待望のプラスマッドハウス2巻 『川尻善昭』から。太字は引用者による。
−イメージカラーとして青を使い始めたのも、この頃(『妖獣都市』の監督時)からですか。
イメージカラーというよりも、都会の冷たい空気感、サスペンスが感じられる空気感を表現するならやっぱり青。自分でも青が好きだったし。それから、当時はフィルムの感度が、現在と全然違うじゃないですか。現像所でいくらタイミングをいじっても、出てこない色は出てこない。中間色は現像の仕方によって、どんな色に変化するか分からない。ブルーが、一番安定して出る色なんだよ。
−そういう技術的な裏付けがあって、青を使っていたんですね。
ブルーと赤ね。何かクリアな感じ、冷たい透明感がほしい時は、これしかないみたいな感じで使ってたんです。それとセルの色も、割とブルー系は多かった。
−絵の具の種類が?
そう。だから、消去法で青を使っていたというのもある。逆に、今はほとんど使わなくなった。ちゃんと緑とかも出るようになったし。
−色が出るようになったのは、デジタルになったからですか。 デジタルになってからは、特にそうなんです。フィルムでも、「(バンパイアハンター)D」の時は、大分感度が上がって、中間色が出るようになっていた。だから、随分色の使い方が変わってるはずなんだけど。「妖獣都市」の頃にああいった色遣いだったのは、そういうハードとしての問題があったからなんです。限定されたハードの中では、非常に効果的な色だったというのが、僕にとっては一番大きかった。
あの印象的な原色の青の多用は、こんな理由で。
−作品を作るうえで「スタイリッシュである」ということは、かなり意識されてることなんでしょうか。
それは結果的にそうなっているだけで、初めっからスタイリッシュにしたいっていうことではないと思うんです。たぶん、それは必然性からきたことなんですよ。(中略)
自分が描きやすい構図、自分で気持ちいいって思う描写が集まって、結果的にそうなっている。そして、自分が画面を作ったり、カットを繋いだりするのは、自分の中の必然性の元にやっている。「こうするべきだ」と思ってやっているんです。
−アクション演出についても、当然、ご自身の中の必然性があるんですね。
いかに「見せないで感じさせるか」を大事にしている。そのへんは出崎演出から、非常に大きな影響を受けているんだと思う。客観的なカメラでバトルするシーンなんて、どんな凄い生身の人間が−まあ、ブルース・リーがやれば別かもしれないけど−やったとしても、そんなに迫力って出ない。それよりは、アクションの間を抜き取って繋げていく方が効果的に見せられる。それが自分が欲しいアクションだと思う。特に『獣兵衛』にしても『妖獣』にしても、バトルをする奴は人智を超えた凄い動きをする連中なわけで、その凄さを見せるには、動きが全部繋がったかたちで見せないで、ショットで繋いでいく。それが自分では気持ちいいなあと思える。だから、アクションの中で、ガッと踏み出す足のアップを入れることがよくあるけど、あれが自分のテンポなんだよ。大体アクションは音で繋げてるんだけど・・・・・・。
−音ですか?
音です。『獣兵衛』で夢十郎と獣兵衛がつばぜり合いをするアクションがあって−作画は三原(三千夫)君がやってくれて、格好いい動きをつけてくれたんだけど、タイミングが遅いと思った。俺のイメージだと、あれだけ凄い奴らのチャンバラっていうのは、1秒に5回打ち込むんだよ。
−(爆笑)1秒に5回ですか! そう言ったら、三原君が「動きが繋がりません!」と言っていた。繋がらなくてもいいの。刀と刀を合わせた時の火花が飛べば、凄い奴らが戦ってると思えるから。1秒間に5回。そんな風に音でタイミングをつけていく。それが自分にとっては生理的に気持ちいい。そういったことが多分、骨格になっている。
近年のアクション作画で一番凄かったのが、『精霊の守り人』第3話のチャンバラシーンだと私は思っているのだが、このシーンについて、神山健治監督がインタビューで、本当の超一流同士の戦いというのはどんなものか、考えながら芝居を付けたという意味のことを言っていた。バルサが短槍で敵の剣を受けると、敵は短槍を握る指を狙って剣を滑らせ、バルサは槍から指を放してそれをかわす、なんて芝居が入っているのである。言われなきゃ分からんて。
それに比べると、川尻監督の方法論は極めてアニメ的−写実的でないという意味で−と、言える。とすると、川尻作品を、普段アニメを見慣れていない人でも楽しめると評する言説をよく見かけるが、これは根本的に間違えていると思う。
−リアルに描写することは、必ずしも大事じゃないんですね。
うん。実際と同じ速さだと遅く見えて、逆に嘘っぽくなってしまう。僕にはそう思える。だから「D」に出てくる馬の走りなんて、普通の馬の何倍も速い。「獣兵衛」でもそう。普通の馬のタイミングにすると、他の動きとバランスが取れなくなる。要するにアニメーション自体が、凄くデフォルメされたもんで、全てが作られたものじゃないですか。だけど、普通の映画のように観てほしいし、出てくるものを、そこに存在するものとして捉えてほしい。そのためには、全部について嘘をつく必要があるんです。馬の走りだけ本物になっちゃうと、他の全てが嘘だということが分かってしまう。だから、全部をリアルに受け止めてもらうためには、そういう統一された嘘のつき方というか、デフォルメの仕方をしなくてはいけない。自分の中で、しっかりした基準を作っていかないと気持ち悪い。それは馬だけではないんです。例えば、僕の作品は、キャラクターの足が長いじゃないですか。
−長いですね。
俺の倍はあるっていう長さでしょ(笑)。そうすると、普通のタイミングで歩くと、「ちょこまかした奴」になっちゃうのね。Dみたいな奴だと、凄く遅く歩かせないといけない。普通の歩きにしちゃうと、なんか情けなく見えちゃう。そういうバランスの取り方は気にしてるところだよ。
−一つの美意識みたいなもの。この場合、美意識という言葉が正しいかどうか分かりませんが、一つの法則に則って作品が作られてるのが理想なんですね。 やっぱり、それは必然性なんだと思う。
馬の作画については、「ハイランダー」のパンフレットでもこんな話をしていた。
−そういう中で、監督自ら原画を担当されたカットがありますが、それは何かこだわりがあったんですか。
いえ、僕はどちらかと言えば楽をしたいずるい人間ですから、こだわりはなく、別にうまい人がやってもらえば全然構わないんです。ただ原画さんの資質を見渡したときに、「じゃあ、俺がやった方がいいか」となることがあるだけで、むしろ台所事情っぽいんですよ(笑)。特に「馬」ですね。僕は『マルコポーロの冒険』という作品で馬やラクダを研究するチャンスがあったんですが、今はそもそも馬が出てくるアニメ作品が少ないんです。そうすると教科書の基本形でしかあがってこないんですが、そこにデフォルメが必要なんですよね。僕としては『駅馬車』や『七人の侍』の馬の感じとかイメージがあるわけで、乗ってるキャラクターのプロポーションで馬の等身も動かし方も変わりますから、物量をこなすには自分で描くしかなかったということです。
ついでに、『THE COCKPIT』の仕事でも、川尻監督の「成層圏気流」と今西隆志監督の「音速雷撃隊」の空戦シーンを比べると面白い。川尻監督の空中戦はものすごくスピーディなのに対し、今西監督の方は動きがのんびりとしている。実はこれは意図的なものだという。だいぶ以前にムック本で読んだ記憶があるのだが、プロペラ機同士の空中戦はこんな風に見えるはず、と故意にゆっくりとした動きをつけたのだそうだ。
どちらかが正しいというものでもなく、どちらが気持ちいいかという価値観の問題である。
最後に、『バンパイアハンターD』音響監督・三間雅文氏のインタビュー。
−1ヶ月半の間、向こうでどんな作業をされていたんですか?
効果音が全然上がってこなくて心配だというので、現地へ行ったんです。そしたら、ものの見事にハズれていて。「どうすればこんな音ができるんだ」と思うぐらいペラペラだった。(中略)最たるものが、ラストに出てくるロケットの音。川尻さんが「ロケットが飛ぶことができず、悲しい悲鳴をあげているような音を付けてくれ」と言ったら、アメリカ人スタッフが「意味が分からない。ロケットは鳴かない」って(笑)。いろいろ説明するんだけど、全然思い通りのものにならない。そしたら急に川尻さんが「おまえもなんとか言え!」と言うので、僕が「イルカとクジラの鳴き声を用意してもらっていいですか?」と言って、その音をロケットの打ち上げ音に被せたんです。川尻さんは凄く気に入ってくれて、アメリカ人も「なるほど、確かに悲しく聞こえる」と。川尻さんには「お前がいていいと思ったのは、この時が初めてだ」って言われました(笑)。(後略)
日本人の脳は虫の音や鳥の声を言語野で処理するのに対し、西洋人の脳は単に雑音として処理してしまうと言う。この話、本当は与太らしいのだが、やっぱり事実かも、と思わせるエピソード。
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