いまひとたびの

士郎君学生バージョン。せっかくだからこっちも公開。

『その日、セイバーの様子は変だった。もとからあまりおしゃべりではないが夕食の間もずっと押し黙って、何よりほとんど箸が進まない。食後、居間に残っているのは俺と遠坂とセイバーの3人。片づけが一段落したところで、声を掛けた。
「セイバー。どこか調子悪いのか?あまり食が進まなかったようだけど」
「え?いえ・・・・・・何だか、よく分からないのですが」
「?」
彼女らしくない、歯切れの悪い返事だ。
「・・・・・・すみません、今夜は先に部屋に引き取らせて頂きます・・・」
セイバーは、ふらりと立ち上がった。
そのとき、セイバーの座っていた畳に、目が止まった。
あれは・・・・・・
「セイバー、それ・・・・・・!!」
セイバーの方に身を乗り出した途端、襟首を捕まれ、凄い勢いで引き戻された。遠坂だ。
「士郎、ちょっと出てて!!」
「何すんだ、セイバーが・・・・・・」
「いいから出てろ!入ってきたら殺すわよ!」
文字通り、居間から廊下に蹴り出された。


まったく、いい年こいてあの鈍感朴念仁が。
「・・・・・・? 私、ケガなど・・・・・・」
セイバーは、心底不思議そうにぼんやり畳を見下ろしている。
「セイバー。おなか、痛いのね?」
セイバーは青ざめた顔で頷いた。
とりあえず手近な布巾で畳を拭いて、セイバーを促した。
「部屋に戻って、横になりなさい。ほら、送ったげる」
「すみません・・・・・・」
手を貸してやると、辛そうに歩き出す。幸い、黒いストッキングのおかげで、足の方は目立たない。

廊下の士郎に、
「後で説明するから、居間で待ってて。絶対に来ちゃダメよ」
厳重に釘を刺す。士郎は不承不承頷いた。今日ばかりは、この天然ぶりが疎ましい。

セイバーを自室で待たせて、いったん自分の部屋に戻る。買い置きをこっちに置いておいてよかった。薬と、お湯で濡らしたタオル、それに肝心なもの。

痛み止めを飲ませ、着替えさせて、「それ」の使い方を教えてやり、どうにか横にならせた。

「凛、すみません・・・・・・私、一体・・・」
ふっと息をつく。
「生理がきたのよ。本当の女になったってこと」
「ああ・・・・・・そうですか、これが・・・・・・」
普通なら祝福するところだが。
何十年も同じ姿のままで、王として国を背負い、サーヴァントになって聖杯戦争を戦い、はるか時間と場所を超えて、この時代のこの国に第二の生を得た少女。数奇な運命などという言葉では到底表せない。その心中など察しようもなく、おめでとうと言うのがためらわれた。

「・・・子供が産めるようになる、ということなのですよね」
「え!?・・・・・・ああ、うん」
もの思いに耽っていたせいもあるが、ドキリとしてしまった。
「シロウは、喜んでくれるでしょうか・・・・・・」
「もちろんよ。あいつなら、わたしよりも子供あしらいが巧いわよ、きっと」
内心を悟られないように、笑顔を見せた。
「それに、胸もばーんとおっきくなるわよ。士郎が大喜びするわね。もう、それ以上パーフェクトになってどうするのよ、あなた」
見透かされているとは思ったが、努めて明るく振る舞う。
セイバーも、顔色はまだ青ざめているが笑顔になった。
「士郎には、わたしから話そうか?それとも自分で言う?」
「凛から、お願いできますか。私、自分では、巧く説明する自信がないので」
「ん、分かった。あいつ、すぐにでも様子を見に来たがるだろうけど、どうする?うっとうしければ、明日にさせるけど?」
「いえ、大丈夫です。私も、シロウの顔を見た方が、安心します」
「了解。じゃあ、呼んでくるわ」
この子を救えるのは、この世界でただ一人、あいつだけ。
自分が悔しいのか羨ましいのか、よく分からなかった。
だから、実務的なことを考えることにした。パスポートならともかく、魔術協会のコネで母子手帳って作れるんだろうか・・・・・・?


・・・・・・しばらくして、遠坂が居間に戻ってきた。
待ちきれずに問いただす。
「遠坂!セイバーの様子は?一体どうしたんだ!?」
「初潮よ」
「しょ?」
「初潮。生理。月経。月のもの」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「士郎?大丈夫?」
いや、そんなに冷静に言われると。

「ええと・・・・・・なんで?」
「なんでも何もないでしょ。聖剣の加護がなくなって、普通に成長し始めたんでしょう。今のセイバーは、本当にただの女の子なんだから」
「・・・・・・」
そうか。セイバーが。
「おめでとうって言うべきなんだよな?」
「それは、士郎次第よ」
「え?」
「あの子のことだもの。あなたが喜べば、彼女も喜ぶわ」
「ああ・・・・・・うん。顔見に行ってやっても、いいかな?」
「ええ。早いとこ行って、安心させてやりなさいな。わたしも今日は泊まるわ」
「ありがとう。遠坂がいてくれて、助かった」
「どういたしまして。また貸し一つよ。高いからね」
もう慣れてるさ。

とりあえず温かい飲み物を持っていくことにした。
部屋を出がけに、遠坂が声をかけてきた。
「士郎?今後はちゃんと避妊するのよ」
危うく、お盆を取り落とすところだった。


深呼吸して、廊下から、そっと声をかける。
「セイバー?入ってもいいか?」
「シロウですか?どうぞ」

セイバーは髪を下ろして、布団に横になっていた。顔色はさっきよりは大分いい。
「よかった。思ったより元気そうだ」
「すみません、心配をかけてしまって」
吸い飲みでお茶を飲ませてやると、枕も上がらないわけではないのに大袈裟だ、と笑った。

「・・・・・・遠坂から聞いたよ。おめでとう」
「ありがとうございます。・・・・・・でも、こんな状態では、いざというときシロウを守れないのが・・・・・・」
「セイバー、そうそう戦う機会なんてないよ。それに今の俺なら、最低限自分の身を守るくらいはできる。愛弟子を信用しろ。心配せずに、体を休めてくれ」
セイバーはしばらく無言で天井を見つめて、やがてぽつりと言った。
「私、子供が産めるようになったのだそうです」
「うん。よかったじゃないか・・・・・・どうした?」
「何だか・・・・・・実感がわかなくて。私が、母親になれるなんて」
「・・・・・・セイバーなら、きっといい母親になれるよ。女の子なら、すごい美人になるだろうし」
セイバーの言いたいことは分かっているが、あえて腑抜けた返事を返した。でも、今夜のセイバーはそれでごまかされてはくれなかった。
「私に・・・・・・そんな資格があると?」
王として国を守れなかった悔恨。犠牲にしてきた民。倒してきた敵。それらの重さが今も、セイバーを縛る。
「セイバーは、できること、なすべきことを精一杯やったんだろ。なら、誰に恥じることもない。セイバーには幸せになる権利があるんだ。俺はそう思う」
彼女の表情はまだ晴れない。
「・・・・・・私には、シロウの傍にいられるだけで望外の幸福なのです。この上、子をなすことができるなど。本当に、許されるのでしょうか・・・・・・?」
「じゃあ、こう考えたらどうだろう。おまえは、俺を幸せにするためにここにいるんだ」
「え?」
予想外の言葉だったのか、セイバーは目を丸くする。
「セイバーは、自分が幸せになるんじゃない。俺を幸せにしてくれ。それなら、納得できないか?」
セイバーはしばらく俺を見つめて、やがてゆっくりと、笑顔を見せてくれた。
「・・・・・・はい。私に、できる限りのことをします」
それはまるで大輪の花のようで。しばし、見とれた。

元気が出たのか、彼女は俺の方に向き直った。
「シロウは、子供は好きですか?」
「ん?・・・あまり考えたことないけど・・・そうだな、別に嫌いじゃないよ」
「よかった。でも、もう少し待ってくださいね?」
え、何を?
「何といっても、シロウはまだ学生の身。活計の道を確立してからでないと」
・・・・・・何の話だ。
「ですから、シロウの子供の話です」
「はい?」
「驚くことですか?シロウは殿方なのですから、世継ぎが必要でしょう」
「・・・・・・世継ぎって・・・・・・」
呆然としている俺を見て、セイバーははっと何かに気がついたように、見る見るうちにしょげてしまった。
「すみません、子供がつくれると知って、浮かれてしまいました・・・・・・。シロウの子供を産むのは、当然私の役割だと、早合点してしまって・・・・・・そうですよね、シロウはまだ若いのですから、もっとふさわしい方がいるかも・・・・・・・」
ようやくそこまで言って、布団を引きあげ顔を隠す。
「いや、そんなことないぞ!」
と反射的に言ってしまったが、ええと。何と言えばいいんだろうか。言葉を探して、口を開いた。
「セイバー。俺はまだガキで、結婚して家庭を持って子供を育てて、なんて考えたこともなかった。でも、俺のパートナーはセイバーしかいない。これからも、ずっとそばにいてくれれば、こんな嬉しいことはない。・・・・・・その、子供だって、」
セイバーは、おずおずと目線を上げて俺を見る。
「本当に・・・・・・?」
「ああ。本当だよ」
赤面しているのが自分でもわかるが、ここで目をそらす訳にはいかない。
セイバーは恥ずかしげに微笑んで、今度こそ完全に布団にもぐってしまった。やがて、嬉しいです、と消え入るような声がした。

ずいぶんたって、ようやく彼女は浮上してきた。
「・・・・・・私、もっと女らしい豊かな体になれるそうです」
「ああ・・・・・・期待してるよ。俺は、今のセイバーも十分に綺麗だと思うけどな。あ、それに、今後は食べたらそれだけ太るんじゃないのか?」
「む」
それは一大事、という具合にセイバーは眉を寄せた。思わず笑ってしまって、ようやく空気がほぐれた。
「シロウ、私、今日は休みます。あの・・・・・・眠るまで少し、ここにいてもらえますか?」
セイバーがこんな風に甘えるなんて珍しい。考えてみれば、聖剣の加護を受けていた彼女は戦ってケガをすることはあっても、体調不良などついぞなかったはずだ。よほど不安だったのに違いない。
「いいよ。当分ついててやるから、安心して休め。明日も、辛かったら寝てていいんだぞ?食事は持ってきてやるから」
「はい・・・・・・ありがとうございます」
照明を消して少しすると、月明かりのもとで、小さな声がした。
「シロウ。あの・・・・・・おやすみのキスをくれませんか」
「ええ?」
「いけませんか?」
そりゃ、この状況でそんなこと言われちゃ否やもない。暗くて顔が見えなくて幸いだった。
「ん・・・・・・目、つぶってろよ」
はい、と暗がりで頷くセイバーにかがみ込んで、軽く唇を触れた。
「・・・・・・おでこですか?」
セイバーは不満そうに口を尖らせる様子。
「それが相場だろう。というか限界だ。勘弁してくれ」
必死の訴えが通じたのか、
「分かりました。勘弁してあげます」
と笑って・・・・・・布団から小さな手を差し出した。何も言わずに、握ってやる。華奢で、少し冷たい手。セイバーは安心したように息をついて、やがて、寝息を立て始めた。』