上京シリーズ第3弾。新宿バルト9に初めて行った。
世にディレクターズ・カットや完全版というものは山ほどあるが、大抵はどうでもいいようなシーンや説明過剰なシーンが付け加えられて、冗長になるだけの代物である。
まれな例外がコーエン兄弟の初監督作を再編集した「ブラッド・シンプル/ザ・スリラー」で、カットの順番を入れ替えたりカット自体を短くしたりして逆に尺が短くなり、より完成度の高い映画になった。
この「ブレードランナー ファイナル・カット」も、印象としてそれに近い。リドリー・スコット監督は「これこそが本来撮りたかった形だ」と語っているが、今度こそ本当の最終版になりそうだ。作品自体は散々語り尽くされているので、今回気がついたことを述べるに留める。(ネタバレあり)
’91年公開の最終版との違いはまず、例のユニコーンのシーン。
最終版では、デッカードがうたた寝をして夢を見たように描写されているが、今回はユニコーンのカットが2つに分けられ、間にデッカードのアップが挟まる。つまりデッカードの意識ははっきりしていて、ユニコーンの幻影を見ているのである。
2番目は、レプリカントの目の光。


作中で、レプリカントの目は光を受けると反射で赤く光る。人間の目は光らない。ではデッカードはどうかというと、最終版では、光ったり光らなかったりしていた。これが、デッカードのアイデンティティの揺らぎを表しているのだろうと思っていたのだが、ファイナル・カットではデッカードの目は光らないのである。
ただ、これはわざわざ修正したのか私の記憶違いか、あまり自信がない。
3つ目は完全版にのみ収録されていたバイオレンスシーンの復活。バッティがタイレル社長の目をつぶすシーンと、プリスがデッカードの鼻の穴に指を突っ込む(!)というシーンがある。私は完全版は未見だったので、このシーンは結構ショッキングだった。すげえ痛そう。
最後に、大きな違いがバッティの最期。バッティが息絶えた時、その手から離れた鳩が空へ飛び立つカットがある。

最終版までは上図のように、このとき作中でただ一度青空が写って鮮烈な印象を残すのだが、このシーンは曇天に変わっている。ベタ過ぎという判断なのかもしれないが、これはちょっと残念。

’09.2.3追記
上の図が、ファイナル・カットの鳩のシーン。最終版と比べると一目瞭然。この図は明るめに画像補整したもので、本当はもっと暗い。
他に、大画面+DLP上映のおかげで気がついたこと。
・フクロウのモチーフの多用。デッカードの部屋に置物があったり、タイレル社長が着ているナイトガウンの胸のロゴもフクロウの意匠。
・デッカードの部屋には観葉植物がたくさんある。
字幕・セリフの変更。
・最終版でバッティがタイレル社長に向かって「長生きしたいんだよ、ちくしょう!」というシーン。これが「長生きしたいんだ、父よ」に変わっている。これ、以前の字幕担当者が「father」を「fucker」に聞き間違えたんじゃなかろうか(確かに素人の耳にはそう聞こえる)。最終版DVDの英語字幕を見てみたら、ちゃんと「father」と言っていた。
バッティのタイレル社長殺害は「被造物が造物主を殺す」行いなのだから、これは「父」が圧倒的に正しい。
また、タイレル社長を殺した後、JF・セバスチャンに迫るバッティが「Sorry, Sebastian」と呟くセリフが追加されている。総じて、バッティがより人間くさく描写されているようだ。
・・・なんだけど、ラストの「like tears in rain」は従来の訳のまま。これはこれで好きですが。
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