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校 章・校 旗 の 歴 史
☆1940年(昭和15年)〜1947年(昭和22年)
 函館市立中学校校章: 本校章は創立の際の校長事務取扱、函館市教育課長田中三郎氏により考案されたものである。
 〔意匠の意味〕 5つの剣鋩は本市史蹟たる五稜郭を象り、同時に実行五原則を表したもの、中央の巴は云うまでもなく本市の徴表にして、その中に「中」の浮彫をなして函館市立中学校たるの存在価値を明示せるものなり。

                             (函館市立中学校生徒必携より)
☆1948(昭和23)〜1949(昭和24)年☆
 函館市立高等学校の校章の歴史も写真も「30年史」にも「50年誌」さえ見られない。
 写真を提供いただいた市高2回生の渡辺宏司さんから次のようにメールをいただいた。
 「函館市立高等学校の校章は函館市立中学校の校章の「中」の字を「高」にしました。
当時の経緯では特に深い意味はなかったように思います。戦後の学制改革で義務教育が、小学校6年と中学3年の9年制になり、昭和23年に中学5年生と4年生が高校3生と2年生に編入になりました。 その時、校章を急遽「中」から「高」のしただけのこと思います。従って「高」の校章を使ったのは、昭和24年卒「高1回生」と25年卒の「高2回生」だけの筈です」。
☆1950(昭和25)年〜2007(平成19年)☆
 本校旗は教育制度の変革(六・三・三・四制及び男女共学制)により昭和25年4月、北海道函館東高等学校として新発足した際に作られた。この構想、図案は同年5月8日、全校生徒より広く募集したが、これと思うのものが見出されず、当時の図画担当の佐藤登先生を中心として、「校章設定委員会」が設けられ再三にわたる検討の末考案作成されたものである。
 【意匠の意味】
 この青雲台周辺には柏(かしわ)の木が多く、その強い柏の木の葉を三角形の形におさめ、更に地名のゆかりの柳の趣をもつ月桂樹を円でまとめ、中央に高等学校の「高」の字をおいて全体をひきしめてある。柏の葉の間にある蕾は中央が梅(これは本校創設功労者梅津福次郎翁を意味する)、両側の小さなものは五稜郭の桜を表している。
                                          「50年誌」より
☆2007(平成19年)〜☆
市立函館市の校章。

函館東・北高両校の生徒、教職員計1,200人が選考し、函館東30回生佐々木善憲さんのデザインを採択。

詳細は下記の2007(平成19)年3月1日「青雲時報第169号」の記事参照。
☆(市中)校旗の意味するところ☆
【校旗】
初代学校長 岡村威儀の考案にて十字街レンカ堂の調整。
価格170円は公費支弁
昭和15年10月18日午前9時函館八幡宮に於いて職員生徒参拝、入魂式挙行、
初穂(ハツホ)料金10円
                        岡村校長先生の手記より
【校旗の意味する所】
 校旗は学校青雲の象徴であり、校旗を中心に吾々は学業も修養も行い、校旗の下に奮闘努力、愛校心を培い校友の団結をはかって行くので、校旗には尊厳性があり、魂がある。されば厳粛なる儀式の内に神前にて入魂式を行い、校旗の出入りに儀礼を正し、護衛を付する所以である。自校のみならず他校の校旗に対しても敬意を表わさねばならぬ。
 さて新設定の校旗の地色は四面環海、海洋帝国である我が国情及び港湾都市たる本市の地勢を海洋の色たる紺碧を採り、中央に校章を配している。校章の五つの剣芒は本市史蹟たる五稜郭を象り、実行五則を表示しており、中央に函館市章たる巴を配し、その中に中の浮彫をなして函館市立中学校たるの特質と精神とを現している。
 次に旗竿の冠章は海波に旭日を配してあるが、これは青少年修養目標として海の深さと力と静かさと包容力とを、又旭日は太陽の高さと偉大さと熱と愛とを要望し、日出づる国日本の隆運に貢献し得る人材養成を目標とせる本校の洋々たる発展を表わす意味であり、尚生徒諸子の向上進歩の姿にも等しい旭日である。更に上端の三角錐は夫々に矛と筆と焔(ホムラ)とを刻んであるが、これは文武両道を所期し、生徒各自は焔の如き情熱をもって学業に専念し、大政翼賛に青春の熱意を発揚するの象徴たらしめんと希求せる深い意味を有しているのである。
 願はくば生徒諸子、校旗の下にその意味する所に従って学校一致邁進せんことを。
                   写真・岡本校長先生の文共に 昭和15年12月24日発行「函館市立中学校通報」第三号より
                   (文面解読にについて中村隆俊氏の協力をいただきました。お礼申し上げます)
☆校章設定の思い出☆ 佐藤登先生
 加えて、初代校長岡村威儀先生の教育的実践はすばらしいものでした。「草木の育つ処には人材が育つ」と申されて、陣頭指揮をとり校地に一本一本植樹さたものです。斉藤市長の遠大な理想を、教育の実践面で具象されたのが岡村先生であります。
 校章設定にあたって、原図の作成を委託された私は、この創立当時の精神を何らかの形で表現すべく苦心しました。一応形式的には古今東西の文献を調べ、また生徒諸君の意見ももとめました。
 しかし、ゆきつくところ、創立当時の精神に基づくのが最もよいということになり、その表現に工夫を重ねたわけでありました。
 校章のデザイン全体を円形で包んだのは、函館教育界の大恩人斎藤市長の偉大な構想を意味するものでありました。暖かく抱擁する斎藤精神とでも申しましょうか。もちろその中には梅津翁の、田辺氏の、また全市民の心といったような要素も含まれます。
 また、円を月桂樹にした理由は、斎藤市長の理想を具現した岡村精神を表現する為であります。即ち、木を愛し杜の中に学舎をつくるべく努力された岡村校長の教育的理想を、月桂樹によって象徴したわけであります。広く知識を海外にもとめ、雄飛し文化の華を咲かせるであろう青雲台の若者が、あのオリンピアの若者にも負けない意気をもってほしいと念願し、月桂樹をとりいれたのです。すると、それが又本校所在地名の由来の柳の葉にも似ているではありませんか。心なしか梅津翁の梅にも、五稜郭の桜にも、また校庭の前の松林の雰囲気にさえも通ずるような木がします。
 さらに中央に置いた東高校の「高」の字が、よく調和し全体をひきしめるよう工夫しました。
 結局、創立当時の精神が、由諸が、自然に形となって整ってゆき、一応の構図が出来たのです。それを再三再四推敲して原案をつくり、生徒諸君にも協力を願い、生徒代表の厚谷君に清書していただき、全校一致で完成の道をたどりました。
 校章設定委員会の諸先生の満場一致の賛同を得、盛山校長の頬に涙がみられた程でありました。
                                          「30史」より抜粋

*写真は2008年夏の市立函館高校舎とデザインの一部となった柏の木(佐藤先生の思い出には記載はない)
☆市立函館高校の校章 ―3つの「H」と3本の柱☆
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