更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2009年2月26日(木)
井川遥

西川美和監督の新作「ディア・ドクター」の予告編を観たら、井川遥が出演していた。

そういえば黒沢清監督の「トウキョウソナタ」にも出ていたなあ・・・・・・と思ってちょっと調べてみたら、ここのところ映画出演が続いているんですね、この人。
で、出演作と演じた役を見ると、女優としての傾向がわかる。

インディペンデント映画のバイプレイヤーとして、独自のポジションを築きつつあるのだ。
(インディペンデント映画の定義は厳密に言うと難しいが、ここでは東宝や松竹等の大手映画会社が大予算を投入した映画でない、という程度の意味)

美人で立っているだけでも華があり、集客力があり、脇に回ることをいとわない。監督にとって、とてもありがたい役者だろう。しかも黒沢清、瀧本智行、西川美和と実に良い監督と組んでいる。優れた監督に可愛がられるのは、女優として大成するための必須要件のようなものだ。

所属事務所の他のメンバーを見るかぎり、この出演傾向は事務所の方針というわけでもなさそうだし、本人の意向なのか、ブレーンによほど優秀な人がいるのか。

業界で生き残っていくためには、運や実力や才能や努力に加えて、堅実さと長期的戦略というものが必要だ、という好例ではあるまいか。

グラビアアイドルとして最大瞬間風速的人気を博したのが2000〜2001年頃。こことか、このあたりを見ると、コンスタントに映画に出続け、生き残っている人はほとんどいないことがよく解る。

アイドルから女優へ、と言えば小泉今日子が良い仕事をしているが、この人の場合大成したのは「生活に疲れた主婦」というハマリ役を得てからである。
バイプレイヤー一筋の若手では、小嶺麗奈がいる。しかしこの人は美貌も演技力も定評があるのに、出演作がマイナーすぎていまいちブレイクしない。結局「ユメノ銀河」('97)が女優人生の頂点で終わりそうである。

井川は、今年32歳。この調子でキャリアを積めば、40歳を超えた頃には邦画界になくてはならない女優になっていると思う。ぜひがんばって欲しい。

2009年2月25日(水)
「ウォーリー」

うっかりしていたら近場での上映が終わってしまって、やむなくお台場のシネマメディアージュまで出かけるハメに。
でも、やっぱり劇場で観ておいてよかった。

出来栄えについては今さら言うこともないので、3つだけ。

・個人的に一番ドキドキしたのが、ウォーリーがイヴに自分のコレクションを見せるシーン。
と言うのも、コレクションというのは男の欲望の具現そのものなので、普通女性はドン引きするものなんだよね。
この際だから断言するが、女性は男のコレクションに絶対に、そう絶対に価値を見出さない。もう遺伝子レベルで決まってるんじゃないかってほど。
「40歳の童貞男」('05)にも、主人公が秘蔵のアメリカントイのコレクションを見せたら、容赦なく「売ってカネにしろ」と言われるシーンがあった。この映画はタワけたタイトルとは裏腹の佳作なのだが、このシーンだけは首肯しかねたものである。
というわけで、「ウォーリー」は『史上初めて女性が男のコレクションを受け入れた映画』として長く歴史に残るでありましょう。

・本編もさることながら、見どころはエンドクレジットで様々な技法で描かれるアニメーション。
たとえツールは鉛筆からペンタブレットに変わっても、アニメ100年の歴史に対するスタッフの愛情と敬意がひしひしと伝わってきて胸を打たれた。この姿勢こそ、ピクサーを支えるものなのだろう。

・エンドクレジットに、「Justin Wright(1981-2008)に捧げる」という字幕が出ていた。
ということは享年27歳?あまりの若さに気になって調べてみたら、ピクサーのブログに記事があった

死因は心臓発作。27歳の誕生日からわずか10日後。12歳の時に心臓移植を受けていたとのこと。
その身体でアニメーターという激職を選んだわけか。

こちらはライト本人のブログ。若くして失われた才能を惜しみ、冥福を祈る。

2009年2月24日(火)
「チェンジリング」

イーストウッドの最新作を観てきた。

子を思う母の感動作みたいな宣伝をされているこの作品。それはそれで間違っていないが、むしろイーストウッドの「女性恐怖映画」の系譜に連なる作品のように思える。

イーストウッド映画は、常に女性を恐れる。
初監督作の「恐怖のメロディ」('71)以来ずっとそうだ。

→アメリカ映画特電第48回 クリント・イーストウッドの「白い肌の異常な」映画群

近作の「ミスティック・リバー」('03)も、主役はショーン・ペンとティム・ロビンスだが、それぞれの妻ローラ・リニーとマーシャ・ゲイ・ハーデンの、「夫を悪にそそのかす妻」と「夫を裏切る妻」のドラマと読むことも可能だ。

先日、たまたま行方不明映画の最高傑作こと「バニー・レイクは行方不明」('65)を観る機会があった。

→アメリカ映画特電第17回トラウマ映画館@行方不明映画の最高傑作『バニー・レイクは行方不明』

行方不明映画とは読んで字のごとく、子供が行方不明になり半狂乱になる母親だが、周囲の人間は誰もその子供のことを知らず、実は狂っているのは母親の方なのでは・・・・・・?となる映画だ。
このタイプの映画は「フォーガットン」('04)みたいなお笑い映画になることが多いのだが、上の作品は事件に合理的な解決を与え、しかも面白いという希有な作品。
で、映画の冒頭では誘拐される前の子供の姿が画面に映らないのだ。だから、本当に母親が狂っているのでは?と観客も疑ってしまうのがポイント。

「チェンジリング」はちゃんと冒頭に子供が映るので、発見されたのが別人だということが客には解っている。だがもしもこのシーンがなければ、クリスティンは異常者と思われても仕方ない。
一昔前のイーストウッドだったら、「気味の悪いクレームをつける狂った母親に怯えるジョーンズ警部」を主人公にしたのではないだろうか。これも作家的円熟のひとつの表れと言えるのでは。
「父の不在」というモチーフもこれまで通り。父の代わりをするのが「牧師」というのができすぎだ。

父と言えば、ウォルターの父は作中で「義務を恐れて逃げた」とだけ語られるのだが、作中の時代の10年前と言えば1918年。これもしかして第1次世界大戦の徴兵逃れでは?完全に想像だけど。

アンジェリーナ・ジョリーが熱演。なのだが、私の思うところの「名演」ではない。
これは完全に趣味の部類だけれど、私はこういう演技は好きでない。怒鳴ると声がかすれてしまうのも減点要素。


ところで、ゴードン・ノースコットは実在の連続殺人犯だが、パンフレットの解説によると、映画にはひとつ史実からの改変がある。一応調べてみた。簡単にググってみたかぎりでは、ノースコット事件に関する日本語文献はこれだけらしい(と言うか、日本語ウィキに記事があるだけでも驚きだ)。

で、その改変とは、映画には登場しないノースコットの母親が積極的な共犯だったらしい、ということだ。

改変した理由も何となく分かる。「息子を誘拐された母親」と「連続殺人犯」のシンプルな対決に水を差してしまうからだろう。
しかしこの事実を知ると、母性というものの不可思議さはフィクションをはるかに上回ると思わざるを得ない。

そういえば、2000年に発覚した新潟の少女監禁事件も母親が共犯として逮捕されたんだっけ。(このリンク先では触れていないがどうなったんだろう?)

'09.2.25追記
この件は記憶違いでした。失礼しました。
「@佐藤容疑者が女性の汚れた衣類を洗濯せずに捨てるなど、監禁の事実を母親に知られないようにしていたA救出された女性が「(母親とは)会ったことがない」、母親も「(女性が監禁されていたことを)知らなかった」と話しているB女性が監禁されていた二階から母親の指紋が検出されなかった」ことなどから、母親の立件は見送ったとのこと。2000年2月16日朝日新聞夕刊より。

ついでだが、上の文献では殺人を強要されていた共犯のサンフォードを甥としているが、映画では従兄弟になっている。年齢差(21歳と15歳)からしても従兄弟が正しいのでは?

2009年2月23日(月)
最近の「ソウルイーター」

の、展開がどうも釈然としない。具体的に言うと44から46話。

マカは、アラクノフォビアとの戦いを命じられながら、クロナを心配するあまりメデューサとの戦いに向かってしまう。

これって、職場放棄とか敵前逃亡とか言うんじゃないの?

「命令に逆らうドラマ」ならあり得る。
と言うか、軍隊ものでは定番の展開だ。
己の信念とか良心とか正義に従って命令自体の正当性に異を唱え、ひいては組織や社会や共同体に逆らう、のならドラマとして正しい。
ところが、「ソウルイーター」の展開にはそれとは根本的な違いがある。
ここでは「命令への反抗」ではなく、「命令よりも自分のやりたいことを優先する」ことに焦点が当たっている。これは似て非なるものだ。

人にはそれぞれ、組織なり社会なりから期待される役割や義務というものがある。いかに親友が心配でも、それがどんなに純粋で崇高な気持ちでも、自分の義務を放り出していいということにはならない。それはあくまで、「私事(わたくしごと)」だからだ。
あえて厳しい言い方をすれば、マカのやってることは「営業サボってパチンコ行きてえ」と言うのと一緒だ。

自分が放り出した仕事は誰がするのか?
そのことで生じた迷惑や損害は、誰が責任をとるのか?
・・・・・・などということを、社会人としては考えてしまうのですよ。

ついでだが、クロナがメデューサと戦うのは己の自立のためだ。ならばなおさら、マカが助太刀してはいかんだろう。クロナは独力で戦い勝利しなければいけないはずだ。

脚本の大和屋暁は、この辺がわからん人じゃないと思うのだが。

もうちょっと考えると、「所属する組織の正当性に対する疑念」の部分は、主人公3人組のうちキッドが担当している。だから、マカは単に直情バカに見えてしまうのだな。
2009年2月22日(日)
ハチサン


本サイト開設以来
暖めていながら、これまで放置プレイしていたネタ。

「機動戦士ガンダム0083 スターダスト・メモリー」の伏線

先月書いた「観る側の能力」が問われる作品である。
と言うか、私は気づかないわけないと思うんだけど。

2009年2月22日(日)
無題




ええ、買っちゃいましたけど何か?


いや、以前書いた文章を採りあげて頂きまして。
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20090215/p1
ネタとしてこのくらいやっとくべきかな、と。

2009年2月15日(日)
「WHITE ALBUM」


何となく
観ているこの作品。第五頁になかなか良いシーンがあった。





このように「腕時計を見る」という芝居が二度出てくるのだけれど、男ものと女ものを使い分けているのですな。
昔、時計屋さんになぜ女ものの腕時計は手首の内側に文字盤が来るのか聞いてみたことがあるのだが、「文字盤を見るとき肘が外に開かないから、動作がたおやかに見える」という理由なのだそうな。
その真偽はともかく、こういう工夫で、キャラの性格や社会的立場や心理を描き分けているわけ。

演出の指示なのかキャラデザインの段階で指定してあるのかは解らないが、丁寧な良い仕事だと思う。
・・・・・・にしても、公式サイトに各話演出と絵コンテくらい載せて欲しいな。

2009年2月9日(月)
最近のヤマカンさん関係

・某所で、某ノオトのアーカイブが保存されているのを発見しまして。
 まとめ読みしていたおかげで、初音ミクを見ても「マクロスF」を見ても、「ハジメテ・ノオト」「アナタ・ノオト」と読んでしまって困る。
 それはどうでもいいのだが、2004年8月の記述に、「フェノミナン」('96)の感想がメモってあり、「目当ての散髪シーンはエロスが足りない」との由。時期的に考えてちょうど「フルメタTSR」の製作にかかった頃のはず。「フルメタ」6話の散髪シーンのヒントはこれではないかと。


・「のだめカンタービレ」と「恋風」をアニメ化したいとの発言が。それは観てみたかった!


・「CONTINUE」vol.42のインタビューで、師匠として木上益次氏の名前を挙げている。
 調べてみると、根っからアニメーターというタイプの方らしいですな。
 アニメスタイルの座談会で、かの井上俊之氏が「新人時代のライバルで、ついに勝てなかった人」と言っている。この記事は読んだはずなんだけど、忘れてました。
 演出一筋のヤマカン氏が師匠と仰ぐ人としては、ちょっと意外な人選。


・「かんなぎ」最終話。
 日本家屋+真っ正面から捉えた四角い構図+正座の高さの目線・・・・・・からの連想は短絡的と言われりゃ一言もないけど。





 どう見ても小津ですよね。

2009年2月3日(火)
「地獄少女 三鼎」

久々にリアルタイムネタ。
もっとも、本放送はだいぶ前だが。

12話「真夏のグラフ」で観客をのけぞらせた実写パート。
いわゆる割り箸アニメですな。絶望先生の影響でもあるまいに。



釜茹で地獄の図。



火あぶりの図。セリフも吹き出しに。



あいももちろん切り絵なのだが、瞳にムギ球を入れて光らせているという芸の細かさ。
(ガンプラ者は、いまでもモノアイを光らせるのにムギ球を使うんだろうか。)

で、エンドクレジットを見ていたら実写パート担当:さいごうみちのり・長澤敏靖と出ていた。
さっそく調べてみたら、これらしい。

有限会社ゼロサン

2003年設立で、音楽のPVを中心に活動しているようだ。どんな経緯でこの仕事を受けたのか、興味深いところ。
こういう表現に好きずきはあるにせよ、個人的には新しい血が入るのは無条件で良いことだと思う。



ところで、以前「ブレードランナー・ファイナルカット」と「最終版」の鳩が飛び立つシーンの違いに触れたことがあるが、ブルーレイで観返したら確認が取れたので追記

やっぱり、ここは最終版の方が良いと思うなあ。

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