更新履歴と周辺雑記

更新履歴を兼ねて、日記付け。完結していない作品については、ここに書いていきます。

2008年1月30日(水)
観客を甘やかさないということ

少し前回の続き。
「分かり切ったことをいちいち描写しない」という作法は、谷口悟朗作品にもしばしば見られる。

代表的なのが「プラネテス」15話「彼女の場合」のラスト。
それまで内心を見せることのなかったデブリ課の派遣社員・エーデルの過去が描かれるエピソード。初めてタナベに心を開いたエーデルが、これまで通りにさん付けで呼ぶタナベに向かって、「エーデルでいいよ」と答える。

それが下のカットだが、ここでブツッと切ってエンディングに入ってしまう。



凡庸な演出家だったら(あ、また言っちゃった)、もう一回タナベのアップに切り返してしまうはず。
谷口作品には、こういうクールなブツ切り感が横溢している。

脚本:大河内一楼
絵コンテ:杉島邦久
演出:北村真咲

2008年1月25日(金)
灼眼のシャナ
1話を見逃したのと、ときならぬツンデレブームに嫌気が差したのとでなんとなく敬遠していたのだが、スカパー!で第2期シリーズの放映が始まったのを機に最初から借りて観てみた。
「スターシップ・オペレーターズ」の渡部高志監督なのであまり期待していなかったんだけど、もう参りました。ストイックな演出に、理論的な画面構成。素晴らしい。

まず第2話。
異世界の住人「紅世の徒」に存在を喰われた人間は、「トーチ」と呼ばれる残り火となり、いずれは消滅し最初からいなかったことになる。
主人公・坂井悠二は、トーチとなったクラスメイトの平井ゆかりを、彼女が想いを寄せていた親友の池とデートに連れ出すが、それも虚しく彼女は消えていく。
このドラマチックなシーンの演出が、実に抑制が効いていてイイのだ。

まずはこのカット。別れが近いことを悟った彼女は、池の肩越しに何かを囁く。


別れの言葉なのか想いを告げたのか、何を言ったかはついに明らかにされない。だからこそ、万感の思いが伝わる。



彼女は、お気に入りの河原で、3人で撮ったプリクラ写真を見ながら消滅していく。
悠二が地面に落ちた写真を拾うと、当然のように彼女の姿は消えている。



注目はこのときの悠二の芝居。ただ拾って見るだけで、一切のリアクションがないのである。あえて言うが、凡庸な演出家だったら驚く芝居(目を見開いてみるとか)を入れてしまうだろう。
分かり切ったことはいちいち描写しない。観客の能力を信頼したこういう作劇が、ストイックでカッコいいと感じる。おまけに、テンポも良くなる。

実は平井ゆかりは、原作には名前が出てくるだけ。このエピソードはアニメ版のオリジナルである。これが映像化というものだ。

脚本:小林靖子
絵コンテ:渡部高志
演出:杉原由紀

続いて第12話。
悠二に片想いする吉田一美は、深夜に2人でいる悠二とシャナを見かけてしまって・・・、というエピソード。

校舎裏で対峙するシャナと吉田。







2人の心理的立場が逆転するのに合わせて、画面上での立ち位置が入れ替わる。
さらに、「悠二が好き」と口に出したことで、現状から一歩踏み出した吉田は画面手前へ移動した上で、光を当てているという丁寧さ。
ちなみに画面左は舞台の下手に当たる。

残念ながら演出スタッフは未確認。公式サイトに掲載してないんだもの。

1/30追記。12話の演出スタッフ。
脚本:白根秀樹
絵コンテ:中村守
演出:山名隆史
2008年1月20日(日)
大列車作戦

BSで「大列車作戦」('64)を観た。

第2次世界大戦末期、連合軍による解放間近いパリ。
占領ドイツ軍将校ウォルトハイム大佐(ポール・スコフィールド)は、フランスで収集した美術品をベルリンへ持ち去る計画を立てる。バート・ランカスター扮する主人公たち、フランス鉄道員に紛れ込んだレジスタンスは、ポイントを切り替えたり駅名の看板を張り替えたりと、あの手この手で列車の脱出を阻止しようとする。このレジスタンスの行動が、ドゴールのフランス亡命政府から指令を受けているのが重要なポイント。

ストーリーだけ見ると、知恵を尽くしたコン・ゲーム的な映画に思えるのだが、そこはハードアクション監督ジョン・フランケンハイマー、徹底的にシビアな描写に徹する。フランケンハイマーの映画は、とにかく死人が多い。ストーリー上死ぬべき人物は必ず死ぬし、何もこんなザコキャラを殺さなくても、というキャラでも容赦なく殺す。「RONIN」('98)では、ゲスト出演のフィギュア・スケーター、カタリナ・ビットまで殺しちまったくらいだ。

本作でもその作風は全開で、列車の妨害に手を貸した駅員たちは次から次へと死んでいくし、レジスタンスはレジスタンスで、まるで虫けらのようにドイツ兵を殺していく。何しろ平凡な田舎の駅長さんが、部屋のドアを閉めたとたんに室内の見張りのドイツ兵を刺殺したりするのだ。

クライマックスで、主人公はついに機関車を爆破しようとするが、ドイツ側はそれを見越して人質のフランス人を機関車に満載して運行させる。主人公は作戦を線路の爆破に変更し、何とか任務を達成する。ウォルトハイム大佐は、偶然通りかかった負傷兵を運ぶ車列を押収して美術品を運ばせようとするが、ついに部下の離反を招いて孤立していく。

このとき、撤退するドイツ軍が人質として連れてきたフランス人たちを皆殺しにする、という描写がある。これはストーリー上、まるで必要のない描写だ。撤退するのだから、放置していけばすむのに。しかし、ラストシーンでこの意味が明らかになる。
大佐は主人公と対峙し、「おまえは何のために戦った。私は知っている。おまえは知るまい」と傲然と言い放つ。主人公は答えられないままに大佐を射殺するのだが、その後、カメラは路上に放置された美術品と死体の山を交互に映していくのである。

ドゴールの指令は、「フランス人の誇りである文化遺産を略奪から守れ」であった。しかし、これほどの犠牲を払ってまで守らねばならない誇りとは何なのか。友軍の負傷兵よりも美術品を優先しようとするウォルトハイム大佐の狂気と、どれほどの違いがあるのか。
主人公は、ついにそれに答えることができない。つまりこの映画は、「邪悪の論理の勝利」を誇らかに謳い、勝利者の正義を嘲弄する挑発的な作品なのである。


ところで、些細なツッコミを一つ。ルノアールやゴッホはいいとして、ミロやピカソはスペインの画家だと思うんだが。


1/21 追記

「邪悪の論理」について少し補足。
この映画の「悪役」はナチスだが、よく見るとその行動はウォルトハイム大佐一人の個人的なものである。彼の動機は、その程度において常軌を逸してはいるものの、「美術品を我がものとしたい」という常人にも納得のいく心理であり、そのためには上官をだまくらかして列車の運行許可を出させたり、命令を無視して列車を出発させたりする。その結果、部下に見限られ、主人公に射殺されてしまうわけだが、そのおかげで彼は死をもって自分の行動に責任を「とることができた」。

一方主人公はどうか。当初作戦に気乗りしなかった彼だが、ベテラン機関士が列車に細工して出発を遅らせ、ナチスに処刑されたことをきっかけに、作戦にのめり込んでいく。しかし、事態が進行するにつれて加速度的に増えていく死体の山の前に、「故人の遺志を継ぐ」「仇を討つ」などというのどかな感情はもはや意味をなさなくなる。

ウォルトハイム大佐は信念に基づいて戦い、死をもって責任を取った。
名もなきレジスタンスの死者たちに償い、責任を取るものはいない。

この映画は、自由陣営にも(あるいは、だからこそ)無責任で顔の見えない、不気味な権力装置が存在することを鋭く衝いているのである。
2008年1月17日(木)
同ポ反復の使い方

冬コミと被るかもしれないので、しばらく置いていたネタ。

「ガン×ソード」8話「その絆に用がある」より。
ヴァンとウェンディが、山中で竜型のヨロイに襲われたのがきっかけで、ジョシュアと知り合うエピソードである。
通りから店の入り口を眺めた同一構図が序盤・中盤・終盤と3回出てくる。
注目は、左手のツボのところにいる犬である。






序盤は1頭、中盤は子犬が2頭加わり、終盤ではいなくなっている。

で、それぞれに対応する店内の様子が下の3枚。
序盤、1人で街の様子を見に来たヴァンがレイと出くわす。


中盤は、2人の子連れのヴァン。


終盤では、ヴァンとウェンディはジョシュアを置いて店を出て行くが、やがてジョシュアは2人を追って走り出す。


つまり、人間関係とその動きを、犬の姿に仮託してさりげなく表現しているわけ。
同ポ反復は時間経過を表すのに便利な技法だが、こういうこともできる。

脚本:倉田英之
絵コンテ:大畑晃一・谷口悟朗
演出:三好正人

谷口作品にはあまり動物が出てくる印象はないが、7話「復讐するは我にあり」(絵コンテ:須永司 演出:上坪亮樹)でも印象的な犬の使い方をしていたし、この先ちょっと注意してみたい。

2008年1月13日(日)
ぼちぼち再開

先週1週間は連日5時起きのヘビーな日程でした。

完結からだいぶ経ってしまったけれど、冬休み中に準備していたネタで、「天元突破グレンラガン」について論じてみた。以前「トップ2」について論じた文も併せてお読み頂けると幸甚至極。

改めて、「グレンラガン」が、今や進化の袋小路タコツボアニメの展覧会と化した深夜枠でなく、早朝枠だったのは、とても象徴的なことだと思う。

2008年1月7日(月)
10000ヒットありがとうございます

年越ししてしまいましたが、開設から約1年半、ほうほうの体でここまで参りました。
今後とも精進しますので、よろしくお引き立てのほどを。
「たけくまメモ」の2時間分かい、と思うとちょっとブルーになるけど。


「PERSONA」監督の松本淳って、「攻殻機動隊」で各話演出をしていたあの人?
第1話で絵コンテを描いているが、突然画面に入ってくる橋、回り始める風車など、始まりを予感させる映像の数々にわくわくさせられた。
ゲーム原作というと失敗作が圧倒的に多いという印象があったけれど、「ef」といい、最近佳作が増えてきたような気がする。何かノウハウが確立されたのかも。


今週から来週にかけて、本業が忙しくなるのでしばらく更新お休みします。正月に実家に帰って、「零戦燃ゆ」やら「コミックガンバスター」やらいろいろ漁ってきたので、追い追い書きます。
乞うご期待。

2008年1月6日(日)
あけましておめでとうございます

実家から戻りました。

年明け早々に誕生日を迎え、今年は年男なんだけど、新年最初に観た映画が「空の境界 第二章」だわ、(レイトショーなので)そのままネット喫茶に一泊して1話から12話まで無料配信していた「キミキス」を観るわで、干支を3回も経験すると、もはや新年を迎えたところで何も変わりません。しかし、いくらカサヰケンイチ監督作品でも摩央姉が可愛くても、6時間ぶっ通しは無謀だった。
今年もこんな感じで行きますので、よろしくお願いします。
そうそう、来年度から某大学の大学院に入学することになりまして、4月早々にまた引っ越しです。

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