更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2015年10月22日(木)
70年代のリアリズム表現

最近スカパー!で(書き出しこればっか)、『UFO戦士ダイアポロン』('76)を観ている。
9話「少年の笛に巨獣が泣いた」でちょっと驚いた表現。



主人公グループが乗る円盤戦闘機のコクピット脇に、パイロットの名前と注意書きが描いてある!



逆三角形のマークは、現用ジェット戦闘機の危険部位(駆動部や火薬類)を示すものである。1976年の段階で、こういう表現がリアルさを補強するものだ、という思想がすでにあったわけだ。

私の記憶では、こうした表現は'82年の『機動戦士ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編』で、セイラさんの乗るコアブースターにパイロットネームが描かれているのを見たのが最初。当時、とてもリアルな表現に感じたのをよく覚えている。
思わぬところに先行作品があった。

他の話数では見られない表現なので、作画スタッフのアドリブと思われる。

作画監督:木村圭市郎
原画:坂巻貞彦、坂田透

2015年10月13日(火)
『六花の勇者』が到達した地点

偶然にも同日に山本弘先生が『六花の勇者』について述べていたので、少し追記。

ミステリとはものすごくざっくり言えば、常識的には起こりえない事件の謎を論理的に解明することを主眼とする物語である。したがって、まず強固な常識を大前提として示す必要がある。ここ数年、コンスタントにミステリアニメと呼べる作品が作られているのは、アニメにおけるリアリズムを描写する手法が完成したからではないだろうか。

その手法とはこれも簡単に言えば、精緻な背景美術と正確なパースのレイアウトで空間を構築し、比較的写実的な人物に芝居をさせる、というものである。アニメだからあくまで「比較的」だが。最大の特徴は髪の色である。前述した『氷菓』『あの花』『Another』の登場人物はいずれも、黒を基調とした現実にありそうな髪の色を選んでいる。これがピンクや緑だったら、あの話は成立しなかったはずだ。ここに今 敏作品や劇場版『パトレイバー』シリーズを加えれば、もう少し射程が伸びるであろう。

その上で改めて『六花の勇者』を考えると、先行作品より一歩先へ進んでいることが分かる。
この作品は、魔法が存在する世界を舞台にしている。すなわち我々の日常とは異なるレベルの現実をまず構築し、その上で「魔法が存在する世界において非常識な出来事」を描写して、さらにそれを論理的に解決してみせているのだ。
ハードルがひとつ増えていて、それを見事に乗り越えている。

この作品は、原作付きという点を割り引いても、地味ながらアニメ表現の可能性を大きく広げたのかもしれない。

2015年10月12日(月)
雑記

○ 新作アニメを観ていると、ついつい「どこかで見たようなのばかり」と口走ってしまうものだが、しばし待たれよ。
最近どきっとした言葉。

(『蛇イチゴ』が寅さんに、『ゆれる』が『羅生門』に似ていると指摘されて)
‐しかしむすっと口元を歪めた私とは対照的に、指摘してくる人達はなぜだか皆一様に達成感に満ちた笑顔を浮かべていた。それもわからないではない。人は一見無関係な物事の類似点を発見すると、本能的なレベルで高揚する生き物なのだ。

           西川美和「遠きにありて」『Number』第887号、2015年10月、9ページ。

日本映画界のホープ、西川美和監督のエッセイから。
似た作品を見つけた(と思った)だけのことで、何か意義あることをしたような気分になる。
我が身を振り返ってぞっとする。


○ スカパー!で『蒼き流星SPTレイズナー』を観ている。ちゃんと観るのは初めて。こんな描き込みの多い手描きロボットアニメを毎週放送していたなんて、80年代て凄い時代だ。

それはいいのだが、入れ替わり立ち替わり、頑迷な軍人やら利己的な政治家やらが出てきていっこうに話が進まないので、イライラする。
そこで思い出されるのは『アルドノア・ゼロ』。本作は頭いい人しか出てこないので、ストレスがなかった。典型的なのが1期のクライマックスで、デューカリオンがシベリア基地に到着したとき。
てっきりまたぞろ無理解な上層部の横槍とか入るんだろうと身構えていたら、そういうどうでもいいことは一切すっ飛ばして、即アセイラムの放送に移ったので感心した。
ストーリー展開のために不要な枝葉は、勇気を持って切る。この一事だけをもってしても、私は本作を支持する。


○ 7月期の作品では、『六花の勇者』が良かった。異世界ファンタジーならお手の物の高橋丈夫監督。舞台装置こそファンタジーの体裁だが、やってることは完全に謎解き。
『氷菓』『あの花』『Another』あたりから続く、ミステリアニメの系譜に連なる作品だと思う。タイトルをつい「りっか」と読んじゃうのが難点か。
ところで、最終回の絵コンテを川尻善昭が描いていたのはびっくり。マッドハウス以外で仕事するのは珍しい。元請けのパッショーネというスタジオは初めて聞いたのだが、マッドハウスと関係のある会社なんだろか。


○ 『アクエリオンロゴス』の製作委員会に、加賀電子という会社が入っているのが気になる。
パチスロの基盤を作っているのかと思ったら、音響制作らしい(こんなことも調べれば分かるのか!)。ホームページによると、最近アミューズメント事業、コンテンツ制作にも参入とのこと。

2015年10月6日(火)
戦国自衛隊2015

つまり、『GATE 自衛隊 彼の地にて斯く戦えり』のことなのだが。
また始まったと思われようが、やっぱり言っておこうと思う。

自衛隊がエルフの国に行っちゃう話だ、程度の予備知識で2話まで観てびっくりした。
何に驚いたって、ガチで戦争してるんだもの。

ある日異世界から侵略を受けたので、こちらから向こうへ出向くことにしました。
敵地に陣地を作ったら武装した野蛮人が攻めてきたので皆殺しにしました。
そこまでは(すでに頭が痛いが)まあよしとしよう。

さて問題です。
ひといくさ終えた軍隊は何をするでしょうか?

答え。こういう仕事をするのである。



ほっとくと腐敗して不衛生だからね。とりあえず塹壕に放り込んで仮埋葬するのだ。戦闘が一段落したら掘り出して、改めて本埋葬を行う。日露戦争中の旅順攻囲戦は約半年間続いた激戦だったが、現場同士ではしばしば停戦していた。戦場清掃、つまり死体収容のためだ。敵が全滅したらなおさら自分たちの手でやるしかない。

続けて問題。こういう仕事をした人間は、まともな精神状態でいられるだろうか?
いくらなんでも、この作品は脳天気すぎる。ファンタジーなんだから堅苦しいことを言うな、との反論もあるだろう。『ガルパン』の時にもよく言われた。
ならば、なぜ『ガルパン』には本物の戦車が登場するのか?現実との接続をより強固にするためではないのか?

そりゃ私だって、ロボットに変形する戦闘機に乗って巨人族異星人と戦う話なら文句は言わない。だが『GATE』が扱っているのは、実在する日本国の実在する自衛隊が、実在する89式小銃で戦う話である。ならば、実在する自衛官にふさわしいリアリティが要求されてしかるべきだ。でなければ、自衛隊を登場させる意味がない。
『アメリカン・スナイパー』公開と同じ年にこれがテレビで放映されているなど、グロテスクな喜劇である。

ここ数年、米軍は世界各地で無人機による攻撃を行っている。自国兵士の損害が出るのを嫌ってのことだが、最近、その無人機のオペレーターがPTSDを発症する事例が多く見られ、問題になっている。ミサイルが命中する瞬間までモニターで目の当たりにし、しかもその後、「勤務時間」が終わると自宅に帰って普通に家族と接する、というあまりのギャップの大きさが、精神を蝕んでいくらしい。
よく知られているように、PTSDが問題になり始めたのはベトナム戦争以後である。そのはるか以前から同じ症状はあったが、怯懦や仮病として、あるいは勝利の影で問題視されなかった。しかしベトナム帰還兵の心の病が社会問題となって以降、米軍を中心に研究が進み、帰還兵の社会復帰プログラムが開発されてきた。それでも、PTSDを完全に防ぐことはできない。あの超・楽勝だった湾岸戦争ですらPTSDの発症例がある。ここから導かれる結論はひとつ。人間の精神は、戦争に耐えられないのだ。

勝とうが負けようが、正義があろうとあるまいと、戦争は人心を荒廃させるのである。

実は、本作とよく似た作品がある。豊田有恒の『タイムスリップ大戦争』(1975年)である。ある日、現代の日本列島が丸ごと過去の世界へタイムスリップしてしまう。日本は圧倒的な科学力でやりたい放題、「かっこいいパックス・ジャポニカ」を実現する。しかしその結末は・・・。
『GATE』にもこうしたクールな視点があることを願う。

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