更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2019年6月9日(日)
『裏アニメ』の鶴岡陽太氏

AT-Xの『裏アニメ』に、『ユーフォニアム』音響監督の鶴岡陽太氏が出演していた。金言至言の宝庫だったので、メモしておく。以下「 」内は鶴岡氏の発言の大意で、発言そのままではない。強調は引用者による。

「『ユーフォニアム』の音楽は、俯瞰的、客観的。題材が吹奏楽なので、作中の演奏と区別するためにピアノと弦を中心に紡いでいく。また劇伴の発注にも、タイトルを「青春の痛みは、振り返ってみるといい思い出だよね」みたいに具体的に書く。その点、『Free!』とは全然違う」

「『ユーフォ』では久美子のモノローグが膨大。『ここはモノローグでなくナレーションにしよう』といった提案もする」

「劇伴は入りと出が肝心。フェードイン・フェードアウトは不自然なので極力使いたくない」

「久美子の心情は基本的にピアノで入る」

「『ユーフォ』では、M1の曲が作品を代表する曲。こういう曲がある作品は恵まれている」

「2期最終話、卒業式後の久美子とあすかの別れのシーンの音楽演出は、まず久美子が心情を語り始めてピアノ曲が入る。それが終わると一度風の音が入って、あすかが話し始めると弦楽器が加わるという構成になっている」

「風の音は重要。意味を持って入れて欲しい」

「1作品30曲発注すると、5~6曲はスペシャルな曲が出てくる。そういう曲は、シリーズ中どこを初出にするかを考えて印象的に使う」

「演奏に入る時に楽器を構える音、ブレスの音は楽器ごとに録音している。ユーフォとトロンボーンでは構える音が違うし、マウスピースとリードでは(唇の形が変わるので)ブレスの音が違う」

「演奏が始まる直前、滝先生が構えると、あえて衣擦れの音を大きく入れている。これは静寂を表現するための演出。音がなければシーンとしているわけではない

「現実には存在しない音でも、実在感が必要。例えばマグマの音。本物はあんな音ではないかも知れないが、リアルとは、『本物(ナチュラル)』ではない

「演奏に関してはプレスコ方式」

「まだ絵のない状態で音楽を発注するが、京アニの場合、絵コンテ段階でそんなに変わらないので、問題ない。曲の発注は、音楽を感情表現を補強するために使うのではなく、そっと寄り添うように、がポリシー」

「自分のイメージを裏切られて、しかもよりよいものが出来ればそれがベスト」

「声優に対する指導は、甘い→厳しい順に、天の声→呼び出し→居残り」

「1期の12話で、演奏から外された久美子がうまくなりたいと言いながら走るシーン。長いモノローグの後、最後に一言だけセリフがある。ピアノも使えないし、前面に(モノローグを)出すしかなかった。最後に中学時代のコンクール曲『地獄のオルフェ』が鳴り出す。これは劇伴でも演奏でもない、音楽としてあり得べからざる音。この回は京アニの大御所・木上(益治)さんの絵コンテ(注:クレジットは三好一郎名義)。監督もためらっていたが、フィロソフィーのあるコンテだと思ったのでそのまま採用を主張した。
この音楽は(悩み苦しみつつ努力した者に与えられる)天の啓示。普通なら朝日などで表現するが、音楽ものだから音で表現した。
ここで初めて久美子が主人公になった。」

「ダビングは、ポイントオブノーリターン。この先は直しようがないので、『決めきる』必要がある。シーンの方針を徹底的に議論する場」

「2期9話のラスト、河原であすかの演奏を聴くシーンは3段構え。最初は『久美子の主観』で、川の音や鳥の声などの環境音が入っている。やがて風が吹き込んで『情景』に変わり、最終的に余計な音をすべてカットして『音楽』になる」

(視聴者からの質問と回答)
-画面上の運指と音のズレはどうやって解消する?
「原則的にプレスコで、演奏に合わせて作画するが根絶は不可能。バルブをどこまで押せば音が変わるか等、研究している」

―音響監督になるためにしておいた方がいいことは?
「日本語のオーソリティーになること。日本語の問題を解決するのが、音響監督の専門性。いい曲を(好き嫌いでなく)いいと判断できること」

次に本編を観直すときは、よくよく耳を澄ませて味わおう。

2019年5月8日(水)
『やがて君になる』アニメと原作比較

私の、2018年のTVアニメベストワン『やがて君になる』。
アニメ版を観た後にすぐ原作を一気読みした。原作が完結してから語ろうかと思っていたのだが、最終巻発売が今年秋になるそうで、待ちきれないので今回書くことにする。

原作も恐ろしく完成度の高い作品だが、アニメ化に当たってどんな工夫がされているかという観点で、気に入ったポイントを3つほど。

まず第6話「言葉は閉じ込めて/言葉で閉じ込めて」。

(アニメ公式サイトから引用。以下同じ)
試験が終わり、久しぶりに生徒会室に集まった一同。
滞りなく会議は終わったのだが、生徒会劇の準備は脚本をどうするかで困っていた。
せっかくだからオリジナルの劇を作りたいという燈子は、脚本が書ける人に心当たりがないか皆に問いかける。
侑は心当たりがあるものの、その場では「誰もいない」と取り繕ってしまう。
その様子を訝しんだ沙弥香は・・・。
脚本:花田十輝 絵コンテ:あおきえい 演出:渡部 周

沙弥香が優しい美人のお姉さんというだけのキャラではないことが明らかになるシーン。原作ではこのような描写になる。



アニメ版ではこう。
自動販売機を背に侑と話す沙弥香。



そこから侑のすぐ前まで移動してきて(このとき顔が切れて表情が見えないのがポイント!)、



90度横倒しのこのカット!衝撃度が段違いだ。



侑の横顔のアップから、すっと身を引く沙弥香。このときも沙弥香の目が映らず、侑のショックが強調される。



私はもともと、この作品、百合ものに見せかけた心理サスペンスと思っているのだが、このシーンはサスペンスを通り越してホラー映画の域に達している。さすがお師匠の絵コンテ。

次に、第12話「気が付けば息も出来ない」。

合宿もいよいよ最終日、生徒会メンバーは台本を手に皆で読み合わせをしていた。
慣れない演技に苦戦する槙をはじめ、どこかぎこちない面々。
しかし燈子は読み合わせを進めて行くうちに、周りを圧倒するほど演技が白熱して行く。
その理由に気付いた沙弥香は休憩を提案し、コンビニへ買い出しに行く事に。
沙弥香に同行した侑は、釈然としない様子で・・・。
脚本:花田十輝 絵コンテ:中井 準 演出:渡部 周 

合宿を終え、侑の自宅で、「自分を好きにならないでほしい」と言う燈子の真意を知る侑。
燈子を駅まで送り、別れるシーン。



建物の間の路地、シャッターと明るい窓、路面のタイル。これでもかというほどの断絶の描写。
燈子の背に、侑はひとりごちる。



ここで侑の「好き」という気持ちを明白に見せるわけにいかないので、原作は侑の「ばか」というセリフをかぶせるマンガならではの技法を使う。アニメ版もここは同じで、侑の内語に本当に発話をかぶせている。改めて考えてみると大胆なやり方だ。
また、大きく違うのはこの後。侑は、劇の結末を変えようとこよみに電話し、こよみの家へ走り出す。



気持ちの高揚がそのまま運動で表せる、まさに映画的な展開。なおこのカットは、奥から手前へ向かって走って来つつ方向を変えるという、地味に難易度の高い作画。
プラネタリウムと「あの人を変えたい」という印象的なモノローグは、こよみとの対話の後に変更されている。

最後に、第13話「終着駅まで/灯台」。

合宿も終わり、生徒会メンバーは各々夏休みを過ごしていた。
家族で墓参りに訪れていた燈子は、墓石の前で立ち尽くしたまま物思いにふけっていて・・・。
一方、侑は生徒会劇の台本の変更作業を進める為、こよみと共に喫茶店へやってきた。
作業を進める中で、こよみは侑に「一緒に考えて欲しい」と、あるお願いをする。
脚本:花田十輝 絵コンテ・演出:加藤 誠

姉の墓前の燈子は、原作ではこのような構図。



一方アニメ版では、真後ろからの構図。



左右を墓石に挟まれ、閉塞した絵になる。しかしカメラが上方にゆっくりとパンしていくと、左の墓石の上端が途切れる。同時に風が吹き込んで燈子の髪を揺らし、上空は積乱雲の上に青空がのぞく。



つまり、墓石(=死者)に取り囲まれた燈子に解放の道筋を与えることで、物語の幸せな結末を暗示している。見事だ。

加藤誠監督のインタビュー読んでみた。それによると、OP/EDにはこだわりがあって、自分で作りたいとのこと。また、2話の踏切のシーンは自身の絵コンテ。
生徒会劇の本番前で幕引きにしたのは、劇までやると完全に「燈子の物語」になってしまうため。あくまで「侑と燈子の物語」にするためにはここで終わるべきという判断だったそうだ。
全編通してアニメで観てみたい気もするものの、深い余韻を残すいい結末だったと思う。
加藤監督の今後が楽しみだ。

2019年4月23日(火)
最近観ているもの

『エレメンタリー シーズン6』が終わったと思ったら、『シーズン7』の放映もすでに決定しており、春からは新作海外ドラマが続々公開で消化に明け暮れる毎日。

今、週にこれだけ観ている。
『刑事カーディナル』
『THE CROSSING』
『ダウントン・アビー シーズン4』
『グッド・ワイフ』
『オルデンハイム』
『SINNER』
『埋もれる殺意』。

さらにこのほか録り溜めたままの『プリズン・ブレイク』と『ベター・コール・ソウル』(あの『ブレイキング・バッド』のスピンオフ)とTV版『12モンキーズ』が。
いったいどうしろと。ああ、早く引退したい。

幸か不幸か、今期はアニメにめぼしいものが少ないので何とかついていけている。とりあえず真剣に観ているのは
『キャロル&チューズデイ』
『さらざんまい』
『鬼滅の刃』の3本。うち2本がすでに生ける伝説的巨匠の作品で、新しい作家が出てこないところに激しい不安を覚える。

○『キャロル&チューズデイ』1話
さすがと言うか、オリジナル作品の第1話として文句なしの出来。
音楽シーンに特に作画スタッフを当てているだけあって、アニメの表現力の豊かさに改めて驚かされる。

気になった点が二つ。まず些細な方は、チューズデイの自走式トランクなんですけどね。あれだけ進歩した時代なら、盗難防止装置くらいついてるんじゃないかしら。持ち主が呼べば帰ってくるとか。
もう一つは作品の根幹の部分。『マクロスプラス』の時代ならともかく、いまどき「人間対AI」みたいな二項対立的な話を作ったって仕方ないと思うのだが。今語るべき物語は、もっと時代の先を行かなくてはいけないのではないか。まだ始まったばかりだから、この先どこへ行くのか注目したい。

○『劇場版 響け!ユーフォニアム ~誓いのフィナーレ~』(ネタバレあり)
映画史に残る大傑作『リズと青い鳥』ほどではないにせよ、手堅くまとまったいい映画だったと思う。原作は1巻を読んだだけでストップしていたのだが、再開してみるか。パンフによると石原監督は「久美子と秀一の恋物語を描きたい」ということだったそうで。私はくみれい派なので満足だったが、本当にいいのか、あれで。
また、求が「月永」の姓を嫌う理由がごくあっさりと匂わされるだけなのもセンスいい。単に尺の都合かも知れないが、結果的に正解だと思う。

コンクールの結果は意外ではあった。『リズ』で披露されていた、みぞれのあの神がかり的なオーボエソロをもってしても全国の壁は厚かったわけか。一人の天才の力だけではいかんともしがたいのが合奏というものではあるが。

表現の点では、雨に濡れた髪の表現がとても良かった。特に久美子の両サイドのボリュームが、だんだんぺしゃっとなるところが。
アニメキャラは、風呂でもプールでも髪型が変わらないのが、前々から気になっていた。手間はもちろんのこと、アニメ表現にとって髪型は重要な記号だから、おいそれと変えるわけにいかないのだろうが、記号的表現を打破する努力は常になされるべきだ。

それはそうと、映画の出来映えそのものとは別に引っかかりを覚える点もある。
一つは美玲にまつわるエピソードの処理。人間、自分がどう呼ばれたいかは自分で決めて主張する権利がある。こと美玲に関しては、私は奏の意見に賛成だ。麗奈も言うように、「友達がいなければ一人でいればいい」だけのことだ。
もう一つは補欠の描き方。近年、高校野球を筆頭に、部活動のあり方を見直そうという機運がある。言っちゃ何だがたかだか高校の部活動で、本番の試合に出られない補欠を大量に作るのはいかがなものか。聞いた話だが、外国ではレギュラーになれない選手は試合に出られる環境を求めてチームを移るのが普通だとか。
少なくとも、「補欠は補欠でみんなのために頑張りました」という物語を美談として語るのは、どうにも気持ちが悪い。

〇気持ち悪いついでにもう一つ脱線。今期、『ひとりぼっちの○○生活』という作品がある。なんでも、世間には一人で昼食を食べるのが恥ずかしいからトイレに隠れて食べる文化があるのだそうだ。バカくせえ、という感想しか出てこない。それこそ麗奈のセリフではないが、一人の何が悪いのだ。世間にそういう風潮があるのはもう仕方がないが、フィクションがそれを拡大再生産するのだけはやめてもらいたい。

2019年4月3日(水)
『続・終物語』BDブックレット

BD特典ブックレットに演出家の座談会が収録されている。吉澤翠、川崎ゆたか、岡田堅二朗、浅見隆司、大谷肇の各氏が自作の演出について述べていて面白い企画だが、特に、6話の絵コンテ・演出担当の大谷肇の発言がひときわ異彩を放っている。以下、引用。強調は引用者による。

大谷 (5話演出の吉澤に対し)質問なんですが5話の暦と遠江の会話シーンで、気になる表現があるんです。どういう指示でこうなったのかが知りたいなと。

吉澤 作画さんや撮影さんに対する指示ということですか?

大谷 はい。それと、その前段階、「どんな指示を出すのか」を決めるまでの考え方ですね。「シナリオや絵コンテのこういう要素を参考にした」とか、「このシーンではこういう感情を演出したかった」とか。遠江のイメージシーンのところです。

吉澤 あそこは遠江さんが暦くんの背中を洗っているうちに、幽霊のような存在であることを匂わせるシーンですね。気さくな感じで話しかけてくるお母さんのような存在なんですが、それだけではないことを表現するために、闇っぽい雰囲気があった方がいいんじゃないかなと思って、そんな色合いのイメージシーンになりました。

大谷 白黒になるところは、どんな指示をしたんですか?

吉澤 あそこは黄泉の世界にいる遠江さんがいろいろ考えているシーンだったんです。だから「この世のものではない」という意味合いで、遠江さん自身を真っ白にして、色のない世界ということで、全体もモノクロにしました。動きに関しては、BG(背景美術)の置き換えで鉛筆のタッチをざわざわと動かしています。他のカットとは明らかに異質な感じにしようと思いました。

大谷 ああ、BGをもともとこの色で描いていたんですか。

吉澤 そうです。最初からこの色にして、水もそれに合わせました。水面は作画でも描いているのですが、動画で割るのではなく、原画を置き換えるような方法でパカパカと動かしています。

大谷 水面の反射は作画なんですか?

吉澤 作画もありつつ、BGもありつつで、重なっているんですよ。撮影さんがすごく上手く組み合わせてくれました。同じようなことを『3月のライオン』でもやったことがあるのですが、水の表現って難しく、何度やっても完成形が分からないことが多いんです。今回は上手くいった感じですね。作画さんも上手な方だったので。

座談会の席上で、他の演出の手法を聞き出す研究熱心さ。

-では、6話の話に移りましょう。大谷さん、いかがですか?

大谷 気持ちとしてはいちばん目立ちたかったんです。

一同(笑)。

吉澤 それは成功していると思いますよ。全話の中でいちばん目立ってる。

大谷 成功ですかね・・・・・・。これを言うと生意気かもしれませんが、過去のシリーズも含めて、いちばん目立ちたかったんです。

川崎 僕と正反対ですね。僕は繋ぎの話数として、いかにまわりの話数に対して不協和音を出さないかを考えていました。

大谷 いや、でも、だからこそ、ものすごく気を使ったんですよ。尖らせつつも、監督である新房さんに許してもらえる、ギリギリのラインをどこに設定しようか、かなり悩みました。
(中略)

-実は大谷さんは、5話のラスト、扇の出現シーンの絵コンテも描かれているそうですね。

大谷 「描いたので見てください」と強引に持っていきました。

-それが通ったのがすごい。そのシーンをはじめ、イメージはどのように広げていったのでしょう?

大谷 企業秘密です。

どうです、この大物っぷり。

(続き)
川崎 それじゃ取材にならないじゃないですか!(笑)
脚本から「どういう絵が合うかな」と思ってイメージを拾ってくるんですか?それとも、先に「こういう映像表現は面白い」と思ったものを、当てはめる?

大谷 後者ですね。まずカッコイイ絵をノートにひたすら羅列していって、そのあとでシナリオを読みながら「ここにこの絵が入れられるな」と進めていく感じです。決める時は、直感で決めます。あまり話に絵を合わせすぎると、退屈になってしまうから。

川崎 それは僕も新房さんに言われました。2話の演出のとき、会話の内容に合わせた絵を画面に出そうとしたら、新房さんがはっきり「それはくどい」とおっしゃったんですよね。

大谷 大事なことを喋っている時には、そこに注目がいくように気を付けていますが、ほかはずらす。肝になる部分は王道で、ほかは邪道・・・・・・みたいな感じですね。

最大のポイントが、以下のやりとり。

-大谷さんがカッコいい絵を思いつくための刺激は、どういうところから得ているのでしょう?

大谷 まず新房さんが絵コンテに入れてくださった修正を模写し続けています

一同 へー!(感嘆)

大谷 単純に、新房さんの修正が好きで、それを見ていても苦ではないというだけですけどね。で、模写しながら、「このイメージはどこから来ているのかな?」と探るんです。たとえば人物は、日本のモデルがとらないようなポーズをしているので、海外の雑誌から影響を受けているのか?とか。本人に聞いたら「そんなことは全然ない」と言うんですが、その言葉は信じません(笑)。

「絵コンテに入れてもらった修正を模写する」という練習方法は初めて聞いたが、同業者の皆さんが感心しているところを見ると、よほど珍しいのだろう。確かに上達しそうだ。

調べてみたら、大谷はマッドハウス版『ウルヴァリン』(2011)で助監督を務めている。それなりに長いキャリアを持っている人のようだが、私は初耳だった。今後、注目していきたい。

2019年3月11日(月)
『劇場版 幼女戦記』とか

○ 『劇場版 幼女戦記』
毎度古い話題ばっかですみません。
一見さんガン無視の潔い作りで、好感が持てた。劇場版らしく、魔法による飛翔音など音響効果も素晴らしいのだが、パンフレット掲載の、美術監督・上田瑞香のインタビューが抜群に面白かった。長いが、以下に摘記。強調は引用者による。

-TVシリーズと劇場版に共通する、美術のポイントはどこになるのでしょう?

戦争を描く作品ということもあり、全体に重い空気感を出すことは意識しています。彩度は低く、質感も入れる。ただ、やりすぎるとキャラクターの絵が目立たなくなってしまうので、加減が難しかったです。画面が完成したときに、背景もいいし、キャラクターも映える。そんな画面づくりを目指していました。おもしろかったのは、雲を重く描くところでしたね。出てくる雲のほとんどが、影を黒くしてある。こういう作品は、最近は少ないです。大抵は嵐が来るときとか、曇りの日とか、特殊なシチュエーションで出すものなのですが、『幼女戦記』の雲は色も重いし、形も結構しっかりしている。そこがひとつ、美術の特徴になっている作品だと感じていました。

-大きな方針は踏襲しつつも、劇場の大きなスクリーンに映し出されるとなると、意識の違いもあるのでは?

そうですね。より細かいところに気を遣うのはもちろん、大画面ならではの見え方の違いも意識はしました。

-具体的にはどのようなところが?

画面の中でのモノの配置や、影の濃淡ですね。画面が小さいと影の黒さが均一でもあまり気にならないのですが、画面が大きくなると黒さの中に変化がないと平坦な、おとなしい感じになってしまうんです。それと同じ考え方で、全体的に画面の色数を増やすことも意識しました。たとえば土を塗るにしても、同じ茶色ばかりで塗るのではなく、赤っぽい茶色を混ぜてみる。木製のテーブルや椅子も色を揃えるのではなく、古くて表面が剥がれているところはグレーっぽくしてみたり、逆に地の綺麗な赤みが見えているような色にしてみる。こうした形で色数を増やすと、彩度の低い絵でもかなり見栄えがするし、見ていておもしろい感じの絵になるんです。単純に線でディテールを増やしたり、質感の表現を足しても、画面の中ではあまり見栄えがしないことがあるんですよね。そうしたときに大事なのは、色数なんです。実際に世の中にあるモノも、均一に同じ色のものはそうそうないですしね。色を増やすとリアリティも増すし、印象に残る絵になりやすい。逆に線に関しては、密度を上げるのではなくちょっと粗く、あえて描き込まないことも必要なときがあるんです。全部同じ調子の美術が続くと、おもしろくない。だから未完成だとか荒い仕事だと感じられないように気をつけつつ、あえてちょっと抜きながら描く部分も作ってみたりしています。パッと見、絵に複雑さがあることが大切なんです。

-フィルムの中でのメリハリが必要なんですね。今回、見どころとして設定されたのは?

劇場版ではメインの舞台となる街が、モスコーとティゲンホーフの二箇所あります。場所は違えど、どちらも基本はヨーロッパ系の街並みなので、普通に見ていたら違いがよくわからないと思うんです。そこで見る方に場所が移動したことを伝えるにはどうしたらいいかなと思いまして、キーカラーを設定しました。モスコーは赤が目立つ感じで、ティゲンホーフの方はアースカラーというか、青とか緑っぽい建物が多い街になっています。もうひとつは、建物の壁を単調な感じにしないことですね。それじゃおもしろくないので、筆やペインティングナイフで塗った絵の具をデジタルで取り込んでテクスチャを作って、それを貼り込んでいます。こうしたテクスチャは白黒で作ることが多いんですけど、今回は色を混ぜた状態で作ってみました。そうすることで画面の色数も増えますし、古さや質感も表現できる。

-PC上だけでは作業が完結していないんですね。おもしろいです。

デジタルではできない、アナログの絵の具だとできる表現がまだまだあるんですよね。筆の掠れた感じとか、何回ペイントソフトでブラシツールの設定を作ってみても、どうしても出せないんです。デジタルは色を重ねた上にガサガサとした色を重ねて、その上にまた重ねて・・・・・・ということをやるのも難しいですね。あとアナログで作業してしまった方がデジタルで工夫するより意外と早かったりもするんです(笑)。

-なるほど!今回美術設定も担当されていますが、その作業はいかがでしたか?モデルとなった場所はあるものの、リアルな世界ではない。そのさじ加減が難しそうです。

そうですね。モデルとなった場所にそっくりそのままというのは『幼女戦記』の世界観に合わないのですが、かといって全く別物になってしまっても違うんです。ですから、実在する場所では曲がっている道を直進させるとか、あとは史実として実際には完成しなかった建物が、もし完成していたら?というような考え方で街並みや建物の設定は発想しました。たとえばインドのタージ・マハルは、川を挟んだ向かい側に、対になる黒い廟を作る予定だったそうなんです。それをもとに想像して、実在する宮殿と対になるような架空の建築物を設定するなら、位置は川の対岸がいいなと考えてみる。さらに2つの建物の間に川が流れているのではそのまますぎるから、大きな道に変更してみる。そうやって『幼女戦記』ならではの場所を作り上げていきました。

-資料を参照しつつ、想像力を加えてひとつの世界を作り上げていく。どの要素に関しても、手間のかかっていないところのない、並々ならぬこだわりを感じます。

手作業、手作りのおもしろさが、アニメーションのおもしろさだと思うんです。実際の人物や場所を撮影したものではなく、描かれた絵が画面の中で動いていることのおもしろさ。実物を写してもこうはならないけど、嘘を吐いた表現の方が魅力的に見えるおもしろさ。美術でも、そういうおもしろさをがんばって表現するのが重要で、これからも大事に行きたいと考えています。

ところでこの作品の監督・上村泰には『ダンタリアンの書架』以来、副監督の春藤佳奈には『放課後のプレアデス』から注目していたのだが、今回初めて知った。春藤って、「しゅんどう」と読むのか!
ちなみに上村泰は、「かみむらやすし」ではなく「うえむらゆたか」。


○ 西尾鉄也『Number』インタビュー
古い話題ついでにもう一つ。昨年11月に西尾鉄也氏が、『Number』のインタビューを受けていた。
なんでスポーツ雑誌が?と思ったら、「アスリートの肉体をカッコよく表現するには」という特集だった。その中で、ちょっと気になった記述。
https://number.bunshun.jp/articles/-/832434?page=3

アニメーションの世界では、ある描写の手法が見つかると、それが一気に伝播するところがあります。水も煙も、そうした歴史の積み重ねです。たとえば手を、指先のほうから真正面に見る、という描写はずっとアニメーション界の課題だったんですが、あるアニメーターが逃げもせず、ガッツリ描いた。その画期的な方法が発明された途端、『ああ描けばいいんだ!』と一気に広まりましたから。

この「あるアニメーター」って誰のことだろう。ご存知の方、ぜひご教示を。

2019年2月26日(火)
『灰と幻想のグリムガル』7話

BD-BOXで観返している。中村亮介監督作品の中では、ダントツのできだと思う。
episode7「ゴブリンスレイヤーと呼ばれて」がとても良かった。

神官でリーダーだったマナトを喪い、替わりに加入したメリイは心を開いてくれない。メリイの過去を知ったハルヒロは、狩りの合間にメリイに向けて思いの丈を語り出す。
ハルヒロの言葉をバックに、パーティーの面々が順番に映る。

  

 

雨の中を一羽飛ぶ鳥と、並んで雨宿りする五羽。

 

言うまでもなく、これがメリイと他のメンバーである。

最初はバラバラだったメンバーも今は仲間だ、と語るハルヒロ。すると、先ほどは一人ずつ映ったメンバーが二人ずつ映る。

 

メリイからハルヒロを見ると、背景が明暗に二分されているが、



ハルヒロから見たメリイは同じ色の壁を背負っている。



毎度似たようなことを言っていて恐縮だが、メリイの背後の傾いだ梁が、彼女の心中の揺れを表している。
話が終わると、雨はやんでいる。



後半は狩りの日々が点描され、その合間に映る鳥の姿。並んだ鳥は六羽になっている。



訥々としたハルヒロの口調と、ほとんど表情を変えないメリイ。それでも、あくまで画面に語らせることでしみじみと心情を表現している、名場面と言えよう。

脚本:中村亮介/絵コンテ:柴山智隆/演出:西村博昭。

アニメ化されたのは原作2巻まで。原作はその後人死にを出しつつ迷走している感があるが、頑張って欲しいものです。

2019年2月6日(水)
高山文彦と「救えなかった子供」

10数年ぶりに『よみがえる空』を観返して、ひとつ気がついたことがある。高山文彦の作品には、「救えなかった子供」というモチーフがしばしば登場するのである。

『よみがえる空』('06)では、主人公・内田3尉は初めての災害派遣で少女を救うことができず打ちのめされる。これが社会に出たばかりの職業人の挫折として描かれる。
テレビ未放送の番外編「最後の仕事」では、本村准尉がかつて息子を亡くしており、メディックを引退する最後のミッションでそのことが大きく関係してくる。このエピソードは水上清資脚本だが、アイデアは高山のものである(BD-boxブックレットより)。

2001年の『WXⅢ 機動警察パトレイバー』では、犯人岬冴子は、 ガンで死んだ娘の身代わりとして、そのガン細胞をもとに怪物を育てていた。これは原作と大きく異なる。原作では、業績を奪われて不遇のうちに死んだ父の復讐が動機だった。
2007年の『ストレンヂア 無皇刃譚』では、主人公名無しは、かつて間者として潜入した先の領主の息子を、自ら手にかけた。その贖罪の気持ちが、仔太郎を救う強い動機になっている。
すなわち冴子と名無しは、志向は逆でもほぼ同じ動機を抱えたキャラクターと言える。

この変形が『ガンパレード・マーチ』('03)と『超時空世紀オーガス02』('93)。
『ガンパレード・マーチ』に登場するののみは、兵器システムの一部として身体に処理を施され、永遠に子供のままである。これもアニメ版のオリジナル設定。舞は、自身がその開発者の家系ということに罪悪感を感じている。
『オーガス02』では毒殺されるシプレー王子がいるが、もうひとり、花にしか興味を示さないペリオン王子もまた子供と言える。誰も彼らを救えなかったことが、大きな悲劇を生む。

思えば、『ガンダム0080』('89)の主人公アルも、死にこそしないが救われない子供だった。

これだけ続くと、高山個人の体験が何かしら反映しているのではないかと思いたくなる。

現時点の最新作『アリスと蔵六』('17)も、子供と老人の関係が主軸であって、高山のこうした持ち味によくフィットしている。なおアニメ化されたのは原作5巻までだが、ぜひ続編が観たい。特に最新の8巻は、アリスと蔵六二人にとてつもないジレンマを与えている。これをきれいに解決できたら、掛け値なしに世界のSF史上に残る傑作になるだろう。期待したい。

2019年1月20日(日)
『裏アニメ』

スカパー!のAT-Xで、『津田健次郎presents裏アニメ』を観ている。声優の津田健次郎が様々なアニメのスタッフを招いて、制作秘話を聞く番組。そのテーマが作品ではなく美術や編集や録音であるのが大きな特徴。決してバラエティ番組ではなく、津田が「アニメはどうやって作られているのか」に心底興味を持ち、スタッフに心から敬意を抱いているのが伝わってくる良心的な作品である。
今回はCGスタッフを招いて、『宝石の国』の制作時のお話。

話し手は、オレンジのVFXアートディレクター山本健介氏と、プロデューサーの半澤優樹氏。
面白かった点をいくつかメモ。

○コースティクス
『宝石の国』のビジュアルで印象的だったのは何といっても、宝石の髪を通して肩に落ちる光。物体を透過して反射・屈折した光が作る模様をコースティクスと呼ぶのだそうだ。当初は、ある形状の髪を透過したらどんな模様になるかをきちんと演算して、正確なコースティクスを作ったのだが、結局それは採用されず、単に揺らめく光を乗せるだけになった。
興味深いのはその理由で、「観客の視線がコースティクスに向いて表情の芝居を見なくなるから」だった。いかに正確でも美しくても、表現したいことに貢献しなければ意味がない。
このぶれない姿勢が頼もしい。

なおこれを聞いた津田は、「声優でも、上手な人は重要でないセリフを『捨てる』のがうまい」と言っていた。新人はつい、自分のセリフすべてに心を込めて力一杯演じてしまいがちだが、それでは本当に肝心な部分が伝わらないのだそうだ。

○アンタークチサイトの凝結
アンタークチサイトは、常温では液体で、摂氏25度以下になると凝固する珍しい鉱物である。オレンジのスタッフは、作画参考のために各種の宝石・鉱物を収集した。特にアンタークチサイトの登場シーンのため、融かしては冷えた部屋に持ち込んで結晶が成長する様子を観察した。「液体中で結晶が成長し、ある瞬間一気に全体が固化する」のだそうだが、だんだんそれ自体が面白くなってしまって、「CGそっちのけで延々融かしたり固めたりしていた」そうな。

○宝石の服の質感
宝石たちが着ている服は麻を織ったもの、と設定が決まっており、麻のタッチを乗せてある。
大画面でよーく見れば分かるということなので努力してみた。

 

例の肩の光の部分を見れば、なるほど確かに絣の模様が入っている。
今のところ、気がついた観客はいないということだがそりゃそうでしょう。

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