最近の勉強から。
フォークランド紛争は、1982年4月から6月にかけて、南極圏の小島群フォークランド諸島の領有権を巡って、イギリスとアルゼンチンの間で行われた紛争である。
アルゼンチン軍の侵攻に対して、イギリスは本国から13,000キロも離れた絶海の孤島を守るために機動部隊を派遣し、「鉄の女」サッチャー首相は大いに面目を施した。
しかし、当時世界唯一だったVTOL戦闘機ハリアーの活躍ばかりが喧伝されるこの戦いにおいて、アルゼンチン空軍は果敢に戦い、イギリス機動部隊に大きな損害を与えた。
沈没艦が数隻ですんだのは、命中した爆弾のほとんどが不発だったからで、全てが爆発していたら機動部隊は全滅していたかもしれないと言われる。
この不発の理由というのが、あまりに超低空で投弾したので爆弾の安全装置が外れる前に命中したためだった。
ここまでは割と有名な話。
今日初めて知ったのだが、そのアルゼンチン空軍を指導して基礎を築いたのは、旧ドイツ空軍の大エース、ハンス・U・ルーデル大佐であった。
スツーカを駆ってソ連戦車500台以上を撃破した伝説的人物である。
そりゃ超低空攻撃にもなるというものだ。
奇しくもルーデルの没年は'82年である。
なお、アルゼンチン空軍はフォークランド侵攻にあまり乗り気でなかった。
一番積極的だったのは海軍である。
ところがいざ開戦すると、景気のいいことを言っていた海軍は、イギリスの原子力潜水艦の跳梁を恐れて一度も港から出撃せず、何の役にも立たなかった。
空軍は、当初の思惑がどうあれ、開戦後はもっとも勇敢に戦ったのである。
この実に時代錯誤で古典的な戦争で、アルゼンチン空軍は敗れたとは言え、見事一花咲かせたのであった。
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