夏コミで買った氷川竜介先生の同人誌に、面白い記述があった。
インタビュー技術の教育の話である。
インタビュイーとのコミュニケーション術を鍛えるのかと思いきや、「頓挫しかけたパナマ運河計画を建て直すため、責任者の更迭後にアメリカから送られてきた人物が、成功までに行った実務」をトレースし、解決のキーポイントを浮かび上がらせるという課題だった、と言う。
まず、チームにはランダムに最初の三枚が渡されます。まったく論理構造が見えない三枚の紙を並べ、チームで討議する。議論の内容は、「次の三枚を取るための先生への質問」を抽出すること。
『ロトさんの本Vol.33 アニメ文章術』59ページ。
実は私も、これに似た訓練を受けたことがある。品質管理関係の仕事をしていた頃、ISO9000の監査官講習を受ける機会があった(業務に関係があるので勉強として受講させてもらっただけで、資格を持っているわけではない、念のため)。ISO9000は、事業所が品質管理体制を有するかどうかの規格である。ISO9000の規格に合格した事業所の製品なら、確実に品質管理がなされているとみなしてよい。
その講習の最終試験が、事業所役の教官に対し、学生が監査官として監査を行い、事業所の品質管理体制に問題がないかをチェックするというものだった。
試験として行うからには何か問題があったはずなのだが、何しろせいぜい2、3日の促成栽培だから、何を質問しても百戦錬磨の教官にのらりくらりとかわされてまるで歯が立たなかった。
そういう意味では今も悔いが残る。
今の私の本業である学問の世界の合言葉は、「問いを見つけろ」である。論文に必ず要求されるのが、問いと答え。問うにふさわしい問い(Reserch Question)を見つけたら、その研究は成功したも同然とよく言われる。
「正しい答えを得るには正しい問いを発さなければならない」のである。
以前紹介した『木を見る西洋人 森を見る東洋人』には、西洋人の思考様式を説明するこんなくだりがある。
文章技法(レトリック)
西洋の文章技法は、科学レポートから施政方針にいたるあらゆる文章の基本である。これには通常以下のような形式がある。
●背景
●問題
●仮説または命題の提起
●検証の方法
●証拠
●証拠が何を意味するかについての議論
●予想される反論の論破
●結論と提言
西洋人ならほとんど誰に聞いても、この形式は普遍的なものだと言う。これ以上明快かつ説得的に、自分が発見したことや提言したいことを人に伝える方法があるだろうか。いや、自分のやっていることを自分で考えるときでさえ、これ以上に有用な方法があるだろうか。
しかしながら、現実には、こうした直線的な文章技法は東洋においてはまったく一般的ではない。私自身が指導しているアジア人学生を見ても、直線的な文章技法を身につけることは一人前の社会科学者になるための最重要課題である。
リチャード・E・ニスベット『木を見る西洋人 森を見る東洋人』ダイヤモンド社、2004年、218-219ページ。
院生時代、私はこのページをコピーして机の前に貼っていた。というのも、この文章技法とはいわゆる「論文の書き方」そのものだったからだ。
つまり西洋人にとって、論文とはわざわざ書き方を教わるようなものではなく、思考の筋道そのものなのだ。
科学の大原則は、因果関係と再現性である。
物事には必ず原因があり、それに応じた結果がある。そして条件が同じなら、ある原因に対して常に同じ結果が出る。
「正しい答えを得るには正しい問いを発さなければならない」という格言も、こうした思考様式から自然に導かれたものに違いない。
なお、私が文章を書くとき気をつけているのは、一にも二にも誤字脱字がないことである。文章の質なんてのはそうそう変わるものではない。たくさん書いていればそのうち上達する(かもしれないし、しないかもしれない)。だが誤字脱字の根絶は、気をつけさえすれば誰でも、すぐにできることだ。
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