更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2011年1月26日(水)
『処刑の部屋』と朝日新聞

タイトルは、石原慎太郎原作の同名映画

廣田恵介氏のブログで、この映画の公開当時、朝日新聞が夕刊で公開質問状を出したことを知った。

http://mega80s.txt-nifty.com/meganikki/cat22293254/index.html

で、図書館で問題の紙面を調べてきた。昭和31年6月29日夕刊の2面。

IMG_0002.pdf へのリンク

署名は(純)となっている。翌30日の夕刊には、神奈川では18才未満の者にはこの映画を観せないこととなった、と小さく報じられていた。

IMG_0001.pdf へのリンク

7月分まで調べたが、関連記事はこれだけ。この記事に対して大映側がどう対応したのかはわからなかった。

本来、国民の権利を公権力から保護する立場にあるはずの新聞社が表現規制を推進するということが、私にはよく理解できない。
理解できないまま、とりあえず掲示しておく。

ところで、この時代の新聞を調べてみて、あまりの薄さに驚いた。朝刊でもせいぜい8面しかない!

最後に最近の勉強からトリビア。法廷を意味するtribunalという単語(courtより特設法廷の意味合いが強く、格式が高い)の語源は、古代ローマの護民官(tribunus)から。社会の木鐸たる新聞社の多くがtribuneという名を冠するのも、ここから来ている。

2011年1月24日(月)
『謎の円盤UFO』

例によってスカパー!で名高いこの番組を観た。本当にユーエフオーって発音するんだ。

有名な作品だけに評判は知っていたが、観るのはこれが初めて。メカデザインは本当にいいんだ。今見てもカッコいいし、何より現実に存在しそう。でもなあ・・・・・・。

今イチ乗れない原因のひとつは、ストレイカー司令官が作中で言われてるような有能な人物に見えないから。判断ミスってばかりだし。
先日、日本放送の最終話(本国とかなり放映順が入れ替わっているとのこと)を観た。

ストレイカーは、仕事にかまけたせいで別れた妻との間に、息子がいる。あるときその息子が交通事故に遭って重体となる。命を救うには、遠いニューヨークから薬品を取り寄せなくてはならない。
通常ならとうてい間に合わないが、ストレイカーはSHADOの高速輸送機を使って、その薬品をロンドンへ輸送しようとする。

・・・・・・って、おいちょっと待て。
それ明らかに公私混同、職権乱用だろ。SHADO指揮官としての権限は、宇宙人の侵略から地球を守るという、公共の利益に資するために与えられているものだ。広義には、死にかけた子どもの命を救うことも公益と言えなくはないが、それが自分の息子である場合やはり問題だろう。

案の定、そんな事情は知らない輸送機は、たまたま同時期に飛来したUFOの調査のために途中の空港に立ち寄り、結果として息子は息を引き取る。

ナレーション(つまり作中の神の声)は、自分の息子の命より任務を優先しなければならないSHADOの非情さよ、という文脈で締めくくるのだが、これはヘンだよ。
ストレイカーが、SHADOの他の職員に事情を説明していないのが、職権乱用の後ろめたさを物語る。つまりこの話は、公共のために与えられた権限を私利私欲のために使ったために報いを受ける、という応報譚として語られるべきなのだ。

もしかすると、日本語に翻訳するときその辺のニュアンスを変えたのかもしれない。



話は変わるが、『フラクタル』は面白いなあ。フラクタルというのは「巨視的に見ても微視的に見ても同じ形が現れる図形」のこと(タイトルバックの、横たわる女の子の姿がそう)だから、この先、視点の大移動を見せてくれるのではないかと期待している。
どこかで見たような、というのはそれこそどこかで見たような陳腐な批判。クリシェがいけないのではない。つまらないクリシェがいけないのだ。
『フラクタル』は見ていてわくわくする。
ズバリ言っちゃうけど、『宇宙ショー』なんかとは格の違いというものを感じる。

2011年1月18日(火)
「エンドレスエイト」を演出家で楽しむ

年末に『ハルヒ』のブルーレイBOXが届いたので、少しずつ観返している。

ちょうど「エンドレスエイト」にさしかかったところなので、高雄統子担当回などについて少し。




サイト開設4年目にして、動画貼り付けに挑戦。

それにしても、強烈なデジャ・ブというやつを、番組改編期のたびに感じる。

どこかで見たようなテンプレなキャラクター、テンプレな設定、テンプレなストーリー。
それに輪をかけてテンプレなネット内言説。

ぼくたちの現実は、とっくの昔に終わりなき夏休みと化しているよ。

2011年1月11日(火)
アニメ関係者生年一覧

以前作った一覧表。

あんまり知られていないみたいなので、もう一度リンク張っておく。

http://www.green.dti.ne.jp/microkosmos/anime/birthyears.html


1976年は、すしお、長井龍雪、大沼心、荒木哲郎、細田直人、田中将賀、坂井久太、嘉手苅睦を輩出している近年の当たり年。

2011年1月11日(火)
ツッコミ不在

私は、世評の高い『WORKING!』を観ていない。正確に言うと、1話の半分くらい観てやめた。ファミレスのバイト募集を街頭で肩たたきしている、という描写で一気にしらけた。いや普通、求人広告出すのが先だろ。自衛隊じゃあるまいし(←わかる人にはわかるギャグ)。思わず画面にツッコんじゃったよ。裏拳で。

あとで人から「あれはギャグだ」と教えてもらって、ああそうなのか、と思った。私には、少なくとも作中でギャグとして描かれているようには見えなかった。
改めてなぜだろうかと考えてみると、どうもツッコミ役がいないからではないかという気がしてきた。
昨年の作品で私が好きだったのは『生徒会役員共』なのだが、あの作品の面白さを支えていたのは、津田くんの絶妙のツッコミである。してみると、ツッコミがなければここが笑いどころであるとわからないのは、こちらの読解力が低いからなのかもしれない。

関連して思い当たるのが『サマーウォーズ』。先日、藤津亮太氏の「アニメ映画を読む」でこの映画を採り上げたとき、広い日本間を庭から捉えたショットの舞台劇との類似を指摘していた。
この指摘自体は深く納得できるのだが、私がこの映画で冷めてしまったのもこのシーンだった。
問題は、栄が薙刀を振り回すシーンである。もしこれが本当に舞台劇だったら、ここは花道で演じるなり客席に向かって見得を切るなり、何らかのケレンが要る場面だろう。
それを、本当に淡々とロングショットで撮っているだけなものだから、私には笑う場面なのか深刻な場面なのかさっぱりわからなかった。
ついでに言うと、私はこの映画を群像劇と評する向きをいまいち信用置けない。この映画の構造の欠陥やドラマの不在やキャラの弱さを、「だって群像劇ですから」で済ませてしまう免罪符としているように思えるからだ。群像劇ってそんなもんじゃないでしょ。


話がそれた。「ツッコミがないので笑う場面かどうかわからない」という経験が、もうひとつあった。
かの喜劇王チャップリンの『ライムライト』('52)。
この映画で、チャップリンは落ち目のコメディアンを演じている。ラストで、彼は一世一代の舞台を見せるが、心臓発作で倒れ、舞台袖で息を引き取る。
で、その最後の舞台というのがカメラ固定で延々と舞台上だけを写すのだ。そして、劇場の観客の声は入らない。何しろ古い映画のこととて、そのコント自体は今見て面白いものでもないので、私にはこれは映画の中では受けているのか、それとも観客が白けて静まりかえってしまっているのか判断がつかなくて、TVの前で困ったのをよく覚えている(ビデオで観たのだが、劇場で観ていれば違った感想だったかもしれない)。
この演出は、パントマイムを原点とするチャップリンのこだわりだったのかもしれないが、名作が時代を超えるのも場合によりけり、というお話。

2011年1月8日(土)
あけましておめでとうございます。

遅ればせながら冬コミお疲れ様でした。

正月に帰省して、実家の地デジ対策など
しておりましたが、ぼちぼちネット復帰します。

さて、年末に高峰秀子の訃報があったが、正月の天声人語にこんな記事が。

「女先生を演じた『二十四の瞳』が封切られると、本職の教師から多くの手紙が届いた。悩みを吐露し教えを乞う文面に、途方に暮れるばかりだったという」2011年1月4日朝日新聞関東版

だめだなあ、現実と虚構の区別がつかない輩は。というか、日本人は昔からそうだったんじゃないの。


それはともかく、世代的に高峰秀子にはまるでピンとこない。むしろ、ピート・ポスルスウェイトの訃報の方がショックだった。

http://www.asahi.com/obituaries/update/0103/TKY201101030193.html

御多分に漏れず、最初に観たのは93年の『父の祈りを』。爆弾テロの犯人の汚名を着せられ、息子(ダニエル・デイ・ルイス)ともども投獄される父の役。過激な反権力闘争を選ぶ息子に対して、父は地道な再審請求を続ける。一見地味ながら、その不屈の態度はやがて囚人や看守の尊敬を集めていくが、釈放前に獄死する。

囚人たちはその死を悼み、紙や布きれに火をつけて次々に刑務所の窓から投じ、送り火をする。獄の庭に、雨のように火の粉が降り注ぐ。

生まれて初めて、映画館で号泣したのがこのシーン。

いかつい顔に滋味をにじませた、まさに名優という言葉が似合う役者だった。まだ64才。ガンだったということだが、新年早々にまたも惜しい人を亡くした。

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