更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2015年9月24日(木)
『心が叫びたがってるんだ。』

アニメは、いろんな理由や過去の経緯から、思春期を描くことに注力してきた表現である。
この映画は、その極北に到達した作品である。長井龍雪監督待望の新作、それもオリジナル劇場映画の本作は、「青春時代ならではの」としか言いようのない様々な痛みや葛藤やよろこびを、丁寧に繊細にすくいあげてみせた。
私は正直、長井はそろそろ、作家として青春・恋愛といったテーマから距離を取るべきではないかと思っていた。次回作が『ガンダム』の新作だというのは期待のはるか(斜めに)上を行っていたが、「この路線」の集大成として、本作は歴史に残る出来である。
ミュージカルそのものを作るつもりではなかったようだが、日本アニメでミュージカルをやるとこうなる、というマスターピースでもある。歌がもたらす小さな奇跡。特にクライマックスのクロスメロディは、問答無用の説得力。

あとどうでもいいけど、ネス湖のペナントが強烈なインパクト。

パンフレットから気になった点を摘記。
長井監督のプロフィール。

1976年、新潟県生まれ。木村真一郎のもとで演出を学び・・・

長井が木村真一郎の弟子筋に当たるということは、活字で明記されたのは初めてなのでは。

監督インタビューから。

演出や監督は、脚本の行間を汲みながら作品を作っていくので翻訳に近い仕事。(中略)田中さんは、僕のコンテをさらに翻訳する係なんですよね。僕がコンテで「こういう風に見せたい」と描いたものを、よりわかりやすく絵で表現してくれます。今回も田中さんらしい、柔らかい表現がたくさんありました。アクションシーンのように絵で見せ切るシーンがない中、細かいところをひとつひとつ丁寧に積み上げてくれて、とてもいい感じに仕上がりました。

「階段の上から見下ろす」という恐ろしく難しそうなレイアウトをいとも簡単に使いこなしているのが凄い。

キャラクターデザイン・総作画監督、田中将賀インタビュー。

アニメーターとして一番嬉しい瞬間は、声や音が入る前の映像を見て「そのキャラクターが何を言いたいか分かった」と言われたときですね。止まっている画だけで感情を表そうとすると、一枚ですべてを見せなければならない。表情にしても限定されてしまうんですよ。でもアニメーションは画を動かせる。複数枚の画を使って、キャラクターの心情を表現できるんです。例えば悲しいシーンでも、悲しい顔をさせずに悲しさを動きで伝えることができる。もちろん突き詰めれば画は記号なので、分かりやすく描いたほうが伝わりやすくはあります。でもそれだけだと同じような画にしかならないんですよね。そうではなく、より伝わるにはどうしたらいいのだろうと常に模索しています。

特に、2回ある拓実と菜月の夜の会話シーン。道路標識や渡り廊下といった舞台装置の見事な使い方と相まって、息詰まる緊迫感がある。

長井監督と音響監督・明田川仁の対談。

長井   しゃべらない女の子ということで、順は前半ほとんどセリフがなかった。息遣いや相槌だけの演技は水瀬さんもなかなか大変だったと思います。

明田川  実は息遣いによるリアクションって、悪く言うとパターン化されている部分があるんですよ。今回はそれを少しでも生々しく聞こえるようにしたかった。

やっぱりあの息の芝居って、現場でも問題視されてるんだ。

最後に特筆すべきは、本作はSFでもなくファンタジー要素もゼロ、ということだ。玉子の妖精はじめ幻想シーンはあるにはあるが、現実に起こりえない出来事は一切起きない。劇場オリジナルアニメでそんな作品が過去にあったかというと、なかなか思い当たらない。
長井のインタビューより。

何でもない話ですが、何でもない中にドラマがあります。

細田守に聞かせてやりたいセリフである。

言い忘れていたので細田監督の名前が出たついでに言うと、『バケモノの子』って、『UBW』と同じ話だよね。
「胸の中の剣で、自分の似姿と戦う」という。

2015年9月15日(火)
『映画館と観客の文化史』

加藤幹郎著、中公新書、2006年。
映画黎明期から今日までの映画の上映形態をたどり、映画の見方が本来極めて多様だったことを明らかにした本。

前史としてのパノラマ館に始まり、キネトスコープ、ヴォードヴィル、ニッケルオデオン、ピクチャー・パレス、ドライブイン・シアター、そしてシネマコンプレックス、アイマックスへと至る、映画史ならぬ映画館史を、アメリカを中心に俯瞰できる労作。

通常、映画の定義とは、「スクリーンに拡大投影された動画像を不特定多数の人間が同一の場所で視覚的に共有するというもの」である。
著者はこの定義を、リュミエール兄弟による映画の発明と興業を中心とした映画館史に偏りすぎたものとして否定する。

そもそも映画館とは何か?
映画を上映する場所であり、不特定多数の観客が参集して鑑賞する、というのが通常の定義であろう。ところが、

映画史最初期において映画は映画館で見るものではなかった。映画を見ることが映画館へ行くことを意味するようになるのは、後述するように遅くとも一九〇五年ころまで待たなければならない。それまでの一〇年近く、映画はもっぱらヴォードヴィル劇場などで他の演し物(ライヴ・パフォーマンス)とともに添え物的に上映される存在にすぎなかった。通常ニッケル(五セント硬貨)一枚で映画が見られるニッケルオディオンと呼ばれる常設映画館がアメリカで流行しはじめる一九〇五年ころまで、映画は今日言うところの映画館とはほぼ無縁の存在であった。

ではそれ以前、1894~1903年ころの前映画館期にはどうしていたかというと、

キネトスコープと呼ばれる、映画館とはいっさい無縁の箱形映画装置がデパートやドラッグストアやホテルやパーラーなどに設置されていた。これは実質的に映画を見る世界最初の装置のひとつだった。この箱形映画装置が映画館(の暗闇)を必要としなかったのは、それが観客がひとりで木箱のなかを(成年男子ならかかえこむようにして)覗きこむ非投影式の映画装置だったからである。(46-47ページ)

『続・エマニエル夫人』でシルビア・クリステルが見てた奴だ。

私は、映画はなるべく映画館で観る主義だが、それは単になるべく良い環境、優れた画質・音質で観たいからであって、不特定多数の観客と体験を共有したいという欲求は全くない。
むしろ、他人の感想を聞きたくないので、上映後は館外に出るまで耳栓するくらいである。
先の映画の定義から、長い間、私は映画の観客としてふさわしくないのではないかという恐れを内心抱いていたのだが、本書を読んでそんな心配は全然必要ないということがよく解った。

その後、ニッケルオデオン期を経て1920年代には、アメリカ経済の躍進とともに豪華絢爛なピクチュア・パレス(映画宮殿)の時代に入る。

世界中の多くのピクチュア・パレスが往時エキゾティシズムを強調した。映画を見ることが日常生活からの一時的逃避であるとすれば、映画を見せる場所(映画館)もまた顧客の逃避願望を満足させるために、徹底して無責任なエキゾティシズムを用意しなければならなかった。
(112ページ)

アカデミー賞の授与式会場が何で「チャイニーズ・シアター」なのか初めて知った。

1950年代に入ると、自動車の普及と戦後のベビーブームとが相まって、ドライブイン・シアターが登場する。
ベビーシッターを雇う余裕のない若い夫婦でも、車の中にいることで赤ん坊の泣き声を周囲にはばかることなく娯楽に興じることができるからだ。
とりわけなるほど、と思ったのが、ドライブイン・シアターは公共空間の中に私的空間を持ち出すものであり、テレビ時代への過渡的現象だったという指摘。

ドライヴ・イン・シアターは公的空間を部分的に私物化し、映画館をいわば自家用化する、テレヴィ期にいたる過渡的存在として人気を博した屋外映画館である。それゆえそれはテレヴィ産業の普及拡大とともに衰退の途をたどるしかなかった。(139ページ)

私がドライブイン・シアターと聞いて思い出すのは、ジョン・トラボルタとオリビア・ニュートン・ジョン共演のミュージカル映画『グリース』('78)である。小学生のころ家にテレビ放送を録画したビデオがあって、繰り返し観た。
作中ドライブイン・シアターで、トラボルタがオリビアを押し倒そうとしてフラれ、傷心で歌うシーンがある。そのシーンのバックで写っているアニメにご注目。ホットドッグのパンが、ソーセージをくわえ込む!







この後の展開を暗示しているわけだけれど、イミシン・・・いや露骨すぎるわ。なお、このシーンでオリビアが力任せに閉めた車のドアで、ある部分をぶつけたトラボルタが悶絶するのだが、当時はなぜあれが痛いのかわからなかったのであった。

2015年9月9日(水)
発掘調査その2

まだ見ぬ資料を求めて、大学図書館の地下書庫へとダイブした私。
戦艦「榛名」の写真の前を通り抜け、さらに地下深くの魔窟へと足を踏み入れた私の前に姿を現したのは、およそ余人の想像を絶する物体であった・・・・・・!

これでした。



テレビ放送したことあったのね。さすがに観たことない。
観てみようとしたらベータだった、という『カウボーイビバップ』みたいなオチまでついた。

2015年9月7日(月)
発掘調査

大学図書館の地下書庫をあさっていたら、こんなものがなにげに壁に掛けてあるのを見つけた。



元乗組員から寄贈された戦艦「榛名」の写真。説明によると、昭和4年に高松宮が視察に訪れた際、乗組員全員で撮影した記念写真とのこと。
「榛名」は長命な艦なので写真も多く現存するが、この写真は初めて見る。もしかしたら未発表写真かもしれない(なので、画像サイズ控えめにしている)。


しかしこの先にさらなる衝撃が待っていることを、このときの私は知るよしもなかった(つづく)。

2015年9月2日(水)
野球ネタ3年分

かなり前から専門の野球ブログを愛読していて、結果自分で野球について書くことがなくなってしまっていた。気がついたら野球関係のネタがずいぶんたまっていて、今年はスワローズが頑張っていることも相まって御蔵出ししようという気分に。

もうすっかり古くなったネタもあるがご容赦を。

○ 統一球騒動
いきなりもう誰も覚えていないようなネタ。統一球で低く抑えたはずの反発係数を、こっそり上げていたという事件。何となく発言し損ねたままだった。今となっては、もうどうでもいいんじゃね?という気がしている。
そもそも、ボールの反発係数はほんとうに下4桁までコントロールできるようなものなのだろうか。いくら大量生産品の工業製品とは言え、「ゴムボールに羊毛を巻き付け牛革で包んで糸で縫う」などという製法で作られる製品が、そんなに精密に生産できるとは思えない。
今回発覚したような反発係数の変動は、本来日常的に起きる現象だったのではないか。
「桶川ストーカー殺人事件」という事件がある。1999年、桶川市で女子大生がストーカー男に殺害された事件である。警察が、事前に相談を受けていたにもかかわらず対応していなかったことが批判を浴び、これ以降、警察は被害届をすべて受理するようになった。その結果、統計上この年から犯罪が激増しているように見える。
これと同じで、統一球導入以降は厳格に検査をするようになったから目立っているだけではあるまいか。そう考えると、問題発生時の対応-NBPの事務局長がコミッショナーの許可も得ずに指示を出していた-の奇妙さにも納得がいく。つまり、単によくある品質のばらつきと考えていた、ということである。


野茂投手は、近年、メジャーで投げる日本人投手が必ずといっていいほど悩まされる「滑るボール」についても、まったく無頓着だった。

「ホントに日本のボールとの違いはわからなかったですね。『あ、ボールちゃうな』と気にし始めたのは、肩を手術('03年10月)した後です。『やっぱりちょっと重たいな。日本のボールの方が投げやすいな』と。それまでは、『そんなに違うかな』と思ってました。だいたい、滑るって、毎日毎日ボール違いますからね(笑)。日本でやってるときも、ボールのかかりがいい日もあれば、全然あかんなという日もありました。要するに、考えてもどうしようもないことは考えなかったということです。マウンドに上がって結果を出す以外の策はなかったですからね」
『Number』804号、2012年6月、20ページ。

引退後の発言で、加えて野茂ほどの実績あって初めて言えることではあるが、日本人選手、及び日本代表チームに求められるのは、こういう良い意味の「鈍感さ」ではあるまいか。

いずれにせよ、これ以上この問題で選手の声やファンの意見、評論家の感想を聞くのは無駄だと思う。それよりも品質管理や生産管理の専門家の意見が聞きたい。


○ チャレンジ制度
メジャーリーグでは昨年から、ビデオ判定の適用範囲が大幅に拡大された。私はチャレンジ制度に賛成だ。

チャレンジ制度への主な反対意見といえばまずは、「ビデオでも判定できない場合がある」というもの。
そりゃあるだろう。その場合は「行司軍配通り」でいい。

次に「試合が間延びする」。平均して3時間以上もかかるゲームが今さら5分や10分延びたところでどうだというのか。第一、野球はもともとひどく間の長いスポーツである。球場の観客はトイレに行くし、TV観戦ならチャンネルを変えればすむことだ。

ビデオ判定があろうがあるまいが、どうせ抗議はなされる。判定が覆らないのにムダな抗議に出てこさせるくらいなら、判定が変わる可能性のある枠組みを作った方がましである。
副次的な効果として、退場が減るのではないか。判定を覆せるなら、必要以上にエキサイトすることもない。

反対する意見に多く見られるのは、「審判の権威を損なう」というものだ。
その「権威」とは何だろうか?
辞書によると、「他の者を服従させる威力」とある(デジタル大辞泉)。
この場合、選手や監督に有無を言わせず判定を承服させる無形の力とでもいえばよいだろうか。
審判が肉眼で判定する方法は、ビデオどころかラジオ中継さえなかった時代のものである。今やあらゆる観客があらゆるプレーを録画で確認でき、ひとたび録画された映像はネットを介して半永久的に残り、いつでも誰でも参照できるのだ。そんな時代に、誰の目にも明らかな誤審に対してまで「審判の判定は絶対」と主張し続けることが、審判の権威を守ることにつながるだろうか?私は逆だと思う。
審判の役割も時代とともに変わって当然である。

ビデオ判定は当の審判にとっても救いになる。ガララーガ投手の幻の完全試合を見るまでもなく、誰がどう見ても明らかな誤審を、訂正する機会すら与えられないのは審判に対して残酷である。
それだけの厳しさを持って職務に当たれと言うのか?
それが正しいのかもしれないが、私は、職業人としての我が身を省みてそこまで他人に要求できない。

なにより、問題があれば制度を変えて改善しよう、改善できるはずだ、という信念をうらやましく思う。

なお私が見聞した中で建設的な指摘だと感じたのは、「ダブルプレーにおける捕球・送球の定義が変わりつつある」というものと、「ベンチが自分でビデオ確認し、勝ち目があるときだけチャレンジに出てくるのはアンフェアではないか」というものだった。


○ ファインプレーと守備力
ファインプレーをした選手が守備がうまいとは限らない、とよく言われる。ポジション取りの下手な選手、打球に対する反応の鈍い選手がギリギリで追いついてファインプレーに見える場合があるからだ。
これは本当だろうかと常々思っていたら、ちょうど良い機会があった。
スカパー!で放送中のプロ野球ニュースでは、「本日のファインプレー」のコーナー、及びその中のベストプレーを選ぶPlay of the Dayのコーナーがある。2013年10月7日のプロ野球ニュースで、1シーズンでPlay of the Day選出回数の多い選手が誰かを紹介していたのである。
それによると、
1位 菊池(広島) 29回
2位 藤田(楽天) 21回
3位 本多(ソフトバンク) 19回
4位 バルディリス(オリックス:当時) 17回
5位 鳥谷・西岡(阪神)、小谷野(日ハム) 15回

だった。

彼らのレンジファクターと、リーグ平均とを比べてみる。
菊池 6.23(5.05)
藤田 5.65(4.91)
本多 6.31(4.91)
バルディリス 2.15(2.16)
鳥谷 4.78(4.25)
西岡 4.65(4.25)
小谷野 2.21(2.16)

()内が、同じ守備位置のリーグ平均。
ただしレンジファクターは守備イニング数でなく出場試合数で計算した擬似的な数値。リーグ平均は、単純に各チームのレギュラー選手のレンジファクターを平均した数値である。

3塁のバルディリスと小谷野はともかく、2塁と遊撃の面々は明らかに平均値より数値が大きい。特に菊池と本多は突出している。

すなわち、印象的なファインプレーを数多く演じている選手はやはり守備がうまいと言えそうである。



○ 敬遠タイトル
2014年10月のNumberのアンケート「プロ野球、タイトル獲得のための敬遠はあり?なし?」

衝撃の結果である。6:4でタイトル獲得のための敬遠容認。それも『Number』を読むようなファンが。ちなみに一時期は7:3であった。私は今までてっきり、あれが通用するのは球界関係者の間だけであって、心あるファンはみな白眼視しているものとばかり思っていた。
ファンの意識がこれでは、根絶されないのも当たり前だ。

記録とは、勝利のために全力を尽くした結果ついてくるものである。勝利に寄与しないタイトルなど何の意味もない。
良識あるファンがこう正論を主張すると、決まって「敬遠も作戦のうちだ」と言い出す奴がいる。
くそくらえだ。

「タイトルのための敬遠か勝利のための敬遠か区別できない」だと?
できるって。常識で考えりゃ誰にでも。
もしも本当に、タイトルのためか勝利のためか判別できない敬遠があったとしよう。そのときこそマスコミの出番だ。不可解な敬遠指示について、その采配の意図を質すのはそれこそスポーツジャーナリズムの権利であり義務である。いや、使命であるとさえ言っていい。

もっと端的な証拠を挙げよう。
昨年のオリックスが、優勝を逃した次の試合で早速敬遠合戦に着手したことこそ、タイトル獲得のための敬遠が勝利の追求と何ら関係がない何よりの証拠である。

球界随一の美形監督として森脇監督を応援していたのだが、ただひたすらに残念だ。

昨年、メジャー最小兵の首位打者となったホセ・アルテューベの逸話

ベネズエラ出身の24歳は、今季最終戦で男を上げた。9月28日、敵地でのメッツ戦。打率.340でリーグトップのアルテューベに対し、2位のV・マルティネス(タイガース)が.337と2厘差に迫っていた。仮に4打数無安打に終わっていたら、打率.338と2厘下げてしまう。球団創設以来、首位打者を輩出したことのなかったアストロズ首脳は、アルテューベに欠場を強く迫った。

 そこから出場を希望したアルテューベとの押し問答が続いたという。

 当初は先発を外れていたが最後は球団が折れ、いつも通り「2番・二塁」で出場。見事に2安打を放ち、打率を.341へとさらに上げた。3打数無安打に終わったV・マルティネスを振り切って、首位打者の栄冠をモノにした。

「ベンチに座っていた首位打者なんて恥だ」と語る姿は、多くの関係者から称賛を集めた。

「ベンチに座っていた首位打者なんて恥だ」
その言やよし。これぞプロの心意気!


○ 黒田の日本復帰
ネット内の議論が例外なく不毛なのは、論点が整理されないからというのが大きな理由である。黒田の日本復帰に関する賛否両論も、いつも通り紛糾したまま終わった。私の見るところ、この件の論点は以下の4つである。
① 広島球団が、メジャーの相場より大幅に低い年俸をオファーしたことの是非
② 黒田がオファーを受けたことの是非
③ 黒田の決断を「男気」と褒めそやすマスコミ
④ 今後、メジャーへ挑戦する日本人選手への悪影響

それぞれについて私の考えは、
① 別にいいんじゃないの
② 黒田が決めること
③ 気持ち悪いけどスポーツ紙なんかどうせ読まないから
④ まだ起きてもいないことを心配してもしょうがない

というものである。
特に①について、「低い年棒を提示するのは失礼だ」という感覚が、宮仕えの私にはよく解らない。年棒とはつまりその選手に対する評価だから、「お前の値打ちはその程度だ」という意味なのだそうだ。
そういうものか。そりゃ面と向かってそう言ったら失礼だろうけど、「うちの総予算はこれだけなのでこれしか出せないが、日本でプレーするならぜひ選択肢に加えて欲しい」と言っても失礼なのか?
ビジネスと言えど、最終的にものを言うのは人間同士の信頼関係だろう。広島カープが黒田の古巣であるという特権を活かして足元を見ているとまで言うのは、酷だと思うのだが。

今も一流投手ではあるが、黒田の現役生活は間違いなく晩年に近づいている。プロ生活最後のシーズンを、慣れ親しんだ故郷で過ごしたいという気持ちは洋の東西を問わず理解できるものだ。
そして、故郷に帰る自由があること、帰る故郷があることは、とても幸せなことなのである。


○ 楽天内紛
三木谷オーナーの現場介入が問題になっている。
いつぞやの「清武の乱」もそうだったが、私に言わせれば、要するに責任と権限が契約上明確になっていないからこんな問題が起きるのである。
それを企業コンプライアンスと呼ぶなら、そう言ってもいい。選手の起用方針だの打順だの試合中の個々の作戦だのは現場サイドの専管事項として、契約書に明記させてしまえばよいのだ。オーナーがそれを無視するようなら、堂々と契約違反を訴えればよい。
「打順は現場の専管事項だなんて、そんなことは常識」だって?現に、従来の常識が通用しないオーナーがここにいる。現場の側も学習し、自衛すべきだろう。
今年は、フロリダ・マーリンズがシーズン途中で監督をクビにし、あろうことかGMを監督にしたことが話題になった。
その判断の当否はともかく(その後のチーム成績を見れば「当」とは言い難いが)、責任と権限ははっきりしている。監督はチームを勝利させるという責任を果たせなかったので、オーナーは人事権を行使したのである。

この問題が例によってややこしくなっているのは、セイバーメトリクスを駆使した新思考派野球と、経験に基づいた伝統的野球の対立が絡んでいるからである。つまりは、オーナーがアナリストの解析したデータを元に現場に容喙してくるのだという。一部報道でしか知らないので真偽のほどは定かでないが。
この問題にまつわる言説を見ていると、いわゆるマネー・ボールに代表される新思考派野球がオーナーの現場介入とワンセットで批判されていて、どうにも気持ちが悪い。
データを重視するか否かは、本来オーナーの現場介入とは別次元の問題のはずだ。

関連して、先日立ち読みした『SLUGGER』8月号に面白い記事が出ていた。「低迷パイレーツを変えたビッグデータ」。

ピッツバーグ・パイレーツといえば1882年創設の老舗ながら、かつての栄光はどこへやら、1993年から2012年まで、北米4大プロスポーツリーグ史上最長の20年連続負け越しという不名誉な記録を作ってしまった弱小球団である。
しかし近年、ニール・ハンティントンGMの指揮のもとで強豪へ変貌してきており、現在もナ・リーグ中地区2位をキープしている。
これもセイバーメトリクスの成果なのだが、興味深いのはその導入の過程である。
データ解析を行うのは、もちろん自身は野球経験がないアナリストたちである。フロントはまず、アナリストたちをチームの首脳陣との会食に招き、面談を重ねて信頼関係を築かせた。ついでクラブハウスにアナリストたちを常駐させ、ミーティングには毎回出席、遠征にも同道させた。そして、首脳陣がアナリストたちを信頼し尊重している様子を常に選手たちに見せることで、彼らの意見が採用されやすい空気を醸成していったのだという。

その成果が、例えば内野守備の極端なシフトである。近年問題視されることが多いが、あのシフトも単に守備位置を変えれば良いというものではなく、時間をかけてゴロピッチャーの頭数を整備する(フライを打たれたら無意味なので)施策を併用することで効果を上げていった。こうして失点を大幅に減らすことに成功したのである。
いかにデータ分析が進歩しても最終的にものを言うのは人間関係、という見本である。


○ 夏の甲子園
当サイトで特にアクセスの多い記事が「夏の甲子園大会優勝投手のその後」である。私が言いたいのは「高校野球の過酷な連投が優れた投手の選手生命を縮めている、改善すべきだ」ということだったのだが、読者の反応を見ていると「甲子園優勝投手がプロで大成するとは限らない」というジンクスと理解されてしまうことがほとんどだった。
嫌になってアクセス解析から外してしまったのだが、先日、主張に賛同する趣旨のコメントを頂いて大変嬉しかった。

聞くところでは、今年の高校野球は投手を複数そろえるチームが多かったらしい。無能無策の高野連に頼らず現場先行で改革が進むなら、それはそれで喜ばしいことだ。

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