探偵小説が出来るまで 2
(18世紀)

1773頃 『ニューゲイト・カレンダー』
1794 ウィリアム・ゴドウィン 『ケイレブ・ウィリアムズ』
 ◇前史篇
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1773頃
『ニューゲイト・カレンダー』
18世紀に入ってようやく小説の世紀が始まる。英国近代小説の出発点といわれるダニエル・デフォー 『ロビンソン・クルーソー』 が1719年。この頃から novel というジャンルが新しい読者を獲得し始める。しかし、『ロビンソン・クルーソー』 や 『モル・フランダース』 (1722) を始めとするデフォーの 「小説」 の多くは、主人公の数奇な物語を 〈事実〉 の記録として描いた、という体裁をとっており、読む側もそこに実話的な興味を抱いていたことは留意しなくてはならない。デフォー自身、もともとは政治パンフレットの作者であり、ジャーナリストであった。女囚の子供として獄中で生まれ、やがて自身も娼婦となり盗みに手を染めるヒロインの半生記 『モル・フランダース』 は、デフォーがある女囚から取材した実話にもとづいている。ちなみに、しばしば近代幽霊小説の濫觴とされる 「ミセス・ヴィールの幽霊」 (平井呈一編 『恐怖の愉しみ/上』 所収) も、実際に起きた怪異の報道記事として発表されたものだ。
この時代、もっと直截に人々の好奇心をかきたて、購読欲を煽ったのは、ブロードサイドと呼ばれる出版物であった。これは本邦でいう瓦版、新聞の前身にあたる簡素な印刷物だが、そこで報じられたのは、もっぱら戦争、災害、畸形や幽霊のニュースなどのセンセーショナルな話題で、なかでも特に人気を集めたのが犯罪報道だ。ロンドンのグラッブ街に集う三文文士たちが、事実と創作をないまぜにして仕立てあげた刺激的な記事に、犯行場面や処刑場の光景を描いた稚拙な木版画を掲げたブロードサイドが、街頭で呼び売りされた。大物犯罪者の逮捕と処刑はとりわけ人気の高い話題だった。
当時、死刑執行は監獄前の広場で公開で行なわれており、有名犯罪者の処刑には大群集が押し寄せ、広場を見下ろす家のバルコニーは高額で貸し出されたという。この時代のロンドン市民にとって、死刑見物はもっとも手頃で刺激的な大衆娯楽だったのである (実際、イギリス人の死刑見物好きは、大陸でも悪名高かったという)。「人々は血なまぐさい事件に一見然るべき恐怖感をもって接している風なのだが、よく調べてみると、これは何やらお祭り気分に近い感情であった」 と、これは次世紀ヴィクトリア朝大衆の殺人事件に対する熱狂ぶりを分析したリチャード・D・オールティックの言。
当然、これを当て込んで商売を始める連中が現れる。18世紀初めには、ロンドンのニューゲイト監獄に収監された犯罪者たちの生い立ちや犯行記録、裁判の経過、処刑の様子、処刑を前にした 「最後の言葉」 などをまとめた 〈ニューゲイト・カレンダー〉 と総称される出版物が登場し、この18世紀悪党列伝ともいうべき書物は、読み書きのできる国民の間で飛ぶように売れた。裁判記録は弁護士などに取材、「最後の言葉」 というのは、死刑囚に最後まで付き添う教誨師が提供したものである。もちろん読者の興味を引くために、事実には粉飾が施され、真偽の疑わしい挿話が臆面もなく挿入された。何を書こうと本人はすでに墓の中、抗議のしようもない。世間を騒がせた重大事件や犯罪者への大衆の好奇心を当て込んだものではあったが、「犯罪は引き合わない」 という戒めや、死刑囚の悔悟の言葉を載せることで、道徳的読物としての口実も十分にもうけられていた。
『ニューゲイト・カレンダー』 はさまざまな版元からいくつもの版が出版されたが、1770年代にまとめられたものがいわば標準版として、19世紀に至るまで増補しながら版を重ねていくことになる。そして、多くの小説家がこれを愛読し、そこに登場する犯罪者をモデルにした小説を発表していく。ブルワー=リットン 『ポール・クリフォード』 (1830)、『ユージン・アラム』 (1832)、ウィリアム・ハリスン・エインズワース 『ルクウッド』 (1834)、『ジャック・シェパード』 (1839)、チャールズ・ディケンズ 『オリヴァー・トゥイスト』 (1837-39) など、〈ニューゲイト・ノヴェル〉 と呼ばれる犯罪者を主人公とした作品群である。もちろん、18世紀末の読書界を席捲したゴシック小説にも、多くの実在事件の要素が取り入れられている (たとえば、ウィリアム・ゴドウィン 『ケイレブ・ウィリアムズ』)。実話から小説へ。19世紀前半にかけてこうした犯罪小説が広範な人気を獲得し、ウィルキー・コリンズらのセンセーション小説へと流れ込んでいく (ちなみに、コリンズの 『月長石』 もまた実在のコンスタンス・ケント事件に想を得ている)。
18-19世紀の有名殺人事件が促したジャーナリズムの発展と読者大衆の確立、同時代の文学や演劇などに与えた多大な影響を、豊富なエピソードで掘り起こし、研究書でありながら読物としても抜群に面白いリチャード・D・オールティック 『ヴィクトリア朝の緋色の研究』 (国書刊行会) が、何をさておいても必読の参考書 (詳しい内容紹介はこちら。オールティックによれば、18-19世紀の識字率上昇には、犯罪記事を読みたいという大衆の欲望が大きく寄与していたという。いわば 「19世紀の印刷屋のインクには重要な成分として血が混じっていた」 のだ。犯行現場や処刑場へ押しかけ、ブロードサイドを貪り読む人々の姿は、ワイドショーやスポーツ紙の煽情的な犯罪報道に夢中になる現代人とぴたり重なりあう。
〈ニューゲイト・ノヴェル〉については、これを専門的に取り上げた概説書、北條文緒 『ニューゲイト・ノヴェル』 (研究社) が便利。また、〈ニューゲイト・カレンダー〉 そのものをご覧になりたい方には、電子テキスト版がある。なお、『ニューゲイト・カレンダー』 の刊行年代・成立については、さまざまな情報があって、ここでは仮に1773年頃を一応の標準版成立時期としておいたが、数種の版が刊行されていたこともあり、この年代は目安程度にお考えいただきたい。

1794
ウィリアム・ゴドウィン 『ケイレブ・ウィリアムズ』 (国書刊行会)
貧しい農民の息子ケイレブ・ウィリアムズは、早くに両親を亡くし、有力者の地主フォークランドの秘書として、屋敷に住みこみで働くようになる。陰鬱な性格ながら慈悲深い主人の下で、恵まれた生活を送っていたケイレブだが、生来好奇心の強い彼は、やがて主人の不可解な性格に興味をいだき、探索をはじめる。そして、ついにその暗い秘密を突き止めてしまう。実は主人フォークランドには、彼に敵対する横暴な地主を殺害した忌まわしい過去があり、しかもその事件では、借地人父子が逮捕され、無実の罪で処刑されていたのである。犯行を告白したフォークランドは、逆にケイレブを脅し、絶対に秘密を口外しないように誓わせる。
厳しい監視下に置かれたケイレブは屋敷を逃げ出すが、土地の有力者であるフォークランドは、彼を窃盗の罪で告発し、ケイレブは犯罪者として追われる身となる。変装したり、盗賊団に身を投じたりしながら逃亡をつづけるケイレブに、フォークランドは執拗な迫害を続けていく……。
18世紀末、アナーキズムの古典ともいわれる 『政治的正義』 (1793) を著して、イギリス社会に衝撃をもたらした政治思想家ウィリアム・ゴドウィンが、1794年に発表したゴシック小説である。ゴシック小説=怪奇幻想文学のように考えている人は案外に多いが、この作品には超自然的要素はひとかけらもない。追う者と追われる者の関係を、息苦しいまでの緊迫感で描き出したスリラーである (ジュリアン・シモンズのミステリ史 『ブラッディ・マーダー』 も、「犯罪小説」 の重要な源流として本書に注目している)。
主人公ケイレブは犯罪の謎を解き明かす探偵役なのだが、後世の名探偵たちとは違って、彼は探偵という役割を演じたがゆえに、犯人の側から追跡され、迫害を受けることになる。ここでは、〈探偵/追う者〉 と 〈犯人/追われる者〉 の立場がすっかり逆転し、探偵小説における 「法の正義」 という前提は完全に崩れている。
しかし、そもそもケイレブが探偵を始めたのは、彼自身の好奇心、他人の秘密を知りたいという覗き見的な欲望のためなのだ。主人公であるにもかかわらず、読者は彼の言動に完全な共感をおぼえることはないだろう。探偵はむしろ卑しい行為として描かれる (漱石の探偵嫌いが思い出される)。アマチュア探偵ケイレブは、ミルワード・ケネディ 『救いの死』 のエルマー氏の遥かな先駆者である。そして彼は、その度し難い好奇心に対する罰を、身をもって味わうことになる。
探偵小説という形式がポー 「モルグ街の殺人」 (1841) に始まることに異論はないが、より広義のミステリの流れを考えたとき、この作品は、すでに立派なミステリの骨格をそなえているばかりでなく、探偵小説の登場以前にすでに、探偵という 〈役割〉 に重大な問いかけを行なっているように思える。作中にゴドウィンの思想信条をめぐる議論が挿入されている、一種の思想小説でもあるのだが、現代でもたとえば笠井潔の探偵小説を思い浮かべれば、それもそう意外なものではあるまい。
ポーが探偵小説を 「発明」 する以前に、謎や犯罪をテーマにした小説は、ゴシック小説の時代にすでに存在していた。ジェイムズ・ホッグ 『悪の誘惑』 (1824) を抜きにしてメタミステリ (あるいは幻想ミステリ) の歴史は語れないだろうし、たとえそのテンポが現在の目からしたら悠長にすぎるとしても、アン・ラドクリフの諸作品 (『ユドルフォの秘密』 『イタリアの惨劇』 他) がサスペンス小説の基礎を築いたことは無視しえないだろう。ラインハート以下の 〈もし私がそれを知っていさえしたら〉 派にしても、ラドクリフからメアリー・ブラッドン『オードリー奥方の秘密』) へと続く女流犯罪小説家の系譜の末裔であり、その伝統は現在にも受け継がれているのではないか (テクニック的には洗練され、現代風に更新されているとしても)。極限状況における人間悪を描いた作品なら、M・G・ルイス 『マンク』 (1796) とチャールズ・R・マチューリン 『放浪者メルモス』 (1820) という大作がある。この2作では悪魔が出てくるので、ミステリの枠組みで考えるのは無理があるのだが、そのいくつかの挿話では、まぎれもない犯罪行為の描写を通して、悪魔などより人間のほうがよっぽど恐ろしい存在であることを明らかにしていく。
そうした18世紀末以来の犯罪小説、謎の物語の土壌の中から、不可解な謎とその合理的な解明、という一点に特化して、ポーのデュパン物語は生まれた。「探偵小説/本格ミステリ」 は、むしろ突然変異的な前衛ジャンルというべきではないかと思うのだが、如何だろう。
ゴドウィンと女権思想家メアリー・ウルストンクラフトの間に生まれた娘メアリーは、のちに妻子ある詩人シェリーと駆け落ちし、亡命先のスイスで一篇の長篇小説を書き上げる。ゴシック最後の傑作ともいわれるその 『フランケンシュタイン』(1818) もまた、父ゴドウィンの作品同様、自らを滅ぼす好奇心と、苛酷な追跡と迫害の物語であった。