WOWOWで鑑賞。
ありそうでなかった、「トリック映画の父」ことジョルジュ・メリエスの伝記映画。『月世界旅行』(1902)の着色版の発見・復元・公開に伴って上映された。何気なく('02)と表記して、これでは誤解を招くことに気づいた。そう、『月世界旅行』が創造されてすでに100年が経ったのだ。
着色版とは、カラーフィルム発明以前のカラー映画で、名の通り一コマ一コマに手作業で着色したという気の遠くなりそうなものである。今回発見された着色版は、スペインのコレクターが保管していた。保管状態の悪いフィルムは、いずれこうなる。

幸い『月世界旅行』は、変質していたのはフィルムの縁の部分だけだったという。
数ヶ月間水蒸気を当てて固着したフィルムをはがし、一コマ一コマデジカメで撮影し、10数年の歳月をかけてコンピュータ上で復元していった。
公開当時、『月世界旅行』は大ヒットしたが、メリエス本人の収入はさほどでもなかった。原因は、大量の海賊版と盗作である。プリントが盗まれて、アメリカでは大量の海賊版が流通し、メリエスには一銭も入らなかった。かのエジソンも、それで儲けた一人である。映画史のほとんど最初からこの問題はつきまとった。
極地探検や飛行機が現実のものとなり、映画が普及し洗練され、大衆の好みが変化していくにつれてメリエス作品は受けなくなり、やがてスタジオは倒産した。その際、メリエスは自作のネガ500本をすべて焼却処分してしまった(『ヒューゴの不思議な発明』では溶かしてハイヒールのかかとになった、としているが、これはメリエス自身が靴職人の息子だった史実からの創作ではないかと思われる)。現存するメリエス作品は、世界各地で保管されていたプリントから復元されたものであり、破棄を免れたごく一部である。
後半生のメリエスは、玩具店を開いていた。現在残っているメリエス映画のイメージボードは、実際の映画制作に使われたものではなく、晩年のメリエスが仕事の合間に往事を思い出して描いたものだという。メリエスの心中を思うと、涙なしには見られない。
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