更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2014年9月29日(月)
『メンタリスト』

最近、スカパー!のスーパードラマTVで海外連続ドラマを観る楽しみを覚えてしまったため、アニメ視聴が進まない。
今一番楽しみにしているのが『メンタリスト』。メンタリストとは、人のしぐさや外観や言動からその内心を推測し、また巧みに操る者のこと。主人公パトリック・ジェーンはその天才的能力を活かして霊能者を演じ、大金を稼いでいたが、TVで連続殺人犯レッド・ジョンを挑発したことが原因で妻子を殺されてしまう。
復讐を誓ったジェーンは、CBI(カリフォルニア州捜査局)のコンサルタントとして、テレサ・リスボン捜査官を相棒に数々の事件に挑んでいく。

宿敵レッド・ジョンとの対決を縦軸としつつ、普段は種々雑多な殺人事件に対処していくことでシリーズのバリエーションを確保している。
何より主人公ジェーンの造形が秀逸。激しい憎悪と悔恨を内に秘めながら、あくまで飄々と、笑みを絶やさず、規則も権威もなんのそのでずばり事件の真相へと斬り込んでいく。ジェーンが頼みとするのはあくまで鍛え抜かれた観察眼(と、突拍子もない行動力)であって、銃はおろか腕っぷしはからきしというのがよい。
演じているのはニヤケ顔がむかつくサイモン・ベーカー。なんだか見覚えがあると思っていたら、思い出した。私のオールタイムベスト『LAコンフィデンシャル』で、陰謀に巻き込まれて殺されるホモの俳優を演じた人だ(当時はサイモン・ベーカー・ホール名義)。
声を吹き替えているのは、聞いて驚け郷田ほづみ。我らがキリコ・キュービィ様である。わざと無感情に演じているキリコからは想像のつかない、芸達者なところを見せてくれる。
作中で描かれる犯罪が、基本的に色と金と名声という三大欲望を動機としているのも良い。異常殺人犯はもう見飽きた。『サイコ』と『羊たちの沈黙』だけ観ておけば十分。

しばしば犯人を追い詰める決め手となるのが、ジェーンの仕掛ける罠。考えてみれば、これ『刑事コロンボ』の筋立てに似ているんだ。2000年代になってもこういう作品に需要があるのが、とても嬉しい。

2014年9月9日(火)
近年の零戦研究


最近読んだ零戦本。

清水政彦『零式艦上戦闘機』



新進の研究者が新解釈で零戦伝説を見直す本。
○ 用途 零戦は本来、艦隊防空用の迎撃戦闘機。長距離侵攻作戦に使用されたのはたまたま航続力に優れていたから。
○ 重量軽減 よく指摘される、いたるところに開いた肉抜き穴は、重量軽減にはほとんど寄与していない。また肉抜き穴のせいで機体強度が低いわけではない。
○ 航続力 栄エンジンの燃費は巡航時は極めてよいが、全開にすると極端に悪化する。零戦の大航続力はこの特性によるもので、空力特性とはさほど関係がない。全開での飛行時間は、Bf109と大して変わらない。
○ 20ミリ機銃 初速が遅く命中しないというのは、7.7ミリ機銃に比べて曳痕弾が見えやすいことから生じる錯覚。実際には、7.7ミリ機銃の弾も後落して命中していない。
○ 急降下速度 米軍機に比べて急降下制限速度が低いのは、計器指示速度と真対気速度を混同しているため。真対気速度で比較すると、米軍機とさほど変わらない。急降下してきた敵機に追随できないのは、向こうはすでにトップスピードに乗っているからというに過ぎない。
○ 防弾装備 昭和12年計画の軍用機は、世界的に防弾装備などない。各国で防弾板を採用するのは、欧州戦で航空戦の過酷さが明らかになってから。また米軍機の防弾板は12.7ミリ弾を止められず、破片除けくらいにしかならない。
○ 補助翼 零戦は高速になると補助翼が効かなくなり、エルロンロールが不可能になるという操縦特性上の欠陥を持つ。

鵜呑みにする必要はないが、傾聴に値する見解だと思う。
なお、本書は零戦の戦歴を語る中でミッドウェイ海戦について、いわゆる「運命の5分間」説(現在では概ね否定されている)を歯牙にもかけず、「半日の間一方的に空襲を受けていたのだから、そのうち命中するのが当然」とばっさり切り捨てていて痛快である。


梅本弘『海軍零戦隊撃墜戦記』



梅本弘は、日本軍と連合軍の戦果報告を丹念につきあわせて真相を探り当てる作業を長期にわたって地道に行っている研究者である。これまで、ビルマ方面、及び中国大陸方面の陸軍戦闘機隊の戦果を明るみに出すという大変な業績を上げているが、ついに満を持して太平洋戦争における海軍航空隊の本拠地・ラバウルの零戦隊の戦闘を採り上げた。
本書は、ガダルカナル攻防戦が日本軍の敗北に終わった後、ソロモン方面を主攻正面に選んでじりじりと西進する連合軍と、必死の防戦に努める日本軍との、昭和18年から19年にかけての激戦の記録である。

本書が明らかにしたのは、例えば次のような事実。

昭和19年初頭までは、連合軍機と零戦隊の戦力は質量ともにほぼ互角であり、個々の戦闘では日本側の方が数において優っていることも珍しくなかった。
昭和18年ころには、空戦はすでに高度7000~8000メートルの高々度戦闘が普通になっていた。
戦後の言説では零戦の天敵のように描かれるF6Fヘルキャットだが、ソロモン方面に初登場したときは、日本側にはF4Fワイルドキャットと見分けがつかず、新型機とみなされていなかった。戦果もさほどぱっとしない。
零戦52型は、P-40Nよりも優速で急降下しても振り切れない強敵として連合軍に警戒されていた。
零戦隊でも、敵を深追いせず、単機戦闘はせず、もし単機になったら直ちに、誰でも良いから手近な友軍機と編隊を組め、と教えられていた。
日米ともに戦果報告は5倍から10倍も過大であり、それだけに「敵は落としても落としても補充されてくる」と考え不思議に思っていた。米軍は、「日本軍は雨期に入ったビルマ方面から戦力を転用しているのではないか」と考えていた。
ラバウルには、30ミリ機関砲を積んだ零戦52型が配備されていた。
ラバウルを爆撃する米軍機にはF4Uが随伴したが、爆撃機の直掩についていると空戦がやりづらい。そこで海兵隊は自由行動をとるため、出撃直前まで作戦可能機を最小限しか通知せず(通知すると担当爆撃機を割り当てられてしまうため)、出撃間際に「修理が完了した」と言って作戦に参加するという手を使っていた。

イヤな話もある。例えば、日米ともに、機を脱出してパラシュート降下するパイロットを射殺することを日常的に行っていた。またラバウルに送られた捕虜は、尋問の後ほとんど処刑されてしまっていたという。

本書によると、日米の最大の差はパイロットの救難態勢にある。米軍は飛行艇や潜水艦を活用して、パラシュート降下したパイロットの救助に万全を期していた。日本側も、空戦後に捜索機を飛ばしたりと努力はしているのだが、何しろ無線の性能が悪いので降下地点の特定ができず、パイロットも海上を漂流して苦しんだあげくに死ぬくらいならいっそ、と自爆してしまうことが多く、不時着パイロットの救助は困難だった。
航空戦力の特質のひとつに、ひとたび彼我の戦力バランスが崩れると急激に差が拡大するというものがある。昭和18年の間のパイロットの大量消耗に加え、開戦直後からパイロットの大増員を開始していた米軍との差が如実に現れたのが、19年以降の絶望的な戦況である。ソロモン戦を経験した米パイロットの回想によると、「18年の間は、零戦を攻撃するとすぐに反撃されて逆にこちらが危なくなるのが常だったのに、19年に入ると極端に技量が低下しており、わずか半年でこれほど変わるとはと驚いた」という。
前から不思議に思っていたのが、末期のドイツ空軍の状況である。日本機と違って、ドイツ機は性能上は連合軍機に引けを取らないのに、なぜああも一方的にやられているのだろうと思っていたのだが、これがつまり技量の差だったわけだ。

搭乗員の証言からだけではわからない、零戦隊の真実の姿。労作と言うほかに、評する言葉もない。

2014年9月3日(水)
『アルドノア・ゼロ』9話

試しに、2000年代以降のロボットアニメでソフトを買った作品、又は録画して保存している作品がどのくらいあるかうちの棚を調べてみたら、『ガンダム』『マクロス』『ボトムズ』『エヴァ』等の長期シリーズ化しているもの以外では、
『OVERMANキングゲイナー』('02)
『創世のアクエリオン』('05)
『ゼーガペイン』('06)
『天元突破グレンラガン』('07)
『STAR DRIVER 輝きのタクト』('10)
『ブレイク・ブレイド』('10)
『革命機ヴァルヴレイヴ』('13)
『シドニアの騎士』('14)
(『ガン×ソード』と『コードギアス』は「ロボットの出てくるアニメ」ではあってもロボットアニメとは言えないと思うので除外)。

これだけしかない、と言おうと思っていたのだが、こうして並べてみたら結構あった。

つくづくと思うのは、「リアルロボットは本当に死んだ」ということである。上の作品群はほぼスパロボ系ばかり。ロボットアニメ史をおさらいしつつスーパーロボットの極北まで行ってしまった『グレンラガン』がいい例である。
兵器としての現実味を追求すると、ロボットはどうしても小型化する傾向にある。ATしかり、タクティカルアーマーしかり(『ガサラキ』覚えてますか)。その結果、巨人が暴れるというプリミティブな快感が失せてしまうのだろう。

そんな中、リアルロボットアニメ期待の星として現れた『アルドノア・ゼロ』。リアルロボット対スーパーロボットという趣向は、リアルロボットアニメが生き残る最後の手段かもしれない。
監督インタビューによると、影響を受けたのは『冥王計画ゼオライマー』だそうだ。そういう人が『放浪息子』とか作ってたんだからわからんものである。

ここから本題。観るたびに感心させられている本作。
アセイラム姫暗殺の首謀者がザーツバルム伯爵であることが明かされた第9話が、また素晴らしかった。『ヤマト2199』でもそうだったが、私はどうもアクションものの中の箸休め回の出来不出来に惹かれるらしい。

私がかねがね疑問に思っていたことのひとつに、なぜ現代文明の延長上にある世界に王国やら帝国やらが出てくるのか?というものがある。言うまでもなく、それらは19世紀の遺物だ(注)。私の知る限り初めて、『アルドノア・ゼロ』はこの疑問に回答を示した。超科学を有するだけの貧しい国で統制を取るために、帝政と封建制を敷くしかなかった、というのだ。
社会現象として本当にそうなるのかどうかは私にはわからない。ただ作中で説明を行った、というそのことが重要なのである。
いかなる社会も制度も、それなりの事情があって誕生する。私は虚淵玄の前作『PSYCHO-PASS』について、「理念あるディストピア」と評したことがあるが、本作に通じる考えである。

また、叛逆者の側にも三分の理があることが示された。その説明に用いられるのが、チキン料理。地球ではありふれた安い料理が、火星にとっては贅沢品だという皮肉。直前の8話で、アセイラム姫が空飛ぶ鳥を見てはしゃぐ姿と対比されているのである。
見事な構成という他はない。

本作のテイストとして一番近いのは、『精霊の守り人』である。
何と言っても、馬鹿な登場人物が一人も出てこない。全員に切実な事情があり信念がある。誰しも己の信じるところに従い、よかれと思って行動した結果が軋轢と悲劇を生む。これこそドラマというものである。



注 もっとも、最近のウクライナ情勢とか見てると帝国の復活って現実にあるのかもしれないな、という気になる。

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