先の文章で、神話的側面ということに触れたので、もっと突っ込んで考えたもの。(悪ノリとも言う。)我ながら考え過ぎとは思うが、興味を持たれた方はご一読ください。


「雲のむこう、約束の場所」追記


物語構造自体が、実は神話的である。こじつけというなかれ。物語というものの類型は、ほとんど伝説や昔話の中に出てくるのだ。

平行宇宙を呼び覚ます塔は、祟りなす荒ぶる神、サユリは眠り続ける(死のメタファーだ)ことでそれを鎮める巫女、あるいは生贄の役割である。巫女とは本来、その魅力によって(時には性的に)荒ぶる神を手なずける役割を負う(とり・みき「石神伝説」より。「遠野物語」や「金枝篇」でないあたりに、限界というものを感じますな)。ヒロキは、邪神を倒す英雄だ。ギリシャ神話のペルセウスとアンドロメダ、記紀神話の八岐大蛇とスサノオノミコト、クシナダヒメといった英雄譚と、全く同じ構図である。岡部社長たちは英雄に知恵や武器を授ける賢者、となる。まあそのマジックアイテムが米軍供与のミサイル、というのが多少アレだが。
実際、初期の構想では、サユリが恐山のイタコの血を引いている、との設定が考えられていたそうである(「雲のむこう、約束の場所 2002−2004」より)。オカルト色が強くなりすぎる、との判断で見送られたとのことだが、これを聞いたときは我が意を得たり、であった。

神話的側面といえば、海峡を渡ることも重要な点かも知れない。三途の川やレテの川など、瞑府は水に隔てられた彼岸として描かれることが多い。本作はイザナギ・イザナミ神話やオルフェウスの物語と同じく、彼岸に渡り、愛する者を取り戻す物語でもあるわけだ。しかし、一度瞑府に触れた者は以前と同じままではいられない。先日読んだ「呪いの博物誌」によると、昔は、一度死んでよみがえった人間は、不吉だとして改めて殺されたらしい。実際に昏睡していただけの人も多勢いたはずで気の毒な話であるが、黄泉の穢れに触れたら、もはや元の人間ではなく、現世に災厄をもたらすと考えられたからである。イザナミが鬼神と化していたのは極端な例だし、ギリシャ神話では、地母神デメテルの娘ペルセポネは、瞑府のザクロを食べたため、1年のうち3か月を瞑府で暮らさねばならなくなった。その間デメテルは泣き暮らすため、地上は冬になるのだという。
サユリが本当の気持ちを忘れてしまうのも、これに類することである。


>ところで、「ほしのこえ」のタルシアンが、全く人類と隔絶しているとはいえ、実体ある異星人として描かれたのに対し、「雲のむこう、約束の場所」における神の存在は、もっと抽象的である。と言うより、「約束の場所」「変えられないものの象徴=世界の枠組み」である塔は、人工的に作られたものである。
論旨がズレてしまうので本論の方ではあえて考えなかったのだが、こう考えると、神を産み出し、断絶を招くのは人の心と行為そのものである、ということかもしれない。


>本作を「喪失と再生の物語」と評する向きがある。映画やDVDの宣伝文句もそうだ。その評自体は正しい。だが、サユリの眠りを喪失、目覚めを再生、と考えるのは誤りだと思う。サユリが目覚めた時、現実世界での再生と、真の喪失が同時にもたらされたのである。
本作の根底にあるのは、喪失と再生は表裏一体であり、それを繰り返すのが生きていくことだ、という考え方である。この構図にそっくりの映画がある。トム・ハンクス主演の「キャスト・アウェイ」だ。この点についてはこちらを。

>塔がもたらす世界は、もしかしたらより良い世界かもしれない。平和と安息がある、神の王国かもしれない。だが我々は、もうそこへ帰ることはない。我々は、それを選んだのだ。


>DVDを観て、ちょっと気になる点があった。一つは、岡部と真紀の関係。工場で話すときの様子を見ると、初対面のようなのだが、終盤に出てくる写真には、3人で収まっている。まあ富澤教授とのつきあいに伴うものと考えれば、納得はできるのだが。
もう一つは、タクヤが真紀に手当てしてもらっているシーン。タクヤの目線で、真紀のIDカードがアップになるカットがある。タクヤはコンピュータに強いという設定だから、サユリを連れ出すにも計画的にセキュリティを騙したものと思っていたが、このカットがあるせいで、IDカードを見て行き当たりばったりに行動を起こしたように見えてしまう。サユリは平行宇宙研究のための貴重なサンプルなのに、ガードが甘すぎないか?もっとも、軍事目的としては傍流の怪しげな研究だから、余り重要視されていないのかも知れない。そういえば、開戦当日のドサクサの中だしな。


>アフタヌーン連載のマンガ版を読んで、初めて気がついた。サユリが「一緒に帰る夢を見た」と言っているのは、予知夢なのですな。今更・・・

>ストーリーが弱いの、世界観が不明だのという批判を耳にする。ストーリーが弱いというのは、私には意味不明である。いったいどうすればいいのだろうか。映画のストーリーが何を語るか、などに大した意味はない。どう語るか、が問題なのである。世界観と言えば、分断国家の見本がすぐお隣にあるではないか。全部説明してもらわなければ判らないのだろうか。何のために想像力というものがあるのか。
こういう意見を見るにつけ、「王立宇宙軍」を思い出す。この映画も公開当時は、実写ファンにもアニメファンにも注目されず興行的に苦戦したが、もうすぐ20年を経る今も、一本の類似作品もないオンリーワンであり続け、高く評価され続けている。
おそらく「雲のむこう、約束の場所」も、他に類を見ない、長く語り継がれる作品になるであろうことを私は確信している。