新房昭之監督、初の劇場オリジナル作品(原作付きとは言え)。監督のインタビューでは、TV作品との違いは特に意識しなかったということだが、できあがった作品は堂々たる映画だった。
ざっくり印象だけ言うと、既存の作品で一番近いのは『グラスリップ』ではないか。海辺の町とか、「あり得たかも知れない未来」というモチーフとか。むしろ、『グラスリップ』がそもそも原作『打ち上げ花火』の影響下にあると言うべきか。
作品すべてに説得力を与えている、なずなの圧倒的ヒロイン力。
知人に、『傷物語』のキャラクターデザインがTVシリーズと変わったのを怒っていた人がいた。私自身は、もちもちで柔らかそうな羽川さんも好きだが。渡辺明夫デザインの美少女を大画面で堪能できるという点で、本作はお勧めかも知れない。特に個人的には、口角がきゅっと上がった描き方がツボ。
そう言えばこの映画も、携帯電話が出てこない。
考えてみると、新房監督の作品にはあまり携帯電話が出てくる印象がない。調べれば出てくるだろうけれども、私が思い出せる範囲では『物語』シリーズに何回か登場したくらいか。
「○○には2種類ある。○○と○○だ」的な言い方をすれば、「映画監督には2種類ある。携帯電話を使う監督と使わない監督だ」と言えるかも知れない。
前者の代表が新海誠、ということになる。新房は1961年生まれ、新海誠は73年生まれ。
序盤はごく普通の画面作りなのだが、ループに入ると、突如として超クローズアップが多用されて新房タッチになるのが面白い。
未確認だが、ループを繰り返すと花火を打ち上げる発射筒が一つずつ移動しているようだ。
ところどころ微妙にピントがボケてるような画面が気になった。まさか今どき、劇場のせいではないと思うのだが。
作画について言うと、クロールが凄い。特にクイックターンのシーン。
高低差のある駅のホーム、工事中なのか足場の組まれた灯台、円形の学校など、舞台装置がとにかく工夫されていて面白い。
学校が上から見ると丸いのは、花火になぞらえているのだろうな。モデルがあるのかも知らんが。
パンフの岩井俊二×新房昭之×大根仁の対談から。
岩井
(略)
今回アニメならではだな、実写ではできないなと思ったのが、眼球の芝居なんです。寄りが出てくるじゃないですか。その目がすごくキラキラしていて、芝居をしているんですよね。実写じゃ役者さんの目だけ切り取って芝居しろと言ってもできないわけで、アニメならではの表現ですよね。
“まどマギ”は顔芝居を消去したというか、割愛してしまったことで観たことのないものになっていたわけですが、今回は逆に寄っても寄っても表情があって、瞳まで寄っても表情があるというところで勝負しているんじゃないかな、と。アニメは絵で動かないので、アップにたえられないってよくいわれるんですよね。でもそこが新房さんのオリジナリティで、その中にさらにディテールがあって、もしも玉や花火も丸いですが、瞳の丸い印象もあって、これはまなざしの映画だったのかなと思いましたね。
実写だと、セルジオ・レオーネの映画など目元の超アップがよく出てくるのでアニメオンリーの表現というわけではないと思うが、アニメは顔の情報量が少ない分、瞳のディテールに凝る傾向があるのは間違いないところだろう。
そう言えば『花とアリス殺人事件』は、瞳の描き込みはさほどでもなかった。
岩井
『打ち上げ花火~』の登場人物も明らかに漫画というくらい凸凹していて、同じ6年生のグループなのに一番小さい子は小3で、一番大きい子は中3という本来ありえないキャスティングにわざわざしていて、それってたぶん漫画っぽくしたかったからで、いろんなところでアニメの影響を受けながら作っていた気がします。
原作『打ち上げ花火』を観たのはもうずいぶん前で、細かい部分は覚えていないが、「奥菜恵がとうてい小学生に見えない問題」が20年ぶりに解決した!わざとだったんだ。
しかしまあ、町の名前が茂下(もしも)町ってさすがにやり過ぎとちがうか。
あのラストの展開について。都合のいい夢を見せるもしも玉は、青春時代を終えるに際して必然的に失われるべきアイテムである。だから物語を締めくくるには、典道にもなずなにも利害のない第三者の手で破壊されなくてはならなかった。花火師が打ち上げることで破壊されるという展開それ自体には、大した意味はない。
ぶっきらぼうな終わり方が実にクールで映画らしい。良い物を観せてもらった。
公開一週間目に観に行って、入りは7割程度。チケットも苦労せずに良い席が取れた。あえて言うが『君の名は。』のようなわかりやすい映画ではないので、大ヒットとはいかないかも知れない。
しかしこれは、間違いなく2017年を代表する映画である。『まどか☆マギカ』を終えた後燃え尽きたように見えていた新房監督、いよいよ本格的に再始動、いや新境地だ。
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