―今日は何の日―
【2月】

2月1日
◆1851年のこの日、メアリー・シェリーが死去。10代で詩人シェリーと駆け落ちし、『フランケンシュタイン』 (1818) を書き上げた彼女には、1822年、24歳のときにシェリーが水難事故で死亡した後にも、30年の長い人生が残されていた。近年、人類の終末を扱ったSF長篇 『最後のひとり』 の邦訳 (英宝社) も出た。
◆1878年のこの日、ディレッタントの医師探偵レジナルド・フォーチュンの作者H・C・ベイリーがロンドンで生まれる。かつて英国探偵文壇ビッグ5のひとりにも数えられた人気作家だが、邦訳にはあまり恵まれていない。短篇集 『フォーチュン氏の事件簿』 (創元推理文庫) を読めば、その意外な現代性に驚く読者も多いと思う。『フォーチュン氏を呼べ』 (論創社) 『どうかフォーチュン氏を』 『フォーチュン氏は語る』 『フォーチュン氏異議あり』 など、10冊以上の短篇集がある。また、短篇作家と思われがちなベイリーだが、『僧正の犯罪』 『ブラックランド、ホワイトランド』 などのフォーチュン氏物、『死者の靴』 (創元推理文庫) などの弁護士クランク物をはじめ、多くの長篇がある。
◆1904年のこの日、「天狗」 「零人」 など、斬新な文体による技巧的な短篇で人気作家となった大坪砂男が東京牛込に生まれる。本名和田六郎。父親の維四郎 (つなしろう) は日本鉱物学の偉大な先駆者で、東大教授、内務省地質調査所長 (初代)、生野鉱山鉱山長、八幡製鉄所長官を歴任した名士だった。
◆1918年のこの日、『死を忘れるな』(59)、『ミス・ブロウディの青春』(61)、『運転席』(70) など、ブラック・ユーモアに満ちた作品で知られるミュリエル・スパークがスコットランドのエジンバラに生まれる。第2次大戦中は英国外務省情報部で働いていた。

2月2日
◆1904年のこの日、ミステリからウェスタンまで幅広いジャンルで活躍したフランク・グルーバーが、ミネソタ州エルマーで生まれる。自伝 《The Pulp Jungle》 はパルプ雑誌界の内幕話満載。
◆1922年のこの日、映画監督ウィリアム・デズモンド・テイラーがバンガローで射殺されているのが発見される。ハリウッドきっての女たらしとして有名だったテイラーの死によって、次々にスキャンダルが明るみに出て、30歳近く年の離れた愛人だった清純派女優メアリー・マイルズ・ミンターと 〈お転婆娘〉 メイベル・ノーマンドの二人の女優生命が断たれたが、結局、犯人は捕まらなかった。映画の都ハリウッドの乱脈ぶりを全米に印象づけた事件。
◆1934年のこの日、『弁護側の証人』 『血の季節』 などの洗練されたミステリの作者であり、クレイグ・ライスやP・D・ジェイムズの名訳者でもあった小泉喜美子が、東京築地に生まれる。
◆1969年のこの日、フランケンシュタインの怪物役で知られる俳優ボリス・カーロフが死去。素顔は温厚な英国紳士だったという。(もっとも、「お高くとまっていた」 という証言もあるのだが)
◆1987年のこの日、『ナヴァロンの要塞』 『荒鷲の要塞』 『女王陛下のユリシーズ号』 などの冒険小説家アリステア・マクリーンが死去。
2月3日
◆1912年のこの日、ニューヨークの有名ギャング、〈殺し屋〉 マッデンの殺しのキャリアが始まる。当時20歳の彼は敵対していた男の後をつけ、九番街で射殺。警察は彼を逮捕したが、証拠を集めることができなかった。
◆2009年のこの日、亜愛一郎シリーズ、『11枚のとらんぷ』 『乱れからくり』 の泡坂妻夫が急性大動脈瘤乖離のため死去。享年75。

2月4日
◆1906年のこの日、警察官出身で、『この街のどこかに』 『ペニクロス村殺人事件』 など、リアルな捜査活動をえがいた警察小説を発表したイギリス作家モーリス・プロクターがランカシャー州ネルスンで生まれる。
◆1915年のこの日、ヴィクトリア時代のベストセラー犯罪小説 『オードリー奥方の秘密』 (1862) の作者メアリ・エリザベス・ブラッドンが死去。
◆1968年のこの日、『ペンギンは知っていた』 (1931) など、オールドミスの女教師探偵ヒルデガード・ウィザーズ・シリーズで人気を博したスチュアート・パーマーが死去。ミス・ウィザーズは、ライスとの合作短篇では、酔いどれ弁護士J・J・マローンとも共演している。
◆1995年のこの日、パトリシア・ハイスミスが、スイスのロカルノで白血病のため死去。生国アメリカでよりもヨーロッパで評価の高かった作家だが、2003年、Andrew Wilson による500頁以上に及ぶ大部な評伝 《Beautiful Shadow: A Life of Patricia Highsmith》 が出版され、MWA賞 (最優秀評論・評伝部門) を獲得した (もっとも、著者はイギリスのジャーナリスト)。強力な知性と孤独な魂の持ち主で、私生活で多くのトラブルを抱えていたハイスミスについて、彼女が教母をつとめたある女性は、「彼女は気味のわるい、薄情で、自堕落なひとでした」 と回想し、恋人の一人は、「もし小説を書いていなかったら、彼女は精神病院か、アルコール患者治療施設に送り込まれていたでしょう」 と云っている。その後出版されたJoan Schenkar 《The Talented Miss Highsmith: The Secret Life and Serious Art of Patricia Highsmith》 (2009) は、彼女の女性関係に多くの頁を割いているらしい。
2月5日
◆1848年のこの日、『さかしま』 『彼方』 のフランス世紀末作家J・K・ユイスマンスがパリで生まれる。
◆1915年のこの日、マーガレット・スターム、のちのマーガレット・ミラーがカナダ、オンタリオ州キッチナーで生まれる。夫となったロス・マクドナルド (ケネス・ミラー) はキッチナー高校の同級生。ロス・マクドナルドの私立探偵小説が 『ウィチャリー家の女』 『さむけ』 など次第にミラーのニューロティックなミステリに近づいていったように見えるのとは対照的に、後期のミラー作品はねじくれた人間関係や心理を扱いながら不思議な明るさとユーモアを湛えているように思われる。二人の執筆生活については、ミラー自身の次のようなウィットに富んだ言葉が残っている。「私は昼間書き、良人は夜中に書きます。ときどき、階段で顔を合わせます」。
◆1927年のこの日、結城昌治が東京品川で生まれる。作家デビューは、1959年、エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン〉 第一回短篇コンテスト一席に入選した 「寒中水泳」。
◆1930年のこの日、ジョン・ディクスン・カーの第一作 『夜歩く』 が米英同時発売される。結末の三分の一を封印して出版されたこの作品は、売行き好調で、アメリカでは2ヶ月で7版を重ねた。邦訳 (天人社) も同年中に異例の早さで出ている。ちなみにこの日本版の表紙は、原書を完全に模写したもの。
◆1974年のこの日には、新聞王の孫娘パトリシア・ハーストが誘拐される。犯人は 〈シンバイオニーズ解放軍〉 と名乗る左翼過激派グループで、彼らのモットーは、「人民の命を食い物にするファシストの蛆虫どもに死を」 だった。
2月6日
◆1871年のこの日、サー・ヘンリー・メリヴェールが英国サセックス州グレイト・ユーボロ近郊のクランリ・コートの准男爵家に生まれる。この日付は 『殺人者と恐喝者』 (『この眼で見たんだ』) 事件時に、H・Mが執筆を企てていた自叙伝による。
◆1932年のこの日、フランスの映画監督フランソワ・トリュフォーがパリで生まれる。《ピアニストを撃て》 (原作グーディス)、《黒衣の花嫁》 (原作ウールリッチ)、《暗くなるまでこの恋を》 (原作アイリッシュ 『暗闇へのワルツ』)、《華氏451》 (原作ブラッドベリ) といったミステリ・SF作品がある。ヒッチコックのインタビュー本 『映画術』 もミステリ・ファンには忘れがたい本。
◆1939年のこの日、レイモンド・チャンドラーの第一長篇 『大いなる眠り』 が出版される。
2月7日
◆1812年のこの日、『荒涼館』 『バーナビー・ラッジ』 『エドウィン・ドルードの謎』 など、ミステリ的要素を盛り込んだ作品を執筆、ウィルキー・コリンズと共に英国探偵小説の嚆矢ともいえるチャールズ・ディケンズが、ロンドンで生まれる。他にも 『オリヴァー・トゥイスト』 『大いなる遺産』 をはじめ、その作品のほとんどに何らかのかたちで犯罪がからんでいる。また、『ディケンズ短篇集』 (岩波文庫) 収録の 「追いつめられて」 「狂人の話」 など、異様なオブセッションに満ちた短篇は、もう一人のポーとも言うべき現代性を有している。
◆1823年のこの日、『ユドルフォの秘密』 『イタリアの惨劇』 などで一世を風靡したゴシック・ロマンス作家アン・ラドクリフが死去。現代の読者にはその作品は悠長なものと映るだろうが、サスペンスや犯罪小説という広義のミステリの歴史を考えるとき、彼女の存在を無視することはできない。元祖 「ミステリの女王」 である。ちなみに、彼女の死が公にされると、恐ろしい話を書きすぎて狂死したのだという噂が流れたともいうが、実際には、良き妻、良き家庭人として平穏な人生を全うしている。
◆1873年のこの日、「カーミラ」 「緑茶」 「仇魔」 などの怪奇短篇で知られる19世紀アイルランドの作家ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュが死去。『アンクル・サイラス』 『ワイルダーの手』 『墓地に建つ館』 の三大長篇も邦訳がある。晩年、妻を亡くしてからは屋敷に引きこもって隠者のような生活を送り、スウェーデンボリなどの神秘思想に傾倒したレ・ファニュは、毎夜、奇怪な古屋敷が頭の上に崩れてくる悪夢に悩まされていた。彼が亡くなったとき、恐怖に見開かれた遺体の眼を見た主治医は、「ああ、ついにあの屋敷が崩れ落ちたんだな」 と呟いた――というまことしやかな逸話が残っているが、これもまた、怪奇作家にありがちな作られた伝説らしい。この作家については、『ワイルダーの手』 (国書刊行会) 巻末の日夏響 「レ・ファ・ニュ覚えがき」 が、日本語で読めるものとしては、依然としておそらく最も充実した資料。セイヤーズ 『学寮祭の夜』 (1935) で、研究生待遇でオックスフォード大学に戻った作家ハリエット・ヴェインが、レ・ファニュの研究論文に取り組んでいたように、20世紀に入ってその作品は再び脚光をあびた。ブロンテ姉妹やジェイムズ・ジョイスなどへの影響も取りざたされている。M・R・ジェイムズが編集した傑作集 『クロウル奥方の幽霊』 (1923) もリヴァイヴァルの呼び水となった。同年おこなわれた講演でジェイムズは、レ・ファニュの情景描写の巧みさ、緊張と興奮を徐々に高めていく漸強法を指摘し、「仇魔」 「判事ハーボットル氏」 「大地主トビーの遺言」 を、「英語で書かれた幽霊小説の最高傑作」 と称揚している。また、セイヤーズも巨大アンソロジー 『探偵・ミステリ・恐怖小説傑作集』 (1928) の有名な序文で、「真の文学的達成を果たし、無気味なもの、怪異なものを描かせては他の追随を許さなかった作家」 と言い、「レ・ファニュには 〈謎と恐怖の巨匠〉 の称号を得る資格がある」 と断言している。
◆2008年のこの日、『ロンドンの見世物』 『ヴィクトリア朝の緋色の研究』 『二つの死闘』 のリチャード・D・オールティックが死去。殺人事件に惹かれる19世紀大衆の心性に迫った 『ヴィクトリア朝の緋色の研究』 は、探偵小説の成り立ちを考えるとき多くの示唆に富む。
2月8日
◆1828年のこの日、「SFの父」 ジュール・ヴェルヌがフランス西部ナント市のフェイド島に生まれる。父親は代々法律家の家系で、母親は軍人や船乗り、芸術家を多く生んだ家系の出身だった。
◆1924年のこの日、アメリカ最初のガス室による死刑がネヴァダ州で執行される。被刑者は妻殺しで逮捕されたジー・ジョン。
◆2006年のこの日、マイクル・ギルバートがケント州ラッデスダウンで死去。享年93。本格、警察小説、法廷物、スパイ小説、犯罪小説など、さまざまなジャンルにわたる長篇・短篇集40冊以上を発表した英国ミステリ界の長老。本業は事務弁護士で、ロンドンで弁護士事務所を共同経営、レイモンド・チャンドラーの顧問弁護士も務めた。1953年のCWA(イギリス推理作家協会)の設立にも尽力。長年の功績により、MWAグランド・マスター賞(1988)、CWAダイヤモンド・ダガー(1994)と、英米の作家協会から表彰を受けている。邦訳に『空高く』 『ひらけ胡麻!』 『十二夜殺人事件』 『捕虜収容所の死』 『スモールボーン氏は不在』 など。
◆2006年のこの日、作曲家、伊福部昭が目黒区の病院で死去。享年91。《ゴジラ》 《空の大怪獣ラドン》 《地球防衛軍》 《大魔神》 から 《宮本武蔵》 《座頭市物語》 《眠狂四郎無頼剣》 《ビルマの竪琴》 《釈迦》 《わんぱく王子の大蛇退治》 まで、さまざまなジャンルの作品を手がけた映画音楽の巨匠。
2008年のこの日、『のろわれた沼の秘密』(あかね書房/少年少女世界推理文学全集)のフィリス・A・ホイットニーが死去。享年なんと104歳。1940年代にデビューしたホイットニーは、1960〜70年代にはアメリカで最も有名なロマンティック・サスペンス作家のひとりだった。ジュヴナイルも30冊以上ある。
2月9日
◆1881年のこの日、ロシアの作家フィヨードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキーがセント・ペテルスブルグで死去。その 『罪と罰』 は、戦前日本の探偵作家に多大な影響を与え、木々高太郎が 「推理小説」 として新しい枠組を提唱したとき、その見本にあげられた。乱歩のドストエフスキーへの傾倒もよく知られている。
◆1911年のこの日、ジプシー・ローズ・リー(本名ローズ・ルイーズ・ホヴィック)がシアトルで生まれる。幼い頃からボードヴィルやバーレスクの舞台に立ち、やがて 「ストリップの女王」 として有名になった彼女は、『Gストリング殺人事件』 (1941)、『ママ、死体を発見す』 (1942) の2冊の探偵小説も発表している。この2作については、友人でもあったクレイグ・ライスが代作者であるという噂が出版当時からあり、ライス作品の 「正典」 として数える文献も少なくないが、ジェフリー・マークスのクレイグ・ライス評伝 《Who Was That Lady?》 は、この説に否定的である (いずれにせよ、本国でこの2冊がライス名義で再刊された例はないはず)。

2月10日
◆1932年のこの日、『正義の四人』 をはじめ、夥しいスリラー作品を書きまくり、絶大な人気を誇った作家エドガー・ウォレスが死去。最後の仕事は映画 《キング・コング》 だった。ハリウッドに招かれ、RKOのプロデューサー、メリアン・C・クーパーと共に 《キング・コング》 の原案を作成していたウォレスは、草稿110枚を作ったところで倒れ、糖尿病に肺炎を併発して急逝。56歳だった。浪費癖のあった彼は、死後に莫大な借金を残したが、著作の刊行により数年で清算することができたという。
◆1930年のこの日、〈新青年〉 編集部に在籍していた渡辺温は、原稿執筆依頼のため関西の谷崎潤一郎邸を訪問した帰途、乗っていた自動車が夙川踏切で貨物列車と衝突、脳挫傷のため死去。わずか27歳であった。ちなみにこのタクシーに同乗しながら危うく難を逃れたのが、戦後、クロフツ、カー、ライスなどの翻訳を手がける長谷川修二。谷崎は 〈新青年〉 4月号に温への追悼文 「春暖」 を寄稿、翌年、同誌に伝奇長篇 『武州公秘話』 を連載している。
◆1946年のこの日、長野県の疎開先で、小栗虫太郎が死去 (死因はメチルアルコール中毒とする説もあるが、公式には脳溢血)。戦後創刊の探偵小説誌 〈ロック〉 に第1回だけ掲載された長篇 『悪霊』 が絶筆となった。なお、その穴埋めに急遽同誌に 『蝶々殺人事件』 を連載することになった横溝正史が、戦前、肺結核で倒れた際に代原として 〈新青年〉 に掲載されたのが小栗のデビュー作 「完全犯罪」 だった、というのは有名なエピソード。

2月11日
◆1891年のこの日、パリを舞台にディレッタント探偵ホーマー・エヴァンズが活躍する洒脱なユーモア・ミステリ・シリーズを執筆したエリオット・ポールが、マサチューセッツ州モールデンで生まれる。第一作 『不思議なミッキー・フィン』 以下、長篇8作中篇1作がある。ポールは第1次大戦に従軍してパリに行き、そのままそこに居着いてしまい、1920-30年代をフランス、スペインで過ごし、ジャーナリストとして活躍した。「エリオット・ポオルの探偵小説」 というエッセイで吉田健一は、彼のパリ滞在記 『最後に見たパリ』 を 「荷風の 『ふらんす物語』 などこれに比べれば寝言に近い感じがする」 とまで言っている。詩人の岩田宏 (小笠原豊樹) も、『渡り歩き』 (草思社) で彼のスペイン滞在記を紹介している。
◆1940年のこの日、『39階段』 『緑のマント』 のジョン・バカンが死去。
◆2010年のこの日、映画監督の井上梅次が脳出血のため死去。享年86。ミステリ映画に乱歩原作 《死の十字路》(56)、京マチ子版 《黒蜥蜴》(62)、ハロルド・Q・マスル原作 《わたしを深く埋めて》(63)など。アクション、コメディ、恋愛、時代劇までなんでもこなした娯楽映画の職人監督。TVで手掛けた天知茂主演の明智小五郎シリーズもよく知られている。
◆2013年のこの日、殊能将之が死去。『ハサミ男』 『美濃牛』 『黒い仏』 『鏡の中は日曜日』 『樒/榁』 『キマイラの新しい城』 『子どもの王様』 のほか、アヴラム・デイヴィッドスン短篇集 『どんがらがん』 を編纂。享年49。

2月12日
◆1905年のこの日、「蜘蛛」 「生きている皮膚」 「告げ口心臓」 など、医学的知識をいかした作品を 〈新青年〉 に発表した米田三星が、奈良県吉野郡に生まれる。本業は医師で、小酒井不木に刺激を受けて探偵小説を書き始めたが、同じ医学畑出身の木々高太郎の登場に衝撃を受け、筆をとる気を失ったという。
◆1908年のこの日、アンドリュー・ガーヴが英国レスターで生まれる。どれも軽く書かれているので、小説に重厚さを求める向きには物足りないかもしれないが、このもたれない軽さとストーリーテリングの職人芸は珍重すべき。典型的なアベレージヒッター・タイプだが、あえて一冊あげるなら、代表作とされることの多い 『ヒルダよ眠れ』 より 『黄金の褒賞』 『カックー線事件』 あたりを採りたい。
◆1931年のこの日、アムステルダム警察勤務を経て作家に転身、『アムステルダムの異邦人』 『オカルト趣味の娼婦』 などの警察小説シリーズを発表したオランダ作家ヤンウィレム・ファン・デ・ウェテリンクがロッテルダムで生まれる。
◆1970年のこの日、『パリの狼男』 のガイ・エンドアが死去。

2月13日
◆1903年のこの日、メグレ警部シリーズの作者ジョルジュ・シムノンが、ベルギーのリエージュで生まれる。
◆1914年のこの日、ベルティヨン式測定法の発明者アルフォンス・ベルティヨンが死去。体型や身体的特徴を測定して、犯罪者の記録・分類を行なうシステムで、これによって常習犯のデータベース化が進められ、犯罪捜査に活用された。
◆1952年のこの日、『時の娘』 のジョゼフィン・テイが死去。
◆2008年のこの日、映画監督・市川崑が肺炎で死去。享年92。《犬神家の一族》 (76) 以下、《悪魔の手毬唄》 《獄門島》 《女王蜂》 《病院坂の首縊りの家》 《八つ墓村》 の横溝正史原作映画があり、《犬神家の一族》 のセルフリメイク (2006) が単独監督作としては遺作となった。ちなみに脚本家としてのペンネーム久里子亭はクリスティーのもじり。
2月14日
◆1919年のこの日、鮎川哲也 (本名中川透) が東京巣鴨に生まれる。
◆1929年のこの日、シカゴで警官を装ったアル・カポネ配下のギャング5人が対抗グループの7人をマシンガンで射殺。世にいう 〈聖バレンタイン・デイの虐殺〉 である。
◆1945年のこの日、甲賀三郎が急性肺炎のため死去。戦時中、甲賀は日本文学報国会事務局総務部長 (このとき大阪圭吉が、甲賀の紹介で同会総務部会計課長を務めている)、日本少国民文化協会事務局長などを歴任していた。
◆1961年のこの日、赤木圭一郎が日活撮影所でゴーカートに試乗中、鉄扉に激突。7日後の21日に死去。享年21。代表作 《拳銃無頼帖 抜き射ちの竜》 《紅の拳銃》 など。この年の1月、石原裕次郎がスキー事故で骨折、続いて赤木の事故死により、石原、小林旭、赤木、和田浩治の4人で構成された 〈日活ダイヤモンド・ライン〉 は崩壊、日活は宍戸錠や二谷英明を主役に昇格させて急場をしのぐが、結果的に小林旭らのシリーズは魅力的な敵役を失うことになり、これが後に日活アクション映画衰退の遠因になったともいわれている。
◆2010年のこの日、『本命』 『興奮』 など、競馬界を舞台にした冒険小説シリーズで人気を博したディック・フランシスが、カリブ海の英領ケイマン諸島の自宅で死去。享年89。
◆2010年のこの日、翻訳家・浅倉久志が心不全のため死去。享年79。ヴォネガット、ラファティ、ディック、ディッシュ、ライバー、ジャック・ヴァンス、ティプトリー・ジュニアなど、多くのSF作品の翻訳がある。『ユーモア・スケッチ傑作選』 をはじめとするノンセンス・ユーモア小説の発掘紹介でも素晴らしい仕事を残している。
2月15日
◆1883年のこの日、中国人の天才的犯罪者、〈黄禍論〉 のシンボルともいうべきフー・マンチュー博士の作者サックス・ローマーが、英国ワーウィックシャーで生まれる。「中国人は知能は優れているが道徳的観念はない人種」 といった滅茶苦茶な決め付けがなされていた時代の産物だが (こういう東洋人観は、たとえば少しあとのロバート・E・ハワードのヒロイック・ファンタジーなどにも露骨にあらわれている)、〈悪魔博士〉 フー・マンチューは科学・医学・物理学の世界的権威でオカルトの泰斗でもある大学者でありながら、東洋人による世界征服を夢見て秘密結社を組織して西洋=白人社会に戦いを挑む。1912年に開始されたこのシリーズは、20年代に映画化され、世界的大ヒットを飛ばした。2004年になってフー・マンチュー物の第一作 『怪人フー・マンチュー』 の翻訳が出たのには驚いた。なお、ローマーには 「チェリアピン」 という怪奇短篇の傑作もあって、『怪奇小説傑作集2』 (創元推理文庫) で読むことが出来る。
◆1899年のこの日、『薪小屋の秘密』 『黒い死』 のアントニイ・ギルバート、本名ルーシー・ビアトリス・マレスンがロンドンで生まれる。

2月16日
◆1954年のこの日、『蜂工場』 のイアン・バンクス (SFを出すときにはミドルネームのイニシャル M を入れている) が、スコットランドのファイフで生まれる。
2月17日
◆1888年のこの日、『陸橋殺人事件』 『サイロの死体』 のロナルド・A・ノックスが、英国レスターシャー、ニブワスで生まれる。父親は英国国教会の主教、両方の祖父も僧職という聖職者の家系にあって、当然のように国教会の聖職についたが、第1次大戦中にカトリックに改宗、大僧正の地位にまでのぼりつめた。没後、イーヴリン・ウォーがノックスの伝記を書いているが、その中で、ノックスが取り組んだ聖書現代語訳の仕事が教会内で様々な軋轢や抵抗を生んだことが明かされている。これに対して、「ウォーは聖職者の世界を十分に理解していない」 との批判が教会側から寄せられたという。
◆1895年のこの日、『鉄路のオベリスト』 『海のオベリスト』 『空のオベリスト』 のC・デイリー・キングがニューヨーク市で生まれる。本業は心理学者だが、小森健太朗氏によれば神秘思想家グルジェフ派の大物でもあり、『タラント氏の事件簿』 には、明らかにグルジェフをモデルにしたと思われる人物が登場するという。
◆1924年のこの日、《独立愚連隊》 《江分利満氏の優雅な生活》 他の映画監督、岡本喜八が米子市に生まれる。ミステリ映画では天藤真原作の 《大誘拐》 や都筑道夫原作 《殺人狂時代》 が有名だが、《あゝ爆弾》 はウールリッチの短篇 「万年筆」 にもとづくブラックユーモア・ミュージカルの怪作。若き日、本多猪四郎の下で香山滋原作 《獣人雪男》 の助監督をつとめたこともある。
◆1930年のこの日、『わが目の悪魔』 『ロウフィールド館の惨劇』 のレース・レンデル、別名バーバラ・ヴァインがロンドンで生まれる。
◆1944年のこの日、カート・シオドマク監督の 《幻の女》 が公開される。原作はもちろんウィリアム・アイリッシュ。
◆1947年のこの日、安楽椅子探偵プリンス・ザレスキーの作者M・P・シールが死去。
◆1955年のこの日、『不連続殺人事件』 『明治開化安吾捕物帖』 の坂口安吾が死去。
◆1986年のこの日、『女と女の世の中』 『恋はサイケデリック』 の鈴木いづみが自殺。
2月18日
◆1894年のこの日、観念史派の名著 『月世界への旅』 (オールディス 『十億年の宴』 の重要なネタ本のひとつ)、『暗い山と栄光の山』 で知られるマージョリー・ホープ・ニコルスンが、ニューヨーク州ヨンカーズで生まれる。「教授と探偵」 (『推理小説の詩学』 研究社、所収) は、国際的な学者を集めた退屈な夕食会が、探偵小説の話題が出た途端に一変するシーンを枕に始まる愉快なエッセー。人はなぜ探偵小説を読むのか、という疑問へのひとつの回答でもあり、多くの示唆に富む。
◆1929年のこの日、『ベルリンの葬送』 のレン・デントンがロンドンで生まれる。
◆1930年のこの日、ローウェル天文台のクライド・トンボーが太陽系第9の惑星、冥王星を発見。H・P・ラヴクラフトは早速そのニュースを作品に取り込み、「闇に囁くもの」 (1930年2‐9月執筆) を翌31年、《ウィアード・テールズ》 8月号に発表している。以来、この星はクトゥルー神話において特別な位置を占めてきたが、2006年、惑星の定義を決める国際天文学連合で 「惑星」 から外れることになった。(もちろん、星そのものが無くなったわけではないのだが)
◆1982年のこの日、『ランプリイ家の殺人』 『道化の死』 のナイオ・マーシュが死去。
◆2008年のこの日、フランスの作家アラン・ロブ=グリエが、仏北西部カーンの病院で死去。享年85。1950年代、『消しゴム』 『嫉妬』 などの作品でヌーヴォーロマンの旗手と目された。映画 《去年マリエンバートで》(61)の脚本でも知られ、自らも数本の映画を監督している。ジュリアン・シモンズによると、『消しゴム』 は英国推理作家協会の年間最優秀作品賞に推薦されたが却下され、それに不満を抱いたある批評家は選考委員を降りてしまったという。

2月19日
◆1926年のこの日、『クラシックな殺し屋たち』 『女刑事の死』 他、スパイ小説から犯罪小説まで、巧みなストーリーテラーぶりを発揮して人気を博したロス・トーマスがオクラホマシティで生まれる。
◆1965年のこの日、《宝石》 連載の 『親しい友人たち』 でショートーショートの新しい可能性を示した山川方夫が、郵便を出しに行った帰り道、二宮駅前の横断歩道で交通事故に遭い、頭蓋骨折の重傷を負う。大磯病院へ運ばれたが、意識の戻らぬまま、翌20日死去。35歳の誕生日を5日後に控えていた。
◆1997年のこの日、埴谷雄高が死去。戦時中、平野謙、坂口安吾、荒正人らと探偵小説の犯人当てに興じたというそのファンぶりの一端は、「探偵小説の新領域」 「ミステリーと私」 などのエッセーにもうかがえる。形而上的探偵小説の愛好者なら 『死霊』 は必読 (講談社文芸文庫に入って読みやすくなった)。
◆2005年のこの日、映画監督の岡本喜八が死去。享年81。新作として山田風太郎 『幻燈辻馬車』 の映画化を構想し、脚本を書き上げていたが、果たせずに終った。(遺稿となった脚本は 『列外の奇才 山田風太郎』 [角川書店] に収録)
◆2016年のこの日、『薔薇の名前』 のウンベルト・エーコがミラノの自宅で死去。享年84。
2月20日
◆1912年のこの日、『猿の惑星』 『戦場にかける橋』 のピエール・ブールがフランス南部のアヴィニョンで生まれる。
◆1919年のこの日、詩人・画家で 「悪魔の舌」 などの怪奇短篇も執筆した村山槐多が死去。槐多作品を愛した江戸川乱歩は、その水彩画 《ニ少年図》 を書斎に飾っていた。
◆1926年のこの日、『地獄の家』 『地球最後の男』 『13のショック』 『激突!』 など、夥しい怪奇・SF・サスペンス作品を発表、映画・TV界でも活躍した多才な作家リチャード・マシスンが、ニュージャージー州で生まれる。
◆1927年のこの日、映画 《夜の大捜査線》 (原作はジョン・ボール 『夜の熱気の中で』) で、黒人刑事ヴァージル・ティッブスを演じた俳優シドニー・ポワチエが、マイアミで生まれる。
◆1946年のこの日、江戸川乱歩、ウィリアム・アイリッシュの 《Phantom Lady (幻の女)》 を読了。神保町の巌松堂で、《雄鶏通信》 の春山行夫売約済みのポケットブックの束に本書を発見、奪うようにして買ってきたもの。一読してこの作に惚れ込んだ乱歩は、表紙裏に 「新らしき探偵小説現われたり、世界十傑にも値す。直ちに訳すべし。不可解性、サスペンス、スリル、意外性、申分なし」 と書き込んでいる。実際にその2週間後、占領下で翻訳権の問題もはっきりしないうちに、計画中の新雑誌 《苦楽》 (戦前の同名誌とは別物) に 『ファントム・レディ』 連載を決め、自ら翻訳をはじめたが、結局、この時点では翻訳出版そのものが難しいことがわかり、「十五枚訳したまま中止」 となる。
◆1968年のこの日、刑事コロンボの初登場作品 《殺人処方箋》 がNBCで放映される。この単発物は好評を博し、3年後に製作されたパイロット版 《死者の身代金》 も高視聴率を獲得。1971年9月15日放映の 《構想の死角》 (スピルバーグ演出) からシリーズ化された。冴えない風采のイタリア系警察官コロンボはピーター・フォークの当り役となったが、当初はビング・クロスビーにオファーがあったらしい。
2月21日
◆1907年のこの日、1930〜40年代を代表する英国詩人W・H・オーデンがヨークで生まれる。探偵小説の定義や被害者・犯人・探偵・動機などの要素についてまとめた 「罪の牧師館」 (『推理小説の詩学』 研究社、所収) というエッセーもあるオーデンは、「ぼくにとって探偵小説を読むことは、煙草やアルコールのような一つの常用癖だ」 というほどの探偵小説愛好家だった。その文学的盟友に詩人セシル・デイ・ルイス (=探偵作家ニコラス・ブレイク) がいる。1940年にアメリカへ移住 (のちに帰化) したオーデンが、ブルックリン・ハイツで数人の作家・詩人と住んでいたとき、有名ストリッパーで 『Gストリング殺人事件』 を執筆中のジプシー・ローズ・リーも、同じ家に一時滞在していたという。
◆1967年のこの日、異色短篇の名手で、TV・映画の脚本家としても活躍した才人チャールズ・ボーモントが死去。34歳で異常な速度で老化がすすむ奇病を発症、38歳で亡くなったときには100歳の老人と見紛うほどだった。
2月22日
◆1887年のこの日、松本泰が東京で生まれる。慶應大学を卒業後、英国留学。帰国後に奎運社を創立し、〈秘密探偵雑誌〉〈探偵文芸〉 を発刊、創作にも手を染める。戦前探偵小説界で主流を占めた〈新青年〉/江戸川乱歩周辺とは距離を置いたポジションで活動した作家。英国留学中に出会った夫人の松本恵子は翻訳家となり、二人でクリスティーやディケンズの翻訳を送り出している。近年、『松本泰探偵小説選1・2』 (論創社) がまとめられ、『「探偵文芸」 傑作選』(光文社文庫) も出ている。
◆1896年のこの日、『女は魔物』 など、暴力描写とハードボイルド・スタイルを英国ミステリに持ち込み、仏訳されてフランスで爆発的人気を獲得したピーター・チェイニーがロンドンで生まれる。
◆1930年のこの日、〈怪盗ニック〉 〈サム・ホーソン〉 〈サイモン・アーク〉 など多くのシリーズ・キャラクターを擁して、夥しいパズラー短篇を書きつづけたエドワード・E・ホックが、ニューヨーク州ロチェスターで生まれる。
2月23日
◆1890年のこの日、〈新青年〉 初代編集長を務め、海外探偵小説の紹介、乱歩 「二銭銅貨」 を世に送り出すなど、戦前探偵小説界の名伯楽、森下雨村が高知県佐川市で生まれる。
◆1899年のこの日、エーリッヒ・ケストナーがドイツのドレスデンで生まれる。少年探偵物の古典 『エーミールと探偵たち』、ユーモア・ミステリ 『消え失せた密画』 がある。ロマンティックなユーモア小説 『雪の中の三人男』 『一杯の珈琲から』 も愛すべき佳品。
◆1955年のこの日、最高裁判所に召喚されたダシール・ハメットがこう証言する。「共産主義は、私にとっては汚い言葉ではない」。マッカーシーの赤狩り旋風吹き荒れるなか信条をまげなかったハメットは、51年には6ヶ月の禁固刑を受けている。ハメットの友人でもあったエラリイ・クイーンは 『ガラスの村』 (54) でマッカーシズムを痛烈に批判した。
2月24日
◆1848年のこの日、怪盗グレイ大佐の作者グラント・アレンがカナダ、オンタリオ州キングストンで生まれる。クレイ大佐の冒険譚 『アフリカの百万長者』 (1897) は、アメリカ最初の怪盗小説ともいうが、アレンは幻想小説やSF、社会風刺小説 『英国の野蛮人』 など多彩な作品を残した世紀転換期の人気作家だった。
◆1904年のこの日、「柘榴病」 の瀬下耽が新潟県柏崎市で生まれる。
◆1909年のこの日、H・P・ラヴクラフトの崇拝者、怪奇小説専門出版社アーカム・ハウスの共同創設者で、ホームズ・パスティーシュ 〈ソーラー・ポンズ〉 シリーズの作者オーガスト・ダーレスが、ウィスコンシン州ソークシティで生まれる。
◆1981年のこの日、シュロック・ホームズ物や殺人同盟シリーズで多才ぶりを発揮したロバート・L・フィッシュが死去。
2月25日
◆1917年のこの日、『時計じかけのオレンジ』 のアントニイ・バージェスがマンチェスターで生まれる。
◆1922年のこの日、〈フランスの青髭〉 の異名をとった殺人鬼アンリ・ランドリュがギロチンにかけられる。チャップリンの 《殺人狂時代》 はランドリュ事件をヒントにしているという。クラシック・ミステリ短篇集を続々と刊行中のダグラス・G・グリーンの出版社クリッペン&ランドリュは、有名殺人者ふたりの名前を組み合わせたもの。
◆1930年のこの日、『親しい友人たち』 の山川方夫が、東京市下谷区上野桜木町に生まれる。父親は鏑木清方に師事した日本画家だった。
2月26日
◆1918年のこの日、『海を失った男』 『不思議のひと触れ』 のシオドア・スタージョンが、ニューヨーク州スタッテン・アイランドで生まれる。
◆1922年のこの日、MWAアンソロジーの常連だった短篇の名手ジャック・リッチーがミルウォーキーで生まれる。《ヒッチコック・マガジン》 《マンハント》 《EQMM》 など、ミステリ専門誌の読者をうならせた腕の冴えは 『クライム・マシン』 『10ドルだって大金だ』 『ダイアルAを回せ』 『カーデュラ探偵社』 で。
◆2002年のこの日、彫刻家・怪獣デザイナーの成田亨が死去。〈ウルトラQ〉 〈ウルトラマン〉 の怪獣デザインのほとんどは成田氏の手によるもの。いまふりかえってみると、1960年代後半〜70年頃の少年にとって、成田亨の怪獣デザインこそモダンアートではなかったか。
2月27日
◆1977年のこの日、〈不可能犯罪の巨匠〉 ジョン・ディクスン・カーが、前年の夏から入院していたサウスキャロライナ州グリーンヴィルのレスタヴン老人医療センターで死去。数年前に患った肺癌が再発し、転移していた。看護につきそっていた妻クラリスが休息を勧められていったん家に帰ったあと、療養所の経営者でカーと親しくなったミセス・マッカーシーが病床のカーに 「ジョン、何かしてほしいことがある?」 と聞くと、「いや、だいじょうぶだよ」 と答えた。その五分後、彼は息を引き取った。

2月28日
◆1830年のこの日、イギリスの小説家ジェイムズ・ペインがチェルトナムで生まれる。〈コーンヒル・マガジン〉 の編集長でもあったペインは、ドイルが持ち込んだ 『緋色の研究』 の原稿を門前払いし、のちに長く後悔することになる。
◆1889年のこの日、『小笛事件』 の山本禾太郎が神戸市で生まれる。
◆1893年のこの日、作家・ジャーナリスト・編集者・脚本家としてマルチな才能を発揮したベン・ヘクトがニューヨークで生まれる。発禁処分をくらったカルト幻想小説 『悪魔の殿堂』 もあるが、日本では、H・ホークス 《暗黒街の顔役》 《ヒズ・ガール・フライデー》 やヒッチコック 《白い恐怖》 《汚名》 など、数々の名作映画の脚本家としての顔がいちばん知られているだろう。
◆1916年のこの日、幽霊小説の画期作 『ねじの回転』 のヘンリー・ジェイムズが死去。
2月29日
◆1908年のこの日、映画監督マキノ雅広 (雅弘、正博etc.) が京都西陣で生まれる。《昨日消えた男》 (1941) は、長屋中の嫌われ者で金貸しの大家が殺され、しかもその死体が消えたり現れたりする推理時代劇 (『オリエント急行の殺人』 を時代劇に翻案したもの、と山田宏一は指摘している)。《待って居た男》 (1942) では南伊豆の旅籠で起きた怪事件を目明し夫婦が解決する。二作とも長谷川一夫と山田五十鈴の主演だが、この夫婦探偵の造型は 《影なき男》 のウィリアム・パウエル&マーナ・ロイの影響下にあるのだろう。よく大戦中の欧米映画と日本映画を比べて、あちらではこんなに娯楽作品を作っていたのに日本では…という言い方がされるが、マキノに限ってはそうでもなかったことがわかる。ちなみに底抜けに愉快なオペレッタ時代劇 《鴛鴦歌合戦》 は1939年の作。滅茶苦茶面白いマキノの聞き書き自伝 『映画渡世 天の巻/地の巻』 では、ロジャー・コーマン顔負けの早撮り術の秘密や、日本映画草創期の内幕話が次々に披露されている。
◆1964年のこの日、塔晶夫 『虚無への供物』 (講談社) が刊行される。

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