更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2021年12月20日(月)
『86』20話

先週に続いてEpisode20「死ぬまで一緒に」。
これまた凄かった。

敵中に突出して、レギオンの最終兵器「モルフォ」を追うシンたち一行。

しかしシンは、レギオンに取り込まれたフレデリカの騎士・キリヤに同調するかのように危うさを見せ始め、ライデンはそれを案じる。

駅の高架上で語る二人を上空から捉えたトリッキーな構図。注目は、背景と言うか地上の線路である。



当初、シンを問い詰めるライデンの場面では、左にいるシンの側の線路は外を向いている。やがて探り合いのフェーズを終えて二人ともが真情を吐露するに従って、シンの側の線路もまっすぐになる。だが、依然として二人の間は平行線である。




自分たちの行く末について語るとき、ライデンの背後の線路は遠くへ続いているが、

 

シンの側は通行止めの表示が。わざわざピン送りで強調している。

 

一人で戦おうとするな、自分たちを頼れと言うとき、二人の影も一つになる。



そして、何度かインサートされる、蟻にたかられる蝶の死骸の意味するものは。

こういう凝ったことやる演出家は誰かと思ったら、案の定だった。

絵コンテ:伊藤智彦
演出:四ノ宮 春

言わでものことだが、ラストカットのキリヤの笑みは、Episode18「本当は」のラストカット、シンの笑みに対応している。

 

古来、ドラゴンを追う者は自らもドラゴンとなる。果たしてシンに救いの道はあるのか。
クライマックスが近い。

2021年12月12日(日)
『86』19話

久々にまともな記事。

Episode19「いっそ、このまま」にあった面白い表現。

戦場を追い求め、死地に向かおうとするシンたち86を引き留めるフレデリカは、率先して光の差す側に進む。

 

4人はそれを追うが、シンだけは影の中に残る。



ついでに言えば、右手の格納庫の中が暗いことで、行く手に不穏さがつきまとう。
こういうまっとうな映像言語を操る一方で、こういうこともやる。



こっそりフレデリカを密航させていたファイドが、シンらに追及されて汗をかく。機械なのに。

もちろん、漫符である。
しかし、とことんヘビーでシリアスなミリタリーアクションとしてやってきたこの作品でこれをやるのって、結構な冒険、作品世界のリアリティからのかなりの逸脱だと思う。悪いというのではなく、こういうこともできる懐の深さが、この作品の、ひいてはアニメ表現の面白さだという話。
絵コンテ・演出:河原龍太。

ついに絵コンテで登場、お師匠様・伊藤智彦の手がけたEpisode15「お帰りなさい」もヒチコックばりのカラスの使い方や蜘蛛の巣などが実に見応えあったが、つくづく、この作品は面白い。ここしばらくは隔週放映になっているが、クオリティを担保してくれるのなら私はなんぼでも待つ。

2021年11月23日(火)
『STUDIO VOICE』2004年7月号特集「アニメを見る方法」

引っ越し荷物の中から出てきたので、読み返してみた。今見ても読みごたえのある大特集。
「ジャパニメーション以降の尖端クリエイター30人」と題して紹介されているメンバーが、錚々たるもの。「ジャパニメーション」には目をつぶるとして、17年が経った今、この面々の現在地を、この時点での代表作とその後の作品を調べることでおさらいしてみた。人名の後の数字は生年。

神山健治('66) 『攻殻機動隊S.A.C』('02)。 『東のエデン』('07)、『009 RE:CYBORG』('12)あたりまでは快調だったが、 『ひるね姫』('17)、 『ULTRAMAN』('19)あたりから、ちょっと失速気味の印象。

新海誠('73) 初長編監督作『雲の向こう、約束の場所』('04)の公開前(この年11月公開)。 言わずと知れた『君の名は。』('16)、『天気の子』('19)で、もはや日本代表の勢い。よくぞここまで。そもそも、『雲の向こう』公開前にここまでプッシュしていた慧眼には恐れ入る。

谷口悟朗('66) 『プラネテス』('03)。『ガン×ソード』('05)、なんと言っても『コードギアス』('06,'08)で一生喰っていけるようになってしまったためか、その後の印象が薄い。『純潔のマリア』('15)も『ID-0』('17)も佳作ではあるのだが。

細田守('67) 『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』('00)当時で、『時をかける少女』('06)の前。その後の活躍は周知の通りだが、家族のアルバムご開帳はもう終わったのかしら。

今川泰宏('61) ちょうど『鉄人28号』('04)当時。その後監督作は『真マジンガー 衝撃!Z編』('09)くらい。

荒牧伸志('60) 『APPLESEED』('04)当時。いまや「日本における3DCGアニメーションの第一人者」(ウィキより)。アートミックは遠くなりにけり。

鶴巻和哉('66) 『トップをねらえ2!』('04)の頃。その後は新『ヱヴァ』シリーズに捧げた20年。

望月智充('58) 『ふたつのスピカ』('03)当時。『しにがみのバラッド。』('06)、『さらい屋五葉』('10)、『バッテリー』('16)など、意外とコンスタントに仕事してはいるのだが、やはり80年代の大活躍を思うと「『本気の望月』を見ることは、ほとんどなくなったような気がする」。『STUDIO VOICE』本誌の記事より。

幾原邦彦('64) 言わずと知れた『少女革命ウテナ』('97)。その後14年もの沈黙の後『輪るピングドラム』('11)。しかし『ユリ熊嵐』('15)、『さらざんまい』('19)には少々息切れを感じる。1クールでは表現したいことが追いつかないのでは。

高山文彦('53) 『WXⅢ 機動警察パトレイバー』総監督('01)、『ラーゼフォン』('02)第19楽章脚本、『ガンパレード・マーチ ~新たなる行軍歌~』('03)シリーズ構成。その後はシリーズ構成と脚本ばかりで、監督作はない。1953年生まれだから、御年68歳。もう一つくらい監督作品が観たい。ところで、ウィキに『宇宙戦艦ヤマト2199 星巡る方舟』の記述がない。ウィキも更新する人が減ってきてるのかな。

米たにヨシトモ('63) 『勇者王ガオガイガー』('97-98)監督作が評価。近年では『食戟のソーマ』('15)監督、『劇場版TIGER&BUNNY』(’12)監督があるが、正直作家としては印象が薄い。

大地丙太郎('56) 『今、そこにいる僕』('99)、 『十兵衛ちゃん ~ラブリー眼帯の秘密~』('99)。 『十兵衛ちゃん2』がちょうど2004年。その後監督作としてめぼしいのは『僕らがいた』('06)くらいか。近年の特徴として『DD北斗の拳』シリーズ('13)、『花のずんだ丸』('13)、『とんかつDJアゲ太郎』('16)、『信長の忍び』シリーズ('16)等、短編が多いとは言えそう。

佐藤順一('60) 『美少女戦士セーラームーン』('92)シリーズディレクター、『カレイドスター』('03)、『ケロロ軍曹』('04~)。
その後も『ARIA』('05~)を長期シリーズに育て、『たまゆら』('10)とか『あまんちゅ』('16)とかマンネリの嫌いもあるが、昨年は『魔女見習いをさがして』『泣きたい私は猫をかぶる』で気を吐いた。還暦を過ぎても衰える気配もない。

佐藤竜雄('64) 『機動戦艦ナデシコ』('96)、『学園戦記ムリョウ』('01)、『宇宙のステルヴィア』('03)、『獣兵衛忍風帖 龍宝玉篇』('03)。『龍宝玉篇』の映画に比べてのがっかり感はハンパなかったが、その後も『モーレツ宇宙海賊』('12)が目立つくらい。

湯浅政明('65) 初長編監督作『マインド・ゲーム』がこの年の夏公開。近年も『DEVILMAN crybaby』('18)、『きみと、波にのれたら』('19)、『映像研には手を出すな!』('20)とまさに順風満帆。このメンバー中一番安定しているかも。

今石洋之('71) 『DEAD LEAVES』('04)で監督デビューしたばかり。その後『天元突破グレンラガン』('07)、『キルラキル』('13)と今や立派な巨匠の一人。個人的に『プロメア』('19)はあまり感心しなかったが。中島かずきと別れてから真価が問われるか。

河森正治(’60) 『マクロス』シリーズの大御所。本誌では『地球少女アルジュナ』('01)が中心に取り上げられている。当時すでに演出家としては過去の人っぽかったのだが、この後、『創聖のアクエリオン』('05)「合体って気持ちいい!」で華麗な復活を遂げ、さらに『マクロスF』('08)でさらなる躍進。

村瀬修功('64) 『Witch Hunter ROBIN』('02)で監督デビューした直後。『Ergo Proxy』('06)とか渋い佳作ばかり手がけているのだが、マングローブの経営破綻のあおりを受けた『GANGSTA.』('15)にせよ『虐殺器官』('17)にせよ、何か監督としては不遇な印象が拭えない。『閃光のハサウェイ』の成功で、厄払いできたことを願う。

渡辺信一郎('65) 『カウボーイ・ビバップ』('98)の監督として紹介され、そのまんま2021年の現在に至る。や、本誌でも『サムライチャンプルー』('04)には触れてるし、その後もちょくちょく仕事はしてるんだが。私としては、弟子筋の夏目真悟(1980年生まれ)監督の化けっぷりの方が興味深い。

森邦宏(生年情報なし) 一番不思議なのがこの人。『絢爛舞踏祭 ザ・マーズデイブレイク』('04)以降は結局、ずっと一演出に徹していて監督作品はほとんどない。本人の希望なのだろうか。 

岡村天斎('61) 『WOLF'S RAIN』('03)、『劇場版NARUTO-ナルト-』('04)監督。『DARKER THAN BLACK -黒の契約者-』('07)が成功したとはいえ、今ひとつブレイクしきれない。強いて言えば『青の祓魔師』('11)か。

水島努('65) 『ジャングルはいつもハレのちグゥ』('01)と『クレしん』シリーズ。その後の活躍ぶりときたら、『おおきく振りかぶって』('07)、『侵略!イカ娘』('10)、『Another』('12)、『ガールズ&パンツァー』('12-13)、『SHIROBAKO』('14-15)と枚挙に暇がないとはこのこと。しかもギャグからスポーツからホラーまで、守備範囲の広さも驚異的。

京田知己('70) 劇場版『ラーゼフォン 多元変奏曲』('03)で鮮烈にデビュー。しかしその後は、ひたすら『エウレカセブン』ばっかり作ってる。もっと他の仕事が見たい。

前田真宏('63) 『青の6号』('98)、『巌窟王』('04)。その後の監督作は『日本アニメ(-タ-)見本市』('14-15)と新『エヴァ』シリーズ。くらい。『青6』で現代アニメの基本コンセプト「キャラは手描き、メカはCG」を確立してしまったから、もういいのかもしれん。

浜崎博嗣('59) 『TEXHNOLYZE』('03)が初監督。高山文彦とはまた違った意味で、伝説の作家。『シグルイ』('07)、『STEINS;GATE』('11)監督(佐藤卓哉と共同)。『ブレイドアンドソウル』('14)、『テラフォーマーズ』('14)とか妙な仕事もしているが。最近では『無限の住人-IMMORTAL-』('19)で相変わらずエッジの効いた映像を披露している。

原恵一('59) 映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』('01年)。以後、映画『クレしん』を4本手がけた後は、『河童のクゥと夏休み』('07)、『カラフル』('10)、『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』('15)に、実写映画『はじまりのみち』('13)とザ・映画監督で押しも押されぬ大巨匠。『バースデー・ワンダーランド』('19)はちとアレだったが。

摩砂雪('61) 『Re:キューティーハニー』('04)第3話監督。以後、監督としては新『ヱヴァ』シリーズのみで鶴巻とよく似ている。

板野一郎('59) 監督作品としては『GANTZ』('04)。『ブラスレイター』('08)以降は、すっかりCGの人に。

福田己津央('60) 『機動戦士ガンダムSEED』('02)。私この人の監督作品、1本たりとも観たことないや。いや待て、『新海底軍艦』('96)の2話だけは観た!つまんなかった!

今 敏('63) 『妄想代理人』('04)。紹介記事は、「現在までの監督作はまだ3本(TVを入れて4本)。まだまだ当分の間、今作品を楽しむことができそうだ」で締めくくられている。現実はこの後、『パプリカ』('06)と短編『オハヨウ』('07)の2本のみだった。2010年没。

私見でその後の業績を評価してみると、こんな感じになる。

想像を絶する:新海誠('73)
大ブレイク:湯浅政明('65) 今石洋之('71) 水島努('65) 原恵一('59)
期待以上:神山健治('66)、谷口悟朗('66) 佐藤順一('60)
予想通り:細田守('67) 鶴巻和哉('66) 幾原邦彦('64) 浜崎博嗣('59) 河森正治('60) 
失速:今川泰宏('61) 荒牧伸治('60) 高山文彦('53) 米たにヨシトモ('63) 大地丙太郎('56) 佐藤竜雄('64) 渡辺信一郎('65) 京田知己('70) 板野一郎('59) 岡村天斎('61) 
そもそも出てこなかった:望月智充('58) 村瀬修功('64) 森邦宏 前田真宏('63) 摩砂雪('61) 福田己津央('60)
死去:今 敏('63)

細田の評価は、あくまで順当、という意味と、ここしばらくの監督作品が私的に興味を持てないという理由による。
失速としているのは、あの頃期待されたほどの活躍かと言えば疑問符がつくと言うほどの意味。
出てこなかった人々は、主に監督作が乏しいという意味である。

こうして見ると、この17年間で、60年代前半以前生まれの世代が緩やかに下降線に入り、代わって60年代後半以降生まれの世代が台頭してきたと言えそうだ。中でも、新海誠の若さは際立っている。
今の目で見て入っていないことが不自然に思えるのは、あおきえい('73)、長井龍雪('76)、荒木哲郎('76)、伊藤智彦('78)、山田尚子('84)あたりか。年代から言って当然ではある。70年代以降の生まれの作家が順調に育ってきているのは慶賀すべきことである。



2021年9月26日(日)
社会復帰しました

皆様、お久しぶりです。
この4月に転勤で京都に引っ越ししたのだけれど、いい機会なので光回線に変えることにしました。今までADSLだったのだ。ところがたまたまNTTの大規模なシステム換装とかち合ってしまい、しかもデータ移行に失敗して大事になってたとかで今の今まで個人の回線工事なんかしてくれなかったのです。
というわけで、ようやく社会復帰しました。またぼちぼちと更新していきます。

とりあえず、この半年観ていたもの。

『劇場版 少女歌劇レヴュースタァライト』
面白かった。以前、TVシリーズ及び劇場版総集編についてこんなことを書いている。新作劇場版は、これらの不満を全て解消するものだった。華恋が全力をあげてひかりと戦いたいと願う、これこそがあるべき結末である。

『86』
石井俊匡監督、満を持してTVシリーズの監督デビュー。期待通りの面白さ。ひたすら深刻に作ればいい作品なのでそんなに難しくはないだろうが、レーナ側とシン側、会話しているときにもカメラは決して双方を行き来しない、どちらか一方だけを映すというルールが徹底していて、感じ入った。2期が楽しみ。

『vivy』
まるでノーマークだったが、いい出来だった。さすがwit studioが『進撃の巨人』を譲ってまで作ったオリジナルだけのことはある。いや、本当はどうか知らんけど。
ただ、あの結末はどうなのかしら。どのみち、あの世界線でAIが人類から信頼を得ることは二度とないだろうと思うのだが。

『かげきしょうじょ!!』
天然バカが主人公という趣向が嫌いなので斜に構えて観ていたが、さらさにはさらさの屈託があることと、うまく群像劇にシフトしていったことで楽しめた。何より作画も作劇も安定していて、安心して観ていられる。パインジャムって、作品発表する度に実力を上げてる感じ。米田和弘監督は、前作『グレイプニル』でもいい仕事をしていたが、私が以前からひいきにしている米田光宏と紛らわしいのが難点だ。米田光宏と言えば、『閃光のハサウェイ』の演出していたのにはのけぞった。立派になって……。

『はちどり』
韓国の女性監督キム・ボラの初長編。WOWOWで観たのだが、久々に素晴らしい映画を観た。『リズと青い鳥』が好きな人なら、きっと刺さるはず。

『ぶらどらぶ』
麒麟も老いては……か。ちょうどIMAX版『攻殻機動隊』を観てきたのでなおさらに。これ明らかに21世紀のアニメじゃないよね。ちょうど同期で放送中の『うらみちお兄さん』あたりと比べてみても、ギャグセンスが古すぎて寒気がしてくる。
それから、そろそろアニメにスモーカー出すのやめてほしい。海の向こうではポリコレ疲れなんて言葉があるそうだが、この国にはまだポリコレなんてありゃしない。

2021年4月4日(日)
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』

緊急事態宣言解除まで我慢して観てきた。

やっぱり潜航していた。
すまん、言ってみたかっただけなんだ。

大団円、と言っていいだろう。『序』('07)の公開から数えて14年、とにもかくにも完結までこぎ着けた執念にまずは敬意を表したい。

○お話について
旧作と同じ筋立てでありながら、明朗な活劇に仕立てた手腕。一瞬たりとも弛みなく、150分の長さをまるで感じさせない。
一言で言えば、シンジ君がヒーローになる映画である。しかも今作のシンジは、戦わないままでヒーローになった。これは画期的なことである。
旧『エヴァ』のシンジは、戦いを忌避する少年だった。これは、戦うことを成長や自己実現とする旧来のアニメへのアンチテーゼだったであろうが、当然のように映画としてフラストレーションがたまる原因になっていた。シンジは父ゲンドウの策略で人類補完計画のトリガーとなってしまい、世界を滅ぼしかけるが辛くも踏みとどまる。旧『エヴァ』でも筋立てはほぼ同じなのだが、旧『エヴァ』のクライマックスにおけるシンジは、ひたすら自分の内面世界で自問自答を繰り返すだけだった。
それに対して今作では、明確に他者であるゲンドウと対話しようとする。それは迂遠な道であり、自ら操るエヴァ初号機でゲンドウの13号機と戦い倒す、という展開にすれば、はるかに簡単で、わかりやすく、カタルシスのある物語になったはずだ。しかし『シン・エヴァ』はその安易な道を選ばなかった。
暴力から対話へ。打倒から和解へ。
そこには人間への信頼、言葉への信頼が感じられる。『序』でも見られたが、市井の人々の生活を点描して、第三新東京市の外にある世界の広がりを感じさせるシーンはそのために必要だったものだろう。そして伝道者(evangelist)とは本来そういうものだったはずだ。
言葉でわだかまりを解きほぐし、アスカを救いカヲルを救うシンジの姿は、まさしく救世主のものだった。


○キャラ描写について
旧作のミサトは、シンジの母でもあり姉でもあり恋人でもあり、という多義的な役割を持たされ、いささかブレを感じるところもあったが、今作では年齢相応に母の役割に限定されてすっきりしている。リツコとの別れの場面は、淡々として事務的だからこそ情感こもる名シーン。

役割の変更は、アスカにも言える。アスカの役割は「初恋の人(それゆえに結ばれない)」に限定されることになった。アスカもレイと同様の作られた人間であるという設定になったのも、お話を整理する上では有効だったと思う。

ところで、「救うにせよ殺すにせよ自分で決めてほしかった」という気持ちはわからんではないが、14歳の子供に対して要求高すぎだろう。まして、そんな過酷な二者択一を迫るのは凡庸な大人のすることであり、ヒーローはその選択自体を打破する者である。
『破』のゲンドウのセリフにもあったが、「何を犠牲にしてでも欲しいものを手に入れるのが大人」という思想は、積極的に唾棄すべきものだ。逆に言えば、アスカもまたゲンドウの側に属する「平凡な大人」になってしまったからこそ、シンジとは結ばれなかったのだとも言える。私もアスカ派なので淋しくはあるが。


○雑感
実写場面が一切なくなっていたのも好印象。もう若い人には何のことやらわからんかも知れんが、旧作にはそういうシーンあったのよ。
生々しさを与えたいという目的(特に性描写)だったのだろうが、劇場内の観客を写したカットに虚構と現実の押しつけがましさを感じて、なんとも嫌な気分になったのをよく覚えている。その歪さ、気持ち悪さもエヴァらしさではあったが。

本編を観たその日の夜に、録画していた『プロフェッショナル 仕事の流儀』を観た。旧作に見られたようなむき出しの狂気は影を潜め円熟・洗練の境地と思ったのだが、狂気は、庵野監督の中により深く沈潜して、もはや第二の本性になってしまっているようだ。でもなければ、「想像できないものを創造する」などという言葉づらからして矛盾した行いをしようとはしないだろう。
旧作から25年。今なお『エヴァ』はオンリーワンとして屹立している。


○どうでもいい余談1
あのアンチLシステムって、どうみてもT○NGAだよ。

○どうでもいい余談2
ラストシーン、駅舎の階段を駆け上がるシンジ君があまりにガニマタで笑っちゃったのだが。あれもしかして、庵野監督のロトスコープでは?

2021年3月10日(水)
『ヒューマニエンス』とリップシンクロ

最近、NHK-BSで『ヒューマニエンス 46億年のたくらみ』を観ている。
「ヒューマニエンス」は「ヒューマン」と「サイエンス」の造語。「人間という不確かで不思議な存在とはいったい何なのか?その真の姿に迫っていくシリーズ」(公式サイトより)。
MCが織田裕二というので不安だったのだが(何しろ私はこの人、まともな映画に一本も出ていないという認識なので)、出しゃばらず偉ぶらず、自分の役割をわきまえた振る舞いには好感が持てる。

それはともかくとして、先日放送された「目 物も心も見抜くセンサー」が面白かった。

欧米とアジアでは、ケータイで使う顔文字が全然違っていて、欧米の顔文字はどんな表情でも目が変わらない

というのは、欧米人とアジア人とでは表情を読み取る顔の部位が違っていて、アジア人が相手の目を見て表情、感情を読み取るのに対して、欧米人は口元を見て読み取るのだそうで。
これは実験的にも裏付けられていて、アジア人の赤ん坊は話しかけられると相手の目を見るが、欧米人の赤ん坊は相手の口元を見るのだそうな。

これを聞いていろいろ合点がいった。日本でサングラスがあまり普及しない理由。欧米人がこのコロナ禍でもマスクを嫌がる理由。
日本のアニメキャラの目が大きい理由。
そして何より、ずっと、これが不思議でならなかったのだ。欧米のカートゥーンがなぜあんなにリップシンクロにこだわるのか。動いてさえいればいいじゃん、と思っていたのだが、彼らにとってはまさに死活問題だったわけだ。

2021年2月17日(水)
『スポーツ界 性的虐待の闇』

昨年末のことだが、毎週楽しみにしているBS世界のドキュメンタリーで、恐ろしい番組を観た。表題のとおり、スポーツ界における性的虐待を告発するもの。オランダ、ベルギーで4000人の元アスリートに聞き取り調査を行ったところ、14パーセント、18歳未満の選手の7人に1人が性暴力の被害を受けていた。国際大会に出場するレベルに限ると、3人に1人。ここで性暴力とは、国連子どもの権利条約の定義に従っており、レイプから意に沿わぬ写真撮影まで含めているものだが、それにしても恐るべき数字だ。

特に、同性愛傾向のある者が被害に遭いやすく、また民族的マイノリティに属する者も被害が多かった。2重3重の差別の構造に、吐き気がする。

ボルドー大学のスポーツ心理学者、グレッグ・デカンによると、「アスリートは、他者が自分の身体をいじめ抜くことを許容しやすくなる。勝利のためには他人に身体を委ねなければならないという心理に陥りがち」だという。納得のいく話である。

カリフォルニアでは、永年虐待を隠蔽してきたアメリカ水泳連盟を訴えるために、州法の改正が提議された。カリフォルニア州法では、未成年者の性的虐待を告発できるのは被害者が26歳まで、という制限があった。この年齢制限を40歳まで引き上げようという提議がなされたのだが、これに反対したのが、当の水泳連盟と、なんとカトリック教会だった。カトリックと言えば、映画『スポットライト 世紀のスクープ』で描かれたように、性的虐待の総本山である。その加害者が手を取って、これ以上賠償金を取られないよう組織防衛に走ったわけだ。反対活動をしたロビー会社は、水泳連盟から9万ドルの資金提供を受けていたという。結局、法改正は実現しなかった。
この世には、真の恥知らずというものが存在する。戦慄せざるを得ない。

2020年の段階で、アメリカ水泳連盟はFBIから2件の捜査、税務調査及び連邦議会からの調査を受けている。他に、体操、バレーボール、スケート、ウェイトリフティング、ボブスレー、テコンドーの各競技団体も調査を受けている。

番組はスポーツ界の闇と言っているが、一貫して文科系だった私に言わせれば、これこそスポーツの本質だ。スポーツそれ自体が暴力と差別を内包し、助長するのである。

ところで、『スポットライト』は、エンドクレジットで性的虐待が確認された国や町の名前を列挙していく。これがまた、一体いつ終わるのかと思うほど延々と、果てしなく続くのだ。ある意味、映画の中で一番恐ろしい見せ場である。注意して見ていたが、その中に日本国内の名はない。本当かいなと思っていたら、2019年になってようやく調査を開始したという報道が。

  聖職者の性的虐待、調査へ 日本カトリック司教協議会

この危機意識のなさにはもう言葉もない。

2021年2月16日(火)
『噂の二人』

映画観続けて30数年、私はいまだにウィリアム・ワイラーとロバート・ワイズの区別がつかないのだが、これは1961年のワイラー監督作品。

片田舎の私立女学校で、2人の女教師が同性愛者の噂を立てられて破滅していくというお話。女性の受難を描く作品は、男性が救う形になることが多い(ヒチコック映画とか)が、この映画は最後までヘビーでむしろ男は全く役に立たない。生徒たちが突然退学し始め、主人公がその理由、同性愛者の噂が流れていることを知るシーンを遠景・無音で撮ったり、名誉毀損の裁判のシーンをばっさりカットして結果だけ見せたり、映画ならではの省略話法が実に心地よい。落ち着いたカメラワークと編集で、いかようにも劇的に見せることができる好例。

噂の発生源となる子供の邪悪さも容赦ない描写。この性悪娘を演じたのはカレン・バルキンという子役で、これがデビュー作だが、ImDBによるとこの後わずか3作品で引退してしまったらしい。想像だが、本作のこの役があまりにも真に迫っていたためではないか。

うまく言えないのだが、男性が百合を見るのと、女性がBLを見るのとでは、同じようにファンタジーとして楽しんでいるとしても決して対等ではない。
百合を娯楽として消費する者は、ぜひ一度観ておくべき映画。




ついでながら、今WOWOWで連続ドラマ『ミセス・アメリカ~時代に挑んだ女たち~』を放映している。こちらは1970年代、男女平等憲法修正条項の批准を巡る推進派と反対派の抗争を描いたもの。

ポイントは、反対派の女性たちに焦点を当てているところ。男女平等となれば、女性も徴兵されるようになるのではないかという不安に妊娠中絶問題も絡み、反対する女性も決して少なくなかった。
その反対派のリーダーを演じているのがケイト・ブランシェットで、声を当てているのが田中敦子。『呪術廻戦』もそうだが、田中敦子の声でしゃべる敵には勝てる気がしない!


2021年1月19日(火)
映像的正しさということ

『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』のクライマックス、アムロがνガンダムでアクシズを押し出そうとするシーンは物理的におかしいという。



地球への落下を防ぐなら、逆に加速して高度を上げてやらなければならない。このシーンがこのような描写になっているのは、物理的正確さよりも映像的正しさを優先した結果である。
すなわち、巨大なアクシズが画面左から迫ってくるなら、それに対抗する力は右から左へ向かわなければならない。これが演出意図であることは、この直前、ロンド・ベルによる爆破でアクシズの後ろ半分が減速されてしまい、地球の重力で落下するという物理的に正確なやり取りがあることから解る。

以上は、人から聞いた話である(私自身は、物理的誤りを気にしたことはなかった)。本題はここからなのだが、これを聞いて、突然腑に落ちたことがある。
『幻魔大戦』のワンシーンだ。東丈が学生服を着るシーンなのだが、ボタンを下から上へ向けて留めるのである。







初めて観てから30数年、ずっと気になっていたのだが、服のボタンて、普通は上から下へ留めますよね。
しかし『逆襲のシャア』の描写を踏まえて考えると、『幻魔大戦』のこのシーンは、突如目覚めた超能力に翻弄され、心の奥深くに閉じこもってしまった丈が、ルナの尽力によって再起するシーンである。

つまり気分がアガるシーンなので、下から上へ向かう動きでなければならなかったのである。
書きながらたった今気が付いたが、背景の色が青から赤へ変わるのも、同じ効果を狙ってのことだろう。

30年越しの謎が解けて、こちらも良い気分だ。
コロナ禍の続く重苦しい新年ですが、今年が良い年になりますように。

追伸
今年最初に観た映画は『劇場版 生徒会役員共2』。基本ですね。

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