『途中で、ライダーとすれ違った。
「・・・・・・」
ライダーは無言で、俺の方に目も向けない。その背中に声をかけた。
「おまえの桜を返す。ここから連れ出してくれ」
ライダーは立ち止まり、肩越しに振り返った。俺たちの目的、進む先を知っているのだろう。
だが、興味はないようだった。
「・・・・・・御武運を」
それだけ呟いて、ライダーは消えていった。
結局貧乏くじを引くのは、俺たち2人だけということらしい。
いびつな者同士、歪んだ欲望の幕を引くにはお似合いのコンビといったところか。
知らず、にやけていたらしい。
「シロウ?何だか楽しそうですね」
セイバーが声をかけてきた。
「おまえもな、セイバー」
実際、セイバーは口元に微笑みを浮かべていた。
「ええ。これほどの高揚感は久しぶりです。戦陣を駆けた昔を思い出します」
「あと少しだ。頼むぞ」
「お任せを」
・・・・・・だが。
セイバーは、肩で息をしていた。歩くのも辛そうだ。
思った以上に、さっきの戦いで魔力の消費が激しかったらしい。
「セイバー。大丈夫か?」
「平気です、これしき。あなたこそ、大丈夫ですか?顔色が悪い」
「ああ。あと少しなんだからな」
と強がった途端、よろけた。
すかさずセイバーが支えてくれて・・・・・・彼女は、それに気づいた。
「シロウ。これは・・・・・・?」
「・・・・・・投影の、代償だ。じきに俺の全身を食い破ってくるだろう」
全身いたるところから、剣の切っ先が突き出している。まだ顔や首には出ていないので、気づかれていなかった。
「そんな・・・・・・シロウ、こんなになってまで、あなたは・・・・・・!」
「聖骸布を解いたときから、覚悟はしていた。ケリは、俺がつけなきゃならない」
「なぜ・・・・・・あなたが、そこまでしなければならないのです。これは、何もあなたの責任ではないはずだ」
「それは違う、セイバー。この戦いで、何百人もが死んだ。俺は、関係ない人たちが巻き込まれるのを防ぐために、戦うと決めた。誓いを守れなかった以上、責任を取らなければならない」
「あなたは、できる範囲でベストを尽くしたはずです。自分を責めることはない。いや、何一つ、あなたのせいではないのです!」
「おまえなら、そうするか?」
「・・・・・・」
セイバーは苦しげに表情を歪めた。
解っている。俺たちは、似たもの同士なのだから。
そして、俺は衛宮士郎なのだから。この生き方しか知らないのだから。
俺は、笑って見せた。
「大丈夫だ、セイバー。おまえが一緒だから、怖くなんかない」
セイバーは一瞬呆気にとられ、・・・・・・そして、微笑んだ。
「はい・・・・・・私もです」
俺たちは闇の奥へ、互いに支え合い、よろめきながら進む。
濃密な瘴気の流れをたどって歩く。それはもう手で触れそうで、息苦しいほどだ。
通路はまた狭くなった。俺とセイバー、肩を並べて歩くのがやっとだ。
少し下り坂の通路を延々と歩いて、先に出口が見えた。
そしてそこに、長身の人影があった。
「・・・・・・言峰、綺礼・・・・・・」
言峰はいつものように、長い法服をまとって立っていた。
逆光で表情は見えないが、その顔にいつもの皮肉な笑みがないのだけは解った。
「あくまで、邪魔をするのか?」
「言っただろう。私は産まれ来るもの全てを祝福すると」
「人の身で、我らを止められるとでも?」
セイバーが進み出る。まずい。奴は人間だが、化け物じみた技量の持ち主だ。
「セイバー。あいつは手練れだ」
「わかっています。しかし、ここで睨み合っているわけにはいかない」
その通りだ。もう時間がない。
セイバーは、それ以上語らずに一気に間合いを詰めて斬りかかった。言峰は法服の中から黒鍵を取りだし、投擲した。
指呼の間で、普通ならかわしようのない速度だが、もちろんセイバーは問題にもしない。剣で捌いてそのまま−
「!」
言峰の方が速かった。
セイバーの懐にたやすく入り込むと、剣を持つ右腕を掴み、セイバーの顔面に右拳の連打を見舞った。
「ぐ・・・・・・はっ!」
とどめは、掌底。甲冑の胸部を正面から強打され、セイバーは跳ね飛んだ。
俺の目の前に倒れ込む。
「セイバー!」
セイバーは咳き込み、血を吐いた。生身の人間だったら、甲冑の上からでも心臓をつぶされていただろう。発頸。中国拳法か・・・・・・!
「くそ。神父のくせに肉体派かよ・・・・・・!」
言峰は深追いせず、元の位置に戻っている。奴は時間を稼ぎさえすればいいのだ。
この狭い空間では、剣の英霊といえども突きで攻撃するしかない。それしか来ないとわかっているなら、対処のしようもある。まして奴は、黒鍵という突きに特化した武器の遣い手なのだ。
「シロウ。エクスカリバーを」
セイバーが小声で提案する。俺は首を振った。遠間から仕留められれば理想だが、駄目だ。エクスカリバーの発動には時間がかかる。その間に間合いを詰められてしまう。わずかながら俺が時間を稼ぐ手もあるが、この位置関係では、俺もエクスカリバーの巻き添えを食ってしまう。今さら命は惜しくないが、セイバーがエクスカリバーを使えるのはおそらくあと一度きり。ここで使ってしまったら、聖杯を破壊できない。俺かセイバーのどちらかが、万全の態勢で生き残るしかないのだ。くそ。こんなことなら、親父の拳銃でも持ってくれば良かった。
心を決めた。
「俺が血路を開く。後を頼む」
「シロウ、無茶です!あなたでは、奴の技量には−!」
そんなことはわかっているが、議論している時間はない。俺は突進した。
頭と心臓、急所を腕でカバーして、体当たりする。
奴は委細構わず、腕の上から打撃を見舞った。その凄まじい破壊力は、腕ごと骨を拉ぎ、急所を破壊する−!
そう、ただの骨だったら。
「なに!?」
言峰の表情に動揺が走る。
この身はすでに刃。言峰の拳は、俺の前腕から突き出した剣に突き刺さっていた。
言峰は腕を引き、第2撃を送ろうとするが、俺はタックルの要領でその懐に飛び込んでいた。
「トレース−」
最後に投影すべき武器をイメージする。
言峰の胴体にしがみついたままで。
「・・・・・・オン!!!」
・・・・・・撃鉄が、落ちた。
全身が弾けた。
胸と言わず腹と言わず、あらゆるところから突き出した剣が、俺の全身をズタズタに切り裂き・・・・・・容赦なく言峰の腹をも抉っていた。
「ぐ・・・・・・くくく、時限爆弾、か・・・・・・なるほど・・・・・・」
言峰は俺の腕をふりほどき、よろよろと後ずさった。
俺の手には、最後の武器−干将と莫耶がある。なぜだか、脚はまだ動いた。倒れ込むように言峰を追い−その胸に、双剣を突き立てた。
言峰は、ゆっくりと仰向けに倒れていった。
俺も、その場に転がる。がしゃん、と乾いた金属音がした。
もう感覚がない。今度こそ、終わりらしい。
「シロウ!シロウ!」
セイバーが頭を抱きかかえてくれた。
よせ。ケガをするぞ。
首を動かして、胸を見た。ゲイボルクの切っ先みたいなのが、突き出している。ああ、こんなので刺されたら、そりゃ死ぬよな。
あの時、俺は死んでいたはずだった。なぜか生きながらえた。誰かに救われて。・・・・・・誰かがくれたその命で、なすべきことはなしたようだ。
先端を濡らす血は言峰のものか、俺のものか。もうわからない。
「シロウ・・・・・・馬鹿な、こんな無茶をして・・・・・・ああどうしよう、こんなに血が・・・・・・シロウ、シロウ・・・・・・」
セイバーがこんなに取り乱すとは、珍しいな。人ごとのようにそんなことを考えている。
頬に、ぽたりと水滴が落ちた。温かい。まだそれは感じられる。奇跡的に、右手は動いた。
泣くな、セイバー。まだ戦いは終わっていない。
「・・・・・・セイバー」
視界はぼんやり霞んでいるが、セイバーの頬らしき部分に触れた。ボロボロの指先でも、その柔らかさと温もりは感じ取れる。
「セイバー。行け」
「シロウ・・・・・・」
「責務を、果たせ。・・・・・・頼む」
頭がそっと地面に置かれた。
「行って参ります、マスター。すぐに戻りますから!気を確かに!」
返事を待たずに、セイバーは走り去った。
俺はため息をついた。
ライダーは、もう脱出したろうか。
事は、成った。もう障害はないはずだ。
セイバーは必ず大聖杯に辿り着き、破壊してくれる。
目を閉じた。もう痛みも、苦しみも、哀しみも感じない。
かわりに、安らぎと温もりがあった。
ひどく安心できる。
母親の胸とはこんな感じかな、などと益体もないことを思った。
胸にずきり、と衝撃を覚え、セイバーは足を止めた。ふいに襲ってきた途方もない喪失感に目がくらみ、思わず膝をついてしまいそうになる。
しっかりしろ、と自分を叱咤し、かろうじて姿勢を保った。
この痛みの意味するところは明らかだ。
・・・・・・全ての、終わりが近い。
ふと、右手に携えた愛用の剣を見下ろした。
「・・・・・・おまえも私も、帰るところを失ってしまったようですね」
マーリンにあれほど大切にしろと言われた鞘を失ってから、何年経ったろう。ずっと、この抜き身の剣とともに戦ってきた。
「鞘を失ってから、おまえも、こんな気持ちだったのですか」
心にぽっかりと空いた穴をふさぐ術も知らず、セイバーは剣に語りかける。
でも、もうすぐ終わる。
永い永い戦いの日々。
死んでゆく民草。
去ってゆく同志。
滅びゆく国。
聖杯。
死の間際に見た夢。何もかも、もうすぐ。
「あと一撃。それで、全て終わるのです。もう少しだけ、つきあってもらいますよ」
セイバーは再び走り出した。
そして彼女は、全ての根元の前に立っている。
空間に渦巻く邪悪の妄念。
この世の全てを呪う怨念をまとわりつかせて、その繭はあった。
セイバーは、エクスカリバーを天に向けた。この心もこの刀身も、一点の曇りもない。本来なら、エクスカリバーを放つだけの魔力は残っていない。だが、この一撃が最後となれば、手はある。この甲冑も戦衣も、いやこの身体を構成する最後の魔力まで、全てを注ぎ込む−!!
−あの人は、行ってしまった。
騎士が主に殉じるのは、当然のことだ。
−そんなことを言ったら、あの人は怒るだろうな。
くすり、と笑みがこぼれた。すみません、マスター。最期くらい、わがままを言わせてください。
「エクス−」
刀身が眩い光を放つ。
甲冑と戦衣は勿論のこと、地を踏みしめる脚ももう消えかけている。
かまうものか。剣を振るう腕と、この胸に燃えさかる炎がありさえすれば。
永い長い時間、戦い続けてきた。
国のため、民のためと信じて。だが。この、最後の一太刀。
この剣は、ただあの人のためだけに振るおう。
頼りなくて無鉄砲で、優しくてお人好しで、そしてどんな鋼よりも強靱だったあの少年のために。
「カリバー!!!」
エクスカリバーが最期の光芒を放つ。
繭が怨嗟の絶叫を上げる。
地底に現れた星の光が、不浄の繭をその起動式ごと灼き尽くしていく。
・・・・・・光が去り、地底に闇と静寂が戻ったとき、騎士王の姿はなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
エピローグ
私は、満開の桜を見上げていた。
あの戦いから、もう3度目の春が来る。
風に銀髪がなびく。
私−イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは藤村の家に引き取られ、平穏な日々を送っている。
あの最後の夜。
突如としてお山は崩落し、柳洞寺のほとんどが陥没に呑まれた。奇跡的に無傷で残った山門の前に、彼女は倒れていたという。
・・・・・・帰ってきたのは、彼女だけだった。
大聖杯で何が起きたのかは、誰も知らない。
彼女も、何も語らない。
ただ、あの豊かな黒髪は、老婆のように真っ白になっていた。
やがて教会の後任者がやってきて、彼女はロンドンへ、時計塔へ連れて行かれた。
今回の聖杯戦争の顛末について調査するためだろう。
その後どうなったのか。
才能を見込まれて魔術師として鍛錬を続けているのか、聖杯の秘密を探るために解剖でもされたか。
消息は聞かない。興味もなかった。
士郎は、行方不明のままだ。
大河は驚くほど平静だった。
「切嗣さんの息子だもの。ふらっと旅に出たくなったのよ。そのうち、何事もなかったような顔で帰ってくるって」
大河はいつものような明るい笑顔で、私にそう言った。
きっと分かっているのだ。士郎は、もう決して帰ってこないと。誰にも見つからない場所で、誰にも聞こえない時間に、一人泣いているのだろう。私と同じように。
士郎はもう帰ってこない。あの白銀の騎士と一緒に違いないと思えば、少し気が楽になった。
風に、桜の花びらが散る。
「・・・・・・桜の木の下には、死体が埋まっている」
ふと、そんな言葉を呟いた。去年だったろうか、ライトアップされた夜桜を眺めながら大河がふいに教えてくれた言葉だ。
桜の木の下には死体が埋まっている。
それは信じていいことなんだよ。だって毎年桜があんなにも見事に美しく咲くなんて、とても信じられないことじゃないか−
不気味で、凄絶で、それでも泣きたくなるほどに美しいイメージ。
今年も桜が咲き、桜が散る。
私は踵を返した。最後に一言だけ、声をかけて。
「じゃあね。お兄ちゃん」
一際強い風が吹き、桜吹雪が舞い−おさまったとき、そこにはもう誰もいなかった。』
END
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あとがき
何度も言うけれど、私はHeaven's Feelが嫌いで。
そんなに桜を助けなきゃならんのなら、本当に桜「だけ」が助かる話にしてやろうと思って書いたのがこれ。
ちなみに、私は高橋硅さんの「私は虚無を月に聴く」が大好きでして。
この文章はこの傑作SSに大きく影響されています。