更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2015年8月24日(月)
雑記

ジョナサン・デミ監督の初期作品『サムシング・ワイルド』('86)を観たらいろいろ発見があったので、以前書いた「ヘンな役名」の記事に追記。

また、ミリタリー関係の記事が結構な数になったため、目次ページを作成した。

2015年8月19日(水)
『のんのんびより りぴーと』6話など

7月からこっち殺人的に忙しくて、ご無沙汰しておりました。
アニメもぼちぼち観ている。
で、先週の『のんのんびより りぴーと』で気に入った表現。

菜園の水やり中にたまたま蛍と二人きりになった夏海は、話題が乏しいことに気付いて苦労する。
ポイントは、画面手前を区切る柵。



当初二人は左下の枠内にいるが、蛍は水をやりながら右へ移動する。

 

蛍が柵の向こう側へ行ってしまいそうであることが、夏海の「今話しかけなければ」という焦りを助長している。

首尾良く話題を提供したら、知らないアニメの話になってまたも苦悶する夏海。
無理矢理話題を変えようとするが、蛍はあっさりと元の話題に戻す。

 

夏海が話題を変えると雲が太陽をさえぎり、蛍が返すと再び陽が当たる。



 

癒し系でも日常系でも別にかまわない。映像として映画として、やるべきことをきちんとやっていればよいのだ。切った張ったがドラマではない。
絵コンテ・演出はタツノコ出身の超ベテラン、澤井幸次。


○ 『がっこうぐらしオブザデッド』
掛け値なしに予備知識ゼロで観たので、マジびっくりした。安藤正臣監督は『WHITE ALBUM2』で良い仕事をしていたので注目していた。今さらこんな作品手がけなくて良いのに、と思っていたがそういうことだったか。
ただ当初の驚きが失せると、アクション描写のたるさが気になる。

○ 『デビルマン』
スカパー!で最初のテレビシリーズの放送が始まったので観ている。実はちゃんと観るのは初めて。等身大ヒーローじゃなくて怪獣映画のノリなのね。生身の時に傷を受けると、変身してからの方が傷が拡大して苦しむ、という設定が凄い斬新。

○ 今回の夏コミは、追いかけているサークルが見事に3日間に分散してしまい、やむなく3日とも通った。ホテル代を含めると○万円は散財したはずなのに、駐車場のチョイスをしくじって600円損したことの方が気になる人間心理の不思議さよ。

2015年7月21日(火)
オーストラリア戦争記念館訪問記

訳あって、オーストラリアへ行っておりました。

その目的のひとつが、オーストラリア戦争記念館(Australian War Memorial)訪問。

とりあえず、たくさん写真撮ってきた

2015年6月25日(木)
『響け!ユーフォニアム』第十一回と久美子の身長と麗奈の決意

オーディション対決の第十一回がこれまたため息の出来。

ソロを香織先輩に譲ってやってくれ、と懇願されてつい弱気になる麗奈は、例によって久美子にのみ素顔を見せる。



何があっても麗奈に味方すると伝える久美子。



二人の身長と、微妙に傾いている背景の窓枠に注目(今回に限っては写真のせいではありません、念のため)。



問題はこのカット。



全力でオーディションに臨む決意を固めて振り返る麗奈だが、久美子との身長差が明らかに不自然だ。こういう風に見えるには、カメラをもっと地面近くに置いてあおった構図にしなければならないはずだが、そうはなっていない。
おそらくこれが、いつもの自信を取り戻した麗奈を印象づける工夫である。実際よりも大きく見えるというやつだ(もちろん、単なるレイアウトのミスでなければ、だが。京アニに限ってそれはないと思う)。

最後のカットの麗奈。



最初のカットでは日陰にいたのが、ここでは陽光が当たっているのに注意。ベタと言えばそうだが、それゆえの力強さが必要なときもある。

ところで、私の感想が世評と異なる場合(『ヴァルヴレイヴ』とか。自覚はしている)、こういう環境↓で観ていることが影響しているのかもしれない。

 



特に今回のオーディションの演奏は、香織と麗奈の音の違いが明瞭に判る。私とてオーディオマニア的に耳が肥えているわけではないが、正確ではあっても平板な香織の演奏に比べ、麗奈の演奏は明らかに艶とか表情といったものがある。「音色」と呼ぶにふさわしい。
観客もぜひ、なるべく良い音響で聞いて欲しい。


なおこのエピソード、部内の不協和音を静めるに当たって、部長・滝先生・顧問の松本先生と、先輩・指揮者・管理職という、指導的立場にある人がきちんと仕事をしているのが嬉しい。

2015年6月23日(火)
TVドラマのバイプレイヤー

アメリカのテレビドラマを観ていると、同じ顔がしょっちゅう出てくる。人気の俳優だからというわけでもなく、渋い脇役の人もそうなのだ。アメリカでは映画は映画、テレビはテレビの俳優組合に所属していないと仕事がもらえないというが、意外に狭い世界なのかもしれない。

『ボディ・オブ・プルーフ』を観ていたら、ディーン・ノリスが出ていた。『ブレイキング・バッド』で主人公の義兄のDEA捜査官を演じていたスキンヘッドのおじさんである。
こっちでもFBIの捜査官。IMDbで調べてみたら、サージャント何とかとディテクティブ誰そればっかり。警官と軍人専門の役者である。このご面相では無理もない-と、なんと『ターミネーター2』に出ている。
こんな容貌魁偉な役者、一度見たら忘れないと思ったのだが、どこにいたのか?

ここでした。



シュワちゃんたちが占拠したサイバーダイン社に突入してジョー・モートンを射殺するSWAT隊長の役。
こりゃわからんわ。

ついでに、同じく『ボディ・オブ・プルーフ』でマイケル・ヌーリという名前を見かけた。もしやと思って調べたらやっぱり。

『ヒドゥン』('87)で、カイル・マクラクランの相棒の刑事を演じた人である。あ、世間的には『フラッシュダンス』('83)の方が有名なのか。

2015年6月18日(木)
『響け!ユーフォニアム』第八回と第十回とエンディング

巷でも評判の第八回。初めて麗奈の内面に踏み込んだエピソードで、本当に素晴らしかった。
特別になるためにトランペットを吹く麗奈。
その麗奈に特別な存在と認められる久美子。

お祭りの夜に楽器を担いで山登り。
下界の明かりと星空と。
虫の音すだく展望台と白いワンピースと。

「何演る?」
「中三のとき演ったやつ。送別会の」
「アレ?」

「好きなの」

少し間を置いて発するこの一言が、久美子への気持ちとダブルミーニングでぞくりと来る。
しかも演奏する曲の名が「愛を見つけた場所」ときたもんだ。

絵コンテ・演出は藤田春香。不明にして私は初めて聞く名前だが、相変わらず若手演出家が次々に育つ京アニの面目躍如。ひとつだけ問題なのが、最近『放課後のプレアデス』の仕事で注目していた、春藤佳奈と紛らわしいことであろう。
それはともかく。

私は幼なじみという設定が大っ嫌いである。この作品も物語上あまり余計なことしないで欲しい。あすか先輩ではないが、ミュージシャンは楽器と恋してりゃいいのだ。
といって、百合方面に振られるのもイヤだなあと思っていたら、久美子に愛の告白をした麗奈が第十回でまた滝先生にラブ発言。因縁というか思い入れがあることは伏線が張られていたので意外ではないが、まだまだこの子は底が見えない。

それで思い出したのが、エンディングのこのシーン。
麗奈と久美子の、左手の小指同士が赤い糸で結ばれている(上段右は左の拡大)。

 

 

ところがその後のカットでは、麗奈の糸は右手になっているのである。





単に、正面からとらえた構図だと左手同士では絵にならない(糸が麗奈の身体の前を通らない)からかと想像していたのだが、おそらくこの糸の移動が、麗奈の得体の知れなさを補強する良いアクセントになっている。

最終的にはソウルメイト的な立ち位置に落ち着くのではないかと思っているけれど、さてどうなりますことやら。


蛇足だがこの作品、主人公の久美子が女子キャラの中ではかなりの長身という設定になっているようだ。これはわりと珍しいのではないか。
身長差があることは演出上の仕掛けがしやすい(例えば立ったり座ったりで立場の変化を表すとか)ということでもあり、見所のひとつになりそう。
と思ったら、第十一回でさっそく利用してた。これについてはまた今度。

表現に関してもう一つ。『氷菓』のキャラデザインは、髪の色が現実的な分、瞳がカラフルになっていたのだが、本作では瞳のハイライトだけが色鮮やかで面白い。「現実的でありながら華やか」を目指すデザイン上の工夫が感じられる。

2015年6月16日(火)
日露戦争戦没者の出身地に関する考察

ひきつづき日露戦争のはなし。

先日某氏のツイッターを見てたら、「日露戦争戦没者の顕彰碑は、旧賊軍地方に集中している。これは旧賊軍から重点的に徴兵されたに違いない」という意味の書き込みがあった(正確に言うと、後段はぼかした書き方になっているので私の推測)。
そんなことがあるだろうかと思って調べてみた。

まず旧賊軍地方とはどこを差すのかだが、会津藩、庄内藩及び奥羽越列藩同盟を考えるのが妥当だろう。県で言えば、東北各県と新潟である。

日露戦争当時の日本陸軍は、全国を13師管に分け、近衛師団及び第一~十二師団がそれぞれの管区から徴兵を行っていた。
各師団の司令部の配置は下図のようになる。日露戦争では、開戦と同時にこの全13個師団に動員がかかった。


1個師団は4個歩兵連隊が主力(正確に言うと、2個連隊で1個旅団となり、2個旅団が1師団に所属する)となり、騎兵、野戦砲兵の各連隊と工兵大隊、及び所要の兵站部門が付属する。人数の上で圧倒的に多いのは歩兵連隊なので、各連隊の原駐地を下表に示す。

師団 動員年月
(明治)
所属する歩兵連隊
番号 原駐地
近衛 東京 37年2月 近衛1 東京
近衛2 東京
近衛3 東京
近衛4 東京
東京 37年3月 東京
15 高崎
佐倉
東京
仙台 37年2月 仙台
29 仙台
16 新発田
30 新津
名古屋 37年3月 名古屋
33 名古屋
18 豊橋
34 静岡
大阪 37年3月 大阪
37 大阪
大津
38 伏見
広島 37年4月 11 広島
41 広島
21 浜田
42 山口
熊本 37年5月 13 熊本
45 鹿児島
23 熊本
48 久留米
旭川 37年8月 25 札幌
26 旭川
27 旭川
28 旭川
弘前 37年6月 青森
31 弘前
17 秋田
32 山形
金沢 37年5月 金沢
35 金沢
19 敦賀
36 鯖江
10 姫路 37年4月 10 姫路
40 鳥取
20 福知山
39 姫路
11 善通寺 37年4月 22 松山
44 高知
12 丸亀
43 善通寺
12 小倉 37年2月 14 小倉
47 小倉
24 福岡
46 大村


戦争後半になると、これでも足りずに十三師団及び後備歩兵連隊が編成されることになるが、煩雑になるので省略する。
これだけ見ても明らかなように、日露戦争における日本陸軍は日本全国津々浦々から兵を動員した。国運を賭けた大戦争に、兵の出身地の選り好みなどしていられるわけがない。

では、旧賊軍の師団が特に危険な戦場へ送られたということは考えられるだろうか。

特に危険な戦場と言えば旅順だが、第三軍の隷下は第一師団(東京)、第九師団(金沢)、第十一師団(善通寺)及び後に第七師団(旭川)と、見事に日本全国から参戦している。

各師団の損耗率を下表に示す。

師団 戦闘員数 死傷者数 損耗率(%)
近衛 82,655 7,343 8.9
132,795 13,932 10.5
96,645 10,946 11.3
113,950 15,244 13.4
117,044 8,909 7.6
114,299 11,459 10.0
93,275 8,923 9.6
46,488 11,441 24.6
30,376 10,460 34.4
76,098 19,988 26.3
10 68,024 10,082 14.8
11 117,404 14,475 12.3
12 81,162 6,264 7.7

戦闘員数は、師団総員から非戦闘員(経理、憲兵、医務、輸卒等々)を除いた純粋に戦闘に任ずる将兵の数。死傷数は戦死者・負傷者の合計である。その比率を計算すると、第七、第八、第九師団が明らかに多い。

第七師団は動員がやや遅く、かつ総員が目立って少ない。そのうえに、戦場に慣れる間もなく激戦地の203高地攻略にいきなり投入されたため、死傷者が増えたものである。大本営でも、ようやく編成した戦略予備の第七師団を旅順に送って消耗させるべきではないという反対論があった。
第八師団は、明治38年1月の黒溝台会戦でロシア軍の攻勢をまともに受け、大きな損害を出した。第九師団も旅順戦で損耗した部隊だが、死傷率が高い理由はよくわからない。
共通するのは、戦争後半の戦いで大きな損害を受けていることである。つまり、十分な補充を受ける前に戦争が終わってしまったので、見かけ上損耗率が高くなったとも解釈できる。この点はもっと細かい検証が必要であろう。

第八師団は弘前の部隊なので旧賊軍と言えなくはないが、大きな戦闘は黒溝台会戦と奉天会戦しか経験していない。なにより、旧賊軍の代表、官軍の仇敵であるはずの仙台の第二師団(管区に新潟も含む)は、旅順には行っていないし死傷率も高くない。

そもそも旧賊軍地方に顕彰碑が多いというのがどんな資料に基づいて言っているのか不明だが、仮に本当にそうであるならば、それは「旧賊軍でありながらお国のために立派に戦った」との、地元の顕彰意識の高さを示すと考えた方が妥当であろう。



図の引用は『歴史群像アーカイブVol.22 日露戦争』学研パブリッシング、2011年より。
数値は陸軍省『明治三十七八年戦役統計』1911年より。

2015年6月4日(木)
旅順攻略戦の真実(の一面)

1905(明治38)年1月1日、旅順要塞が陥落した。
前年7月以来約半年にわたる攻防戦で、日露両軍が膨大な戦死者を出した。特に203高地の争奪戦は、日露戦争を象徴する激戦として名高い。
「国民的作家」司馬遼太郎は代表作『坂の上の雲』の中で、この戦いを「近代要塞に対して、無能な軍首脳が無謀な肉弾突撃を繰り返し無用な死者を出した」と激しく糾弾した。

しかしその後の実証研究で、司馬の主張は概ね的外れだということが判明している。旅順攻略戦は悲惨なものではあったが、それは、巷間言われるように攻略を担当した第三軍司令部の、なかんずく乃木希典大将の無知無能無策によるものではない。

以下、私が博士論文を書くとき自分で調べたことから私見を述べる。

まず、旅順要塞内部の詳しい状況は不明だった。
日本陸軍が甘く見ていたからでも要塞に無知だったからでもなく、ロシア軍の機密保持が極めて厳重だったからである。要塞地帯は外国人(中国人も含む)の立ち入りが禁止され、付近を通過する鉄道もブラインドを開けることが禁じられた。
陸軍は、戦前の旅順に旅行した者、出入りの中国人業者、苦力等からの聞き取り調査を行い、懸命に情報収集に努めたが、得られた情報はわずかであった。

乃木大将率いる第三軍の旅順攻略は、強襲による第一回総攻撃に失敗した後、直ちに正攻法に切り替えている。ここで言う正攻法とは、塹壕を掘り進めて敵陣地(堡塁と言う)に接近し、最後は坑道を掘って地下から堡塁を爆破するという方法である。損害は少なくて済むが、時間がかかるのが欠点である。
当時翻訳されていた『仏国攻守城教令』(つまりフランス軍の要塞攻め手引き書)によると、要塞の様子がわからない場合はまず強襲してみて、駄目なら正攻法を採用せよとある。
すなわち第三軍の方針は無策でもなければことさら英断でもなく、当時の軍事常識に従っただけなのだ。
ちなみに、「もう一押し」と強襲の続行を主張する参謀たちを押さえて正攻法を採用したのは、乃木自身であった。

かくて、第三軍は次回総攻撃に向けてひたすら穴掘りに励むことになる。下はそのとき掘られた交通壕の写真。



右側に写っているのは、携帯防楯である。第三軍のあまりの被害に驚いた陸軍は、将兵の命を守るため直ちにこうした防楯を量産し、旅順へ送った。しかし、確かに弾は防げるのだが、重いわ、目立つので狙い撃ちされるわ、当たった弾が跳弾して隣の兵に当たるわで、現場では不評だった。夜間、斥候に出る兵に持たせると、たいてい途中で捨ててきてしまった。夜が明けると、ロシア兵が拾って担いで帰るのが山の麓からよく見えたそうである。

いよいよ敵堡塁に接近すると、完全に地下に潜って坑道を掘り進める。ロシア軍はロシア軍でそれを黙って見ているわけではなく、さらにその下に対抗坑道を掘ってきて、日本軍の坑道頭を爆破しようとする。下図で、右から伸びてきているのが日本側の坑道。中央のくの字に折れているのがロシア側の対抗坑道である。



双方の坑道が接近すると、壁ひとつ向こうでロシア語で話しているのが聞こえたという。
現に日本側坑道のひとつがロシア軍に爆破されている。爆破スイッチを押したのは、司令官のステッセル自身だった。日本側坑道はこれで破壊されてしまったが、爆薬の威力がありすぎて堡塁が露出し、日本側が存在を知らなかった堡塁まで暴露してしまったので失敗だった、とロシア軍は評している。
こうした神経をすり減らす戦いが地下で行われていたのである。

最終的な突撃と、占領した敵堡塁の維持に当たり、攻城砲兵隊が同士撃ちも辞さずに支援砲火を送ったのは事実である。誰も好きこのんで同士撃ちなどしない。そうでもしなければ、ロシア軍の火力を制圧できないのである。
博論を書くに当たって、現存する攻城砲兵隊戦闘詳報のすべてに目を通したが、支援射撃は各師団からの要請に基づいて行われているし、最前線の歩兵部隊の識別には可能な限り心を砕いている。そうは言っても、野戦用の無線機とてない時代の話である。取りうる手段は占領地に旗を立てる程度であり、照準の精度からしても自ずと限界があった。


第三回総攻撃が開始されたのは明治37年11月26日。攻撃が進捗しないため、28日に203高地攻略を優先する決断がなされる。よく誤解されているが、この決断も乃木によるもので、児玉源太郎ではない。

激戦の後203高地は12月5日に陥落するが、実はその間、北東正面では坑道作業を続行し、目標の堡塁にさらに接近していた。12月10日、第三軍は各師団に対し、二龍山、松樹山、東鶏冠山北の各堡塁を作業の進捗により個々に爆破するよう命じた。
下は、松樹山堡塁を爆破した瞬間の写真である。



12月17日以降、各師団は逐次その目的を達しつつ前進し、31日には主要攻撃目標である二龍山、松樹山、東鶏冠山の3堡塁を悉く攻略した。
これらは旅順でもっとも標高の高い、いわゆる制高点である。ステッセルは、これら主防御陣地が陥落したことによって、ようやく旅順防衛を断念したのである。はっきり言うと、203高地は要塞自体の防衛とは関係ない。ロシア軍にとって痛手だったのは、203高地の攻防で予備兵力を消耗し尽くしてしまったことだったようである。
司馬は「203高地を取って港内の艦隊を砲撃すればよかったのだ」と言っているが、それは海軍の理屈である。第三軍の任務は最初から「旅順要塞の攻略」だった。

下は、旅順攻略最大の難所だった東鶏冠山北堡塁へ向かう対壕。右上からつづら折りに伸びている。第三軍は最終的に、約半年間で歩兵陣地17キロメートルを構築し、塹壕37キロメートル、坑道600メートル余を掘開した。



旅順攻略戦は、悲惨極まりない戦いであった。
しかし、コンクリートで固めた陣地に、各種火砲、機関銃、高圧電流を流した鉄条網にサーチライトを備えた近代要塞を攻略したのは、この戦いが世界で初めてだったことを忘れてはいけない。


何でこんな話をしたかと言えば、くみかおる氏の論考を読んだからである。
http://synodos.jp/society/14091
アニメ産業が、ブラック企業どころか産業構造自体が真っ黒というのだから絶望的な気分になる。

私は、論旨自体を論評できる立場にはない。れっきとした研究者が責任を持って発表したのだから、そうなのだろう。
だが一点、専門家の端くれとして見過ごせない点がある。
それが203高地に関するくだりだ。

繰り返すが、くみ氏の論考そのものを論評するつもりはない。
しかし、こんな杜撰なたとえ話に持ち出されたのでは、それこそ死者の霊が浮かばれないというものである。


参考文献
参謀本部『明治三十七八年日露戦史』1912年
陸上自衛隊施設学校教育部戦史室『工兵戦闘戦史 日露戦役』1976年
「攻城砲兵隊戦闘詳報」防衛省防衛研究所戦史研究センター所蔵資料
大本営写真班『日露戦役写真帖』1905年

2015年6月1日(月)
『ウルトラマンが泣いている』 『なぜ時代劇は滅びるのか』

偶然だが、あるジャンルの衰退の過程を説いた本を2冊読んだ。

○ 『ウルトラマンが泣いている』円谷英明、講談社現代新書、2013年
もうずいぶん前に話題になっていた本。やっと読めた。
円谷英二の孫にして元社長が綴る、円谷プロ転落の軌跡。
資産の私物化、不明朗会計、情実人事、思いつきの新規事業参入。
同族会社にありがちな失敗を全部やっているのだから、そりゃ破綻するに決まっている。

○ 『なぜ時代劇は滅びるのか』春日太一、新潮新書、2014年
私は、時代劇にまったく思い入れがない。TV番組を観たことは一本たりともない。『七人の侍』('54)よりも『椿三十郎』('62)の方が好きだ。『七人の侍』は悪役に個性がないのが不満。『十三人の刺客』('63)は一応観たが、何が面白いんだかさっぱりわからなかった。勝新太郎版の『座頭市』シリーズはWOWOWで全部観たが、印象に残っているのは『あばれ火祭り』('70)だけ。スプラッタ映画の元祖として名高い『子連れ狼 三途の川の乳母車』('72)はいろいろと壮絶だったけれど、ジャンル爛熟期の奇形的な作品であろう。
文句なしに面白かったのは『切腹』('62)と『ストレンヂア』('07)くらい。
以下はそういう人間の感想である。

著者によると、時代劇はファンタジーである。誰も経験したことのない時代が舞台であるから、何をしても許される。
この点、アニメとSFに親和性が高いのとよく似ている。
ではその時代劇がなぜ滅びつつあるのか。
本書では、要は放送枠が減少し、役者も演出家もプロデューサーもいなくなり、よりよいものを作ろうとするモチベーションが消滅したからだと言う。
「貧すれば鈍す」を絵に描いたような状況である。
ただ、その論証は私には少々不十分に思える。

例えば、近年の若手役者は人気はあっても演技力に欠け、発声や滑舌が悪くて見ていられないと言う。しかしそれは、現代劇でも同じである。それに、私は時代劇特有のいちいち歯を食いしばったようなしゃべり方が大嫌いだ。
心情を全部セリフにしてしまうのは、柳下毅一郎の言う「副音声映画」という奴である。これも現代劇に共通する。
悪役はひたすら悪ければいい、事情など必要ないという点は、場合によりけりであろう。それで作品が冗長になるのは、単に構成が下手くそだからだ。
また、最近の俳優には着物の着こなしや美しい所作ができないと言う。これは、前の方で厳密な時代考証は必ずしも必要ないと言っている(87ページ)のと矛盾しないか。
所作なんて時代によっても違うだろうし、まして日本人の体格も体型も全然変わってしまっている。ならば新しい美しさがあってしかるべきだ。

時代劇の最大の問題は、現代に適応したカッコ良さを開発してこなかったというその一点に尽きる。だから飽きられた。
それだけの話である。

翻ってアニメはどうか、と思うのだがその話はまた次回。

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