更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2011年7月28日(木)
なでしこ

愛読しているブログの記事と、その大元のtogetter。

http://www.pasteltown.com/akane/games/blog2/2011/07/post-506.html

http://togetter.com/li/162840

そもそものtogetterも、リンク先のブログ主さんも、微妙に議論の次元がずれている気がする。

最初の議論は、
① 遊びに行ったり家族や恋人と過ごす時間が取れない
② サッカーだけでは生活できないからアルバイトせざるを得ない
の2つの問題が混同されている。

ブログ主さんは、①の問題を論じている。一方、少なくとも乙武さんは、私の見る限り②の問題を論じているように思える。

①は、凡人より秀でたことをしようとするなら当たり前の話だ。それはブログ主さんの言うとおりである。
問題は②。私はサッカーには詳しくないので、アマチュア野球の話をするが、日本のアマチュア球界は長らく企業チームが支えてきた。しかしうち続く不況で、企業チームは次々と閉鎖の憂き目を見ている(注1)。球界の裾野を支えてきたアマチュア選手たちが、野球を続けられなくなるのだ。それでも諦められない人たちは、アルバイトで生活費を稼ぎながらプレーする道を探す。満足に練習する環境-場所や設備、優れた指導者に食事や休養、トレーニングメニューetc-が得られないのはもちろん、無理がたたって体をこわすこともあるだろう。故障時の保証や医療サービスもないのだ。
プロになれる人数が限られている以上、アマチュアスポーツ界の崩壊は、必然的に競技人口の減少とプレー水準の低下を招く。才能ある選手がプレーを続けられないことは、本人の人生の問題であると同時に、あるいはそれ以上に、日本のスポーツ界全体の損失である。

ブログ主さんの挙げた事例で言えば、アルバイトしながらマンガを描いたと言っても、アルバイトで食いつないだ「から」マンガ家になれたわけではあるまい。アルバイトの時間もマンガに打ち込めたら、もっと早く、楽にプロになれたかも知れない(注2)。
職場の先輩の件に至っては、赤木智弘の言う安定労働層のぜいたくな悩みに過ぎない。
問題の本質は、「すべてを犠牲にする」ことではない。「すべてを犠牲にして打ち込める環境にない」ことこそが問題なのだ。
アマチュア選手の多くが、「生活かスポーツか」の二者択一を迫られているのが現実である(たぶん)。「好きでやっていることなのだからそれが当然」だろうか?「それが現実」「みんなそうやってきた」は理由にならない。マンガ業界のビジネスモデルや商慣行の異様さは、竹熊健太郎氏がブログで再三紹介しているとおりである。
プレイヤーの犠牲を当然のこととしてその成果だけを消費することを、搾取という。具体的な提案があるわけではないのでやや気が引けるが、言ってしまおう。プレイヤーにそれほどの献身を強いて、それを当然とする産業構造や社会は、間違っている。正さねばならない。

文化というならゼニを問題にするな、という意見もありそうなので言っておく。誰しもカスミを喰って生きるわけにはいかない。第一、映画なんか1本ごとに億単位の金が動くのだ。ゼニ抜きで文化もへったくれもない。アマチュアスポーツとて同じことだ。

WBC日本代表の活躍を見て子どもが、自分も野球をやりたいと言い出したとする。父親は、グローブとボールとバットを買い与える。運動不足解消がてらキャッチボールの相手をするため、自分の分のグローブも買うかも知れない。やがて子どもは地域のクラブに入る。最初は仲間内で楽しくプレーするだけだろう。チームの体裁が整ってくれば、ユニホームを作る。デザインはちょっと背伸びして、プロのデザイナーに頼んだ。だがあるとき、となりの校区のチームと練習試合をしてボロ負けする。勝つゲームは楽しいが、負けるゲームは面白くない。彼らはもっとうまくなりたい、強くなりたいと思うようになる。そのためには、指導者を招く必要がある。グランドも、サッカー部や陸上部と兼用でなく自前のを整備したい。芝を張り、ベースを設置し、マウンドを作る。フェンス、スコアボード、バックネット、ベンチ、それに照明。ピッチングマシンや筋トレの道具も欲しい。道具はどんどん消耗するから、いくらあっても足りない。ちょっと遠方で試合をするなら、バスをチャーターすることもある。仕出し弁当を頼むこともある。有力な選手が育てば、マスコミが注目する。上位チームのスカウトも視察に訪れる。人が集まれば、彼らの食費、交通費、宿泊費が地元に落ちる。

スポーツはたかが遊びだが、多くの人が関与すればそれは産業となり、雇用を生み、経済を回す。そしてまた次代の選手が育っていくのである。こうした正のフィードバックが得られない競技はやがて衰退していく。それはたぶん、社会全体にも言えることだ。


注1:名門プリンスホテルが解散したのが2000年のことで、その後アマ球界がどういう状況なのか、小康状態なのか持ち直したのか、もっと酷い状態なのかは私にはわからない。
注2:生活苦に耐えるハングリー精神があったから大成したのだという主張もあるだろうが、実証できないし、どのみち本質的な議論ではない。


2011年7月25日(月)
Standing by me

『SUPER 8』を観ると、スピルバーグと、それにスティーブン・キングの諸作品を連想する。
とりわけ、キングで少年たちの一夏と言えば、かの名作『スタンド・バイ・ミー』だ。
映画の公開からはや25年。



左からウィル・ウィートン、リヴァー・フェニックス、コリー・フェルドマン、ジェリー・オコンネル。スクリーンの中できらめいていた彼らはその後どうなったのか?


・・・・・・こうなりました


ウィル・ウィートン。



映画ではその後役に恵まれなかったが、『スター・トレック ネクスト・ジェネレーション』の準レギュラーをつかんだ。そのせいか、フィルモグラフィーを見ると“himself”という役柄がやたらと多い。
面白いのはアニメの吹き替えもやっていることで、『NARUTO』の英語版とか、最近では『黒神』にも参加している。


リヴァーくんを飛ばしてコリー・フェルドマン。



その後は『ロストボーイ』がヒットしたのがまずかったのか、ほぼB級ホラー専門役者に。昨年には『ロストボーイ ザ・サースト』がDVD公開。動物保護運動に熱心で、2009年にはそれまでの功績に賞が贈られている。


4人組のうちわりとどうでもいいおデブちゃん、ジェリー・オコンネルはというと、むしろよくぞこうなった!



TV中心の活動だが、'96年の『ザ・エージェント』でトム・クルーズと競演したりしている。
ちなみに奥さんはレベッカ・ローミン。『X-メン』のミスティーク様である。




言わずと知れたリヴァー・フェニックス。'93年逝去。享年23歳。伝説は死によって完結するとはホントだね。



どうでもいいが、ベジタリアンでヤク中って、ちょっと想像を絶するメンタリティーだ。
どうでもいいついでにもうひとつ。実弟のホアキン・フェニックスって、ホントに血がつながってるのか?あのぶっとい首を見るととても信じられん。

2011年7月21日(木)
痛い映画

イタイ映画、じゃなくて本当に物理的に痛い映画。

『127時間』を観たので、これまで観たうちで痛い映画ベストスリー。
長らく、痛い映画のナンバーワンは『マラソンマン』('76)だった。ナチの戦犯が歯医者のドリルを使って主人公を拷問!演じるはシェークスピア俳優のサー・ローレンス・オリビエ!多くの人間のトラウマになった名シーンだ。歯痛映画の最高傑作はダテでない。

2番目は『魚と寝る女』('00)。韓国の鬼才キム・ギドク監督の初期作品で、当時はまだ無名だった。今はなきテアトル池袋で観た覚えがある。
桟橋の釣り場で管理人をしながら、夜は釣り客相手の娼婦をしている女と、浮気をした恋人を殺してしまい自殺の場所を求めて彷徨う男が出会い、やがて破滅へと向かうさまを静かに官能的に描く。
釣り針を飲み込んで自殺を図ったり、アソコに入れちゃったり。思い出すだけで膀胱が縮む。

んで、最近上位にランキングしたのが『ミリオンダラー・ベイビー』('04)である。イーストウッド映画の中でも評価が高いが、痛い映画としてもハイレベルだ。試合中骨折したボクサーの鼻に、綿棒を突っ込んで無理矢理元に戻す! 
この映画は、「ボクシング映画」ではなく「ボクシングをしている人々の映画」である。作中、イーストウッドが何度も牧師さんに無理難題をふっかける意味が、ラストで明らかになる。人を救えない神など、もはや頼らない、ということだ。それを踏まえると、イーストウッドの決断はあまりに過酷で、何よりも気高い。
同時に、今観返すと『グラン・トリノ』('08)との比較も有意義であろう。

それはそうと、『127時間』の主人公の父親役がトリート・ウィリアムズだった。代表作は『プリンス・オブ・シティ』('81)だが、アニメ者には特に感慨深い。『王立宇宙軍』の主人公シロツグの、イメージの元になった役者なのである。

   

2011年7月20日(水)
『ヤバい経済学』

少し前だが、観てきた。時節柄、大相撲の八百長の件が中心的な話題だったが、正直言って期待はずれ。

原作のポイントは、7勝7敗で千秋楽を迎えたカド番大関が、統計的に有意に勝ち越しているという数学的事実によって八百長の存在を実証したことだった。しかし、本作の大相撲パート『純粋さの崩壊』はごく普通の、いやそれ以下のドキュメンタリー映画になってしまっている。そもそも、大相撲における八百長の存在は公然の秘密だった。今回の報道に接したときの日本人の感想は、「あーあ、言っちゃったよ」というものが大半だったろう。みんな知っていながら、言うほどのことでもないから黙っていたのに。

本作の問題は、具体的な証拠もなく、あやふやな証言をつなげるだけの構成である。大部を割いているのは暴行致死事件の件だが、それは八百長とは別の話だ。元警官の証言とやらも怪しいもの。「検挙率を上げるために、変死体を殺人として立件しない可能性がある」と言うのだが、あまりに迫力や説得力に欠ける。具体的な変死体の数字を挙げるなり、「かつて自分がそうした」と言うのでもなければ、証言としての価値はあるまい(私はこの人の著作を読んでいないから、そちらには明記してある可能性もあるが)。

大相撲の不正をリーマンショックになぞらえるにいたっては、もう噴飯もの。大相撲は高潔神聖な世界だなどと本気で信じていたり、相撲取りをモラルの手本にするなどという人間がどこにいる。それ以上に、サブプライムローンをかました連中を、「社会を善導すべきエリート」などとアメ公は本気で信じていたのか?たかが株屋風情を。驚くべきナイーブさ、と言うほかはない。

ドキュメンタリーかフィクションかを問わず、映画とは所詮印象操作に過ぎないのだなあ、という虚しさばかりが残った。

2011年7月19日(火)
『SUPER 8』

観てきた。
とりあえず、ちょっとイイ話で締めるには、死人が多すぎじゃね?
SFアクションホラーなのに妙に感動的、というこの結末を見て思い出したのが、『ヒドゥン』('87)。地球に侵入した寄生型エイリアンと、それを追ってきた宇宙捜査官の死闘を描く、ジャック・ショルダー監督作品(この人もその後どうしたのやら)。凶悪なエイリアンが、ハードロックとフェラーリと美女が大好き、というぶっ飛んだ設定が笑える快作だったのだが、パンフを見たら、製作総指揮のガイ・リーデルが本当に『ヒドゥン』を手がけた人だった!まあ偶然だろうけど。

一番気に入ったのが、冒頭のシーン。工場の無事故継続日数を示す掲示板が映り、700と数十日を示すその数字を外し、1に掛け替える。次のカットで、黒服を着てたった一人ブランコをこぐ少年が映る。
これだけで、「ああ、事故で親が死んだんだな」と解らせる。
あまり言いたくないが、アニメも含めた邦画に一番欠如しているのがこの「セリフに頼らず、最小限の時間とカットで必要な情報を伝達する」センスである。
本作を観たとき、たまたま『DOG×POLICE』という作品の予告編をやっていた。理想に燃える新米警官が警察犬担当部門に配属されて、というどっかで見たような展開だがそれ自体はまあいい。問題はセリフ回し。1から10まで全部説明して下さるんだもん。観客をバカにするにもほどがある。

欠如しているのはセンスか国語力か想像力か人生経験か、はたまたその全部か。

2011年7月14日(木)
もひとつ『東のエデン』関連

つい先日、日本の貧困率が16パーセントに達したとの報道があった。実に6~7人に1人が貧困層だという。いささか衝撃的。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110712-00001074-yom-soci

 全国民の中で、所得の低い人がどのくらいの割合でいるかを示す「相対的貧困率」が2010年調査で16・0%と、前回(07年調査)より0・3ポイント悪化し、過去最高となったことが、厚生労働省が12日公表した「国民生活基礎調査」でわかった。
 同省は、所得の低い非正規労働者や、高齢者の増加が要因とみている。
 今回の調査で「貧困」とされたのは、09年の年間所得が112万円未満の人たち。国民の6~7人に1人が貧困状態であることを示している。1986年調査の貧困率は12・0%で、年々悪化傾向にある。経済協力開発機構(OECD)の00年代半ばの調査では、加盟30か国の平均は10・6%だった。


やっぱりそうなのかと思いきや、一方でこんな分析も。2010年2月の記事だが、

http://miyajima.ne.jp/index.php?UID=1265600640

 2005年頃の日本の貧困率は14.9%だ。先進国平均(10.6%)よりも高い。先進国の中で4番目に高い水準となっている。(OECD統計より)
 しかし、ここにもカラクリがある。ここでいう貧困率とは、相対的貧困率のことで、その定義は「世帯所得の中央値の、さらに半分以下の所得の世帯比率」というものだ。日本の場合は、世帯所得250万円以下が目安となる。
 一方、絶対的貧困率を見ると、日本は先進国の中で最も低い水準である(Pew Global Attitudes Projectという国際世論調査2002年版より)。絶対的貧困とは、食料、医療、被服などの生活必需品を調達できないレベルの貧困を意味する。


さらに、所得格差の大きさを示すジニ係数についても、リンク先ではこう言う。

 日本で格差社会が広く話題になったのは、大手メディアが2006年から格差社会キャンペーンをはったからだ。その際に、格差拡大の根拠としてあげられたのが、2002年に所得のジニ係数が0.4983になったというものである。この数字だけを見ると、25%の富裕層が所得総額の75%を得ている計算になる。この20年間で大幅に上昇し、2005年には0.5263にまで拡大した。
 ところが、0.5263というジニ係数は、当初所得が元データとなっている。この当初所得には、年金収入や医療費給付などの社会保障給付が含まれていない。つまり、極端な話、高齢者の所得がゼロとして計算されるので、高齢化が進む日本では格差拡大の指標としては役に立たない。
 同時期のジニ係数を元データを変えて見てみると、可処分所得のジニ係数は0.314で、先進国平均と変わらない。可処分所得は、社会保障給付などを再分配した後に家計が自由に使えるお金である。可処分所得のジニ係数は2000年代に入って減少傾向にある。つまり、「小泉政権下で格差は縮小した」というのが真実だ。


こうなると、もう素人の私には判断つかないので、とりあえず両論併記。ただし、リンク先でも資産格差はともかく世代間格差の存在を否定してはいない点に注意。
ついでに最近読んだ本。小池和男『日本産業社会の「神話」-経済自虐史観をただす』(日本経済新聞出版社、2009年)。



統計資料を基に、長らく日本企業の特徴とされてきた、労働者の企業への忠誠心、終身雇用制度、年功賃金及び企業別組合は、べつに日本特有のものではないと論証した本。
真実は一体どこに?

2011年7月12日(火)
赤木智弘の『東のエデン』評

先日、『東のエデン』の副読本の中で赤木智弘の著書を紹介したが、当の赤木自身が『東のエデン』の感想を述べていた。ちょうどTVシリーズの放送が終わって、劇場版公開前のタイミングらしい。

JCcast 第28回 常岡さんの見たアフガニスタン(と『東のエデン』)

「アニメ『東のエデン』は、赤木の『希望は戦争』をストーリー(映像)化した作品ではないか?」 —— 常岡氏からのメールをきっかけに、『東のエデン』を以て自著を振り返る赤木。それぞれに示された「人間への期待」とは? 戦場を見て来た常岡氏、そして 「戦争を希望」しながらも「私を戦争に向かわせないで欲しいと望む」赤木は、この作品をどうみたのか。

常岡さんとは、ジャーナリストの常岡浩介。
赤木はかなり時間を割いて話しているが、キーワード的に箇条書きしておくと、
「ニートへの肯定と、その力の糾合」
「(自己責任的に)変化せずともうまくやっていける可能性の提示」
「権力・責任を放棄しているのは誰なのか」
「ニートの力を使うことのできない権力の責任を問う」

全体として好意的であり、よく作品の意を汲んでいると思う(当然か?)。

2011年7月7日(木)
IAEAの調査報告・原文

先月、IAEAの調査報告についてメモしておいたが、公式サイトを見てみたら、その暫定報告書の全文が公開されていた。(→リンク先PDF)

一部、重要な部分を訳しておく。それほど長くないし、大学受験生程度の簡単な英文なので、ぜひ全部読んで頂きたい。

The Japanese Government, nuclear regulators and operators have been extremely open in sharing information and answering the many questions of the mission to assist the world in learning lessons to improve nuclear safety.

原子力の安全性を向上させるために世界が教訓を得る任務を支援するにあたって、日本政府、原子力関係者(nuclear regulators and operators)は極めてオープンに情報を共有し、多くの質問に答えてくれた。


The response on the site by dedicated, determined and expert staff, under extremely arduous conditions has been exemplary and resulted in the best approach to securing safety given the exceptional circumstances. This has been greatly assisted by highly professional back-up support, especially the arrangements at J-Village to secure the protection of workers going on sites.

極めて困難(extremely arduous)な状況下、献身的で決然とした、熟練したスタッフによる原発の対応は模範的(exemplary)であり、異常な環境下で安全を守るためにベストのアプローチであった。これは、原発の作業者の安全を守るために行われた、高度に専門的な後方支援、特に J-Villageにおける調整に支えられた。

The Japaniese Government's longer term response to protect the public, including evacuation, has been impressive and extremely well organized. A suitable and timely follow-up programme on public and worker exposures and health monitoring would be beneficial.

国民を守るための日本政府の長期的対応(避難を含む)は、印象的で、極めて組織的(extremely well organized)である。 国民と作業者の被曝に対する適時適切な追跡計画及び健康観察は有益であろう。
(訳注:このwould beのニュアンスは、私の英語力ではよく分からない。単に「今後こうするであろう」なのか、「これまでなされていなかったから、今後必要である」という意味を含むのか)

The Tsunami hazard for several sites was underestimated. Nuclear designers and operators should appropriately evaluate and provide protection against the risks of all natural hazards, and should periodically update these assessments and assessment methodologies in light of new information, experience and understanding.

いくつかの原発における津波災害は過小評価されていた。原子力設計者と運用者は、あらゆる自然災害のリスクに対して、適切に評価し防護を与えるべきである。そしてその評価と評価手法を、新たな情報、経験及び理解に応じてアップデートしていくべきである。


どうでもいいが、福島第1原発ってFukushima NO.1じゃなく、Fukushima Dai-ichってその通りに訳すんですね。

2011年7月5日(火)
『TIGER&BUNNY』13話

ネタバレしちゃうけどいいよね。全員観てるだろうから。

これまでの話数でも、脚本がよく練られているというのはたびたび言われていたが、11から13話が素晴らしかった。前半のクライマックスにふさわしい出来。
この話は、いわゆる「サトリの妖怪」パターンである。
それを観客に知らせる役割を果たしているのが、ワイルドタイガーが偶然転倒した時に攻撃がヒットした、という描写。感心したのは、これが真の伏線(ジェイクが虎徹の本名を知っていた)を観客の目からそらす引っかけとしても機能している、という点である。少なくとも私は全く気づかなかった。

ここまでは観ればすぐ解る(それだけでも十分見応えがあるが)。少し考えてみて気づいたのだが、本当に凄いのは、これが11話から入念に仕込まれていることだ。

先日ある人から、11話のラストで、ジェイクが何の伏線もなしに折紙の変装に気づくのはおかしい、という批判を聞かされた。私自身はそこは気にならなかった。ジェイクが尋常な人間ではないということが、十分描写されているからだ。

しかし今考えてみると、ここでジェイクはヒーローたちのプロフィールを掲載した雑誌を読んでいる。折紙の能力もそこに載っていた。そしてタイガーの本名は、公表されていないから載っていないはずだ。にもかかわらず虎徹の名を知っていた、ということになる。すなわち、このシーンが既に13話のクライマックスへの伏線だったわけだ。

これ以外にも、12話でのバーナビーが虎徹を信用するしないというエピソード、虎徹がジェイクの能力を見誤るというエピソードが、13話で生きている。
なんと周到なことか。これこそプロの仕事だ。

この話にかぎらず、『T&B』では「観客に自明の謎は、もったいぶって隠さない」という実に潔い態度が見られる。例えばルナティックの正体。あからさまに怪しいペトロフが登場した瞬間にこいつだとわかってしまうのだが、その謎は引っ張らずにさっさと観客に正体を明かしてしまう。観客の知性を信頼し、さらにその上を行こうとする心意気が頼もしい。脚本・シリーズ構成の西田征史はずいぶんと異色の経歴の持ち主だが、こういう人材が参入してくれるのは業界にとってもファンにとってもありがたいことである。

バックナンバー