脱線機関車


 愛知県新城町と云えば、豊橋からもっと奥へと入る山の中である。その山の中の宿屋にいるのが、売出しの新進探偵作家大阪圭吉である。宿屋にいると言っても、間借りと違って、その宿屋全部が自分の家――つまり、そのホテルの息子さんが今売出しの大阪圭吉なのだ。

 宿屋と探偵小説とがどういう関係にあるか、そんなことを訊いても、大阪圭吉はにやにやと人懐っこそうに笑っているだけで答えやしないが、「幽霊機関車 【ママ】」とか「気狂い機関車」とか汽車ばっかり、なんで書くかと訊ねると、急に座り直って、「僕はその、小さい時からどういうものか、汽車が好きだで――」と、名古屋弁を、チョイチョイ出して喋べりはじめる。そうなると聞手がホイと失敗ったと思ってもあとの祭りで、大阪圭吉はいっかな機関車の話をやめようとはしない。如何にその汽車なるものが愛すべきものであるか、如何にそれが現代に必要欠くべからざるものであるかを説き起して、明治五年新橋から神奈川を走った本邦最初のキシャから、三百四十哩を八時間弱で突破する超特急ツバメに至るまで、長時間滔々とまくしたてて、聞かんとは言わせない。客はこれを脱線機関車と称して、以後警戒するとか。

《ぷろふいる》 昭和10 (1935) 年12月号掲載。編集部便りや読者欄の頁 〈黄色い部屋〉 の無署名記事。あるいは編集を担当していた九鬼澹の手になるものか。このとき大阪圭吉はデビュー3年目、鉄道ミステリの力作 「気狂い機関車」 「とむらい機関車」 は前年 (昭和9) に書かれている。エッセイ 「停車場狂い」 (創元推理文庫 『とむらい機関車』 所収) でもみずから明らかにしているように、大阪圭吉の鉄道好きは子供の頃からのものであった。短報ながらその微笑ましいマニアぶりがうかがえる記事である。

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