以前、表題作を観たとき私はこんなことを書いた。
『私は、一ついやーな想像をしてしまった。
作中で、ブドリの妹ネリはコトリ(子盗り、だという)なる謎の男にさらわれる。ということになっているが、どう見てもこれは餓死のアナロジーだ。
コトリを追ったブドリは森の中で倒れ、てぐす工場のエピソードを経て家に戻ってくる。引っかかったのはここ。
まずブドリの目線で室内の様子が映る。テーブルの上に、ネリの使っていたスプーン。ネリが座っていた椅子には、ネリの大事にしていたぬいぐるみがある。こ
のぬいぐるみは、妹の身代わりとして以後ずっとブドリが持ち歩くことになるのだが、続いて、カメラは俯瞰で室内を映す。すると、テーブルを挟んでネリの反
対側、ブドリの座っていた椅子にもぬいぐるみがあるのだ(私の記憶では、このときネリの椅子はカメラから切れている)。
これはどういうことか?
レイアウトのミスでないならば(劇場作品で、このスタッフでそんなことはないだろう)、その意味は一つしか考えられない。
イヤな想像とはこのことなのだが、この時点で、ブドリもすでに死んでいるのではないか?
作品中盤で、コトリはブドリを「境界を侵犯する者」として糾弾する。通常ならこれは「黄泉に踏み入って死んだネリを取り戻そうとする行為」を指していると
解釈できる。だが、もしもそうでないとしたら話は逆で、「死んだことに気づかずに生者の世界に干渉しようとしているブドリ」を責めている、ということにな
る。
つまり、山を下りて以降のブドリの人生はすべて、死の間際に見た夢なのではないか。そう考えると、個々のエピソードの現実感のなさに納得がいくと思うのだ』。
DVDが出たので、改めて調べてみた。
まず、ネリがさらわれる直前の2人の位置関係。

てぐす工場から戻ってきたブドリの視点で、ネリの座っていた椅子が写る。卓上の食器とフォーク(スプーンじゃなかった)に注目。椅子の上には、ネリのぬいぐるみが。

ところが、ここでカメラが俯瞰になると、

テーブルの反対側、ブドリの椅子にもぬいぐるみがいる。解釈はそれぞれに任せる。
ついでに、作品の後半、クーボー博士の教室。

恐竜の骨格標本が、昔ながらの直立型の復元なのが大変よろしい。
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