性を守りぬこうとした。
42年には陸軍報道班員として徴用されマニラに派遣。45年治安維持法違反のかどで再び投獄され、敗戦後も釈放されず獄死。三木は哲学を講壇から社会へ引き出し、それに政治的批判性を与え、ついにその犠牲者となった。
彼の哲学は、はじめマルクス主義の人間的解釈として<三木哲学>と呼ばれ、後には西田哲学に近づき、それを発展させて<構想力の論理>を提唱。「三木清著作集」16巻(1949〜51)に大部分の著作が収められている。
2.文化と技術の関係
2-1.文化は本質的に技術的<09.11.16更新>
「文化」は「耕作」を語源とし、自然に対して加えられる人為である。耕作の進歩はその技術における進歩であるように、あらゆる文化は技術的である。
経済はもとより、法律や政治にしても、技術化することが進歩である。科学は技術化する要求から発達し、また科学の発達が技術化を発達させた。
文学にとっても技術は不可欠で、文学者にも技術の習得が必要である。科学と文学の技術には相違はあるが、精神において類似している。
すべて生命あるものは技術的である。生物の構造も環境に対する適応の仕方に制約され、適応の仕方は全て技術的である。生物は技術が有機的な器官に結びついているのに対して、人間は機械的な「道具」を作り使用する。(フランクリンの定義:人間は「道具を作る動物」)
動物の技術が本能的に対し、人間の技術は知性的である。文化は全て知性的な技術を基礎としなければならない。
2-2.技術は因果論と目的論の統一<09.11.25更新>
技術は物を作るものであり、自然科学は技術の前提として技術に結びつくことによって自己の認識の確実性を日々に証明している。歴史も文化も人間によって作られるものとして、その基礎にはつねに技術が横たわっている。
技術とは、第一に、その一般的本質において、主観的なものと客観的なものとの統一である。技術はつねに物の客観的な認識(=科学)を前提している。人間は主観として環境に対して独立し、環境を純粋に客観的に捉えることができる。主観的なものであるだけ、客観的なものとの統一を求める。この統一は人間においては技術的に行われる。
第二に、技術は人間の主観的な目的を予想している。主観的な目的と客観的な過程とを結合し統一するものが技術である。技術の本質は「発明」であり、存在しなかったもの、新しいものをこの世にもたらす。
第三に、技術は物を変化することである。主観的なものと客観的なものとの綜合は、技術において物を変化することによって実現される。
技術の本質は、物の客観的な因果関係を人間の主観的な目的に結合する因果論と目的論の統一である。
2-3.技術は文化の理念と一致<09.11.30更新>
技術は人間の主観的な目的を客観的な法則に合致させるように教育する。技術的目的はその時代に与えられている時代的課題に制約されているが、単に客観的なものでなく、どこまでも主観的な意味を持つ。主観的なものと客観的なものとの綜合の過程で主観的なものの支配が実現される。技術は自然に対する人間の支配を可能にすることで人間を自由にする。
全ての人格的・政治的自由は旧体制からの解放として成長し、技術を基礎としてのみ可能である。技術の発展なしには政治的自由の発展も考えられない。技術は主観的なものに対して手段と見られるが、媒介的な統一を通じて主観的なものの現実的な自由が実現される。技術は自由を実現するものとして文化の理念と完全に一致する。
技術の発達のみが人間の労働を軽減できる。技術に対する非難は社会的制約に由来する。技術を社会的制約から解放し、十分に効果を発揮させることが必要である。社会的政治的な行動も技術を離れることができない。かくて文化はそのあらゆる方面において本質的に技術的である。
3.三木清の文化政策論<10.05.14更新>
文化は「公」のもの、公共的なものである。それ故に文化は媒介物として人と人を結合させる機能を持つ。言語がその典型であり、国民文化の根本的なものである。文化政策が果たすべき役割もこの文化の持つ結合機能を十分に発揮させ、わが国の歴史を伝承し未来を創造することにある。
文化政策は心理的側面が大きい。戦前のナチズムや軍国主義の文化統制が影を投げかける。真に求められるのは未来の創造につながる文化政策である。
倉田百三は文化統制が誤った方向に進まないよう知識人も協力すべきと言うが、文化政策に統制は馴染まない。統制など持ち出さなくとも、文化政策は主観主義的自由主義のニヒリズムとは一線を画し、秩序への意志が根底にある。秩序のないところに真の自由はない。
文化政策の目指すところは、第一に、国民に創造の喜びをもたらす生産的文化の確立にある。全ての文化は国民的基礎の上に立って初めて生産的なものになる。
第二に、文化政策は文化至上主義ではない。文学や美術のみでなく生活文化である。日常性を重んじ文化を生活的にするというのがわが国の伝統である。
第三に、外国文化は文化政策に受容される。歴史的生命体である一国の文化にとって、外国文化は環境を意味する。環境の中で育まれてこそ文化はより良きものに成長する。
文化政策は政治の文化性が前提になる。政治は力であるが、文化技術でもある。政策の主体とも言うべき政治に文化性がないならば文化政策は考えられない。その意味で政治家は芸術家でなければならない。
わが国の政治に新風を吹き込むものは何よりも文化政策である。官僚政治の弊害は文化性の欠如により政治家が政治問題の心理的側面に無理解なところにある。(続く)
4. 「構想力の論理」<14.11.25更新>
三木清はドイツに留学し当時最先端の西洋思想を学んだ。帰国後多くの思考を重ね「構想力の論理」に辿りつく。彼の「構想力の論理」における問題意識は、「理性の論理と異なる論理は存在するか、存在するとすれば、それは如何なるものか」ということにあった。
以下、三木清の論旨をフォローし、「構想力の論理」の内容、その現在的意義について検証する。
1.概要
第1章「神話」
そもそも、「構想力の論理」という語は、バウムガルテン(A.G.Baumgarten,1714-62)に由来し「想像力の論理」とも呼ばれた。カントの「判断力の批判」もこれと関連する。バウムガルテンはライプニッツ・ヴォルフ学派の系統に属し、「美学」(aesthetics/英)という学問の名称も彼の造語「Aesthetica」による。バウムガルテンは理性的認識に対して感性的認識に固有の論理を認め、学問としての美学を形作り、後にカントは美学を美そのものの学問ではなく美に対する批判の学問として位置づけた。
三木清は構想力の論理を「行為の論理」に求め、知識の論理である「形式論理」と対比する。
「もしすべての行為はポイエシス(制作)の、言い換えると表現的行為の意味を有するとしたならば、行為の論理は、従来単に芸術的表現について考えられたに過ぎぬ構想力の論理がそれであると言い得るであろう。」
「行為」は本質的に社会的である。人間の心理は歴史的な社会の心理によって制約され、人間の具体的な活動(行為)は形式論理を超える。(従って、)言語・神話・風俗・慣習・制度などすべて(社会の)集団心理の産物と見られるものは形式論理によっては捉えられず、新たに構想力の論理として歴史的な「形の論理」として考えられる。
歴史の主体は抽象的一般的なものではなく、また単なる精神ではない。それは言わば社会的身体を具えたものであり、「身体性」によって個別化されたものである。
あらゆる歴史的なものは「環境」において存在し、環境に働きかけると共に環境から働きかけれる。それは環境を限定すると共に環境から限定されることにおいて同時に主体として自己を自己によって限定していく。そこに歴史的な形が作られる。
構想力の論理は歴史的な形の論理であり、これを「作る立場における論理」である。歴史的な形は単にロゴス的なものでなく、ロゴス的なものとパトス的なものとの統一である。「構想力の論理はロゴスとパトスとの統一」の上に立っている。
(未定稿)

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