いい年して、こんなにハマってしまうとは思わなかった。
恥ずかしながら、筆が滑ってしまいました。
おおむねFateルートの時系列に沿って並べていますが、特に意味はありません。




対ライダー戦の前夜。西脇だっと作のマンガ版を脚色したもの。

『眠れるはずもない。縁側に出ると、月光が明るく差し込んでいた。柱にもたれて、そのまま腰を下ろす。さまざまなことが脳裏をよぎる。聖杯戦争。戦う理由。学園の惨状。慎二。ライダー。凛とアーチャー。それにセイバー。
「シロウ?」
セイバーの声がした。振り向くと、隣室からセイバーが顔をのぞかせていた。
「眠れないのですか?」
うなずくと、セイバーは俺の脇にやってきて、邪魔にならない程度の距離を置いて正座した。しばらく無言で月を眺めた後、聞いてみた。
「セイバーも、慎二を殺すべきだと思うか?」
「・・・・・・サーヴァントとして答えるならば、それが最善です。もっとも確実で安全だ」
冷静な答え。聞くまでもないことだった。
「そうだな。俺にだって分かってるんだ」
「・・・・・・でも、あなたは納得できない」
質問ではなかった。セイバーの声に、咎める響きはない。
「子供の頃、正義の味方になりたかった」
なぜそんなことを言い出したのだろう。
「ピンチになると現れて、全てのトラブルをスマートに解決して、みんなが幸せになる。そんなのに憧れてた」
セイバーは無言。だが、耳を傾けてくれているのは分かった。
「分かってる。そんなのは夢物語だ」
「・・・・・・それでも?」
セイバーが先を促した。
「そう。それでも」
探したい。皆が幸せになれる方法を。
「・・・・・・どうして、皆が幸せになれないんだろう」
なぜ、こんなことになったのか。
「誰も、傷つく必要なんかないのに」
もちろん、答えはない。
「あいつは、親友だった。あんな奴じゃなかったんだ」
言葉にしてしまってから後悔した。
セイバーの前で弱音を吐くなんて、何を情けない。
マスター失格だ、俺は・・・・・・!
「セイバー、すまない。みっともないところを見せて。もう大丈夫だから、今のは」
忘れてくれ、と言おうとした時、セイバーが呟いた。
「シロウ。あなたも、理想を追う者なのですね」
え?と顔を上げると、思いがけず近くにセイバーの顔があった。セイバーは身を乗り出して、俺の顔を覗き込んでいる。深い碧色の瞳は、いつにも増して真摯な光を湛えていた。息をのんで、見つめ返す。

セイバーは手を伸ばして、そっと俺の手に重ねた。
「その痛みは、高い理想を追う者みなが、等しく味わうものです。あなたの心が折れてしまわない限り、それはあなたを終生悩まし続けるでしょう。それでも、どうかその痛みを心に刻んでください。この先あなたがどんな道を選ぶとしても、その痛みを決して忘れないで」

セイバーは手を放し、言葉を続けた。
「私は、敵マスターを殺すのが最善の道だと言いました。それは必ずしも、最良という意味ではありません。往々にして、最善の道はもっとも安易でもあります。あなたがもっと困難な道を行くというなら・・・・・・いや、きっとあなたはそうする。それもいいでしょう」
セイバーの声は暖かかった。彼女は立ち上がり、踵を返した。戸口で振り返り、言葉を継ぐ。
「まだ時間はあります。よく考えて、決断してください。あなたが下した決断ならば、私はそれに従います」
「・・・・・・俺がマスターだから?」
「いいえ」
セイバーはきっぱりと答えた。心に染み入るような微笑を浮かべて。
「あなたが、高潔な魂の持ち主だから。私が剣を預けるのにふさわしい方だからです」
今度こそ、絶句した。
「では、私は先に休ませて頂きます。シロウも早めに休んでください」
襖が閉じる。

息を吐いた。
セイバーの剣。なんて重い。
「もっと困難な道、か」
月光が冴え冴えと室内を照らした。

翌朝。結局眠れたのは午前3時を回ってからだったが、いつも通りに目が覚めた。
朝食を終えて、セイバーに声をかける。
「今日は鍛錬は休みにしよう。夜に備える」
「すると?」
うなずく。「ああ。今夜、決着をつける」
セイバーの瞳が真剣さを増す。
「結論が、出たのですか?」
「いいや」
あっさりと答える。わずかに小首をかしげるセイバーに、言葉を続けた。
「考えてたってどうなるものでもない。一刻も速く慎二を止めなければ。要は、令呪を奪えばいいんだろう。首根っこをつかまえて、令呪を捨てさせる」
「あくまで拒否したら?」
「左手を、斬り落とす」
まっすぐにセイバーの眼を見つめて答える。セイバーは、微かに目を見開いた。
「もちろん、ライダーとの戦いは避けられないだろう。それで周りに被害が−」セイバーが柳眉を逆立てたので、慌てて言い直した。
  ・  ・
「俺か、周りに危害が及びそうなら、そのときはあいつの生死を考慮せずに実力行使だ。その判断はセイバーに任せる」
「わかりました」
セイバーは厳しさと、例えようもない優しさとがないまぜになったような表情を浮かべて、頷いた。
その顔を見て、つい付け加えた。
「何だか嬉しそうだな、セイバー」
「な、何を言うのです。私が想像していた以上にやっかいな方針だ。まったくあなたという人は、いつも一番困難なやり方を思いつく」
ことさらに顔をしかめてみせるセイバーがおかしくて、笑いをかみ殺す。これがセイバーの言う最良かどうかなんて分からない。救えるなら救う。ダメなら、そのときはそのときだ。俺には、他の方法なんて思いつかない。
「苦労をかけるが、頼むぞ、セイバー。頼りにしてる」
「もちろんです。私は、あなたの剣ですから」
落ち着いた声と、澄んだ瞳。
大丈夫だ。彼女と一緒なら。』


対バーサーカー戦の前。こういう展開もありかなと。

『奇跡的に原形を留めたベッドに、セイバーを寝かせる。セイバーは苦しげに目を閉じて、浅い呼吸を繰り返す。
その表情を見て、決意が固まった。遠坂に声をかける。
「で、どうするんだ?ここにいても時間稼ぎにしかならないぞ」
「分かってるわ。アーチャーを失った以上、ここで必ずバーサーカーを倒す。そのためには、セイバーの魔力の回復が絶対に必要よ」
「ああ。方法は、一つしかない」
え?といぶかしげな顔になる遠坂。
「別に驚く事じゃないだろ。魂を喰わせるしかないって、遠坂が言ったじゃないか」
「確かに言ったけど・・・・・・意外ね、士郎がその気になるなんて。貴方が他人を犠牲にするなんて、思わなかった」
「いいや。誰も犠牲になんかしない」
「何ですって?でも・・・・・・」
セイバーも、うっすらと目を開けて俺を見た。

  ・ ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ ・   ・ ・ ・ ・ 
「俺の自由になる魂が、一つある」

言葉の意味が浸透するまで、少しかかった。
「な・・・・・・」
遠坂が絶句し、
「馬鹿な!正気ですか、シロウ!」
セイバーが顔色を変え、体を起こそうともがく。だが、もう起きあがることもできない。ベッドに腰を下ろし、セイバーの手を握った。セイバーは必死で握り返してくるが、その力は弱々しい。華奢で小さくて、でも温かい手。この手で剣を振るい、何度も俺を救ってくれた。今度は俺の番だ。
「俺の魂をやる。それで少しは回復するだろう」
「やめてください、シロウ!貴方が死んだらどのみち私は現界していられない!第一私がそんなことをすると思っているのですか!?」
「令呪を使えばできるだろう」
セイバーは絶句した。
「俺が・・・・・・いなくなっても少しは保つんだろ。その間に、遠坂と契約すればいい。遠坂ならお前の力を存分に引き出せるし、きっと聖杯を正しく使ってくれる」
「いや・・・・・・やめて・・・・・・!!」
セイバーは泣きながら、首を振る。泣くことないだろ。お前は聖杯を手に入れなきゃならないんだから、こんなところで消えちゃいけない。お前を救えるなら、俺の命など安いものだ。
「遠坂。勝手を言って悪いが、セイバーを頼む」
遠坂に背を向けたまま言ってから、左手に意識を集中する。

「待て待てーっ!早まるな!そんなことしなくても、他に方法があるのよ!」

遠坂の怒号。意味が分かるまで、しばらくかかった。

「・・・・・・え?」
間抜け面で振り返る。遠坂は腕組みして、呆れ果てたのを通り越したような何とも言えない顔で俺をにらんでいた。
「全く。馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど、ここまでとはね。まさかそんなこと考えてたなんて。信じらんない」
「だって・・・・・・」
「とにかく話を聞きなさい。その前に。セイバーの手、放してあげたら?」
「え?」
言われて、慌てて握りしめたままだったセイバーの手を放す。と、セイバーは、俺の手を放そうとしなかった。力は弱いが、一生懸命に俺の手を握りしめている。手を放したら、俺がどこかへ行ってしまうと言わんばかりに。涙に濡れた瞳が俺を見つめている。
「・・・・・・」
改めて、握り返した。遠坂の視線が痛いが、知ったことか。大丈夫。絶対に、セイバーを消滅させたりしない。絶対に、だ。』


対バーサーカー戦の脚色。最後だけですが。

『俺には何もできない。握りつぶされようとする遠坂。斬り伏せられるセイバー。
俺には、誰一人救えない。

セイバーが、決意を込めて剣を構え直すのが見えた。宝具を使うつもりだ。刀身が輝き、魔力を帯びていく。だめだ。いまのエクスカリバーでは、バーサーカーを倒せない。
「やめろ、セイバー!!」
全霊を込めて、制止した。
「ぐっ・・・・・・シロウ、令呪を!?」
意識してはいなかったが、令呪を使っていた。
「馬鹿な。もう他に方法がないではありませんか!」
「だめだ!それは使うな!!」

ふざけるな。
方法がないなんて、そんなはずがあるか。
セイバーが消えていいなんて、そんなはずがあるか。
俺に何もできないなんて、そんなはずがあるものか!
武器がないなら、作ってやる。
待ってろ。おまえの剣を、奴に勝てる剣を、作ってやる−!

紅い騎士の声が脳裏に響く。現実で勝てない相手なら、幻想の中で勝て。最強の自分を幻視しろ。衛宮士郎の敵は、衛宮士郎。戦う相手は常に自分自身。
奴に勝てる武器−!!

脳裏に浮かんだのは、夢の中の彼女が携えたあの剣だった。
美しくも猛々しい、彼女そのもののようなあの剣。
幻想の中から、それを掴み上げる。何となれば、この身はそれに特化した魔術回路−!!

投影は一瞬で成功した。右手には、夢に見たあの剣がある。
渾身の力で、斬りかかる。その剣は信じがたいほど呆気なく、遠坂を掴んだバーサーカーの左手を切断した。
怪物は怒りの咆吼を上げ、右手の斧剣を横殴りに振り落とす。
「くっ・・・・・・!」
かろうじて剣で受けたが、そのまま吹っ飛ばされた。
広場の反対側まで飛ばされ、地面に叩きつけられる。体の下側になった左腕に激痛が走った。折れたらしい。妙な角度にねじ曲がっている。

バーサーカーは、先に小うるさい俺を始末する気になったのか、こちらへ向きなおる。そこへ、
「シロウ・・・・・・!」

セイバーが割って入った。俺の方へ走ってくる。その瞳には、俺の身を案じる色しかない。バカ、何をやってるんだ。戦いのさなかに、敵に背を向ける奴があるか。バーサーカーが、セイバーのすぐ背後に迫る。斧剣を振りかぶる。次の瞬間に、セイバーが叩き潰される−!

「セイバー!!!!」

右手の剣を、セイバーへ向けて投げた。
「!!」
本来の持ち主の手に握られ、剣が吼えた。そうとしか見えなかった。セイバーのものか剣自身のものなのか、膨大な魔力が光となってあふれる。
「あああああああ−!!!!!」
裂帛の気合いとともに、セイバーは振り向きざまバーサーカーの斧剣を迎え撃った。
両雄の武器が激突し−、
一瞬の後、態勢を入れ替えていた。

呼吸さえ忘れる数秒が過ぎて、突如、バーサーカーの斧剣に裂け目が走ると、こっぱみじんに砕け散った。
同時に、空間の断層とでも言うのだろうか。虹色の軌跡が、巨人を両断していた。

バーサーカーは傷口から火花を散らしながら、ゆっくりと膝をついた。セイバーはこちらに背を向けたまま、肩で息をしている。

バーサーカーは、頭を巡らし、彼女に声をかけた。まるで別人のように理知的な声だった。
「見事だ、騎士王よ。ただ一撃で、我を七度滅ぼすとはな」
「・・・・・我がマスターの力だ。私ではない」
「誇るがよい。おぬしは、良い主を持った」
そしてバーサーカーは、顔を上げて俺を見た。眼には真摯な光。
「セイバーのマスターよ。願わくば、我が主に、慈悲を・・・・・・」
そこで、力尽きた。がくり、と首がうなだれる。
狂戦士は、朝の光の中に塵となって消えていった。

セイバーの手の剣も、雲散霧消していく。
「シロウ!」
セイバーが駆け寄ってくる。
「俺はいいから、遠坂を・・・・・・」
と言いかけるのを遮って、
「黙って!腕を見せてください」
有無を言わさず、俺のケガを調べた。
「単純骨折のようですね。・・・こらえてください」
と、手際よく俺の骨を接ぐと、手近な枝で添え木をしてくれた。
戦場での応急処置は慣れているのだろう。じきに治るとは思うが、正直ありがたかった。
「まったくあなたという人は、またこんな無茶をして・・・・・・!」
セイバーは怒っているのか泣いているのか判らないような表情だった。
「う・・・・・・すまん。でも、ああするしかないと思ったんだ」
「ええ、わかっていますとも。あなたは命知らずの大馬鹿野郎なんですから」
「ぐ・・・・・・」
セイバーの口からそんな罵倒が出てくるとは。まあ彼女の怒りはもっともだ。無茶だったのは俺も判ってるんだから。
「それより、頼む。遠坂を見てやってくれ」
わかっています、とセイバーは頷くと、遠坂のもとへ走り寄り、素早く体をあらためた。
「大丈夫、外傷や出血はありませんし、骨も内臓も無事のようです。気絶しているだけです」
ほっとして、力が抜けた。

「うそ・・・・・・バーサーカー、死んじゃった・・・・・・?」
呆けたような声が響いた。イリヤは呆然と、バーサーカーの消えた場所を見つめていた。
セイバーは険しい表情で、剣を構えイリヤの方へ踏み出した。
そして、俺の方を伺う。
もちろん、答えは決まっていた。小さく首を振る。セイバーは頷いて、イリヤに対して告げた。
「高潔なる我が主は、戦う術をなくした者の命は取らぬ。寛大なお心に感謝するがいい、イリヤスフィール」
イリヤはぼんやりとセイバーの方を見て、
突然、糸の切れた人形のように、その場にくずおれた。』


例の事件。の、後。

『夕食の買い出しから戻る途中、雨が降り始めた。もうすぐ家だし、走ればいいと思ったのが間違いだった。雨脚はあっという間に強くなり、家に着いたときには下着までずぶぬれだった。
「セイバー?」
玄関から声をかけたが、返事はない。眠っているのか、道場の方か。タオルを持ってきてもらおうと思ったが、仕方ない。靴下を脱ぎ、シャツからできるだけ水を絞ってから廊下に上がった。とにかく、買い物だけは始末してしまわないと。痛みそうなものを冷蔵庫に放り込み、廊下の足跡を拭いながら浴室に向かう。
「酷い目にあった・・・・・・」
ぺったり体に貼りついた服をむしり取りながら浴室に入り、脱衣場を2歩で抜け、風呂場との境の戸を開ける。

そこに、先客がいた。
湯気の向こうに朧に浮かぶ、白い裸身と金髪。
セイバーが、浴槽に体を沈めていた。
セイバーは咄嗟に胸を覆い、身を固くして俺を見ている。
「う・・・・・・、あ」
何が起きているのかいまだに分からず、ただ白磁のような素肌が目に焼き付く。
「シロウ。あの・・・・・・今は私が湯を使わせて頂いてますので。申し訳ありませんが、扉を閉めて頂けませんか」
セイバーは顔を伏せ、消え入りそうな声でそんなことを言った。
「ああ・・・・・・うん」
俺は馬鹿みたいに返事をし、回れ右して戸を閉める。
俺がやみくもに脱ぎ捨てたシャツを拾うと、その下から丁寧に畳まれたセイバーの服があらわれた。
それで気づかなかったのだと言っても・・・・・・
「言い訳だ」
えらいことをしてしまった。
しかし、待てよ。以前にも風呂場で出くわしたことがあったが、あの時のセイバーはまるで平気な顔をしていたぞ・・・・・・?

とりあえず服を着替え、居間で居心地の悪い時間を過ごしていると。
セイバーが障子を開け、俺に声をかけた。
「シロウ。お風呂が空きました」
「あ・・・・・・うん」
セイバーに、いつもと変わった様子はまるでない。では、と立ち去ろうとするセイバーに意を決して声をかけた。
「セイバー、さっきは済まなかった。本当に、気がつかなかったんだ。決してわざとじゃない」
セイバーはわずかに視線をそらし、こんなことを言った。
「・・・・・・気にしてはおりません。シロウも、気になさらずに」
「・・・・・・え?」
「前にも言ったと思いますが。私の体は戦うためのもの。この腕は剣を振るうためのものです」
「・・・・・・・・・」
「シロウの目にさらしたからと言って、恥じらうようなものではありません。それに、」
と、セイバーは目を伏せた。
「・・・・・・こんなに筋肉が付いていますから。殿方にとって、見目麗しいものではないでしょう」
「な・・・・・・」
それだけでも息が止まりそうだってのに、か細い声で
「・・・・・・凛のような、女らしい体なら、ともかく・・・・・・」
なんて言葉を続けやがった。
「そんなことない!」
と、何も考えずに怒鳴っていた。
「え・・・・・・」
セイバーは、呆気にとられてこっちを見ている。
「いや、だから。その・・・・・・」
ええい、くそ。
熱い頬と暴れる心臓をこらえて、セイバーをまっすぐ見据えて、思ったとおりのことを言った。
「セイバーは、とてもキレイだ」
セイバーはまじまじと俺を見て・・・・・・やがて俯くと、失礼します、と口の中で呟いて、障子を閉めた。
はあっと、ため息をつく。
「なにやってんだ、俺・・・・・・」
あまりのカッコ悪さにひとりごちたとき。
「シロウ?」
廊下から呼ぶ声がした。
「ん?」
「・・・・・・おやすみなさい」
その声に、微かな喜びと甘えを聞いたのは、思い上がりだろうか。
「ああ。おやすみ」
それきり、セイバーの気配は廊下を遠ざかっていった。』

対ギルガメッシュ戦。セイバー視点で脚色したもの。

『セイバーはおぼろな意識の中で、自分の名を呼ぶ声を聞いた。
よく知っている声。ああ、シロウの声だ。マスターが私を呼んでいる。
衛宮士郎。私のマスター。強い正義感。不屈の闘志。自分の命を省みない献身。頑固で、融通が利かなくて。優しくて、お料理上手で。純粋で、それに無鉄砲で。
きっとまた一人で突っ走って、危険な目に遭っているに違いない。まったくあの人は、私がついていないと危なっかしくてしょうがないのだから。
なぜこんなにからだが重いのだろう?私は速くマスターのもとに行かなければいけないのに。

続いて、金属の打ち合う音。これは、剣戟だ。誰かが戦っている。しかし、この涼やかな音色は・・・・・・。間違いない。この音は私のカリバーンではないか。おかしいな、あの剣は失われたはずだ。第一、私はここにこうしているのに、誰があの剣を使っているのだろう。
剣筋は悪くない。ひたむきで、必死さが伝わってくる。剣もその能力と経験の全てを駆使して、遣い手の思いに答えようとしている。
しかし、押されている。明らかに敵の方が手数が多い。持ちこたえられるのは、あと3撃。次の手は防ぎきれない。危ない・・・・・・。

そして、その音が聞こえた。水を含んだ毛布を、床に叩きつけるような音。嫌な音だ。この音はよく知っている。かつて戦場で、幾度となく耳にした。この音が響くたびに血がしぶき、敵が地に倒れ伏していく。
そうだ、この音は。

刃が、肉を切り裂く音。

唐突に、意識がはっきりした。
セイバーの視界に映ったのは、士郎の背中だった。

彼は、セイバーよりも頭ひとつ背が高い。よく鍛えられてはいるが、その身体はまだ大人の男ではない、少年のものだ。
マスターでありながら、サーヴァントにすぎない私を守ると言った。
その背中は、決して私を裏切らない。背後を任せられる安心。
セイバーは初めて思い知った。自分がどれほどその背中を頼り、信じ、支えにしてきたか。どんなに勇気づけられ、安らぎを覚えてきたか。
今、その背中は無惨に切り裂かれていた。左肩が大きくはぜ割れ、左腕はほとんど胴体から離れている。鮮血が吹き上げる。右手には、真ん中から折られたカリバーンがある。何があったのか考えるまでもない。倒れた自分をかばって、投影した剣でギルガメッシュに挑んだのだ。
士郎はしゃがみ込むようにその場にうずくまった。

「シロウ・・・・・・シロウ!」
呼びかけても、士郎は微動だにしない。
「シロウ!しっかりして、シロウ!」
あれは致命傷だ、と冷静な戦士の本能が告げている。嘘だ。シロウが死ぬはずがない。私のマスターが。
誰かが叫んでいる。喉から血を吐くような悲鳴を上げている。気がつくと、その悲鳴は自分のものなのだった。

シロウが死んでしまう。
私のマスター。
私のシロウ。
私の大切な−。

倒れた士郎の向こうに、黄金の騎士が起き直るのが見えた。その手に血刀を提げている。士郎の血だ。

憤怒が、傷ついた手足に力を与えた。
セイバーはようやく、膝立ちに身を起こした。ギルガメッシュを睨み据える。エクスカリバーが通用しなかった敵。もとより勝算はない。
勝算?それがどうした。奴は士郎を手にかけた。
マスターを守れなかったサーヴァントになんの価値がある。
ここでマスターとともに戦い、果てるまでだ。
だが、ただでは死ぬものか。たとえ素手でも、奴ののど笛に食らいつき、地獄へ道連れにしてやる−!

と、士郎の手が動いた。左手を水平に掲げている。そんな馬鹿な。あの重傷で、動くはずがない。だが、現実に士郎は動いた。掌がセイバーの方を向いている。怒りに我を忘れたセイバーをいさめるように。その背中に力がこもる。膝を立てた。立ち上がろうとしている。

ギルガメッシュもいぶかしげな表情になった。当然だろう。常人なら即死の傷なのだ。
呆然と見守るセイバーの前で、士郎は血だまりの中に立ち上がった。
まだ戦うつもりなのか。はっと我に返った。
「シロウ、もうやめて!本当に死んでしまいます、もういいから!逃げてください!」

立ち上がった。手足はまだ動く。まだ戦える。眼前には、黄金の甲冑をまとった敵。背後のセイバーが、何か叫んでいる。良かった、セイバーは無事だ。あの様子なら、もう5分もすれば回復する。惚れた女のために、たった5分を稼げないはずがない。

「やだ、シロウ!そんなのはいやです!あなたに死なれたら私は・・・・・・! 私のことなど構わないで!自分の命を一番に・・・・・・」

言いたい放題言いやがって。いくらおまえでも怒るぞ。黙っていてくれ。今は、おまえに構っていられない。
「うるさい!」


一喝された。気迫がこもった声に、息をのむ。
「俺には、セイバー以上に大事なものなんかない。セイバー以上に欲しいものなんかない!」
こんな時に、何を言い出すのか。なのに、この胸に喜びが満ちていく。

おまえの言うとおり、俺は自分の命さえ守れない大馬鹿者だ。自分の命を一番大事にする者こそが、自分を救い他人を救ってきっと幸せをつかむことができる。10年前のあの日から、俺はその一番大切なものを収めておく場所が、ずっと空白のままだった。だが、今はその歪さに感謝している。ぽっかり空いていたその場所に、今は一番守りたい者が居座っているんだから。
「俺の中に、おまえ以上にキレイなものなんかないんだ。おまえを、あんな奴には渡さない!」
そうだ、剣を手に、まっすぐ前を見据えて走り抜けたあの姿が、例えようもなく美しかった。その、綺麗な生き方が眩しかった。
「ごめんな。俺、セイバーが一番好きだ」
謝っちまったな。セイバーが絶句する。あいつがどんな顔をしているか見てみたいが、もう視界が暗くなっているので振り返るのはやめておこう。
目蓋に浮かぶのは、赤い外套をまとった背中。
「忘れるな。外敵など関係ない。おまえの敵は、常におまえ自身だ」
耳に響くのは、双剣の騎士の声。
「イメージの中で勝て。最強の自分を、幻視しろ」
最強の自分。奴に勝てる武器−!


シロウの左手に、膨大な魔力が走った。投影魔術。彼は、何かを生み出そうとしている。ギルガメッシュが剣を振りかぶった。今度こそ首を薙ぐつもりだ。
                                               ・ ・
シロウ−!咄嗟に、背後からシロウの身体を抱きしめるようにして、剣のような何かに手を伸ばした。

それは、バーサーカー戦の再現だった。膨大な光の奔流がギルガメッシュを呑み込む。光が消えた時、ギルガメッシュは明らかにダメージを負っていた。黄金の甲冑のそこかしこが焼けただれている。ギルガメッシュは憎しみのこもった視線を投げると、消滅した。
霊体化して離脱したのだ。

助かった−?士郎の投影した何かも、霧消していく。
息を吐いたとたん、腕の中の士郎ががくり、と膝をついた。
「シロウ!しっかり、シロウ!」
傷ついた身体を抱きしめる。
「死なないで!あなたまで、私を−!」
と、そっと髪をなでられた。士郎は、無事な方の右手で彼女の髪を撫でていた。あの傷が、ほとんどふさがりかけている。涙があふれる。
「俺まで・・・・・・なんだって?」
言葉は、素直にこぼれた。
「置いていかないでください・・・・・・私を置いて、行かないで・・・・・・」
士郎の右手に、かすかに力がこもった。』



超個人的「hollow ataraxia」エピローグ。

『−−−そんな夢を見た。
目覚めれば朝の六時前。
窓越しの光はやや強く、隙間から差し込んでくる空気もやや冷たい。

「・・・・・・しまった。またやっちまった」

暑かった夏も過ぎ去り、気がつけばもう十月。
毛布なしで眠りこけるには辛い季節になってきた。

「昨日の夜は、えーと−−−」
まだ目覚めきっていない頭を動かす。
昨夜は自転車一号の手入れをして、ついでに二号のチェーンを新品に替えて、やる事がなくなったんでのんびりしていたら眠ってしまったらしい。

「・・・・・・いたた、さすがに地べたで寝るときついな・・・・・・もうじき冬だし、布団一式運んでおかないと」
筋張った肩を回して一息つく。

衛宮邸の朝食は六時半から始まる。
まだ十分時間はあるが、それは食べる側の事情だ。
朝食を準備する側はもう三十分早く起きなければいけない。
「桜のヤツ、最近メシ作り終わってから起こしに来るんだもんなあ・・・・・・まったく、いつから人の趣味を面白おかしく奪うような性格になったんだろ」

間違いなく姉の影響である。
ともかく、この家で朝食を作りたいのなら朝の六時に起きないと先を越されてしまうのだ。
家主として、いや師匠としてまだ弟子に席を譲る訳にはいかない。
縁側にあがると朝餉の匂いがした。
調子のいい包丁の音が聞こえてくる。
朝食の準備は、もう八割方終わっているようだ。

気持ちのいい朝の、いつも通りの風景。
それを当然のように噛みしめて、

「おや。おはようございますシロウ。今朝は少し寝坊ですか」
彼女の笑顔を見つめていた。
「シロウ?どうしたのです、黙りこくって。私の顔に何か?」

半年前。
まだ寒かった頃に、こういうコトもあった。
それを、

「・・・・・・顔色が優れませんね。まったく、また土蔵で夜を明かしたのですか。
シロウ、鍛錬を欠かさぬ心構えは立派ですが、それで体を壊しては半人前だ」

お説教モードに入ったセイバーに、突然心が動いた。
二の腕を握って引き寄せ、そのまま抱きすくめていた。
「ちょ・・・ちょっと、シロウ!?」
セイバーは驚いて身を固くしたが、じきにもがくのをやめておとなしくなってしまった。力を抜き、おずおずと俺の背中に腕を回してくる。
「どうしたのですか、急に・・・・・・」
咎める言葉に、甘えた響きがある。
「なんでもない。ただ、すごく久しぶりにセイバーの顔を見た気がして」
「そんな、なにを、」
馬鹿な、と言おうとしたらしいセイバーは、言葉を切った。
「・・・・・・そうですね。何となく分かります。何だか、長い夢を見ていたような・・・・・・」
「でも、楽しい夢だったな」
「ええ、とても」
柔らかな金髪に顔を埋める。優しいぬくもり。甘くかぐわしい香り。間違いなくセイバーはここにいる。

そうしていたのはせいぜい2、3分だったろう。
セイバーが身じろぎした。
「シロウ。こんなところを凛にでも見られたら・・・・・・」
「大丈夫。心配するな」
だって、もうそこで凄い眼でにらんでるし。

「・・・・・・何してんのよ、あんたたち」
手を放してやると、セイバーは跳びすさった。
「り、凛!これはその・・・・・・」
慌てるセイバーをやんわりと制する。
「セイバー。先に居間に行って、桜の手伝いをしてやってくれ。そろそろ朝食ができてる頃だ」
セイバーは耳まで真っ赤になったまま、居間にすっ飛んでいった。それを見送り、遠坂に向き直る。
「おはよう、遠坂。昨夜は泊まったのか」
「おはようじゃないわよ!何、今のは!」
「朝の挨拶だけど」
「朝の挨拶にいちいちハグするのか、あんたは!」
「気が向いた時にはな。遠坂もして欲しいか?」
「っ!・・・・・・んなわけあるか!バカッ!」
遠坂も赤くなって、居間へ行ってしまった。遠坂に勝つとは、今日は幸先がいい。窓から差し込む朝の光に、眼を細める。新たな一日が始まる。
初めての、5日目が。』



選択
前半は、夜間飛行さん発行の「Clematis」にヒントを得ている。

『あ、また・・・・・・。
私は、ふいに体の奥深くに湧き起こる感覚に眉をひそめた。

聖杯戦争が終わって半年。遠坂凛をマスターとして現界し続ける私は、大量の魔力を喰う。私の活動を最小限に抑えても、凛ほどの大魔術師にして、なお維持しきれないのだ。

不足する分は、よそから持ってくればいい。それが、魔術師といういきものの考え方だ。

この体内の感覚が、それだ。
私は目をきつくつぶり、唇を噛みしめて、体内を暴れ回るその衝動に耐える。それでも体がふらつき、壁に背を預けて、そのまま床にしゃがみ込んでしまう。
サーヴァントとマスターは、感覚や記憶を共有するのが原則だ。しかし、聖杯戦争の終わったいま、差し迫った危険があるわけでもないし、私はともかく凛には日常生活というものがある。私とてプライバシーはあった方がありがたい。そこで、普段の凛と私はお互いの意志で感覚を遮断している。よほどの緊急事態でもない限り、感覚が伝わってしまうことはないのだが・・・・・・。
「互いの意志で」遮断しているというのがくせ者だ。
何らかの原因で我を忘れてしまうような状況なら、感覚が無制限に伝わってくることがある。

つまり、こんな風に。

声が漏れそうになるのを、必死でこらえる。
しばらくして、ようやく衝動は治まった。
かわりに体を満たすのは、優しく温かく包み込むような魔力の波動。
人柄そのままの、あの人の魔力。
あの月光の下で初めて会ったときに、この力を分け与えてもらえていたら。
私は、もっと素直になれただろうか。

凛が不足分の魔力をどうやって得ているのか、察しはつく。
この様子なら、2人とももうすぐ帰宅するだろう。
私は住み慣れた士郎の家を出て、遠坂邸に向かった。
・・・・・・今は、士郎と顔を合わせたくなかった。

あれから、寝泊まりは遠坂邸に部屋を与えてもらっている。士郎の家にそのまま住めばいいのに、と凛は言ってくれたが、サーヴァントとしてのけじめだと言い張って、わがままを聞いてもらった。
日中は士郎の家で留守番をして、士郎の剣の鍛錬に付き合い、食事をいただいたら凛の家に帰る、というのが基本的な生活パターンだ。衛宮邸に泊まるときは、必ず凛と一緒にしている。正直言って、士郎の家で、身近に士郎を見続けるのが不安だったのだ。

・・・・・・私は、士郎に惹かれている。

だから、2人きりになりたくない。自分が抑えられないかもしれないから。
士郎は、凛の想い人だ。
凛は士郎にふさわしい女性で、2人はお似合いの恋人同士だ。
何より、2人ともこの時代の人間だ。
私はと言えば、この時代どころか、人間ですらない。

これ以上、士郎に近づいてはならない。
凛を、私のマスターを裏切らないためには。

マスターだと?

胸の奥で、もう1人の私がせせら笑う。

忘れたのか。おまえの主が誰かを。

たかが使い魔としての契約相手などではない、おまえが忠誠を誓った主を。
おまえの剣を預けた、真の主を。

わかっている。一度たりと忘れたことなどない。
あの月光の下で、忠誠を誓った。
この剣を預けると決めた。
幾度となく、ともに死線をくぐり抜けた。
彼のサーヴァントですらなくなった私を、命を賭けて救い出してくれた。
自分自身との戦いに勝利し、いつか私に答えを教えてくれる。
私の魂を救ってくれた、その人。
衛宮士郎。
私が定めた、ただ一人の私の主。

それでも、凛を裏切るわけにはいかない。
現マスターで、比類なき大魔術師で、
何よりも、得難い友を。
あの人の傍で、あの人の行く末を見守りたいと、凛に無理を言ってこの世に残った。
それだけでいい。あの人と同じ時間を過ごせるのなら。
この胸の痛みなど、たいした問題ではない。

だが、いくらそう言い聞かせても、心の奥底に渦巻く昏い情念は消えない。
・・・・・・それが嫉妬と呼ばれる感情であることを、私は知っていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「ただいまぁ」
「おかえりなさい、凛」
玄関に迎えに出る。凛は上機嫌だ。
鞄を放り投げ、上衣をその辺に無造作に脱ぎ捨てる。私はそれを拾いながら、凛の後に付いて歩く。外で完璧な優等生を演じている反動か、家の中ではまるでずぼらな凛に代わって、掃除と整理整頓は私の役目になってしまっている。
「何だ、こっちにいたのね。珍しい、普段は昼間は衛宮君ちにいるのに」
「ええ、まあ」
言葉を濁したが、凛は冗談交じりに追求してきた。
「どうしたの?衛宮君がお昼ご飯の用意を忘れたとか?」
凛の自室までくっついていって、クローゼットに制服を掛けてやる。
「違います」
「じゃあ3時のおやつがなかった?」
「・・・・・・食べ物は関係ありません」
つい、つっけんどんな口調になる。
「じゃあ、なに?」
凛も真面目な顔になった。
やめておけ。適当にごまかしておけばいい。
それなのに。
「今日は、シロウの顔を見たくなかっただけです」
あまりに辛いから。
「どうしたの?ケンカでもした?」

よせ。そんなことを口にしても仕方がない。何も変わらない。
それなのに。
「・・・・・・凛のプライベートに属することですから、黙っておこうと思いましたが。あなたは、シロウと2人きりのときは無防備になりすぎです」
「え・・・・・・え?どういう意味?」
「ご自分の胸に、お聞きになるとよろしいかと」
「何よそれ。わたしは夕食の買い出しに付き合っただけよ」
「じゃあ、その帰り道でしょう。いくら日が落ちたからといって、あんな場所でなど」
「!!!」
凛は一瞬で真っ赤になる。
「わ・・・・・・わたし、感覚を遮断して・・・・・・」
「ませんでしたね」
一言で切り捨てる。あの際にそんなことに気が回るかどうか、彼女の方がよく分かるだろう。
「・・・・・・これまで、ずっと?」
「ええ、まあ」
素っ気なく答えた。

気まずい沈黙が落ちる。

やがて凛は必死の面持ちで、言った。
「で、でもあれは!ほら、セイバーを支える魔力を補充してもらうための行為であって・・・・・・その、」
「理解してます」
私は、こんなに冷たい声を出せたろうか。
それも、信頼し好意を抱いている凛に対して。
「理解してますけど、」
やめろ。それ以上言うな。言ってしまったら。

「・・・・・・私は、シロウから直接でも、別に・・・・・・」

もう、戻れない。

沈黙がひどく長く、痛かった。

やがて凛は、にやりと笑った。あかいあくまの異名そのままに。
「はあん・・・・・・そういうこと。そっかそっか」
「何ですか」
「照れないの。感覚だけ好きな人に抱かれて、もう疑似体験じゃ我慢できなくなっちゃったんでしょ?」
「違います」
ぷい、と顔を背けたが、不意に肩を掴まれ、
「なっ?」
ベッドに押し倒されていた。
凛は私を押さえつけ、間近に顔を寄せて私を見つめている。

「凛。何のつもりです」
「んー。わたしだけ、乱れたところを見られたんじゃ不公平だと思って」
凛は私のネクタイをほどいた。
「セイバーの可愛いところも見せてもらわなきゃ」
「・・・・・・本気ですか?」
「もちろん」
「凛にそんな趣味があるとは知りませんでした」
「ないわよ。でも、セイバーほど綺麗な子なら、こういうのも悪かないわ」
凛はブラウスのボタンに指をかける。
「ふふ。わたしと感覚を共有してたのなら、セイバーだってまだ火照ったままなんでしょ?静めてあげる」
「その辺にしておきなさい、凛」
私はするりと身を入れ替え、凛の手を逃れた。剣を失ったときの組み打ちの応用だ。こうした体術なら凛は私の敵ではない。
「あら、残念」
凛はそのままベッドに寝っ転がる。

私はベッドを離れ、窓際に寄った。窓の外は既に暗い。ガラスを鏡代わりに、ネクタイを直す。ガラスに映った私は、ひどく卑しい顔をしていた。

凛はベッドの上に上体を起こした。
「・・・・・・セイバー。これだけは答えて」
うって変わって真摯な声で、凛が問う。
だめ。聞かないで。答えられないから。

「あなたは、士郎のことを・・・・・・?」

どう答えろと言うのだ。
マスターに嘘を吐きたくはない。
正直に答えるのは、凛への背信。
だから私は、夜を見つめながら沈黙を守るしかない。

聡い凛にとって、沈黙は何よりも雄弁な答えだったろう。
「よし、わかった。わたしに任せなさい」

「え?」

振り返ると、凛はやけに明るく宣言した。
「これもマスターの責務よ。セイバーの願いを、叶えてやろうじゃないの」
「何を言い出すんですか、一体」
「だから、想いを遂げさせてあげるって言ってるの。私に遠慮することないわよ、魔力供給のためでもあるんだし」
「・・・・・・」
私も凛も、凛の妙な明るさが痛々しいものであることを知っていて、双方それを口に出さない。ただ、常識的なことを言った。
「凛。分かっているでしょう。あのシロウが、そんなことを許すはずがない」
「やってみなきゃわかんないわ!あんなヘタレだって男なんだし!大体セイバーほどの美人を拒否できるわけないじゃないの、あなた自分に自信を持ちなさいな」
凛は全て承知の上で、そんなズレたことを言う。
何だかひどく馬鹿馬鹿しくなってしまって、視線をそらした。
そうと決まればまず腹ごしらえよ、などと叫んで凛は部屋を飛び出していった。

私はただ、夜の底を眺める。
あのシロウに限って、万に一つもそんなことはありえない。なのに。その万に一つに縋ってしまう自分がいる。

何をためらうことがある?
胸の奥で囁く声。
うるさい。黙れ。
だが、声は止まらない。耳を塞ぐわけにもいかない。
心のうちで響く声を、止めることはできない。

おまえのマスターとやらが許すと言っているではないか。
もともとおまえの、おまえだけの主なのだ。
取り返すのに、何の遠慮がいる?

・・・・・・凛は私を、あるいはシロウを、試しているのだろうか。
何を馬鹿な。
凛は賢い人だ。そんな回りくどい、陰湿なことはしない。

ならば。
ためらうな。
とりかえせ。
激情に、流されてしまえ。

私は堕落しているのだろうか。
シロウを、堕落させることができるのだろうか。
もし、そうなら。
それはどんなにか甘美で。
私は首を振った。
事態は動き始めてしまった。
じきに、答えは出る。

もう2度と、今まで通りの関係に戻れなくなるとしても。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


俺はそこで、目を覚ました。
見上げる天井は、いつも通りの自分の部屋だ。
鼓動が速い。
ひどく不安な夢を見ていたような気がする。
何か、大切なことを忘れてしまったような。

「・・・・・・」
何時ごろだろう。寝入ったばかりのような気もするし、もう朝のような気もする。
時計を見ようと布団の上に起きあがって、
「!!」
ぎくりとした。
枕元に、ほの白い人影が端座していた。

「セイバーか・・・・・・?おどかすなよ」

「・・・・・・すみません」
小さな声が返ってきた。なぜか、明かりをつける気になれなかった。セイバーの、何かせっぱ詰まったような雰囲気のせいだったろうか。
時計を見ると、1時過ぎ。寝入って1時間ほどだ。まだそんな時間だったか。

「どうした?遠坂と一緒に帰らなかったのか?」

「・・・・・・シロウ。お話しがあります」
「こんな時間にか?あらたまってどうした」
セイバーはしばらく俯いたままだったが、やがて顔を上げて、言った。
「実は、私は・・・・・・キャスターに囚われていたときの後遺症が、まだ残っています」
「何だって!? あれからずっとか?」
「・・・・・・はい」
「そんな・・・・・・そんな大事なこと、何で今まで黙ってたんだ」
「シロウに・・・・・・迷惑をかけたくなくて」
「馬鹿、何言ってるんだ。セイバーのことなら、俺の問題でもあるんだ。おまえ一人で抱え込んだりするなよ」
「すみません・・・・・・今までは、自分一人で何とかなったのです。でも、もう・・・・・・」
「俺に、できることあるか?そもそも後遺症って、どんな症状なんだ?」

「・・・・・・」
セイバーは、潤んだ目で俺を見つめた。
「シロウの魔力を・・・・・・分けてください」
「え・・・・・・?」
それはつまり・・・・・・
「・・・・・・!」
セイバーは不意に、俺に体を預けてきた。
熱く息づく、小さな体。
「う・・・・・・」
着衣ごしに熱と震えが伝わってくる。甘くかぐわしい香りが鼻腔をくすぐる。
セイバーが縋るような目をして俺を見上げる。
桜色の唇がわずかに開いている。

「シロウの、を、私に・・・・・・」
欲情に濡れた声が耳朶を打つ。
圧倒的な官能に、逆らうことなど到底できない。
俺は唇を重ね・・・・・・セイバーをそのまま布団に横たえ、組み敷いていた。

俺はそこで、目を覚ました。
見上げる天井は、いつも通りの自分の部屋だ。
鼓動が速い。
上体を起こす。

「夢・・・・・・!?」
「そう、夢よ」
「だよな。まさかセイバーが、あんなこと・・・・・・」
「でも、まんざらじゃなかったんでしょ?」
「そりゃ、な」
「どうだった、セイバーの抱き心地は?」
「凛!」
「ああ、遠坂には悪いけど、もうとにかく従順で可愛くて・・・・・・」
「ですってよ。良かったわね、セイバー」
「・・・・・・」

・・・・・・

何だ、この会話は。
既に答えは分かっているような気がするが、ゆっくりと首を巡らし、横を見る。

そこに、遠坂が鎮座していらっしゃった。
顔は満面の笑みだが、気のせいか額に青筋が浮いているような。

反対側を見る。
セイバーが、心配そうな目で俺を覗き込んでいた。目が合うと、慌てて視線をそらしてしまう。頬が紅い。

「・・・・・・遠坂さん?」
「何かしら、衛宮君?」
「これって、まだ夢?」
「現実よ。証明して欲しい?・・・・・・拳固で」
「・・・・・・いや、いい」

つまり、今の夢は。
「おまえの仕業か?」
「魅惑の魔眼の応用で、ちょこっとね」
「・・・・・・」

きまり悪いのも手伝って、つい声がとげとげしくなる。
「こんな悪趣味なことして、どういうつもりだ?」

遠坂はさらりと言った。
「簡単よ。夢の続きを、してもらうの」
なに・・・・・・?
「だから、セイバーに魔力を分けてあげてってこと」
「おまえ・・・・・・魔力供給ならこれまでだって・・・・・・」
「直接だって供給できるはずよ。わたしの身に何かあるかもしれないし、いろいろ試しといた方がいいじゃない」
「・・・・・・そのために、セイバーを抱けと?」
「そ。セイバーが士郎を好きだって言うし、士郎だってセイバーが好きでしょ?願ったりじゃないの」
「・・・・・・」

違う意味で、頭に血が上った。知らず、遠坂を睨み据える。
「・・・・・・セイバー。少し、外してくれるか」
セイバーは目を伏せたまま、無言で部屋を出た。
「ふざけるな。そんなこと、できるか」
「何でよ!わたしが良いって言ってるじゃない!」
「問題はそこじゃない。俺が、自分を許せないんだ」
「何よ、石頭!これはただの実験で、儀式であって、わたしは気にしないって言ってるんだから、おとなしく・・・・・!」
「嘘だ。おまえは無理してる」
「どうして・・・・・・断言できるのよ」
「そのくらい分かる。おまえは、そんなこと望んでない」
そこが、限界だった。遠坂の目に、みるみるうちに大粒の涙があふれる。
「だって・・・・・・セイバーが、士郎のこと好きだって言うし・・・・・・わたしは士郎もセイバーも大好きだし、セイバーのマスターなんだから、セイバーの願いを叶えてあげたいし・・・・・・セイバーはあんなにキレイで格好良くて・・・・・・セイバーが本気になったら、士郎を奪られちゃう・・・・・・そのくらいなら、わたし・・・・・・」
たまらず、目をそらした。遠坂の嗚咽だけが響く。
遠坂の頭を抱き寄せて、髪を撫でてやった。小さな躰が、腕の中で震える。
「いつもそんなに強くある必要はないんだ。その・・・・・・俺の前でくらい、弱いところを見せてくれ」
泣きながら頷く気配があった。

少し落ち着いた頃合いを見て、
「・・・セイバー?」
廊下に声をかけた。襖が音もなく開いて、セイバーが顔をのぞかせる。
「遠坂を、送ってやってくれるか」
「わかりました。さ、凛、帰りましょう」

遠坂はセイバーに抱きかかえられるようにして、歩き出した。

「セイバー」
その背に声をかけ、振り返ったセイバーに、ちょっと、と合図した。
セイバーは、
「凛。ここで少し待っていてください。すぐ戻りますから」
と遠坂に声をかけた。遠坂は素直に頷くと、廊下にしゃがみ込んでしまった。

セイバーは部屋に入ってくると、襖を閉めた。
月光の中で対峙する。否応なく、あの夜を思い出した。
「セイバー。恥をかかせてすまない。おまえの気持ちは、本当に嬉しいんだ。でも、遠坂がいるから。俺には、2人とも愛するなんて器用なことはできない。それは、・・・・・・よくないことだ」
セイバーは、寂しげに頷いた。
「シロウならきっとそう言うと、思っていました。凛にもそう言ったのですが・・・・・・」
「すまない。俺だってセイバーが好きだ。・・・・・・ただ、タイミングが悪かったんだ」
「ええ。私は嬉しいのです。シロウが、思ったとおりの高潔な方でいてくれて。あなたは、それでいい。凛もわかっているはずです」
セイバーはそこで、いたずらっぽく笑った。
「でも、凛を泣かせて、私に恥をかかせたのだから、お詫びをしてもらってもいいですよね?」
「どうやって?土下座でもしようか」
「いいえ。それでは誠意が足りません」
「?」
「目をつぶってください」
え。それってまさか。そんなベタな。
「そのまさかです。私にも、それくらい許してくれていいでしょう?」
観念して、言われたとおり目をつぶった。
ふわりと空気が動いて・・・・・・唇に柔らかく、温かな感触。
それはすぐに離れて、耳元で囁く声がした。
「凛には、内緒ですよ」
芳香が香る。
目を開けると、セイバーはもう戸口に戻っていた。

「それでは、失礼します。お騒がせしました、シロウ」
「ああ。・・・・・・セイバー。こんなことを言えた義理じゃないんだが・・・・・・遠坂を、よろしく頼む」
セイバーは、俺をまっすぐに見つめて、答えた。
「はい。お任せください、マスター」
その言葉の懐かしい響きに、胸を暖かいものが満たす。
「まだ、俺をそう呼んでくれるんだな」
「もちろんです。私は騎士として、シロウに忠誠を尽くすと誓ったのですから。なりゆきで凛と契約はしましたが、シロウは私のマスターです」
「・・・・・・ありがとう」
心から、そう言った。セイバーは笑って、軽く目礼した。
「おやすみなさい、シロウ」
「おやすみ、セイバー」
セイバーは襖を閉め、美しい主従は、ゆっくりと廊下を遠ざかっていった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


遠坂邸に戻り、部屋まで送ってやると、凛はそのまま俯せにベッドへ倒れ込んだ。枕で頭を隠してしまう。靴を脱がせてやっていると、くぐもった声が聞こえた。
「わたしもうだめ。士郎に嫌われた。・・・・・もう立ち直れない」
「凛らしくもない、何を弱気な。大丈夫、シロウはあなたを愛していますよ」
胸が痛いのに、同時に誇らしい。不思議な気持ちだった。
しばらく枕元に座って、落ち着いた頃合いを見て自室に戻った。

翌朝。いつものように凛より早く起きて、紅茶を入れた。
この家に来て覚えた家事だ。ポットとカップを温め、きっちり時間を計ってお湯を沸かす。上等なお茶ではあるのだが、舌の肥えた凛が何も言わないのだから、腕の方も結構上達したのだと自負している。凛の分を準備しておいて、自分のを味わった。

・・・・・・いずれ、士郎にも入れてあげたい。
そんなことを思っていると、
「おはよう」凛が起きてきた。
「おはようございます、凛」
よかった、表情が明るい。一晩泣いて、気が晴れたのだろう。
まるで娘の初恋を見守る母親のようだ、と苦笑した途端。
遠坂凛は、やっぱり遠坂凛だった。
「セイバー、決めたわ。わたし、士郎と別れる」
危うく、口中の紅茶を吹き出すところだった。
「はあっ?」
我ながら素っ頓狂な返事をしていた。
「そういうわけだから、あなた今日から、士郎の家に戻りなさい」
「そういうわけじゃなくて。一体何を言ってるんです」
「だから、士郎と別れるって言ったの。もう、泣いて頼んでも金輪際やらせてあげない」
「何でそうなるんです!?」
「既得権益で士郎をものにするのなんてプライドが許さない。セイバーに遠慮されるのも、もうたくさん。士郎はセイバーに預けるわ。誤解しないで、セイバー。これはハンデよ。そのくらいしないと、あなた本気にならないでしょ。しっかり士郎を捕まえておきなさい。これでやっと対等。その上で、わたしは士郎を奪うわ。わたしは欲しいものは必ず手に入れる。障害は大きいほど燃えるのよ」
これでこそ凛らしい。
思わず笑みがこぼれた。
「凛。一つ問題があります」
「なに?」
「シロウがあくまで拒否したらどうするのです?私は魔力切れで消えてしまいます。あの人の性格から言って、そうなる可能性は大きいと思いますが」
「それはセイバーの問題。わたしは知らないわ。色仕掛けでも泣き落としでもしてみたら?いよいよの場合は、押し倒してゴーカンしなさい。あなたも恋する乙女なら、そのぐらいすべきなのよ」
いや、恋する乙女は想い人を押し倒してゴーカンしないと思うが。
まったく、私のマスターになる人は、どうしてこうそろいもそろって強情でへそ曲がりなのか。凛は、マスターとサーヴァントは似たもの同士になると言っていたが、私はこんなにひねくれてはいないぞ。
ため息混じりに苦笑する。どうやら、腹を決めろということらしい。
「分かりました。ならば私も、遠慮しませんよ」
「上等!早速行くわよ!!」

そういうわけで、私は衛宮邸の玄関に立っている。目の前には、呆然とした士郎。凛は、一方的にまくし立ててさっさと帰ってしまった。
「また、こちらでお世話になります」
ぺこりと、家主に頭を下げた。
「何だかよく分からないが・・・・・・ま、あがってくれ。朝食もまだなんだろ?すぐ準備するよ。部屋はもとの場所でいいか?」
「ええ。ありがとうございます」
靴を脱いで、上がり框に立つ。
「ただいま帰りました、マスター」
「ああ。お帰り、セイバー」
私のマスターは、変わらぬ笑顔で迎えてくれた。』






HFルートの対セイバー戦。私の許容範囲で脚色するとこうなる。
『セイバーとライダーの宝具の激突は、相討ちだった。セイバーもライダーも、地に倒れ伏している。致命傷ではない。セイバーの自動修復なら、じきに復活してしまう。とどめを刺さなければ。俺はセイバーに走り寄りながら、アゾット剣を解放する。仰向けに倒れたセイバーに馬乗りになり、剣を振り上げ・・・・・・

ためらった。
振り下ろせなかった。
できない。
できるわけがない。
セイバーを殺すなど。
敵の手に落ちたからと言って、俺のために、命を賭けて戦ってくれた少女を!

「何をしているのです、シロウ」
「え?」
聞き慣れた声にはっと我に返る。
「あれほど言ったではありませんか。敵を完全に無力化するまで、気を抜いてはいけないと」
セイバーの声。俺に語りかけている。
その瞳の色は、・・・・・・吸い込まれそうな、深い碧!
「セイバー、正気に・・・・・・!?」
はっと、口をつぐんだ。
違う。これは一時的なものに過ぎない。都合のいい奇跡など、起きはしないのだ。

傷ついた黒い甲冑が、ざわざわと生き物のように蠢き、修復していく。セイバーは再び、闇に呑まれていく。
その眼がゆっくりと瞬きし・・・・・・開いた。
右眼に、冷たい黄金の炎が灯った。容赦なく敵を灼き尽くす、虚無の炎。その眼が何の感情もなく俺をとらえ・・・・・・唐突に、右手が跳ね上がった。獲物に襲いかかる蛇そのものだった。それは一瞬で俺の喉に食い込み、締め上げる・・・・・・!
「がっ・・・・・・!」
万力のような力に、息ができない。脳が酸素を求め、ガンガンと頭痛がする。死が牙を突き立てる。
「セイ、バー・・・・・・」
視界が暗くなる。これまでか、と薄らぐ意識で思う。
そのとき。
「シロウ、速く・・・・・・!!」
耳に、血を吐くようなその声が届いた。
霞んだ視界の端に、セイバーが映る。いまだ碧を湛えた左の瞳。その瞳から、一筋の涙がこぼれていた。
セイバー!
それを見た瞬間、俺は目をつぶり、渾身の力でアゾット剣を振り下ろしていた。

・・・・・・剣がセイバーの心臓を貫いたのは、ただの偶然だった。
目を開けることができない。
喉に食い込んだ手が、ざらりと砂に変わり、消えていく感触があった。
ようやく目を開けたとき、もう黒い剣士の姿はなかった。

立つこともできず、そのまま踞る。
セイバーを殺した。
俺が、この手で。
俺の守護騎士を。
命を賭けて俺を守ってくれた少女を。
剣がセイバーの心臓を貫く厭な感触が、まだ手に残っている。
こらえきれず、嘔吐した。

泣くことも償うことも、許されない。
これが俺の罪。
死ぬまで俺を苛み続ける、理想を捨てた代償。

だが。
あの最後の瞬間、俺はまたセイバーに救われた。
彼女は、月光の下で交わした約束のとおり、最後まで俺を守り抜いてくれたのだ。
なら、ここで止まるわけにはいかない。
俺は最後まで、前に進まなければ・・・・・・!
ふらつく足を踏みしめ、立ち上がった。
よろめきながら洞窟の奥へ向かう。

闇の彼方から、微かに地響きが伝わってきた。』


城爪草先生の「CRAZY CLOVER CLUB」発行「T*MOON COMPLEX F」所収の「AVALON」を脚色したもの。

『頬に暖かな風を感じて、セイバーは目を開けた。
上体を起こすと、そこは見渡す限りの緑の原だった。日差しが暖かい。自分が寝ていたのはギリシャ風の意匠を凝らした寝台だった。私は・・・・・・モルドレッドとの戦いで傷を負い、聖剣を湖の婦人に返して永遠の眠りについたはずだ。ここは、どこだろう。
「りんごの島だ」
声に振り返ると、赤い外套を羽織った青年が近くに腰を下ろしていた。
「過去もなく、未来もなく、あらゆる時代の英霊が集うところ。アヴァロンだ」

不意に剣戟が聞こえ、反射的に腰の剣に手をやっていた。丘の下で、2人の戦士が戦っている。だが、あれは・・・・・・殺気がない。手合わせだ。ふと、戦っている戦士の姿に目をこらした。蒼い甲冑の槍兵と、巨大な剣を手にした巨漢。ランサーとバーサーカー!? まさか!
「ここは生前頑張った奴が報われる楽園だ。今さら戦う必要もないんだが、何しろ皆血の気が多いからな。ああして試合に興じているのさ」

青年は立ち上がり、こちらに向き直った。
長身の青年だった。浅黒い肌と白い髪。顔立ちは若々しいが、瞳は永い風雪に耐えてきた厳しさを湛えている。英霊と呼ばれるにふさわしい空気をまとう男だった。
息を呑んだ。アーチャー・・・・・・?いや、違う。
私の知るあのアーチャーの眼には、諧謔の底に深い絶望と諦めがあった。
眼前の青年の眼には、それがない。幾度傷ついても裏切られても、心の底で人間を信じ愛し抜いている眼だ。
この空気。この佇まい。
知っている。
私は、この人を知っている。
「・・・・・・私はアーサー王こと、アルトリアと申します。差し支えなければ御名をお聞かせ願えますか」
と、青年は声を上げて笑い出した。不思議と腹は立たない。快活な笑い声。見ている者が幸せになるような邪気のない笑顔。そう、私はこの笑顔が好きだった。この笑顔のために、命を賭けることができた。
セイバーも微笑して、訊いた。
「何か、おかしなことを言いましたか?」
「いや、失敬。ずっと昔、そういう堅苦しい物言いをする女性を知っていてね。その人のことを思い出したんだ」
青年は柔和な笑顔のままで言う。
「その人は、どんな人でした?」
「剣の達人だった。恐ろしいほどに腕が立った。私はまるで敵わなくてね。いつか必ず一本とってやろうと、必死で修行したよ。それでいて、美しくて誇り高くて。そして心優しい人だった。・・・・・・だけど、クソ真面目なのが玉に瑕でね。強情で、融通が利かなくて」
あなたほどではありません、と言いたかったが、ここはあえて別のことを言ってみた。
「おまけに、食い意地が張っていて?」
「そう、そりゃひどいもんだったよ」
思い出したのか、また笑いをこらえる。
「あなたは、その人のことを?」
青年はまっすぐに彼女を見据えて、言った。
「ああ。心から愛している」
現在形で、即答された。気負いも、てらいもなく。私が想いを伝えたのは、私の時間でほんの少し前のことだ。しかし、彼は。あれから一体、どれほどの時間を。なんとか、涙をこらえた。

「幸せだったのですね、その人は」
かすかに青年の顔が曇った。
「だといいんだが。それについてはあまり自信がないんだ。私は、彼女の望みを叶えてやれなかったから」
彼は言うべきことを言ってくれた。次は私が、伝えなければならない。
「いいえ。私にはわかります。その人は人生に何ら悔いることも、恥じることもなく、幸せに生涯を終えました。あなたに出会えたおかげで」
「・・・・・・そうか。安心したよ」

互いに、言うべき言葉は尽きた。
「では、一つお手合わせ願えますか、シロウ?どれだけ腕を上げたか、見せてもらいましょう」
「再会を喜ぶひまもなしか。おまえらしいな、セイバー」
「師匠として、弟子の進歩を確かめるのは当然の義務ですから」
「いいだろう。今日こそ、一本とって見せよう」

剣を構える。青年は、もちろんあの双剣だ。いつか、とおいどこかの、静謐な道場で竹刀を交えた少年の面影が重なる。暖かい風がながれる。交わる刃に想いを乗せて、セイバーは一気に間合いを詰めた。


それは、まさしく剣舞だった。
内心、舌を巻いた。一心に、ひたむきに打ち込んでくる剣筋は、懐かしいあの少年のもの。だがその速さ、重さは段違いだ。英霊としてのスキルではない。想像を絶する修練の末に身につけた、紛れもない彼自身の技だ。セイバーの打ち込みを正面から受け、いなし、もう一方の刃が変幻自在に襲ってくる。何も考えず、ただ反射で剣を合わせる。
なんて楽しいんだ。気がつくと、笑っていた。士郎の顔を見る余裕はないが、きっと彼も同じだ。

剣が勢いを増す。
もっと速く。
もっと鋭く。
もっと打ち込んできて。
その刃で私を貫いて!

左の剣を弾いた瞬間、胴に隙が見えた。思い切って踏み込む。首筋にヒヤリとする感覚。背後から何かが迫っている。だがもう止まれない。ガラ空きの胴に剣を叩き込んで−
寸前で、止めた。

息が乱れている。
「まだ・・・・・・利き手でない方の、防御が、甘いようですね」
「いいや。俺の勝ちだ」
ちょん、と首筋をつつかれた。
背後に感じたのはこれか。いつの間に逆手に持ちかえたのか、左手の剣が延髄を貫く寸前だった。
「いいえ。紙一重の差で、私の方が速い」
「負けず嫌いも相変わらずだな。まあそういうことにしておこう。お師匠様」

気づくと、彼の匂いに包まれていた。愛しい人の匂い。
だめ。もう限界。
剣を落として、そのまま彼に抱きついていた。
士郎は、そっと抱きしめてくれた。』


旅涯ての地
「Realta Nua」コンプリート記念。
テキストを素直に読めば、士郎の死の間際に見ている夢、という解釈が妥当だけど、ここでは「RUBBISH選別隊」さん発行の「RE06」の解釈に準拠。

永い旅の涯てに辿り着いた、どこでもない場所にて。

『深い霧の中を歩いていた。
イギリスはデヴォン州・プリマスから北へ約30キロ。ダートムア地方。草原の中に無数の石灰岩が転がる、荒涼とした奇妙な土地。なぜこんなところに来ようと思ったのか、分からない。
ただ、どうしても来なければならないと思った。
道を外れ、ムアの中をどれだけ歩いたのだろう。草原に立ち並ぶ石柱に出くわした。この地方に多い、先史時代の巨石遺構だ。何とはなし、列石に沿って歩いていたら、いつの間にか乳白色の霧に巻かれていた。5m先も見えない。
道標もなく。先も見えず。
まるでこの15年の歩みそのものだ。彼女を失ってからの15年。ずっと星を追い続け、走り続けてきた。
後悔はなく、不安もない。

突然霧がとぎれ、視界が開けた。そこは見渡す限りの草原だった。ところどころに木立が点在している。暑くもなく、寒くもない。イギリス独特の冷たく湿っぽい風もない。夕暮れだったはずなのに、辺りは明るい。

そこが人外境であることはすぐに分かった。

ああ、そうか。ここが、俺の旅の終わりか。
後悔はなく、不安もない。
なぜなら。
今は確信がある。なぜここへ来たのか。いま来なければならなかったのか。
歩み続けるその先に、追い続けた星が、焦がれ続けた人が、待っているのだから。
ゆっくりと歩を進める。
そして木立を抜けたその先、風にたなびく草原の真ん中に、ぽつんと人影があった。
ああ、あんな姿も悪くない。
片時も脳裏から離れなかった彼女の姿は、青銀の甲冑と凛々しく結い上げた金髪。
今、彼女は質素だが上品な彼女らしいドレスを身にまとい、金髪を風に揺らしていた。
あと20歩。
深い碧の瞳がまっすぐに俺を見つめている。
あと10歩。
駆け出したいのをこらえて、ことさらゆっくり歩く。
あと3歩のところで止まる。
彼女は微笑して俺を見る。

気の利いたことは言えなかった。
「ただいま、セイバー」
彼女も、まっすぐに返してくれた。
「はい−おかえりなさい、シロウ」
彼女は輝くばかりの笑顔を浮かべ−ついに、涙がこぼれた。
手を伸ばして、頬に触れる。彼女は俺の手を取る。そのまま、自然に抱き寄せた。
「永く、待たせてしまったみたいだな」
セイバーはかぶりを振る。
「ずっと眠っていただけですから。貴方の道行きに比べれば、辛いことなど」
「もう、体はいいのか」
彼女はモードレッドに刺されて、傷ついた体を癒していたはずだ。
「変わりませんね。まだ私の心配をしている」
「はは。すまないな、成長しなくて」

彼女はふと、真剣な表情になった。
「眠っている間、何度もシロウの夢を見ました」
「・・・・・・どんなだった?」
「いつも、笑っていました」
「・・・・・・」
−体は、剣でできている。
そうか。俺は笑っていたか。
じゃあ、なぜセイバーはそんな辛そうな顔をしている?
−心は鉄で、血潮は硝子。
「目に入る人全てを救おうとして。戦って戦って。
誤解され疎まれて、どんなに傷ついても裏切られても。人の役に立てたのなら、誰かを救えたのなら、それが嬉しいと。いつも貴方は笑っていた」
俺を見上げたセイバーの目にはまた涙がたまっていた。
−幾たびの戦場を越えて無敗。
「貴方に伝えたかった。
貴方のしていることは尊いことだと。報われるべきことだと」
こらえきれなくなったのか、涙が頬を伝う。
−ただの一度も敗走はなく。
「貴方の痛み、貴方の苦しみ、貴方の哀しみを、私が知っていると、言ってあげたかった・・・・・・!」
「・・・・・・」
−ただの一度も理解されない。
細い肩が震える。
「でも私の声は、貴方には届かない。貴方は傷を癒す間もなく、次の戦場に向かってしまうのです・・・・・・」
−担い手は一人、剣の丘で鉄を鍛つ。
セイバーは俺の胸に顔を埋めた。
−ならば我が生涯に−
柔らかな金髪に手を触れて、口を開いた。
「聞こえていたよ、ずっと」
「え・・・・・・」
セイバーが涙に濡れた目を上げる。
「いつもお前の声が聞こえていた。お前がいつも傍にいてくれた。だから、ここまでやってこられたんだ。ありがとう」
今度こそしがみついてきたセイバーを、しっかりと抱きしめる。
−意味はいらず。体は、無限の剣でできていた。


どれくらいそうしていたのか。
それはどこからともなく風に乗って聞こえてきた。
「つもる話もあるだろうが、少しいいかね?」
声が響いた。老若男女の区別がまるでつかない、不思議な声だ。皮肉と諧謔味がにじみ出ているが、決して不快には感じない。強いて言えば、そう・・・・・・アーチャーを思い出してしまって、苦笑いする。
「マーリン・・・・・・」と、セイバーが呟く。お出ましか。アーサー王付きの偉大なる魔法使い。
「初めまして。あんたが俺を、ここへ呼んだのかい?」
「いいや。君は君の力で、ここへ辿り着いたのだよ。彼女はずいぶん待ったがね」
セイバーは声に信頼を寄せつつも、微かに警戒を抱いている様子。
「それはどうも。で、何の用だ」
「なに、君の選択を聞きたいのだ、衛宮士郎君。ここは君の想像の通りの場所だ。望むなら彼女と2人で、永遠に年も取らず苦しむこともなくここで生きていけるのだが。どうするかね?」
セイバーを見つめる。セイバーはしっかりと俺を見つめ返し、頷いた。
「ありがたい話だが、俺は現世に帰る。まだやり残したことがあるんでね。・・・・・・何より、ここにいることを、生きているとは言わないだろう」
「そうか。では、彼女をどうする?永く永く追い続けて、ようやく会えたのだろう」
声は笑いを含んだ。
「もちろん、連れて帰る。俺が呼ばれたわけじゃなく自分で来たって言うなら、なおさらだ」
「欲張りだね、君は」
「この15年、地上の地獄って奴を這い回り、厭と言うほど死と悲惨を見てきた。あんたの時間では一瞬かもしれないがね、普通の人間にとっては結構長い時間だ。それくらいのご褒美はあってもいいだろう」
「なるほど。ではアルトリア、君はどうだ。彼と一緒に行けば、普通の人間となって、やがて年老いて死ぬことになるぞ」
「考えるまでもない。私はシロウの剣だ。剣と鞘はともにあるもの。どこまでも、彼と一緒に行きます。それに」
彼女は昂然と顔を上げ、出会った夜と同じように誇らしげに、宣した。
「マーリン、貴方が言うように、私が王の責務から解き放たれたのなら。私はもうアーサー王でも、アルトリアでもない。私はシロウの剣たるセイバーだ」
声は楽しげに笑った。
「いい答えだ。では来た道を戻りたまえ。手を放さぬようにな」
「何だ、やけにあっさりしているな」
「1500年というのは、我々にとっても短い時間ではないのだよ、衛宮士郎君。女性をあまり待たせるものではない。その子は、私にとっても娘のようなものでね。人並みの幸せを願ってもいいだろう」
「よく言う・・・・・・」
セイバーは、傍らで苦笑している。口調は辛辣だが、親愛の情が感じ取れて微笑ましかった。
「忠告痛み入る。それじゃあな」
セイバーの手を握って、歩き出す。彼女は最後に、空に向かって呟いた。
「さよなら、メイガス。・・・・・・ありがとう」
その言葉にどれほどの思いが込められていたか、俺に知るよしもない。ただ彼女は、もう振り返ることなく、俺に並んで歩き始めた。掌に伝わるぬくもり。15年間追い続けたもの。もう決して、放さない。歩く先に、メリヴェイルの列石が見え始めた。』


再会してから日本に帰るまでの間。

『・・・・・・彼と会うのは、3年ぶりになるか。
遠坂凛は、ロンドン市内のオープンカフェに座って、ぼんやりと通りを眺めていた。
彼から突然、このイギリスに来ているから、と連絡があって、今日ここで会うことになったというわけだ。柄にもなく心が浮き立ち・・・・・・同時に、辛くもある。15年前の戦友。ともに聖杯戦争を戦い抜き、このロンドンで一緒に暮らしたこともある。
あのころの彼は、わたしの前ではいつも優しく笑っていた。でもわたしには、その笑顔に血がにじんでいるように見えて仕方がなかった。半身を引き裂かれた傷口が流す、血が。
夜半に急に起き出して、散歩に出ていく彼。朝焼けの空をじっと眺めている彼。そんな彼を見るのが辛く、気づかないふりをするのが、もっと辛かった。やがて彼は、一人出ていった。その後ずっと、世界中を飛び歩いている。定期的に連絡をよこすので無事は知っているが、会えたことは数回だ。
彼は、望んだとおりの正義の味方になれたのだろうか。
その半身を失ったままで。
彼女の代わりが務まるなどと思っていたわけではない。
それでも、支えてやれると思っていた。
なんて思い上がり。
未練などないと、決断に悔いなどないと彼は笑った。それは事実だろう。でも、だからといって寂しくないわけではないのだ。
だって、人間なんだから。
歪でも欠落していても、人間なんだから。
わたしは、何もしてやれなかった。
どんな顔をして会えばいいのだろう。

・・・・・・約束の時間を5分過ぎた。よし、夕食はおごりに決まりだ。無理矢理に気持ちを引き立たせたとき、
「遠坂。悪い、待たせた」
背後から、聞き違えようのない懐かしい声。
喜びに沸き立つ胸を押さえて、できる限りいかめしい声で、
「遅い!師匠を待たせるなんて何様・・・・・・」
振り返って言葉が止まり、
呼吸も止まった。

記憶の中にあるより少しいかつい、長身の姿。見間違えるわけもない大切な人。だがわたしの目が釘付けになったのは、その傍らの少女の姿だった。

「お久しぶりです、凛。お変わりなく」

輝くばかりの金髪、可憐な顔立ち、鈴を鳴らすような声。
そしてあのころは見せなかった、艶やかな笑顔。

「セ・・・・・・」

絶句したままのわたしに、彼女は寂しげな顔になる。

「凛?私のことを、忘れてしまいましたか?」

思わず手を伸ばして、彼女の肩に触れる。あの時と同じ、白いブラウスに紺のスカート。これだけは昔と違って、髪は後ろでひっつめている。その髪を彩るリボンも、青。
間違いなく実体だ。掌に体温が伝わる。
遠坂家の家訓は、常に優雅たれ。知るか、そんなもの。もう我慢できない。衆人環視の中だというのに、彼女をかき抱いて、泣き出してしまっていた。


「だから悪かったって。ちょっとおどかしてやろうと思っただけで・・・・・・」
「おどかすですむか!心臓が止まるかと思ったわよ!」
ここは彼の泊まっているホテルのロビーだ。あの後、セイバーにしがみついたままのわたしを車に押し込んで、ここまで連れてこられた。落ち着くのに、かれこれ30分はかかった。

「で。一体全体どうなってるの?なぜセイバーがここに?」
「奇跡が起きたのですよ」
セイバー、それ要約しすぎ。
「もう少し、経過を詳しく教えてもらえるかしら」
「デヴォン州にダートムアってところがあるんだが、知ってるか?」
「行ったことはないけど、名前だけは・・・・・・確か先史時代の巨石建築が多いので有名なところよね。あそこに?」
「うん。何でかって、特に理由だの予感だのがあったわけじゃないんだ。ただ、行かなきゃいけないって思った」
「魂が、呼び合ったのでしょう」
セイバーが、柔和な笑みで言葉を挟む。彼女の口から出れば、そんなセリフにも説得力がある。
「霊力の集まる、聖地か・・・・・・。あの地方にはアーサー王ゆかりの場所も多いものね。でも、どうしてストーンヘンジじゃなかったのかしら。聖地としては圧倒的にメジャーだし、あそこにもアーサー王の伝承はあるのに」
「さてね。その辺の理屈は分からない。メリヴェイルという柱状列石があるんだが、そこをあてもなく歩いてたら霧にまかれてな。いつの間にか、緑の原に出てた。夕方のはずだったのに、なぜか明るくなってて。で、森を抜けたら・・・・・・」
「私が待っていた、というわけです」
「そこってつまり・・・・・・」
「ああ。そういうことだと思う」
「で、セイバーを連れて帰ってきたって?なに、それじゃあなた、既に英霊なの?」
「人を幽霊みたいに言うな。まだ生きてるし、一介の魔術遣いに過ぎないよ」
「冗談でしょ。あなたは固有結界だけでも十分規格外なのに、非常識にも程があるわ。一介の魔術遣いが、生身のままアヴァロンに行って帰ってきたって言うの?しかも英霊を一人拉致ってきたって?」
「・・・・・・人聞きの悪いこと言わないでくれ」
「そうです、凛。聖剣の加護を失ったと言っても、私もまだ、シロウに拉致られるほどなまってはいない」
「そっちかよ!」
阿吽の呼吸で掛け合う2人がおかしくて、思わず笑みがこぼれる。待て、セイバーは今、気になることを言った。
「シロウにはもう、その資格があるのですよ。それだけ多くの命を救ってきたのですから」
「ちょっと待って、セイバー。聖剣の加護を失ったって言った?」
「はい。聖剣は湖の婦人に返しました。だからといって王の責務が消えるわけではありませんが、長い時間が経って、民が王の幻想を必要としなくなったとき、私の誓いも不要になるだろうと、私付きの魔法使いが言っていました。だったら、ひたすらに永く永く、追い続ける者と待ち続ける者がいれば、奇跡が起きることもあるだろう、と」
「貴女の魔法使いか・・・・・・なるほどね」
改めて2人を見直す。2人はお似合いで、微笑ましくて、幸せそうだった。わたしにはどうしてもあげられなかった、あの人の笑顔。彼女はいとも簡単に、その笑顔を浮かばせる。

「で、わたしを頼ってきたってのは、昔を懐かしむためだけじゃないんでしょ?」
「話が早くて助かる。セイバーにも落ち着く場所がいるしな。冬木に連れて帰りたいんだよ。それで・・・・・・」
「了解、さしあたりパスポートね。協会のコネを使えば、2日もあればできるわ。でも、冬木でいいの?セイバーの母国はここでしょうに」
「いいえ、シロウのいるところが私の居場所ですから」
「はいはい、聞くだけヤボだったわ」

その後は3人で、ロンドン観光をすることにした。わたしの案内で、お上りさんよろしく街を見て回る。セイバーは物珍しげだった。

歩き疲れて、公園で休んでいるとき。セイバーはわたしたちから離れて、噴水を面白そうに見ている。
彼が声をかけてきた。
「どう思う?」
形容詞も目的語もなくても、何が聞きたいのかはわかった。
「まるっきり普通の女の子だわ。魔術回路はハンパじゃない量を持ってるけど、ほとんど眠ってるみたい。魔力量で言えば、会った頃の士郎に毛が生えた程度ね。正確に言うと、超一流の魔術師の才能に恵まれた、一般人てところかしら。士郎にも、それくらい分かったでしょうに」
「不肖の弟子だからな。念のため、師匠に見立ててほしかったんだ。じゃあ間違いなく、普通の女の子として扱えばいいんだな」
「ふふ。士郎にできるのかしらね、そんなこと。それより、剣の方はどうなの?立ち合ってみたんでしょ?」
「ああ、思ったとおり、剣技は昔のままだった。英霊としての能力じゃなく、彼女自身のスキルだからだろうな。もっとも魔力のパワーアシストがないから、力は常人なみだが」
「そうね。あの体で、バーサーカーとまともに打ち合ってたんだもんね。・・・・・・そういえば、もう「セイバー」じゃないわけよね。私もついそう呼んじゃったけど、本名で呼んであげた方がいいんじゃないの?」
「俺には「セイバー」って呼ばれ慣れてるから、その方がいいってさ。それに・・・・・・「アルトリア」が捨ててきた名であることに、変わりはないと思ってるらしい」
セイバーは無邪気に、鳩を追いかけたりしている。
「何だか、娘を見守る夫婦みたいだな、俺たち」
どきりとしてしまった。全く、無防備なことを口にするのは昔のまんまだ。
「失礼ね。あんな大きな娘がいる年じゃありません」
「はは。すまん」
セイバーが、彼女を見つめているわたしたちに気づいて、手を振った。
手を振り返しながら、わたしは言った。
「幸せにしてやりなさいよ、今度こそ」
「ああ、もちろん」
その笑顔は誇らしげで、眩しかった。』


ダートムアの巨石遺構とは、こういうもの
異界の入り口にふさわしいと思う。残念ながら、イングランドには、フランスのカルナック列石のような派手なのはないらしい。ただ巨石遺構が山ほどあるのは事実で、特にダートムア地方は、シャーロック・ホームズの「バスカヴィルの犬」の舞台としても有名な、神秘と怪奇のイメージで語られることが多い地域。実際に「アーサーのベッド」などと名づけられた遺構も数多い。ストーンヘンジにしなかったのは俗っぽすぎて気がひけたのと、近世になってドルイド教とのつながりが強くなってしまったため。



いまひとたびの

聖剣の加護を受けていた間は成長が止まっていたのだから、代謝も止まっていたんじゃないかと思って。
肉体年齢15歳という裏設定のはずだから、本当はとっくに経験しているだろうけど、笑って許してください。

『その日、セイバーの様子は変だった。もとからあまりおしゃべりではないが夕食の間もずっと押し黙って、何よりほとんど箸が進まない。食後、居間に残っているのは俺とセイバーと、彼女の後を追うように帰国してきた遠坂の3人。片づけが一段落したところで、声を掛けた。
「セイバー。どこか調子悪いのか?あまり食が進まなかったようだけど」
「え?いえ・・・・・・何だか、よく分からないのですが」
「?」
彼女らしくない、歯切れの悪い返事だ。
「・・・・・・すみません、今夜は先に部屋に引き取らせて頂きます・・・」
セイバーは、ふらりと立ち上がった。
そのとき、セイバーの座っていた畳に、目が止まった。
あれは・・・・・・
「セイバー、それ・・・・・・!!」
セイバーの方に身を乗り出した途端、襟首を捕まれ、凄い勢いで引き戻された。遠坂だ。
「士郎、ちょっと出てて!!」
「何すんだ、セイバーが・・・・・・」
「いいから出てろ!入ってきたら殺すわよ!」
文字通り、居間から廊下に蹴り出された。


まったく、いい年こいてあの鈍感朴念仁が。
「・・・・・・? 私、ケガなど・・・・・・」
セイバーは、心底不思議そうにぼんやり畳を見下ろしている。
「セイバー。おなか、痛いのね?」
セイバーは青ざめた顔で頷いた。
とりあえず手近な布巾で畳を拭いて、セイバーを促した。
「部屋に戻って、横になりなさい。ほら、送ったげる」
「すみません・・・・・・」
手を貸してやると、辛そうに歩き出す。幸い、黒いストッキングのおかげで、足の方は目立たない。

廊下の士郎に、
「後で説明するから、居間で待ってて。絶対に来ちゃダメよ」
厳重に釘を刺す。士郎は不承不承頷いた。今日ばかりは、この天然ぶりが疎ましい。

セイバーを自室で待たせて、いったん自分の部屋に戻る。買い置きをこっちに置いておいてよかった。薬と、お湯で濡らしたタオル、それに肝心なもの。

痛み止めを飲ませ、着替えさせて、「それ」の使い方を教えてやり、どうにか横にならせた。

「凛、すみません・・・・・・私、一体・・・」
ふっと息をつく。
「生理がきたのよ。本当の女になったってこと」
「ああ・・・・・・そうですか、これが・・・・・・」
普通なら祝福するところだが。
何十年も同じ姿のままで、王として国を背負い、サーヴァントになって聖杯戦争を戦い、はるか時間と場所を超えて、この時代のこの国に第二の生を得た少女。数奇な運命などという言葉では到底表せない。その心中など察しようもなく、おめでとうと言うのがためらわれた。

「・・・子供が産めるようになる、ということなのですよね」
「え!?・・・・・・ああ、うん」
もの思いに耽っていたせいもあるが、ドキリとしてしまった。
「シロウは、喜んでくれるでしょうか・・・・・・」
「もちろんよ。あいつなら、わたしよりも子供あしらいが巧いわよ、きっと」
内心を悟られないように、笑顔を見せた。
「それに、胸もばーんとおっきくなるわよ。士郎が大喜びするわね。もう、それ以上パーフェクトになってどうするのよ、あなた」
見透かされているとは思ったが、努めて明るく振る舞う。
セイバーも、顔色はまだ青ざめているが笑顔になった。
「士郎には、わたしから話そうか?それとも自分で言う?」
「凛から、お願いできますか。私、自分では、巧く説明する自信がないので」
「ん、分かった。あいつ、すぐにでも様子を見に来たがるだろうけど、どうする?うっとうしければ、明日にさせるけど?」
「いえ、大丈夫です。私も、シロウの顔を見た方が、安心します」
「了解。じゃあ、呼んでくるわ」
この子を救えるのは、この世界でただ一人、あいつだけ。
自分が悔しいのか羨ましいのか、よく分からなかった。
だから、実務的なことを考えることにした。パスポートならともかく、魔術協会のコネで母子手帳って作れるんだろうか・・・・・・?


・・・・・・しばらくして、遠坂が居間に戻ってきた。
待ちきれずに問いただす。
「遠坂!セイバーの様子は?一体どうしたんだ!?」
「初潮よ」
「しょ?」
「初潮。生理。月経。お客様。メンス。月のもの」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「士郎?大丈夫?」
いや、そんなに冷静に言われると。

「ええと・・・・・・なんで?」
「なんでも何もないでしょ。聖剣の加護がなくなって、普通に成長し始めたんでしょう。今のセイバーは、本当にただの女の子なんだから」
「・・・・・・」
そうか。セイバーが。
「おめでとうって言うべきなんだよな?」
「それは、士郎次第よ」
「え?」
「あの子のことだもの。あなたが喜べば、彼女も喜ぶわ」
「ああ・・・・・・うん。顔見に行ってやっても、いいかな?」
「ええ。早いとこ行って、安心させてやりなさいな。わたしも今日は泊まるわ」
「ありがとう。遠坂がいてくれて、助かった」
「どういたしまして。また貸し一つよ。高いからね」
もう慣れてるさ。

とりあえず温かい飲み物を持っていくことにした。
部屋を出がけに、遠坂が声をかけてきた。
「士郎?今後はちゃんと避妊するのよ」
危うく、お盆を取り落とすところだった。


深呼吸して、廊下から、そっと声をかける。
「セイバー?入ってもいいか?」
「シロウですか?どうぞ」

セイバーは髪を下ろして、布団に横になっていた。顔色はさっきよりは大分いい。
「よかった。思ったより元気そうだ」
「すみません、心配をかけてしまって」
吸い飲みでお茶を飲ませてやると、枕も上がらないわけではないのに大袈裟だ、と笑った。

「・・・・・・遠坂から聞いたよ。おめでとう」
「ありがとうございます。・・・・・・でも、こんな状態では、いざというときシロウを守れないのが・・・・・・」
「セイバー、そうそう戦う機会なんてないよ。それに今の俺なら、最低限自分の身を守るくらいはできる。愛弟子を信用しろ。心配せずに、体を休めてくれ」
セイバーはしばらく無言で天井を見つめて、やがてぽつりと言った。
「私、子供が産めるようになったのだそうです」
「うん。よかったじゃないか・・・・・・どうした?」
「何だか・・・・・・実感がわかなくて。私が、母親になれるなんて」
「・・・・・・セイバーなら、きっといい母親になれるよ。女の子なら、すごい美人になるだろうし」
セイバーの言いたいことは分かっているが、あえて腑抜けた返事を返した。でも、今夜のセイバーはそれでごまかされてはくれなかった。
「私に・・・・・・そんな資格があると?」
王として国を守れなかった悔恨。犠牲にしてきた民。倒してきた敵。それらの重さが今も、セイバーを縛る。
「セイバーは、できること、なすべきことを精一杯やったんだろ。なら、誰に恥じることもない。セイバーには幸せになる権利があるんだ。俺はそう思う」
彼女の表情はまだ晴れない。
「・・・・・・私には、シロウの傍にいられるだけで望外の幸福なのです。この上、子をなすことができるなど。本当に、許されるのでしょうか・・・・・・?」
「じゃあ、こう考えたらどうだろう。おまえは、俺を幸せにするためにここにいるんだ」
「え?」
予想外の言葉だったのか、セイバーは目を丸くする。
「セイバーは、自分が幸せになるんじゃない。俺を幸せにしてくれ。それなら、納得できないか?」
セイバーはしばらく俺を見つめて、やがてゆっくりと、笑顔を見せてくれた。
「・・・・・・はい。私に、できる限りのことをします」
それはまるで大輪の花のようで。しばし、見とれた。

元気が出たのか、彼女は俺の方に向き直った。
「私、もっと女らしい豊かな体になれるそうです」
「ああ・・・・・・期待してるよ。俺は、今のセイバーも十分に綺麗だと思うけどな。あ、それに、今後は食べたらそれだけ太るんじゃないのか?」
「む」
それは一大事、という具合にセイバーは眉を寄せた。思わず笑ってしまって、ようやく空気がほぐれた。
「シロウ、私、今日は休みます。あの・・・・・・眠るまで少し、ここにいてもらえますか?」
セイバーがこんな風に甘えるなんて珍しい。考えてみれば、聖剣の加護を受けていた彼女は戦ってケガをすることはあっても、体調不良などついぞなかったはずだ。よほど不安だったのに違いない。
「いいよ。当分ついててやるから、安心して休め。明日も、辛かったら寝てていいんだぞ?食事は持ってきてやるから」
「はい・・・・・・ありがとうございます」
照明を消して少しすると、月明かりのもとで、小さな声がした。
「シロウ。あの・・・・・・おやすみのキスをくれませんか」
「ええ?」
「いけませんか?」
そりゃ、この状況でそんなこと言われちゃ否やもない。暗くて顔が見えなくて幸いだった。
「ん・・・・・・目、つぶってろよ」
はい、と暗がりで頷くセイバーにかがみ込んで、軽く唇を触れた。
「・・・・・・おでこですか?」
セイバーは不満そうに口を尖らせる様子。
「それが相場だろう。というか限界だ。勘弁してくれ」
必死の訴えが通じたのか、
「分かりました。勘弁してあげます」
と笑って・・・・・・布団から小さな手を差し出した。何も言わずに、握ってやる。華奢で、少し冷たい手。セイバーは安心したように息をついて、やがて、寝息を立て始めた。』


士郎君学生バージョン。



ある思い出

セイバーラブの第一人者・由河朝巳先生の「心裡」(「月に王様 姫に剣」所収)にヒントを得たもの。
「zero」は未読なので細部に不整合があるかも。

『「セイバー?」
傍らで眠っていると思った彼が声を発した。
もの思いに耽っているうちに、声を出して笑っていたらしい。
「ああ、すみません。起こしてしまいましたか」
「いや、まだ起きてた。どうかしたか?」
「いえ、ちょっと・・・・・・昔を思い出していたのです」
「昔って、王様だった頃のこと?」
「いいえ。前回の召還の時。切嗣のサーヴァントだった頃のことです」
「親父のこと?」
興味を惹いたのか、彼はこちらへ向き直った。
「ええ・・・・・・正確に言うと、切嗣の愛した女性のことです」
「へえ?」
「興味ありますか?」
「そりゃもちろん聞きたい。差し支えなければ、だけど」
「ええ、構いません」
一つ息を吸って、口に出した。
「その人の名を、アイリスフィール・フォン・アインツベルンと言います」
「アインツベルン・・・・・・!つまり・・・・・・」
「ええ。イリヤスフィールの母親です」
「そうか。そうだったな。・・・・・・どんな人だったんだ?」
「背丈は私より少し高いくらい。年の頃は、26,7だったでしょうか。もっとも、魔術師の家系は外見から年齢を類推することにあまり意味はありませんが」
「いや、セイバーがそれを言うのは・・・・・・」
「何か?」
にっこり笑って彼の言葉を封じる。
「・・・・・・・・・・・・・・・すみません、何でもないです」
「よろしい」
殺気に敏感になったのは鍛錬のたまものだ。
「イリヤスフィールと同じ長い銀髪の持ち主で、儚げで、美しい方でした。それに少女のように天真爛漫で」
「セイバーは、その人とは親しかったのか?」
「私は一時、彼女の護衛を命ぜられていたのです。だから一緒に過ごす時間が長くて。良くしてもらいました」
「そうか。よかった」
「え?」
彼は嬉しそうに笑っている。
「いや、親父と一緒にいた頃のセイバーは辛い思いをしてたようだったからさ。そんな風に笑って思い出せることもあったんだなって。安心した」
「そうですね。彼女と一緒にいるのは、気が休まりました」
「親父は、その人とどんな風に接してたんだ?」
「実を言うと、2人一緒にいるところはろくに見たことがないのです。でもアイリスフィールは、切嗣を心から愛し信頼していました。切嗣の方は・・・・・・何と言ったらいいか」
「俺に気を遣う必要ないぞ?その頃の切嗣のことは知らないんだし。セイバーが見たままを教えてくれれば」
「ええ・・・・・・以前お話ししたとおり、私の知っている切嗣は、ほとんど感情を見せない人でした。冷酷と言ってもいいほどに。でもアイリスフィールの話題になったときだけは、そうですね、まとう空気が変わると言いますか。余人にはうかがい知れないところで、彼女をとても大切にしていた、と思っています」
「そうか。あの親父がね・・・・・・」
士郎は亡き人を思ってか、宙に視線を飛ばした。
しばし沈黙がおり、また口を開いた。
「さっき思い出していたのはですね。ある時、彼女に聞かれたのです。恋をしたことがあるかって」
「・・・・・・」
彼は無言のまま、セイバーの方を見つめた。
「もちろん私はないと答えました。いえ、彼女に言わせると、質問自体に意味はなくて。その頃の私は、いつも難しい顔をして、ここに」
と、眉間を指す。
「ぎゅーっ、とシワを寄せていたんだそうです。だから、そんな質問をしてびっくりさせてやればシワが消えるかも、と思ったって」
「ふうん・・・・・・ちょっとわかるな、それ」
「そうですか?」
「そりゃ、俺が会ったばかりの頃のセイバーって確かにそんな感じだったもの。今だから言うけど、俺ずっとセイバーが苦手だったんだぞ」
「え、本当に?」
「だって、クソ真面目でにこりともしないし、冗談も言えない雰囲気だし」
「私のかわりに自分が戦うなんて無茶を言い出したくせに」
「いや、だからそれは・・・・・・」
「はいはい、女の子にケンカさせられない、でしょう」
「・・・・・・頼む、その話はもうやめてくれ」
「お願いします、は?」
「お願いします・・・・・・」
「ふふふ、いいでしょう」
笑いあって、少し言葉がとぎれた。
ややあって、彼は言った。
「いい人だったんだな、アイリスフィールって」
「・・・・・・」
その通りなのだが、なぜそう考えたのか興味が湧いた。
「シロウは、どうしてそう思いますか?」
「え?だって」
彼はいつものように笑って言った。
「セイバーが、本当は優しい女の子だって気づいてたからそんなことを聞いたんだろう。なら、いい人に決まってる」
「・・・・・・」
思わず赤面してしまったのに、気づかれたろうか。
「まったく貴方は・・・・・・」
「ん?」
「どうしようもない鈍感で朴念仁のくせに、なぜそんなに鋭いのでしょう」
「・・・・・・褒めるかけなすか、どちらかにしてくれ」
「あら。精一杯褒めているのですよ?」
「・・・・・・それはどうも」


時が過ぎ、彼は穏やかに寝入っている。
彼の腕枕で、彼の寝息を聞き、彼のぬくもりを感じながら、彼女は胸の裡で呼びかける。

アイリスフィール。今なら私は、笑顔で胸を張って答えられます。

はい、私は恋をしています。
誰かを愛し、誰かに愛されるよろこびを知っています。
今の私は、あなたの目にどう映りますか。
私は、あの日のあなたのように優しく笑っていますか。
私は、あの日のあなたのように幸せそうですか。

彼女は目蓋を閉じる。
眠りに落ちるつかの間。
闇の奥に、美しい銀髪に彩られた笑顔が見えたような気がした。』




早○ってなんですか?

ホロウ「後日談」の後日談。
一発芸だと思ってお許しください。

『その日、夕食の後のこと。用のない者は居間から三々五々引きあげていた。ちょうどお茶のお代わりをしたとき。
セイバーが、真剣な顔で遠坂に向けて口を開いた。
「凛。尋ねたいことがあるのですが」
「なあに?」
「カレンが口にした単語で、意味の分からない言葉があったのです」
「その場で聞かなかったの?」
「教えてくれませんでした。porca miseriaとか言って」
・・・・・・厭な予感がする。のんきにお茶を飲んでいる場合じゃなさそうな・・・・・・。
「あえて士郎でなく、わたしに聞いたのは?」
「何となく、シロウは答えてくれなさそうだったので」
「なるほど。で、どんな単語?」
はい、とセイバーは一度息を吸い込んで言った。
「早漏とは何ですか?」
げほ。いかん、お茶が気管に・・・・・・!
遠坂は眉一つ動かさず、盛大にむせる俺に目もくれずに、
「早漏ってのはね、性交のとき射精するまでの持続時間が短すぎて女性を満足させられない男性のことよ」
って、何を冷静に解剖学的に懇切丁寧に解説しているのか、お前は。
それでもうら若き乙女か。
少しはセイバーの淑やかさを見習え。見ろ、真っ赤になって・・・・・・。
いや、待て。
違うぞあれは。

俺は自分が国宝級の鈍感であることを認めるにやぶさかではないが、ことセイバーの顔色をうかがう・・・・・・もとい感情を推察することにかけてはエキスパートだ。何しろ、セイバーのご機嫌を損ねたおかげで死にかけたことが何度もあるしな。少しは学習もしようというものだ。
その俺の経験によると、あのセイバーの表情は「羞じらいで頬を染めている」のではなく、「怒りに血相を変えている」のだ。
案の定、セイバーは殺気さえ感じさせる怒声を発した。
「無礼な!女性を満足させられないなどと、私のマスターを侮辱するにも程がある!」
・・・・・・俺のかわりに怒ってくれるのは嬉しいんだが・・・・・・セイバーをなだめるべきか、退散すべきか?
0.2秒で決断。戦略的撤退。
そおっと襖に手をかけたが、もう遅かった。
憤懣やるかたないといったセイバーの怒声が響いた。
「シロウはそんな腰抜けの甲斐性なしではありません!現に昨夜も」
「昨夜も?」
「あ」
ほらやっぱり地雷踏んだ。』


傷痕

『私は、ふと目を覚ました。
こうべを巡らし、窓の方を見る。
外はまだ暗かった。こうこうと差し込むのは月明かり。部屋の主の方針でここには時計というものがないが、わりとよく眠った感覚があるところからすると、もう日の出前らしい。

その主は、隣で眠っている。穏やかな寝息が聞こえる。
寝返りをうったのか、背中をこちらに向けていた。目が覚めたのは、そのせいだったようだ。毛布がはだけて、背中が露わになっている。初夏とはいえ、冷えるといけない。毛布をかけ直してやろうとして。
その背中に、手を触れてみた。ひんやりとした手ざわり。
彼は、この国のこの時代の男性としては小柄な部類にはいるらしい。内心結構気にしているようだ。肩幅だって、私よりも少し広いだけ。よく鍛えられて引き締まっているが、その体は明らかにまだ大人の男ではない、少年のものだ。

いつも私を庇い、守ってくれた背中。

実際の大きさよりもはるかに広く見える、その背中。
士郎の背中に、頬をつけてみた。
この国の人々は、こまめに風呂に入る習慣のせいかあまり体臭というものがしない。実際、私もここに召還されるまでお風呂というのがあんなに気持ちのいいものとは知らなかった。凛などはすれ違った時にふわりと良い香りがするが、あれは石鹸の香りか、あるいは香水でも使っているのだろう。
士郎もきれい好きだし、普段の生活で匂いを意識することはない。
だが、こうしてぴったりと寄り添っていれば話は別だ。
はっきりと、士郎特有の匂いを感じ取れる。
良い匂いだ、と思う。
例えるなら、良く日に当てて、たっぷりと陽の光を吸収した干し草のよう。
温かくて健康的で、心休まる匂い。
私だけが知っている、士郎の匂い。
今なら、たとえ目が見えなくとも、近くに士郎がいればすぐわかる。
知らず、笑みがこぼれた。

改めて月明かりに透かしてみると、その背中は傷だらけだった。
広い範囲に白っぽく残るのは、火傷の跡だ。あの十年前の大火災。
彼の運命を狂わせた地獄の業火。
私も、その当事者のひとりだ。
惨劇を防ぐこともできず、ただ見ていた。
あれほど渇望していた聖杯を、この手で破壊した。
あの絶望と怨嗟。
遠い昔となった今でも、ありありと思いだせる。でも今は、それはただの思い出。思い返すたびに心が血を流したあの頃の苦悩は、既にない。
この少年のおかげで。
頼りないマスター。半人前の魔術師。
それでいて、誰よりも強かった。
私を絶望の淵から救ってくれた、私の主。
「・・・・・・切嗣に感謝しなければいけませんね」
私を裏切った前マスター。でも彼が士郎を救い、おかげで私は士郎に巡り会えたのだから。

左の肩口には、刀疵が残る。背中からは見えないが、腹側には右腰まで袈裟懸けに斬られた痕がまだ残っているはずだ。あの英雄王との戦いで受けた傷。
まったく、鞘の加護があったとは言え、よく死ななかったものだ。
自分の命を省みず、私を守ってくれた。
何よりも私が大切だと言ってくれた。
生きるか死ぬかの瀬戸際だったというのに。間違いなく、あのとき私の心は喜びに満ちていた。

脇腹に、だいぶ色の薄くなった青あざ。
先日の鍛錬で、マトモに竹刀が入ってしまったのだ。
士郎が2刀を扱うようになってかなり経つ。それ以来の技量の冴えは目を見張るほどだ。私とて負ける気こそしないが、最近は本気で打ち合っている。ヒヤリとさせられたことは2度や3度ではない。おかげでも稽古にも熱が入り、つい手加減を忘れてしまった。さすがの士郎もこのときは悶絶していた。それでも回復するが早いかまだ打ち合うと言い出したのだから、見上げたものだが。
士郎自身は、己の上達ぶりを今ひとつ実感できていないようだが、こればかりは教えられない。天狗になるよりはずっと良い。自分の力を自覚するのもそう遠い先のことではないだろう。

腰の辺りに内出血の痕がある。これは覚えがない。打撲によるものではなさそうだ。
さては、凛だな。魔術の鍛錬で、また無茶な課題でも出したのに違いない。士郎も士郎で、負けず嫌いだから。少しは加減すればいいのに。
と言っても、無理に決まっている。
今度、凛に釘を刺しておいてやろう。
今の士郎の・・・・・・その、士郎の体は、士郎一人のものではないのだから。

・・・・・・ああ、だというのに。
あろうことか、一番新しい傷はほかならぬ私自身がつけてしまったものだった。
士郎の背中のそこかしこに残る、小さな傷。
そのうち一つは、まだ血がにじんでいる。
頬が紅潮するのを覚える。
「し、しかたがないではありませんか。これはシロウのせいです。自業自得ですっ」
思わず声に出してしまって。
心の中でひとりごちた。


−忘れずに、爪を切っておこう・・・・・・。』


夏祭りの夜

夏の夜。祭の喧噪。
俺はセイバーを連れて、柳洞寺の参道の縁日に来ていた。セイバーは青地に百合の花をあしらった浴衣姿。藤ねえのお下がりだが、金髪に映えてよく似合っていた。
桜は弓道部の合宿、遠坂はなにやら用事があるそうで、二人きりだ。

今夜は花火大会も予定されている。参道から、森に切り取られた夜空を見上げる。
「セイバーは、花火を生で見るのは初めてなんだよな?」
「はい。どういうものかは知っていますが、私の時代にはまだ火薬というものはなかったので」
「そっか。大きな音がするから、驚くなよ」
「戦士に向かって言うことではないですね」
セイバーはそう言って笑った。

打ち上げが始まる。
目前に、大輪の五尺玉が花を咲かせる。
「凄い・・・・・・」と、傍らのセイバーが息を呑む。別に俺が作ったわけでもないのだが、剛胆なセイバーが驚く様子は何だか嬉しかった。それにしても、夜空が近いので、花火が本当に手が届きそうに見える。おまけに、発射の爆音の凄いこと。山あいを伝って、殷々と響いてくる。音というより、圧力と振動がそのまま伝わってくるようだ。俺自身、迫力に我を忘れていたのだが、ふと、胸をとん、と押される感触を覚えた。見下ろすと、セイバーが俺に体重を預け、頭をもたせかけていた。
「セイバー、どうした?気分でも悪いか?」
「いえ。ちょっと・・・・・・光と音に、酔ったみたいです」
言葉のとおり、セイバーの声はいつもの凛々しさがなく何か陶然としている。
「初めてのことで疲れたんだろう。この人混みだしな。もう帰ろうか?」
「大丈夫です。まだ見ていたい。ただ・・・・・・シロウが良ければ、こうしていていいですか?」
衆人環視の中で気恥ずかしくはあるが、周りは暗いし、第一みんな空を見上げて俺たちのことなど見ていない。
答えるかわりに、セイバーの細い腰に腕を回して、おなかの前で手を組んだ。セイバーが嫌がるようなら直ちに撤退できるように、少し浮かせてはいたが。と、セイバーは俺の手に掌を重ねてきてくれた。
「きれいですね」
セイバーが、ぽつりと呟いた。
「それでいて激しくて、儚くて。まるで、わたしたちのよう」

わたしたちとは、どちらのセイバーのことだろう。
英霊として超人的な力を持ち、それでいて絶え間なく人間から魔力供給を受けなければ体を維持できないサーヴァント・セイバーか。
それとも、国のため、民のために戦い続けたあげく、念願の平和を手にしながらその国に裏切られて滅んだアーサー王か。

華々しく夜空を彩り、数瞬で消えていく花火の向こうに、彼女は何を見ているのだろう。俺には彼女の過酷な人生など想像もできないし、忖度する資格もない。俺に判るのは一つだけ。俺の知っているセイバーは確かに、ここにいる。彼女自身の肉体と魂を持ち、この腕の中で息づいている。
体が火照る。孤独と苦悩に凍え切っていた彼女の心に、少しでもこの熱が届けばいい。そう願って、重ねた手に力を込めた。

が、しかし。呼吸するたびにゆるやかに上下する胸元。細くしなやかで、それでいて力強い肢体。すぐ目の前には、輝くばかりの金髪。凛々しく結い上げられた髪からこぼれた後れ毛が、青いリボンとともに、真っ白なうなじを彩っている。そのぬくもりと、かぐわしい香り。
その彼女が体を密着させているのだから、健康な男子としてはうっかりしていると反応してしまうわけで。

セイバーはくすりと笑った。身を引こうにも、いまやセイバーの方が手に力を込めて俺を抱き寄せている。
セイバーは頭だけ俺の方に向けて、面白そうな目で見上げた。
「シロウ?何か当たっていますよ」
「・・・・・・仕方ないだろ、こんな状況では。セイバーが可愛すぎるのがいけない」
「私を感じて・・・・・・こんなになってしまったのですね・・・・・・」
嬉しい、とセイバーは囁いて、
ぐい、とお尻をさらに押しつけてきやがった。
「・・・・・・」
吸い込まれそうな深い碧の瞳が、潤んだような光を湛えて俺を映している。瞬間、周りの状況なんか目に入らなくなっていた。
身をかがめて、唇を重ねた。
このまま家に帰るまでお預けなんて生殺し状態だ。いやそれ以前に、マトモに人前を歩けないかも。
どうしたものか。
ふと、ひらめいた。
「セイバー、こっちへ」
「え、シロウ?」
セイバーの手を引いて、参道を外れ、山道へ踏み込んだ。この山は小さい頃から俺の遊び場だったから、自分の庭のように良く知っている。この道をたどるのは5年ぶりくらいだが、記憶のとおりなら。山道を進むと、祭の喧噪は、あっという間に背中に遠くなった。月明かりと花火とで、足元は意外に明るい。5分くらい下り坂を進む。
そして、ちょっとした広場にでた。
あった。記憶のままだった。
それは、小さな祠だった。小さいと言っても人が入るには十分な大きさだ。
もとは神社だったらしいが、鳥居も狛犬も賽銭箱も鈴もない。それどころか、祭神が何だったのかも、もはや分からなくなっている。柳洞寺の管理施設ということで一応は維持されているが、要は廃屋だった。子供の頃は、よくここで肝試しやかくれんぼをしたものだ。

扉を開けてみる。幸い先客はいない(いたら大変だが)。
「ほら、セイバー」
「シロウ、ここは・・・・・・?」
「ちょっとした穴場だろ?来たのは5年ぶりくらいだけど」
「・・・・・・その頃からシロウは女の子を連れ込んでイケナイコトをしていたと」
「5年前って俺はいくつだよ!」
「冗談です」
セイバーはにこりともせずにそう言って、今度こそ少し不安げに眉をひそめた。
「・・・・・・ですが、シロウ。ここは神域では?」
え。もしかして、何かいるとか?
「いえ、そういう訳ではありませんが。でも何となく空気が」
「昔は神社だったそうだけど、今は使われてない。ほら」
手を握って抱き寄せる。
セイバーはわずかに抗ったが、唇を重ねるとすぐに熱くとろけていった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

性急に求め合い、満たされ合って。

俺たちは虚脱と充足にどっぷり浸っていた。
どのくらい時間が経ったろう。外はもう静かだ。
「・・・・・・神罰がくだらなければよいのですが」
セイバーはまだ気にしているようだ。
「でもセイバーなら、そのへんのマイナーな神様なんか怖くないんじゃないのか?」
なんたって英霊なんだから。気軽にそう言ったら、
「とんでもありません」
真面目に諭された。
「私の力など、産土の神々には及びもつきません。私には作物を実らせたり天変地異を起こしたり祟りをなしたり、などという芸当はできませんよ」
言われてみれば確かに。
「なら、そろそろ・・・・・・」
「はい」
セイバーは気怠げに身を起こした。身繕いを整える彼女を見ていて、ふと
「セイバー。その・・・・・・歩いても、」
大丈夫か?と声をかけると、彼女はため息をついた。手に提げていた巾着をかざしてみせる。
「最近は、生理用品を常備しているのです」
え?
「凛に、淑女のたしなみだと教わりまして」
なるほど。男にとって永遠の謎、女性の手荷物の中身が一つ明らかに!
でもそれって、本来の用途と120%違うんじゃ・・・・・・。
「誰のせいですか」
冷たい目で睨まれた。
すみません俺のせいです許してください。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

歩き出す前に、月の位置と周囲の山稜の形を確認する。親父に習ったサバイバル術の一環で、これを覚えておけば極端に方角を誤ることはない。セイバーの手を引いて、山道を戻り始めた。とうの昔に花火は終わり、山は静まりかえっている。家に帰り着くのはだいぶ遅くなるだろう。セイバーに夜食を作ってやらなきゃな。メニューは何にしようと考えながら、山道を急ぐ。

・・・・・・だが。
おかしい。

俺たちは、依然として山道を歩いていた。参道からあの祠までは、せいぜい5分ほどだったはずだ。もう10分は歩いている。それに来る時はずっと下り坂だった。したがって帰りは上り坂になるのが当然だ。それなのに、もう何度かアップダウンを繰り返している。迷った?一本道なのに?いくら夜の山道でもそんな馬鹿な。それとも、俺の知らない脇道でもあったのか?頭上の月を仰ぐ。それ程、不自然な位置とは思えない。なおさら変だ。知らず知らず、足が速まる。そして−

「え?」
唐突に広場に出た。
「・・・・・・なんでさ」
さっきの祠の前だ。戻ってきてしまった。
「シロウ。これは?」
セイバーも唖然としている。俺は首を振りつつ両手を広げる。何だかさっぱりだ。
「セイバー、何か感じないか?」
「お待ちを」
愛らしい浴衣姿のままだが、まとう空気が一瞬で戦士のそれに変わる。セイバーは半眼になって、周囲に感覚を飛ばした。

じきに頭を振った。
「何も感じません。魔術や幻術の類ではありませんね」
「危険は?」
「とりたてて悪意のようなものは感じません。家に帰(って夜食を食べら)れないのは困りますが、差し迫った危険はないでしょう」
セイバーの戦士としてのカンがそう言うなら間違いない。何か本音が透けて見えるのは気になるが。
「どうしますか?命令を頂ければ、エクスカリバーでその辺の山肌を削いでみますが」
ああそうだネいま魔力補給したばかりだしね・・・・・・・ってそういう問題じゃない。
「環境破壊はやめておこう。そんなところで遠坂の影響受けないでくれ」

腕を組んで空の月を見やる。しかたない。
「セイバー」
「・・・・・・り、凛の影響・・・・・・あんな粗暴な・・・・・・傍若無人な・・・・・・」
「いや、そんなに真剣に落ち込まなくて良いから。このまま朝を待とう」
「え?」
「夜の山をやみくもに歩き回るのも危険だ。ここで夜明かしさせてもらおう」

もう一度祠の中に戻り、セイバーと肩を並べて座った。
「ごめんな、セイバー。こんなことになって」
「いいえ。戦場では野宿もよくありましたし。雨露をしのぐ屋根があるだけ幸せです。それに」
「ん?」
「シロウが一緒ですから。私は平気です」
「・・・・・・」
頬が赤くなるのを感じる。それを知ってか知らずか、セイバーは微笑んで、俺の肩に頭をもたせかけた。
ふと、セイバーが口を開いた。
「シロウ。この神社は、柳洞寺よりも古いものだと言いましたね」
「ああ。昔から不思議だったんだよな。何で寺の敷地に神社があるのか」
「ここは霊脈の通る土地ですから。この地の支配神は、真っ先にこの場所を押さえるはずです。おそらくこの神社の祭神が、もともとこの土地の土地神だったのでしょう」
「つまり柳洞寺が入ってきて、追い出された?」
「ええ。征服神は、その地の土地神を従属神に貶めたり悪神として放逐したりすることがよくあります」
「・・・・・・・神様も大変だな」
「そうですね。・・・・・・それをなすのも、人の心ですが」
「・・・・・・」
それきり会話は途切れ、セイバーはじきに落ち着いた寝息を立て始めた。
俺も目を閉じる。こんな状況だというのに、不思議と不安はなかった。セイバーが傍にいる安心感だろうか。
気がつくと、周囲は虫の音で満ちていた。ああそうか。もうすぐ秋なんだな。
やがて、セイバーのリズミカルな寝息に誘われ、眠りに落ちた。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

眼を覚ますと、すでに日は高かった。
広場に出て、思い切り伸びをする。身体の節々が音を立てる。さすがに体育座りで一晩過ごしたのはきつかった。セイバーはと見れば、平気な顔をしている。やはり鍛え方が違うようだ。

昨夜と同様に山道をたどると、いともあっさりと参道に出た。
2人とも無言で、家路につく。
帰宅すると、2人そろって朝帰りということで、えらい目にあった。しかもセイバーは「疲れたので休みます」とか言ってさっさと自室に引っ込んでしまうから、俺一人が矢面に立って・・・・・・まあそれは余談。

2日後の昼下がり。俺はセイバーを伴って、またあの山道を歩いていた。1人で良いと思ったのだが、セイバーはどうしても同行すると言って聞かなかった。手にぶら下げた袋には、日本酒の小瓶とお饅頭。新都で美味しいと評判の和菓子屋で買ってきたものだ。

昼の光の下で見る祠は、何の変哲もない寂れた廃屋に過ぎなかった。
入り口のところに日本酒とお饅頭を並べ、腰を下ろして手を合わせる。セイバーも見よう見まねで拝んでくれた。
俺は立ち上がると、広場の端から下界を眺めた。山あいに遠く、新都と海が見える。
風が頬を撫でる。どこかで鳥の声がした。
背中に、セイバーが声をかけてきた。
「シロウ。結局あれは何だったのですか?」
「夜の山道で迷った・・・・・・というのが合理的な説明なんだろうけど。・・・・・・神様ってのはさ。信じる人がいるから、力をもつわけだろう?」
「ええ・・・・・・?」
「想像だけど。忘れ去られていくのは、神様も怖いんじゃないかな」
「だから、久々の来客を引き留めたのだと?」
「からかっただけかもしれないけど」
「・・・・・・あんな不謹慎な来客でもですか?」
「日本の神様はそのへん鷹揚だから。それにHって神事の一部になってることもあるし」
「そ、そうなのですか?」
「大昔の話だけどね。それに、セイバーみたいなお客様なら神様でなくとも引き留めたくなるさ」
「またシロウは、人をからかって・・・・・・」
セイバーは赤くなって口を尖らせる。俺は笑った。
また折を見て、お供え物でももってこようかと思った時。
「あの、シロウ・・・・・・?」
「ん?」
「ここの神様は、私のような実体を持たないですよね?」
「? だと思うけど」
「ということは、食事をしたりしませんよね?」
「・・・・・・多分」
「で、でしたらっ。せっかくのお供え物も、このままでは風雨にさらされて傷んでしまうか、鳥獣の胃袋におさまってしまうのではっ」
「・・・・・・」
「いえ、別に空腹なわけではないのですっ。ですがその、貴重な食料を粗末にしては神罰が下るといいますかお饅頭美味しそうだなあといやそのっ」
「・・・・・・一つだけだぞ」

結局、お供えの饅頭は全部セイバーの胃袋におさまりました。おしまい