とりあえず2回観ての感想。
シンジがいつも聴いているSDATに、今回初めて意味が与えられた。
「父が使っていたもの」「父が捨てていったもの」「自分を守ってくれるもの」。
これはレイが大切にしていたゲンドウの眼鏡と対応している。「破」で第10使徒から救出されたときの彼女はSDATを握りしめているが、これは「序」のこのカット−レイの手から落ちる眼鏡−と鮮やかな対比をなす。

新キャラのマリが面白い。
「新キャラを出す理由がわからない」という声は結構聞こえるが、旧作を超える・破壊するための重要キャラであることは間違いなく、そのためかいろんなキャラの役割・立ち位置を代替している。
すぐ判るのはアスカに代わって2号機に搭乗することだが、TV版で加持が果たしていた「最後にシンジの背を押す」という役割をも担っている。
それにシンジと初めて出会うシーンは、「序」のレイと相似をなしている。学校の屋上で非常呼集を告げて走り去るレイのシーンだ。多分レイアウトを共有している。

シンジのSDATに、レイ以外で唯一触れたのもマリだ。その直後、25、26でループし続けていた表示が27へ進み、物語の展開を暗示する。
シンジは何度か、作中で「匂い」に言及する。
「綾波の匂い」「潮の匂い」「土の匂い」。
そして同じように、マリだけが匂いを気にする。
「LCLの匂い」「他人の匂い」。
「匂い」は本来、映像では表現しようのないものであり、わざわざこれに言及させることは必ず意味がある。つまりはマリとシンジは同種・同格の人物なのだろう。
第10使徒との戦いで、レイとマリは対照的に描かれる。
自爆を試みるレイと獣化するマリ。
アカの他人のために命を捨てるあまりにもヒトらしいレイと、人を捨て獣と化して生き延びようとするマリ。
そしてシンジと初号機は、そのいずれでもない第三の道を選ぶ。
作中で二度、「大人」という言葉が印象的に使われる。
一度目は野菜畑での加持のセリフ「大人はずるいくらいでちょうど良い」。
二度目はゲンドウのセリフだ。「自分の願いはあらゆる犠牲を払って自分の手で掴み取るものだ。大人になれ、シンジ」。
「何が大人か判らず、ずるい大人になりたくない」シンジはどこを目指すのか。
旧作でゲンドウの果たしていた役割について大きな解釈の転換を迫った、こんな文章がある。
→「不在の父と決断する女たち」
シンジを抑圧し決断を迫ったのは、実はミサトやリツコといった女たちである、という重要な指摘だ。
かつてのエヴァは父と子の物語に見えて、実は「母性の闇と虚無」に対する恐怖を描いてきたのだが、新ヱヴァは今度こそ抑圧する父を超えていく息子の物語になるかもしれない。
以下余談。
キャラに船の名前をつける伝統は健在で、「イラストリアス」はイギリスの空母の名前だが、英空母は伝統的に、アーク・ロイヤルなどの例外を除いて「形容詞を名前にする」という変わった慣習を持つ。
グロリアス、ヴィクトリアス、カレージャス、インヴィンシブル、インドミタブル、インプラカブル、インディファティゲブルなど。
しかし、illustrious 「輝かしい」はまだ解るけど、indefatigable 「疲れを知らない, 根気強い, 不撓(ふとう)不屈の」なんて、とても船の名前に思えん。implacable 「なだめられない, 執念深い, 冷酷無情な, 無慈悲な」は、確かにイギリス人ぽいですが。
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